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モブ令嬢の旦那様は主人公のライバルにもなれない当て馬だった件

獅東 諒

第五章 モブ令嬢と当て馬だった旦那様(二)

『クルーク……お前、本当に人の内にヨルムガンドの聖杯を……人の手に届かぬ場所であるから、お主にまかせておいたものを!』

 空に舞い上がった旦那様を、同じく空を舞いながら邪竜への攻撃を続けていた赤竜王様が視界に捉えて仰いました。
 その言葉には、明らかに怒りの響きがございました。
 グラニド様は、まるでその怒りを晴らしでもするように、聖槍グランディアを邪竜へと放ちます。
 邪竜との戦いが始まってより繰り返される神器を使っての攻撃。
 知性というものを感じさせない邪竜ですが、やはり学んでいるのでしょうか、その身に生やした触手を使って直撃を避けるようになって来ております。

『あの者……グラードルには邪心はありません。……妻であるフローラを思い、有り難きことにシュクルを思い、己に近しい人々の幸せを願っている。それに……彼にはバレてしまいましたが、己の身の内に聖杯を抱えていると自覚さえしなければ、その力を使うことはできなかったのです。……こればかりは、前世の記憶があるというあの者の特異さ故のことでしょう』

 クルーク様はそのように仰いました。ですが私も旦那様も、クルーク様に旦那様の秘密を話した事はなかったはず……。

『フローラ……、私は冥界において死にゆく者たちの罪過を裁く資格を持っているのですよ。あの場所に来た者の従前の行いと記憶は、私には全て見通すことができるのです』

 クルーク様には私の考えが筒抜けでした。
 ですが、やはり旦那様のお考えは間違っていなかったのですね。
 それが分かっていたからあの場所に赴いた私に力を貸してくださった……。もちろん、私が地の精霊王ノルムによって隠されていたことをご存じだったという事もあるのでしょうが。
 あの時、クルーク様が仰った、『私の仲間たちに迷惑をかけられている』という言葉の意味がいまになってよく分かります。

『それにグラニド……我らの取り決めを破って、ファティマに竜騎士の力を授けた貴方に、そのような物言いをされる謂れはありませんよ』

 赤竜皇女として名高いファティマ様は、最後の竜騎士とも呼ばれております。
 ですが、竜騎士たちが活躍した時代ははさらに前、ドラク帝国が建国された年代のことでした。
 ファティマ様以降、そのような力を発現した者はおりませんので、いまでは竜騎士という存在自体がおとぎ話のようなものとして、多くの人々には認識されております。
 赤竜王様が瞬転魔法を利用してこの地に現れたとき、かの竜王様はその力に対して懸念を示しておいででした。
 もしかして、強大な力を持つ竜騎士を、竜王様方は二度と生み出さないと取り決めをなさっていたということでしょうか?
 私が僅かにそのような事を思い巡らしている間にも、クルーク様は聖鎌クルムディンで邪竜に一撃を加えます。

『あれとこれでは話が違うであろうが! 過去の行いをあげつらいおって……だが確かに、あのグラードルという男。人でありながら、聖杯の内に隠されたヨルムガンドの肉体を顕現させおった。まあ、いまだに彼奴の意識が目覚めておらぬから可能で有ったのであろうが』

『お主らいい加減にせぬか。グラードルがヨルムガンドの力を発現させた以上、我らは彼奴の援護に力を注ぐべきであろう。我らの攻撃が彼奴の邪魔になりかねん』

 ブランダル様は、そう二柱の竜王様の言い合いを諫めながら、聖剣ブランディアで襲い来る邪竜の触手を切り払います。
 空を舞い飛ぶブランダル様の動きは、私には旦那様の進路を遮らないように注意しておられるように見えました。
 地上に降り立っているリンドヴィルム様は、バルファムート様の結界から出て戦っているリュートさんと共に、聖鞭リンヴィルで邪竜の触手を排除をしておりました。
 そしてトルテ先生……金竜王シュガール様は、ほかの竜王様方よりも少し後方で、その場にとどまるように羽ばたきながら、竜王様方やリュートさんの援護のため支援魔法を掛けております。
 竜王様の無尽蔵の魔力を使い、私たち人間が戦いやすいようにと、光の精霊たちを召喚して、この戦いの場をまるで昼のように照らし出しています。

