モブ令嬢の旦那様は主人公のライバルにもなれない当て馬だった件

獅東 諒

第五章 モブ令嬢と懇親の宴(後)

 金竜騎士団の皆さんが大挙して訪れ、私たちのいるテーブルは一時人の波に呑まれたような状況になりました。ですがそれも団長であるドルムート様の一喝で収まり、その後はアンドリウス陛下との挨拶を済ませた各国の使節団の方々が、この席に集まるクルークの試練達成者への挨拶を目的に一人、また一人とやってまいりました。
 その彼らとの懇談の間、デュルク様が旦那様の首根っこを捕まえて引きずり回しておりました。
 旦那様が傲岸な態度を他国の方々に示すことにした以上、この場でもそれを貫き通さなければなりません。
 ですがあの態度で直接使節団の方々と話すのは無礼が過ぎてしまいます。
 旦那様の所属する騎士団の団長でもあり、勇猛を知られるデュルク様が目付として彼を連れ回していれば、彼が大人しくしている理由として納得されるものでしょう。

 それにしましても……デュルク様は旦那様を控えの間へと運んだあと、すぐに戻ってまいりましたので、そのような打ち合わせをする間など無かったはずですのに……。
 あのとき仰っていたように、察してくださったという事でしょうか?
 デュルク様の荒くれたご様子は確かに本来の気質によるものでしょうが、このような行事の機微を心得ておられるのは、さすがに公爵家の血縁というところかも知れません。
 時折、旦那様の事を気にしながら使節団の方々との対応をしておりましたら、いつの間にか一番最後に控えていた新政トーゴ王国の使節、騎士服姿の方と聖職者の祭服を纏われた方がやってまいりました。

「おお……おおぅ……これはこれは、ノルムの愛し子様。はじめて目もじいたします。私、精霊教会の司教、モルテンと申します。貴女様の存在を耳にしてより、私たち精霊教教徒がどれほど歓喜したことか……」

 モルテンと名乗ったその方は、赤黒い瞳にどこか熱に浮かされたような淀んだ光を浮かべて、足早に私に近付いてまいりますと、伏し拝みかねない勢いで私の手を取ろうとしたいたしました。
 へばりつくような……強烈な執着心を窺わせる視線に、私は想わず後じさりそうになります。
 ですが、相手が正式な使節である事が頭に浮かび、無礼になってしまうのではないか? と、踏み止まろうといたしました。
 しかし、彼の手が私に伸びるよりも前に、いつの間にかやって来られた旦那様が、私の腕を掴んで強引気味に自分の背後へと引き下げました。
 逆に先ほどまで私がいた場所に旦那様が踏み出て、なんとも傲岸な態度で口を開きます。

「夫である俺を差し置いて妻に先に声を掛けるとは、精霊教会とやらの司教は常識を知らんのか? フローラ、お前も、先ほどから差し出がましくこのような場所に居るが、会場の隅にでも下がっていろ! みすぼらしいお前がこのようなところにいては目障りだ!」

 旦那様はそう仰いますと、掴んでいた私の腕を放して、背後に下がるようにと柔らかく私を後ろへと押し下げました。
 突然眼前に現れた旦那様に、モルテン様は一瞬呆けたような表情を浮かべましたが、状況を理解されたのでしょう、顔を赤くして旦那様を睨み付けました。

「なっ、なッ……ぶっ、無礼とは貴殿のことではないか。私とて教区を司る司教ですぞ、いかに竜王様方を奉ずるオルトラント王国であれ、精霊王様方への敬意というものがございましょう!」

「ハッ、何を言うか。精霊王の敬意をなんでお主に向ける必要があるッ!」

「いい加減にしやがれこの馬鹿が!」

 言い合いに発展していた旦那様の頭上に、背後よりデュルク様の拳が落ちました。
 ……助かりました。
 その、痛そうに頭を抱えておられる旦那様は心配ですが……、行きがかり上、途中で演じるのを止められなくなってしまった旦那様を、デュルク様が強引に止めてくださいました。
 あのままでは、言い合いが連鎖しておかしな事態に発展してしまうところでしたので、おそらく旦那様も助かったと思っていることでしょう。

