モブ令嬢の旦那様は主人公のライバルにもなれない当て馬だった件

獅東 諒

第五章 モブ令嬢と旦那様と捜査局長と……

 エルダン・カンダルク様より私たちの婚姻の祝いとして送られた懐中時計を手に、アンドゥーラ先生の元を訪ねた旦那様と私は、これまでの経緯を説明して協力をお願いいたしました。

 私たちの話を聞いた先生は、「君たちの説明が誠であるのなら……私が奴から逃げ出した事で、君たちにしわ寄せが及んでしまったのか? 私は奴と正面から向き合うべきだったのだろうか?」と項垂れました。

 私は、先生がライオット様を避けたことによって、一度は思いとどまっていたはずだという旦那様との考察を伝えました。
 ですが……あの方の望む最良の結末――幕引きを託せる私たちが、あの方の前に現れてしまいました。それによってライオット様は、心の奥底に押し込めていた望みを甦らせてしまったのだろうと、旦那様が先生に告げました。
 その後、旦那様があの懐中時計を目にして閃いた事に対して、先生と私とが協力して検証することとなったのです。

 そうして日を跨ぎ、火の月およそ八月一五日黒竜の日曜日……財務卿の選定結果が発表される日となりました。
 旦那様は朝早くからセバスを呼び出して、本日の段取りの打ち合わせをしておりました。旦那様との話を終えたセバスが、市井に潜むアンドルクの方々に繋ぎを付けるために、ミミを始めチーシャやトニーを送り出しておりました。
 朝食のあと私は旦那様から頼まれまして、ここのところ捜査局のミシェル様と懇意にしているアルメリアに、ミシェル様への伝言をお願いして、さらにミシェル様伝で、ライオット様を指定した場所へと呼び出してもらうようにお願いいたしました。





「ライオット卿、ご足労ありがとうございました」

 旦那様と私の前に、ライオット様は軽い足取りでやってまいりました。
 彼は立ち止まると、私たちを改めて視界に収めて口を開きます。

「それでそれで……わざわざミシェルに伝言まで頼んで、俺をこのようなところに呼び出したのは、いったいどういう訳かね? いちおう捜査局も、新財務卿発表の警備を担っているのでね、それなりに忙しいのだが……」

 相も変わらず少しおどけたような調子で仰いますので、本当に仰っているとおりなのか私たちからは判別が付きません。
 ライオット様は今一度、グルリと周りを見回します。

「それにしても……本当に、なんでこんな場所に?」

 ライオット様がそう仰るのも無理はないでしょう、私たちがいま居るこの場所は学園と軍務部が共同で利用している修練場……その中心なのですから。

「今日は学園も休みですし、軍務部も修練場を使った訓練のない日ですから、余人を交えず話をするには丁度よかったので……。それに私たちも、この後新財務卿の発表は見に行く事になっています。ここからならそう遠くありませんからね」

 ライオット様の様子を子細に観察しながら、旦那様はそのように仰いました。
 表向きはそのような口実ですが、実際にこの場所を選んだのは、私たちが辿り着いたライオット様の真実。それを彼にぶつけたとき、どのような反応が返ってくるか分からなかったからです。ここならば何か起こっても、被害を最小限に収められるかも知れませんから。
 学園や軍務部の建物の影には、アンドルクの方々とシュクル、そうしてアンドゥーラ先生も潜んでおります。
 さらにシュクルに張り合おうとしているのか、ノームさんたちも地中に隠れていて、何かあれば彼を捕らえる為に力を貸してくださるそうです。
 私も、いつでも魔法が使える心の準備をしてこの場に立っておりました。
 それにしましても、暑さは最盛期を過ぎておりますが、本日は雲も無く、照りつける日の光に、じりじりと肌を焼かれるような気がいたします。

「余人を交えず……とは、なんともなんとも、意味深だねぇ。いったい俺と何を話したいのかな?」

「単刀直入に申します。ライオット卿……あなたが、黒竜の邪杯を盗んだ犯人ですね」

 旦那様の言葉を耳にした途端、ライオット様の金色の瞳に、喜色を秘めた光が灯ったと思えたのは、きっと私の気のせいではないでしょう。

「ほうほうほう……。なんともなんとも、この俺が黒竜の邪杯を窃盗したと……その犯人だと言うのかね?」

「はい……私たちはそう確信いたしました。……それに、そもそも貴男は、私たちにそのことを気付かせるため、随所に手がかりを残していたではありませんか」

「いやいや、何のことかね? 俺は捜査局の人間だよ。そもそもと言うならば、俺が黒竜の邪杯などをこの手にして、いったい何をしようと言うのかね? まさか、この俺が簒奪教団の信者だとでも言うつもりかい? それならば先だっての褒賞授与式典でかの国の行いを止めはしなかったと思わないかい?」