 そのように戦いを続けておられる竜王様方の中に、黒竜と化した旦那様が割って入るように飛び込んで行きました。
 黒竜と化した旦那様……。
 邪竜には彼が自分の天敵であると分かるのでしょうか?
 それまで、竜王様方を触手で攻撃しながらも、その身体は脇目も振らずにリューベックへと向かっておりました。ですがいま、その邪竜が歩みを止めて旦那様の方へと振り返ったのです。
 それと同時に、邪竜へと向かって飛んでいた旦那様は一度大きく上空へと駆け上がりました。
 そして……天高く舞い上がった旦那様は、大きくグルリと回転すると、溜めた力を解放するように、一気に邪竜へと向かって降下いたします。

 邪竜は旦那様を迎え撃つように身体から黒霧を吹き出して、ウネウネと生えている泥濘の触手を、撃ち出すように素早く伸ばして穿つように旦那様を狙います。
 邪竜の身体となっている、黒い泥濘は竜王様方にとっては、触れるだけで身体を覆う鱗を溶かし、肉を焼く劇物です。その身から放たれる濁った黒霧は、竜王様方が吸い込むと体内を蝕む猛毒となります。
 ですがそれらの攻撃は……まるで吸い上げられるように進路を変えました。
 旦那様の頭上に浮かぶ聖杯ムガド。
 邪竜が放った、黒霧と触手はムガドの中へと吸い込まれて行きます。

 それらの攻撃が無駄であり、己の力を削がれるものだと気が付いたのか、邪竜は吸い上げられる触手を自ら切り離しました。
 そして……邪竜が次の攻撃を仕掛ける間もなく、黒竜と化した旦那様は邪竜へと肉薄して、がぶりとその喉元に食らいついたのです。
 私は彼のその行いに、思わず声を上げて目を背けそうになりました。
 竜王様方にとって、邪竜は死毒の塊のような存在なのですから……
 ですが……黒竜と化した旦那様の黒い鱗は、私が恐れたように溶かされることもなく、その身を焼かれることもございませんでした。
 旦那様の無謀とも思えた行いを、恐れを抱いて見守っていた私の頭に、トルテ先生の声が響きます。

『フローラ、大丈夫だよ。これが、神器として武器を持たない黒竜王の力だ。邪な欲望を浄化する為の力を与えられたヨルムガンドの力……、あの邪竜にとっては、まさに天敵なのだ』

「なんと……あれが黒竜王の力か……」

 アンドゥーラ先生がそう感嘆したのは、邪竜の首に食らいついた、その旦那様の口元で起こった異変でした。
 黒くにごった、泥濘のようだった邪竜の身体が、その場所からどんどんと濁りが抜け落ちて行きます。
 まるで、泥水を真水へと入れ替えてでもいるかのように……。
 邪竜の咆哮が、まるで世界を震わせでもするように響きます。それは、この世界への怨嗟をわめき散らすようでもありました。
 その間にも、邪竜の身体からはみるみると濁りが抜けて行きます。
 途中、何度も何度も、喉元に食らいついている旦那様の身体を払いのけようと、邪竜は身を捻り、そして攻撃を仕掛けました。しかしそれらの攻撃は竜王様方の神器によって迎撃されます。
 とても長く感じられたその時間は、実際には私が感じていたものよりも遙かに短かったのかも知れません。

 ……そして、その時は来ました。
 次第に邪竜の動きが衰えて、最後には彫像のように固まってしまった……それまで邪竜であったモノ。
 それは既に黒き泥濘ではなく、透明な液体……いえ、光の精霊たちの発する光を受け、竜の形を保ったその姿は、輝きを放つ水晶の彫像のようにさえ見えます。
 その邪竜の頭部では、メイベルさんとオーランド様が互いの身を守らんとするようにしっかりと抱き合っている姿が確認できました。
 さらに邪竜の身体、その胸の辺りに、色が抜け落ちて灰色のようになった邪杯がございます。
 不意に、一陣の風が吹きました。
 するとそれを合図のように、邪竜であったものの肉体が、はらはらと光り輝いて崩れて行きます。
 それは……とても幻想的な光景でした。
 これまでの戦いがまるで幻であったようにさえ感じられてしまいます。
 その崩れ去る邪竜から、地面へと落下しそうになったメイベルさんとオーランド様を、シュガール様が浮遊の魔法を使ってご自分の元へと引き寄せました。
 シュガール様は引き寄せた二人を、浮遊させたまま私たちの元へ運んでまいります。そうして地面へと静かに降ろしますと、私の見慣れたトルテ先生の姿へと化身いたしました。
 マリーズの元にいたサレア様が、急いでこちらへとやってまいりました。
 サレア様はトルテ先生の前に進み出ますと祈りを捧げます。