「モルテン殿もそのくらいに……私たちは謝罪のためにやって来たのだから。確か……貴男はデュルク殿でしたな、私はマクシミリアン・ベーテルス・ヴァイス。新政トーゴ王国にて公爵位を頂く者です」

 謝罪のための使節としてやって来た以上、それなりの立場の方だと思っておりましたが、公爵位をお持ちの方だったとは……。

「ほうほうほう、なるほどなるほど、では生き残られた公爵というのは貴男のことですかな?」

 そう声を上げたのは、いつのまにか旦那様とモルテン様の横合いに立っておられたライオット様でした。
 ……考えてみれば、大広間に入ってより、陛下たちのおられたあたりにライオス様の姿を見た覚えがございません。
 
「いや、それはおそらくダイムラー公爵でしょう。亡くなった王の叔父に当たる方です。あの方はあのとき王都に居られなかった。私は……あの件で亡くなった父の爵位を継いだのですよ。……ところで貴男は?」

「やぁやぁ、これはこれはヴァイス公爵様。私はライオット・コントリオ・バースと申します。オルトラントにて捜査局の局長を務めている、しがない子爵でございますよ」

 そのように戯れた調子で現れたライオット様に、デュルク様が胡乱げな視線を向けました。

「捜査局が何の用事だ? 拘束されるような事態にはなっていないはずだぞ」

「やあやあ、怖い怖い。さすが黒竜騎士団の騎士団長様だ。いやいや新政トーゴのお二方に伺いたい仕儀がございましてね」

 言葉とは違い、デュルク様に睨まれようともまったく動じておりません。
 さらにいつもの調子でヴァイス様とモルテン様に視線を向けます。

「……一体何だろうか? 我々は王都に入る際、一通りの審査は受けたはずだが?」

 ライオット様の剽げた様子に、ヴァイス様は警戒感を露わにしてそう仰いました。
 ですがライオット様は、目を細めてモルテン様を見つめます。

「いえいえいえ、とりあえず伺いたいのは、モルテン殿……貴男がその懐に抱えておられるモノの事です。できればそれを拝見させて頂きたいのだがね」

「なッ、何を突然!? こっ、これはノルムの愛し子様に献上しようと持参した宝具。先ほどヴァイス様が仰っていたとおり審査を受け問題ないとお墨付きを頂いたモノですぞ!」

 よほど大事な物を胸の隠しに入れているのでしょう。モルテン様は気色ばんで懐を押さえました。

「実はですね……褒賞授与式典の間に、貴方たちを王都まで案内してきたマスケル騎士長……ああ、いまは降格されてただのトライン辺境伯領の騎士爵だが、かの者がこのようなモノを手にしていてね……。これはモルテン殿、貴男より心付けとして渡されたと言っていたよ」

「そっ、それは!? ……やはり……」

 ライオット様が懐から取り出し使節のお二人に見せたモノに、旦那様が演技も忘れて驚きの言葉を漏らしました。
 私もライオット様の手にあるモノを目にして、我知らず口を押さえてしまいます。
 彼の手にあるそれは……間違いなく、黒竜の邪杯の欠片だったからです。

「それは……一体?」

「それがなんだというのですか?」

 ですが、私たちの驚きをよそに、ヴァイス様もモルテン様も、ライオット様の手にあるそれが何であるのか思い当たる事がない様子です。
 それを確認したライオット様は、片眉を上げてわざとらしいくらいに剽げた表情を作りました。

「うむうむ、なるほどなるほど……。その様子ではお二人は、良いように簒奪教団に駒として扱われているようだねぇ」

 ライオット様のその言葉に、ヴァイス様がキッ、と抗議の視線を向けます。

「なッ、何を言い出すのかライオット殿! かの簒奪教団は赤竜王様によって駆逐された。それは末端の者はまだ潜んでいる可能性はあるが、中枢をなしていた者たちは滅んだはず……」