 ライオット様はそう惚けますが、それは旦那様が想像しておられたとおりの言い訳でした。

「……いいえ、貴男は簒奪教団とはまったく関係がない。それどころか貴男は、オルトラントに根を張っていた脅威、そうして、オルトラントに向けられている悪意を懸命に払っていた……」

「おやおやおや、それではこの俺が黒竜の邪杯を盗む理由がないではないかね。もしも黒竜の邪杯を使ったら、この国だけではない、下手をすれば世界が滅びる。グラードル卿――俺はいったい何で邪杯を盗んだと言うんだい?」

 まるで――目を掛けている生徒が導き出した正解を、嬉しそうに見つめる教諭のような、そんな優しい視線で、ライオット様は旦那様と私を見つめておりました。

「そう、だからこそ。多くの状況証拠を手にしながらも……私は、つい最近までライオット卿、貴男を疑いきれなかった。だが……」

 そこで言葉を句切って、旦那様は私を愛おしげに見つめ、そうしてライオット様に視線を戻します。

「……フローラがその答えをくれました」

 ライオット様は、先を促すような視線を向けたまま静かに私たちを見詰めております。
 旦那様は一度居住まいを正して、貴人に対する礼をいたしました。

「申し訳ございません殿下……私たちは貴男の過去を探らせて頂きました。そうしてフローラは気が付いたのです。殿下……貴男の中に有る、このオルトラントへの深い愛情と、この大陸西方諸国の悪しき因習に由来する憎悪。その二つを……」

「ほうほう……なんとも興味深い。……で? グラードル卿、君は取り留めもない話をしているが肝心な証拠とやらはあるのかね?」

 剽げた表情を崩さぬままそう仰るライオット様に、旦那様は懐の隠しから小箱を取り出しました。

「これは、私とフローラの婚姻の祝いとして、懇意にしていたエルダン・カンダルクが私に贈ってくれた懐中時計です」

 それを目にしたライオット様は、初めて戯れた表情を崩して、片眉を上げて意外そうな顔をいたしました。

「ほう……エルダンとは、以前君の拉致を主導した、レンブラント伯爵子飼いの密偵のような男だったね。この話の流れで、何でそのような物が出てくるのか、皆目見当が付かないが、それが一体何だというのかね? 」

「……実は、そのエルダン・カンダルクが、新政トーゴ王国の飛竜部隊によって王都が襲われていた最中に、神殿より黒竜の邪杯を窃盗した実行犯。その可能性が最も高い人物なのです。邪杯を納めた聖櫃らしき物を抱えて去って行く所を目撃されておりました。あの時神殿では焼け出された市民も多く身を寄せており、被災者の出入りに関する詳細な名簿も残されておりました。その中にはエルダンの名はありませんでした」

「ほうほう……だが、それはそのエルダンが聖櫃物を持っていたというだけで、本物を持っていたという証拠にはなるまい」

「はいそうです。それに……私たちはあの男を調べていて、あの男は本当に実在する人物であるのか? という疑問にまでぶつかってしまったのです」

「……本当に実在する人物? ほうほう、それはエルダンという男が幻であったとでもいうのかね? 確かに、捜査局でも死力を尽くしてあの男を追っている。……いまだに幻のごとく捕らえられずにいるがね」

 旦那様の言葉を揶揄するような調子でライオット様は仰いました。
 ですが、旦那様はその挑発に乗ることなく淡々と続けます。

「結論を申し上げますとそのとおりです。……エルダン・カンダルク。それはライオット卿、いえライオス殿下と言った方が良いでしょうか? 貴男の擬態の一つであったのです」

 旦那様のその宣言に、ライオット様はそれは愉快そうな笑み浮かべました。

「ほうほうほう……いやいやグラードル卿とはこれまで並々ならぬ縁を得たものだが、エヴィデンシア家に向けられていたバレンシオ伯爵からの悪意を共に打ち払ったこの俺にそこまで言うとは……それではそろそろ、君の言う証拠とやらをハッキリと分かる形で教えてくれないかね。そのエルダンが君に贈ったという懐中時計から何が分かったのかね」