「偉大なる竜王様の御前にて、非才なる力を行使することお許し頂きますようお願いいたします」

「癒やしについてはバルファムートの領分だからね。ボクなどにそのように畏まらないで早く診てやりなさい」

 サレア様に敬われるトルテ先生を目にして、なんでしょうか、私は妙に面はゆい思いが湧き上がってしまいました。
 そんな私の思いをよそに、トルテ先生に促されたサレア様は素早く二人の容態を確認いたします。

「サレア様、お二人は……」

 私が掛けた言葉に、サレア様は振り向いて優しい笑顔を向けてくださいました。

「大丈夫です――生きていますよ。気を失っているだけのようです」

 一つの大きな懸念が晴れて、私は大きく息を吐きました。
 そんな私の肩に、アンドゥーラ先生が気遣うように手を置いてくださいます。

「やれやれ、この戦いの始まりと終わりを確認できたのは僥倖だが、あまり役に立ったという感じはしないな」

 先生の口から出たのは、その行為に対する照れ隠しのような言葉でした。

「そのようなことはございません。先生のおかげで竜王様方はこの場所まで、瞬時に来ることができました。それに、先生の叱咤がなければ、私は立ち上がることもできませんでした。……これで、これで、全て終わったのですね……」

 私がホッとして旦那様の方へと振り返ろうとしました。
 ですがそれよりも早く、私の袖口が引かれます。袖を引いたのは、それまでこの展開に追いつけずにいたシュクルでした。

「ママ……、パパが、パパが変なの……」

 袖を引かれ、シュクルに向けて落としていた視線を、私は急いで旦那様へと向けます。

「……そ、そんな…………」

 視線の先で起こっている光景を目にして、私は蒼白になってしまいました。
 邪竜は既に大半が崩れ去り、その身に有った邪杯も肉体の崩壊と共に崩れ去っておりました。
 ですが……それを成し遂げた旦那様。
 身じろぎもせずに、自身も彫像と化してしまったような黒竜姿の彼……
 その彼の身体に異変が生じておりました。
 まるで磨き抜かれた黒曜石のようにきらめいていた鱗が、斑のように濁り初めております。
 その頭上に浮かんでいる聖杯も同じように光沢が無くなり、私たちが目にしたあの邪杯に近い色合いへと変化して行きます。

「ああ……そんな、旦那様!」

「パパ! パパ!! ああ、放して――放してなの!!」

 体中がガクガクと震えて、瞳からは涙があふれ出します。
 シュクルもただ事ではない異変だと感じたのでしょう、旦那様に向けて駆け出して行きそうになるのを、トルテ先生によって抱き止められました。
 旦那様は身じろぎもしません。
 ですがその姿は……まるで、その身に取り込んだ邪なものと戦っているように私には感じられました。

「ここまでよくやったが……ダメだったか。シュガール、奴が暴れ出す前に片をつけてやれ。いまならばお前の力であの杯を砕くことができるだろ?」

 地上へと舞い降りて人の姿に変じたグラニド様が、そのように仰ってトルテ先生に顔を向けました。

「放して、とと様! シュクル、パパのところに行くの!!」

 先生は、暴れるシュクルを放さないように抱きしめたまま、静かに首を振ります。

「グラニド……残念だが、ボクの矢は君たちを救うために全て使い切ってしまった。邪杯に有効な矢は精霊たちから僅かずつ力を分けて貰って作り出されたものだ、一〇〇年で一本しか作り出せない」

 私は囚われていたので、竜王様方が瀕死の状態になった攻撃がどのようなものであったのかはハッキリとは知りません。ですが先生の話どおりであるのなら、邪杯を破壊する力を持ったシュガール様の矢の力によって、竜王様方はあれだけの傷で済んだという事でしょうか?

