モブ令嬢の旦那様は主人公のライバルにもなれない当て馬だった件

獅東 諒

第五章 モブ令嬢と悪縁令嬢とレンブラント伯爵の真相

 旦那様と私は、ライオット様におかしな行動をとらせないため、またその時には取り押さえられるように、修練場の真ん中で話をするという選択をいたしました。
 ですがその思惑は、ライオット様が操っていると思われる幻影魔法によって、いとも簡単に崩されてしまいました。
 ライオット様を説得して、彼が成そうとしている行いを止めたいという私たちの想いが、このような事態を招いてしまったのかも知れません。

 私はいま、旦那様の背を追ってその後を走っております。
 身体強化の魔法を使い、何とか離されずにおりますが、元々の身体能力の差を思い知らされます。
 飛行魔法が使えればよいのですが、本日この一帯で飛行魔法を使おうものならば、神殿の周辺で警戒している魔道士たちによって撃墜されてしまうでしょう。
 神殿前の広場ではいま、新財務卿任命の式典を行うため、アンドリウス様を始めノーラ様など王家の方々も居られますので、その旨の知らせが学園の魔導学部に届いておりました。

 それにしましても、ライオット様はいったい何処からあの幻影を操っていたのでしょうか? 幻影魔法には一つの制約がございます。
 術者、または魔具の力によって発現できる距離の差はあるものの、幻影魔法を掛ける人間の視界に収まっていなければなりません。
 あのライオット様の姿が幻影であると気が付いた瞬間、私は軍務部行政館へと視線を走らせました。ですが行政館の中には人影を認めることは叶いませんでした。
 私がそこに当たりを付けたのは、軍務部行政館は学舎よりも神殿に近い場所に建っておりますし、およそ五〇ルタメートル離れている行政官は、幻影魔法を使うには丁度よい距離だからです。
 ただ……あの時私は、一つ違和感を感じました。それは、ライオット様がご自分の足を掴もうとしたノームさんたちの手に、気が付いた様子が感じられなかったことです。
 つまりは、足元で起こった出来事を確認することができないほどの遠くから見ておられた可能性がございます。
 ですが、私たちと会話をしていた事を考えますと、聴音と送音の魔法も同時に利用された複合魔法であるはずです。
 アンドゥーラ先生や今の私でも、魔法でそれを再現するには、遮蔽物がないという条件で二〇〇ルタメートルが限界でしょう。

 旦那様は魔法の知識ではなく、ライオット様の発した言葉から、準備が整っているはずのあの方が、どこで事を起こすのか推理なさったのでしょう。ですが、私もその推理は間違えていないと思います。
 つまり、ライオット様が……おそらくクルークの試練のおりに手にしたモノ。それがこれらの行動を可能にしている……。
 アンドゥーラ先生は、クルークの試練でクルーク様より頂いた魔具は、私たちが頂いたモノのような強力なモノではないと仰いました。ですが考えてみれば、全員に同じモノが渡された訳では無いのです。
 おそらく……ライオット様の手にあるのは、隠密行動に特化した魔法を発現する為の魔具なのではないでしょうか?

「フローラ! 神殿前の広場で何かが起こっているようだ! あそこで何が起こっているか音だけでも聞けないか!」

 修練場から大通りへと出て、足を神殿へと向けた旦那様が、前方を目にしてそう声を上げました。
 五〇〇ルタほど前方、神殿前の広場では、既に式典が始まっているのでしょう、神殿の建物の入り口付近から広場を取り囲むように民衆が集まっているように見えます。

「旦那様! 聴音と遠見の魔法を使います!」

 私は、胸飾りをバリオンの弓形のワンドへと変えて素早く魔法を掛けました。
 ワンドによって、今の私はタクトを使っていたときよりも遙かに効率よく魔法を扱うことができます。
 遠見の魔法は殆ど魔力を消費しませんし、魔法の付与後は掛けられた人の意識で、遠見の力を調節できます。
 さらに聴音の魔法も、今の私ならばこの距離でも十分に魔法の効果範囲に収めることが可能です。 