「貴男にはもう分かっているでしょうライオット卿……指紋ですよ。奇しくもバレンシオ伯爵家の悪意を打ち砕いたのと同じ指紋です。変化の魔法で別人にその姿形を変えても、指紋は変わらないのです。……私は昨日、フローラとアンドゥーラ卿の協力でその事実を掴みました」

 昨夕、婚姻祝いとして贈られた懐中時計を持ってアンドゥーラ先生の元を訪れた後、旦那様が初めになさったのは先生の協力で指紋を採ることでした。捜査局以外で指紋採取の材料が揃っているのは、指紋採取に利用する粉末や透明な紙を造り出した先生の所だけだからです。
 その後旦那様は、変化系の魔法を使って姿形を変えた場合、指紋も変化するのか? その検証を私とアンドゥーラ先生に頼んだのでした。
 結果は、人として姿形を変える限りは指紋は本人のモノから変化しないということが分かったのです。
 さすがに人以外のモノに姿形を変えた場合、そもそも指紋がない生物もございますのでそれは無理でございました。ただ面白かったのは、人形の生物の猿に姿を変えた場合は同じように本人の指紋のままだったことでしょうか。
 猿に変身させられたアンドゥーラ先生が、『何でこんな姿にまで……』と、溢しておられましたが、私が本物の猿を目にしたことがございませんでしたので、先生にはご無理をお願いいたしました。
 そのようにして得られた結果を旦那様はライオット様にぶつけたのです。

「……そうしてこれが、この懐中時計から採取されたエルダンとおぼしき男の指紋です。さらに申し訳ございませんが、ミシェル君の協力を得て、ライオット卿――貴男が確実に手にした事を確認できた捜査犬課の物品から、朝方こちらの指紋を採取させて頂きました。……私が調べたところ、この二つの指紋は明らかに同一人物のモノです。何故……当時は私と出会ってもいない貴男の指紋が、エルダンから贈られた懐中時計より採取できたのでしょう? ……それはつまり、エルダンとライオット卿――貴男が同一人物だからに相違ないからです」

 旦那様の言葉が終わるのに合わせるように、パチパチパチと、高らかに手を打ち鳴らす音が響きました。
 その手を打っているのは、目の前におられるライオット様です。

「ウムウム……まあ、八五点といったところかな。それでも十分に合格点だ……まだまだ矛盾点は残っているが、状況証拠と合わせれば、告発に足る確かな証拠になるだろうね。なるほどなるほど……指紋は変化しないのか……」

 ライオット様は、左手で右の肘を支えて顎の下に握り込んだ右の拳を当てて考え込むような姿で仰いました。

「しかしね……私が黒竜の邪杯を窃盗した犯人だとして、グラードル卿、そしてフローラ嬢……君たちは私の目的が何なのかは分かったのかい?」

 彼は、それが最も重要だという感じで仰います。
 旦那様は隣に並び立つ私の手に、静かに手を合わせると、その後しっかりと指を絡ませて握り込みました。
 ライオット様は、私たちの握り合わされた手をそれは好ましそうに、そうして眩しそうに目を細めてご覧になります。
 旦那様と私がたどり着いたライオット様の心の底……。

「貴男はこの世界……いえ、とりあえずはこのオルトラントに変化を促すため、一つの衝撃を与えようとなさっている。そうして、それを私たちに収めさせようと考えておられる。……厳密に言えばフローラが目に見える形で活躍するのが理想なのでしょうね」

「ほうほうほう……その俺が望んでいる変化とは何だろうね?」

「それは、王族の市民との間にされた庶子に対する、大陸西方諸国に蔓延はびこる因習、さらには女性の立場のあまりの弱さに起因します……過去、ライオス殿下と同じ立場に生まれた方々は、血を残すこと――子を成すことも許されず。さらに王家の跡継ぎがことごとく倒れたときの為の、本当に最終的な備えでしかない。調べてみましたが、オルトラントでは五〇〇年の歴史の中で、ただの一人も庶子の王子が国を継いだ事実はありませんでした。しかも平民との間の庶子は死後、その存在すら歴史には残されない。ただの備えとしての人生……そんな事のために、貴男は人としての尊厳を踏みにじられて生きている。……貴男はその不遇を訴えて、後に生まれるかも知れない、ご自分と同じ立場になるかもしれない人間の為に、黒竜の邪杯を使い騒動を起こすつもりでおられましたね?」