 彼は気色ばんでそう仰いますが、ライオット様の剽げた様子の中からも滲み出る、断固とした確信を感じたのでしょう、言葉は尻すぼみに小さくなってしまいました。

「アンドゥーラ卿! ちょっと良いかね」

 ライオット様は、私たちのいるテーブルより少し離れた場所で、サレア様と話しをしていたアンドゥーラ先生を呼びました。
 先生はその呼びかけに少々げんなりした表情を作ったものの、居並ぶ私たちを確認して何事かとやってまいります。

「一体どうしたのかね? ……それは!?」

 こちらへとやって来たアンドゥーラ先生は、ライオット様の手にあるモノに気付いて目を見開きます。

「あぁあぁ、大丈夫大丈夫。邪気は外に漏れないようにこのようにしてあるからね。……ところでアンドゥーラ卿、君の見解では魔力探知や魔力封印の魔法、魔具は、竜王様方の力には及ばないのだったね」

「うむ、そのとおりだ。私たちの世界を管理しているのは竜王様たちだからね。その竜王様たちの力に魔法の力が及ばないのは道理だろう?」

「それが一体?」

 旦那様が、演技を忘れてアンドゥーラ先生に疑問をぶつけてしまいます。
 私は静かに旦那様の背後に近付いて、その背中をつつきました。彼は僅かにビクリとして失態に気付いた様子です。
 ですが私の心配をよそに、使節のお二人は旦那様の態度の変化に気付いた様子は見えませんでした。
 旦那様と私の間でそのような些細な遣り取りがございましたが、アンドゥーラ先生も気にされた様子を見せずに言葉を続けます。

「つまり……つまりだね。黒竜王様の力の一部である邪杯には、魔法の感知や封印が効かないのだよ。身体検査を通り抜けるのは簡単だというわけだ。あの茶会のおりも、身体検査はされたのにローデリヒは持ち込んでいたろ?」

 アンドゥーラ先生の説明が終わると、それを引き継ぐようにライオット様が口を開きました。

「ところで、モルテン殿……貴男が持っている宝具とやらは、貴男個人のモノかね? それとも誰かから手渡されたモノかね? 手渡されたモノだとして、どのように言い含められたのかね?」

「そっ、それは……」

 モルテン様は、額からダラダラと汗をしたたらせ、さらに視線が定まることなくグルグルと動きます。

「モルテン殿。こうなれば全て話すべきだ。もし貴男が手にしているモノを誰かが渡したのだとしたら……そやつは赤竜王様の目を逃れた簒奪教団の手先であるかも知れぬのだ!」

 心当たりがありそうに見えるモルテン様の様子を目にして、ヴァイス様も発言を迫りました。

「……そっ、そんなバカな……あっ、あの方は、これをノルムの愛し子様に手渡しさえすれば、きっとノルムの愛し子様は、真なる志に目覚めて私たちを導いてくださると……、……そんな、ダイムラー様が……」

 モルテン様の口から漏れたその名に、ヴァイス様が目を剥きます。

「なッ、ダイムラー様……だと!? モルテン殿それは誠か!」

 そんなお二人を尻目に、ライオット様は興味深げに腕を組んで、思案の態度をとりました。

「ふむふむ、なるほどなるほど。モルテン殿のいまの言葉……アンドゥーラ卿の言っていた人を操る呪いの装具の事かな? ……ということはヴァイス様とモルテン殿。あなた方はこの王都オーラスを破壊するため……そうして、あわよくばフローラ嬢を簒奪教団の手にするため、その駒として用いられたわけですか」

「ライオット殿。先ほどから、ご自分だけが理解したもったいぶった言いようだが、筋道を立てて話して頂きたい!」

 ヴァイス様はご自身が理解が及ばない出来事に巻き込まれていると知って、苛立ちを隠せない様子です。
 モルテン様に至っては、未だに驚きで自失しておられます。

「つまりつまり、私の手にあるこれは黒竜の邪杯の欠片なのですよ。この欠片は強い欲望を持つ者が身体に取り込むと五〇〇年前の黒竜戦争ではないが、その者の肉体を依り代として邪竜を復活させるのです。なんとも情けないことに騎士マスケルはトーゴ、いや簒奪教団と通じていた。まあ当初は黒竜騎士団からの報告を受けて、トーゴと通じていたと考えていたのだがね……。真実が知れたのはモルテン殿が手渡したという心付けに、この欠片と一緒に指令書があったのだよ。これを使えば自身を貶めた王家に復讐する事ができるとね。まあ、指令書を処分する頭のない男で、こちらとしては助かったがね」