『……お父様、財務卿就任おめでとうございます……』

 聞こえる音の範囲を、目測で人の群れが取り巻いているその中に絞りましたら、よく知る人物の声が聞こえてまいりました。

『メイベル……祝いの言葉ならば屋敷で聞く、陛下たちのおられるこのような場所に……無礼な行いであろう……』

 これまで目にした事のある三務卿の発表と同じであるのなら、神殿の入り口付近の階段の上が広い空間ですので、その階段上、神殿入り口の脇に王家の方々が座る席が設けられており、新たに就任の決まった財務卿は階段上中央で、陛下より親任の徽章が授与される運びとなっているはずです。
 ですがこの言葉を聞く限り、既に新財務卿はレンブラント伯爵に決まり、徽章の授与も終わっているようです。
 というよりも、その直後といった感じがいたします。

『申し訳ございませんアンドリウス陛下。私はただ……私のこれからの発言を、覆すことのできない証人として、皆様に耳にして頂きたいのです……』

 決意のこもった声音が私の頭の中に響きます。
 メイベルさんが、紅色の瞳を収めた少しつり上がり気味の目を引き締めて決然と言い放った姿が、私の脳裏に浮かびました。

『お父様……私は、本日一五歳となり成人いたしました。本日より私は結婚の許される年齢です……私は、いくらお父様に反対されようともお兄様と添い遂げます!』

 メイベルさんはそう言い放ちます。こう言い放ったということはオーランド様には了承を得たということでしょうか?
 お茶会での様子を見る限り、オーランド様がメイベルさんのことを、妹ではなく一人の女性として思っていることは、確かに見て取れましたけれど。
 周りを取り巻く人々の声が、メイベルさんの告白を耳にして大いに沸き立ちました。
 このような衆人環視の中で、あえてそう宣言するメイベルさんの勇気を讃える声や、兄妹同士での婚姻を口にした彼女を、不道徳であると糾弾する声も聞こえます。
 そんな中、その言葉を叩きつけられたレンブラント伯爵の冷徹な声が響きました。

『何を言い出すかと思えば……それは叶わぬ願いだメイベル。今日は財務卿の選定結果だけが告知されるのでは無いぞ。近親婚禁止令も本日より施行された。その告知もこの後成される運びとなっている』

『…………いいえお父様……。そのような告知に意味はありませんわ……何故なら……』

 自分の生まれた日に近親婚禁止令が施行されたと言うことは、本日結婚可能な年齢になったメイベル嬢は絶対にオーランド様と結ばれることはできません。
 ですがメイベルさんは、何故か不敵な笑みが想像できるような……そんな声音を響かせます。

『何故なら……私は、お父様とお母様の本当の子では無いのですから!』

『……何を言い出すのだメイベル……まさか、エルダンか!?』

 レンブラント様は、自分の子ではないと言い放ったメイベルさんに、初めてその言葉の中に僅かな動揺を滲ませました。

『やっ、止めてメイベルさん……それ以上口にしたら……』

 突然そう発せられた言葉は、私が最近よく知ることとなった声音です。
 それはメルベールお義母様の声でした。

『そうだ、止めるのだメイベル嬢……その先を口にしたら皆が不幸になるぞ! 既に一五年もの年月が過ぎ、それぞれが家族として生きておるのだ……それを今になって壊してどうするのだ!』

 メルベールお義母様に続いてそう声を上げたのは、ドートルお義父様です。
 お二人の言葉には、強い焦燥と深い悲しみが滲んでおりました。
 メイベルさんが告げようとしている事は、ルブレン家にも関係しているという事でしょうか?

『……ああ、ルブレンのお母様は、お父様に告げておられたのですね……でも、申し訳ございません。でもどうか……私の、お二人の――真実の子の願いを叶えさせてくださいまし……』

 ……!?
 いま……メイベルさんは、自分の事をルブレン家のドートルお義父様とメルベールお義母様を真実の子だと……そう仰ったのですか!?
 私の前を走る旦那様の背が、メイベルさんのその告白を聞いた瞬間、ビクリといたしました。
 私も、走り続けていた足を思わず止めてしまいそうなほど驚きましたが、そんな私たちをよそにメイベルさんは言葉を続けます。