「……チッ、前回と違って、今回は肝心なときに役立たずかよ」

「ならば、我らの神器の力を結集して砕くほかないか……」

 そう言葉を発したのは、いつの間にかこの場に現れた白髪白眼をした方です。その方は男性なのか女性なのか性別の判断の付かない外見をしておりました。
 ですが、その声には聞き覚えがございます。

「ブランダル様、お願いでございます。いましばらくお待ちください! 旦那様は――旦那様はまだ戦っております。私には分かります。見てください! 確かに、聖杯はあの邪杯のように濁り始めておりますが、その中心は懸命に濁りに抗っているように光沢を保っております!」

「フローラ……リュートを止めてくれたグラードルには我とて感謝しておる。できることならば助けたい。だが、幾千、幾億、それ以上の穢れた欲望を、黒竜王の力を借りたとはいえ、人の心が受け止めるにはやはり無理があったのだ。今のままでは、いずれあの欲望に呑まれよう。人の心を保っているうちに地に返してやる事もまた、愛する者を救う道であろう」

 正義を司る白竜王ブランダル様の裁定のような言葉が響きます。
 ……ですが、私はその言葉に断固として受け入れることはできません。

「私は、そうは思いません……懸命に戦っておられる旦那様の努力を無にするような事は、たとえ七大竜王様であろうと、六大精霊であろうと……いいえ、全世界が旦那様の行いを否定しようとも、私は絶対に受け入れることはできません!」

 静かに白い瞳で私を見つめるブランダル様に、私はそう宣言いたしました。

「それに……私には感じられます。旦那様はただ勘違いなさっているだけです。それに気付けば、それに気付けばきっと、あのような穢れた欲望に呑まれるような方ではございません。トルテ先生――いえ、金竜王シュガール様。私を……私を矢としてお使いください! 先ほどシュガール様の使う矢は精霊の力で出来ていると耳にいたしました。お願いいたします。どうか私を旦那様の元へ届けてくださいまし!!」

「なッ、なにを言い出すんだフローラ!?」

 私の口から飛び出した言葉に、目を剥いたのはトルテ先生だけではございませんでした。

「フローラ、君はいったい何を言い出すんだ! 人を矢として使うなど、いくら竜王様であろうともそのような事ができるわけが無いではないか!」

 アンドゥーラ先生が血相を変えてそう仰いますが、私は静かに首を振ります。

「私が、ただの人間であれば……きっとそうなのでしょう。ですが私は、金竜の愛し子であるのです。愛し子は人よりも精霊や妖精に近いと、以前マリーズが言っておりました。……私もそうだと思います。ノルムの隠しによってこの身に受けた加護を隠され、さらにクルーク様の居られる冥界へと足を踏み入れることができたのも、きっと、この身が愛し子としてのモノであったからです」

 シュクルを抱えたまま、珍しく厳しい表情をしているトルテ先生へと、私は今一度視線を戻しました。

「ですから先生……お願いします。私を旦那様の元へと送り出してくださいまし……、それにきっと、旦那様の間違いを正すのは妻の役目ですから……」

 私の決意の視線を受けたトルテ先生は、しばらくしてふぅ、っと息を吐きました。

「……まったく、君という娘は……、初めて出会ったあの頃から、その頑固なところはまったく変わらないんだね。……ああ、ボクはなんと不幸なんだろう、初めて生まれた愛し子を見つけて、大いに甘やかしてやろうと考えていたというのに。……けれど君は、既に自らこれほどの苦難の道を歩むほどに、愛することができる相手と結ばれていたのだね……。分かったよ。君ならばきっとあの聖杯を破壊することなく、その内へと至ることができるだろう」

 トルテ先生が諦めたように……それでいてどこか私の決断を誇るような表情でそう仰いました。
 その先生の隣に、銀髪銀眼の女性……クルーク様が並びました。

「ですが、気をつけなさいフローラ。グラードルが黒竜王の力を使い、大量に浄化したものの、未だにあの聖杯の中は邪な欲望が満ち満ちている。シュガールの矢となりその中に至るという事は、むき出しの精神でその欲望と対峙するということです。努々ゆめゆめ己が人であるという事を忘れないように。金竜の愛し子としての加護が貴女の身を守るでしょうが、それは決して穢れに呑み込まれないということではありませんからね」

「ママ! シュクルも――シュクルも一緒に行くの!! パパを迎えに行くの!!」

 僅かに力の抜けたトルテ先生の腕からシュクルは抜け出して、私の胸へと飛び込んでまいりました。
 ですが私は、そのシュクルの頭をあやして口を開きます。

「シュクル……ママ、きっとパパを連れて帰ってくるから、だからお願い、先生と、クルーク様と一緒にここで待っていて。パパとママが……帰ってくる場所を見失わないように。シュクルがお行儀よく待っていてくれたら、きっとママとパパは帰ってこれるわ……ね、お願い……」

 私はそうシュクルを諭して、彼女を力強く抱きしめました。

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