 ライオット様は一度言葉を切って、茶目っ気たっぷりの表情で皆さんを見回しました。
 私たちの周りでは、この一角の異様な雰囲気を感じ取った方々が、何事かとこちらに視線を向けております。

「さてさて、そのダイムラー公爵ですか、その方が新政トーゴ王国に根を張っていた簒奪教団の元凶だという事ですよ。ヴァイス殿、貴男はこのように使節の交渉役として選ばれるほどの方だ。暗殺者の手より逃れていた新たなトーゴ王からは、きっと頼りにされているのでしょう? その者がオルトラントで黒竜の邪杯、その欠片を使って騒動を起こしたとなれば、王の疑心は大きなものになるでしょう。その疑心につけ込んでダイムラー公爵は、また新たな根を張るつもりなのでしょうな」

 ライオット様は、やれやれといった感じで肩をすくめます。

「……おそらくだが、そのダイムラー公爵とは、赤竜王様の粛正前には、前王の周りにいる者たちと、反発する者たちの仲介役のような立場であったのではないかな? どちらからも一定以上の信頼を置かれるような存在。公爵であり王家の内情もよく知っている。この先、それはそれは頼りにされるだろうね……」

 ライオット様はそう仰って、それは大仰に剽げた笑みをヴァイス様へと向けました。
 目を見開いてライオット様の言葉を聞いていたヴァイス様のお顔に、理解の色が浮かび……そうしてそれは焦燥の色へと変わります。

「……なッ、なんということだ!? 陛下はまだまだお若い。奴を摂政になどと言う声もある……これは、こんなことはしておれない。ライオット殿! 貴男のノルムの明察に感謝する! 急ぎトーゴにとって返し、ダイムラーの排除が叶ったならば、きっと貴男には報いよう! アンドリウス陛下に謝罪して、私はすぐにトーゴに帰らねば! モルテン殿、そなたはその手にある宝具とやらをライオット殿に差し出して、あとは彼の指示に従うように! それから文官たちは残して行くので後の話し合いはお願いする!」

 ヴァイス様はそう口にするのももどかしそうで、身体は既にアンドリウス陛下へと向いております。

「ならば私が、飛竜使を使えるように陛下に進言いたしましょう」

「ライオット殿……重ね重ねお礼申し上げる!」

 ヴァイス様は血相を変えて、ライオット様と共にアンドリウス陛下の元へと足早に歩いて行かれました。

 ……旦那様が私に見せたかったのはこの顛末だったのですね。
 おそらく旦那様は、トライン辺境伯領の騎士マスケル様が捜査局に取り押さえられる場面に居合わせたのでしょう。
 それに旦那様は、先ほど黒竜の邪杯の欠片を目にしたときに、『やはり』と、仰っておりました。
 きっとマスケル様が拘束された場面で、目にする機会があったのだと思います。
 旦那様と捜査局の方々の関係を考えますと、彼らがライオット様の指示でマスケル様の動向を窺っていた事を耳にしたのかも知れません。

 旦那様がゲームという物語の中で知っている簒奪教団……。旦那様のお考え通りならば、彼らの目的は邪竜をこのオルトラントで復活させて、竜王様たちを邪竜と戦わせ、疲弊した竜王様方を討つ事です。
 そうして竜王様方の神器を手に入れ自分たちが新たな世界の管理者となる……。
 正直、旦那様と私は警戒して居りましたが、トーゴの使節にその芽がある事にはまったく気が付いておりませんでした。
 それに気が付いていたのは、まちがいなくライオット様だけです。
 もしもライオット様が簒奪教団の人間であるのならば、これは絶好の機会であった筈でした。
 ですが、結果は……。
 これは確かに……、ライオット様を邪杯盗難の犯人、簒奪教団の人間だと考える根拠が揺らいでしまいます。

「モブ令嬢の旦那様は主人公のライバルにもなれない当て馬だった件」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「恋愛」の人気作品

コメント

コメントを書く