『お父様とメルベール様は、元は屋敷が隣同士の幼馴染みであったそうですね……何でも、婚姻の誓いをしておられたとか……、ですがメルベール様のご実家、フィッシュメル家が事業に失敗して没落も免れないほどの負債を抱えたのだそうですね。結局それを助ける条件としてメルベール様はルブレン侯爵と結婚なされた。お父様は家の繋がりからお母様と結婚なされましたが、メルベール様の事を忘れることができず、偶々、同じ日に生まれたレンブラント家とルブレン家の子を入れ替えたのです! ……唯一愛した女性の子供をその手にするために……そうして、メルベール様を奪ったルブレン侯爵に、自分の子を育てさせ、その資産を己の血を分けた子に奪い取らせることで、心の内に満ちた昏い復讐の想いを果たそうとなさったのでしょう?』

 それは、その行為をなじるようなモノではなく、ただ事実を確認する為のモノだと分かる声音でした。

「……アルクも今日一五歳になる……まっ、まさか!? 本当に、子供を取り替えたというのか……」

 旦那様は、そう口には出しましたが、驚愕の事実を受け止めかねるように首を振ります。

「……そういえば……先日の茶会のおりお義母様が、過去の過ちをお義父様に告白して許して頂いた……と、そう仰っておりました……まさか……」

 メルベールお義母様は、レンブラント様のその行いに協力をしておられた……。
 ですがお義母様は、ドートルお義父様の真摯な想いに心を動かされて、そのことを告白したのでしょう。
 それに先ほど、お二人はメイベル嬢の告白を止めようとなさっておりました。
 それはきっとメイベルさん以上に、アルクさんの心を守りたかったからでしょう。
 ……旦那様の意識は、前世のモノとなっております。ですが私は、旦那様に通ずるお義父様の心の広さに、心の内から熱いものが込み上げてまいりました。

「旦那様……お義父様は……」

 お義父様は、アルクさんがご自分とは血が繋がらないレンブラント伯爵の子だと知ってさえ、ルブレン家の後を継がせる決断をなさった……。
 旦那様は少し走る速度を緩めて、私を見つめます。

「ああ……我が父ながら、尊敬する……俺は、父上の子である事をこれほど誇りに思ったことはない」

 私たちはそう思いましたが、そうは受け取れない人がいることを私たちは忘れておりました。

『……父上……母上……かっ、彼女の言ったことは誠のことなのですか……』

 愕然とした様子で、そう呟いたのはアルクさんです。
 昨日の夕、お義父様にルブレン家の後をまかせると言われ、旦那様とも和解してそれは嬉しそうに笑っておられましたが、その言葉の響きからも彼の顔が蒼白になっているのを想像できます。

『何を言うかアルク! お前は儂の子だ! たとえ、たとえ血の繋がりがなかろうともお前が生まれてより、愛情を注がなかった事などないぞ! 確かに途中でやり方を間違えたが、お主に向けた愛情に偽りはない! それだけは間違いないと言える!』

 ドートルお義父様の声は、とても真剣な熱量を持って響きました。
 そうして、お義父様の言葉に続いてメルベールお義母様の決意の込もった言葉も頭の中に響いてきます。

『アルク……こうなったら正直に言うことが貴男への愛情を示すことだと私は考えます。……初め、私は貴男が憎かった。結ばれることのなかった愛する男性と恋敵であった女の間に生まれた貴男のことが……でも、あの時はその心の底にある愛情が分からなかった旦那様。さらに私に懐かない上のボンデスさんとグラードルさんの居るルブレンの屋敷で、無垢な貴男だけが私の救いになったの。いつの間にか恋敵の子である事などどうでもよくなっていたわ。貴男は間違いなく私の愛おしい子供よ……だからアルク、これから先も――私の愛おしい子供のままでいてくれる?』

 そのお義母様の問い掛けにアルクさんが答える間もなく、……フッ、ハハハハハハ……と、レンブラント伯爵の、なんとも可笑しそうな笑い声をが響きました。

『まったく……何という茶番だ。それにメイベル、何を言い出すかと思えば……なるほど、それはエルダンがお前に吹き込んだのか。奴め何を企んでいる……だがな近親婚禁止令が施行された以上、お前がオーランドと結婚することは決してできぬ……なぜなら』