 旦那様の問いかけに、ライオット様はあえて剽げた表情を作りました。ですが、その表情には彼の真意を理解した私たちへの賞賛が明らかに浮かび上がっております。

「なるほどなるほど、王と平民の女性の間に生まれた庶子としてその不遇をね……、だが待ちなさいグラードル卿、そのような事をしては逆効果だと思わないかね。却って私のような庶子は不穏の種になると、闇に葬られる切っ掛けになりかねない」

「だから……だからこその俺たち――フローラの存在です。貴男にとって、この大陸西方諸国で立場の弱い女性たち。男の影より出ることを許されない彼女たちの存在は、己に重なって見えたのではないですか? 貴男は初めはアンドゥーラ卿を選ぼうとした。十六歳という年齢でクルークの試練を達成し得る知性を湛えた彼女を……だが貴男の中にある危うさを感じ取った彼女は、貴男の真意を理解するのではなく、離れることを選んだ。貴男もその時には諦めたのではないですか? ですが時を過ごすうちに、貴男の思いを託せる私たちにであってしまった。いまのフローラは間違いなくこの私、いや男の影から出た、大陸西方諸国の歴史の中でも数少ない、世界に影響力を及ぼす女性です。そのフローラが貴男の真意を理解して、貴男がオルトラントに衝撃を与えて死した後、その真意を世間に訴えて行動したとしたら? 貴男の望みは……ご自分と同じ立場になり得る人たち、そしてさらには、女性の立場を改善するための切っ掛けを作ることです……」

「ふーむ、なんとも私は立派な人間に聞こえるが、そのために世界を滅ぼすかも知れない事を試みると?」

 ライオット様は、まるで生徒を添削する教諭のように、次々と問題の解答を求めます。

「貴男は、それだけ私たちを信じてくれているのでしょう? ……まあ、失敗したら失敗したで、ご自分の死後のこと、ご自分で世界を滅ぼしてしまうのならそれもやむなし……愛憎を心の内に抱えておられると理解したいまは、それはとても貴男らしい考え方だと私たちには思えます……」

 旦那様の言葉に、ライオット様は微笑みを浮かべます。それはまるで消え入りそうなほどに透明感のあるものでした。

「ああ……君たちを選んで正解だった。君たちは本当に素晴らしい夫婦だね……。だがまさか、事を起こす前に私の心の内にまでたどり着かれるとは考えてもいなかった。……だが、ほんの少しだけ遅かった……」

 それは……、彼がいつものように貼り付けている剽げた雰囲気を拭い去った、彼の本当の笑顔であると私には理解できました。そしてそれはきっと、旦那様も同じであったはずです。

「私の心を理解したのなら……後のことは分かったね。……君たちの奮闘を期待するよ……では、さらばだ」

 ライオット様は、僅かに背後に下がるように身体を動かしました。
 それを逃亡の前兆と捉えた旦那様の足が動きます。

「貴男の真意を知った私たちが、貴男を逃がすとお思いですか!」

 旦那様は素早くライオット様に近づいてその腕を掴もうとなさいます。
 ライオット様の足元からも、わらわらとノームさんたちの腕が伸ばされました。

「……え!?」

「なんだぁ!?」
「なんだぁ!?」
「なんだぁ!?」

 ですが――旦那様の手も、ノームさんたちの手も、虚しく空を切りました。

「以前ならいざ知らず。いまの君に体術で敵うとはとても思えないのでね。それに建物の影に隠れている者たちに俺が気付かないとでも思っていたのかね……」

 その言葉を残して、ライオット様は本当に霞のように消え去ってしまいました。

「あれは……幻影!?」

「ライオット卿が使えるのは身隠しと変化の魔法だけではなかったのか!? 本人はいったい……。……まて、いまライオット卿は少し遅かったと言ったね。まさか!? 彼が事を起こすのは財務卿選定――その場所だ! 」

 ライオット様が事を起こす場所に思い至った旦那様は、既に駆け出しております。

「皆さん! ライオット様が事を起こすのは神殿です!」

 私は、彼の後を追いながら声を張り上げました。
 財務卿選定の結果が発表される時間はもう直ぐの筈です。私たちはその時間の少し前ならば、人が神殿に集まり、こちらには目が向かないだろうと考えてライオット様をこの場所へと呼び出しました。
 ですが、それが完全に裏目に出てしまったようです。

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