「止めてぇーーーーーーーーーーーーッ!」

 絶叫――そう呼べる程の声を上げたのはメルベールお義母様でした。
 力の限りそう叫んだお義母様が、くらりと倒れそうになるのを、お義父様とアルクさんが支えます。そうしてお義父様も声を張り上げました。

「レンブラント伯爵、それ以上は口にするな!! 貴様! 娘の心を殺すつもりか!! 娘はお主の人形ではないのだぞ!!」

 近付いてきたこともございますが、その声は、既に聴音の魔法を通さなくとも聞こえるほどの大きさです。

「黙っていろルブレン! これはレンブラント伯爵家の話だ。お前には関係ない!」

「何を言うか! お主の言葉は我が息子の心も傷つけるモノだ!」

 ガヤガヤと、周りを囲む人たちが思いも掛けず始まった貴族間の醜聞に沸き立ちます。
 それを不味いと感じたのでしょう、周囲を警備していた方々が市民たちを散らそうと動き始めました。
 それによって、先ほどまでは高い位置に立っているレンブラント伯爵の上半身しか見えておりませんでしたが、旦那様と私は、人波に揉まれながらも、お義父様たちやメイベルさんの様子も確認できるようになりました。

「ハッ、ハッハハハハハ……、なんと、お前は赤の他人の子を一五年も育てされられたというのに、まだそのような言葉が吐けるのか……、なんとも間抜けな男である事よ……」

 そう蔑みの言葉を掛けるレンブラント伯爵に、半ば気絶しかけていたメルベールお義母様が、キッと顔を上げました。

「オルバン! たとえ貴男でも私の夫を蔑むことは許しません! たとえ過去に愛した貴男だとて! この人は、愛を求めるだけの貴男とは違います! 愛を与えることの大事さを知っている誠の人間です!! オルバン、貴男はいつからそんな男になってしまったのですか!」

 泣きながら叫んだメルベールお義母様の言葉……私にはよく分かります。与えること無く、ただ愛を求めるだけの人は、決して充たされることはございません。
 人は人に愛を注いでこそ、その愛が返ってくるのです。愛を与え、愛を受けて、その愛をまた返す……。
 与えることを忘れ、求めるだけになってしまった人の周りに真の笑顔はございません。
 己の周りの人たちに笑顔でいてほしい、その想いが巡り巡って大きな愛へと育って行くのです。
 私は旦那様と巡り会い、そのようにして愛を育んでまいりました。
 今その育まれた愛の中には、お父様お母様、シュクルが居て、アンドルクや貴宿館の皆さん、アンドゥーラ先生やサレア様、トルテ先生たち、さらにアンドリウス陛下やノーラ様、関わった騎士団の方々までが含まれて、さらに大きく育っているのです。
 ですがそんなお義母様の言葉を、レンブラント伯爵は、一笑に付しました。

「メルベール……お前……、ルブレンにほだされたか……やはりお前も女という事か……」

 メイベルさんは、自分そっちのけで始まってしまった、父親とルブレン夫妻の遣り取りに口を挟む事ができずに、戸惑った様子で固まっております。
 レンブラント伯爵は、その戸惑い顔のメイベルさんに視線を戻しました。

「……いいかメイベル。お前がオーランドと結婚することは決してできぬ。何故ならばお前はそこのの間に生まれた娘だからだ!」

「………………………………え?」

 レンブラント伯爵が吐き出した言葉を呑み込むのに、メイベルさんは時間を要しました。
 ですがその言葉が腑に落ちたとき、彼女の瞳からは光が消えました。
 そうしてわなわなと唇が震えます。

「嘘……うそ、嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘……ウソよ……、私……お兄様と結婚することができないの……」

 ボロリッ――と、大きな涙が、光の消えた紅色の瞳から溢れます。

「あッ、あぁぁぁぁ……いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーッ!!」

 狂気めいたメイベルさんの悲鳴が、まるで心を切り裂くように響きました。
 その悲痛な叫びは、私の心をも引き裂かんばかりの悲しい叫びでした。

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