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モブ令嬢の旦那様は主人公のライバルにもなれない当て馬だった件

獅東 諒

第五章 モブ令嬢とお茶会後の顛末(前)

「フローラから聞き及んでおりますが……貴男が彼女にバリオンを教えたのですよね?」

 レガリア様は僅かに頬を染めて、おどおどとした様子でトルテ先生に視線を向けます。
 あの騒動の後、私たちは夕の準備が整うまで、貴宿館のサロンへと場所を移動して話をすることにいたしました。
 今ここでソファーに座っているのは、旦那様と私、そうしてトルテ先生とレガリア様です。
 ルクラウス家の侍女の何名かも警戒するようにサロンの中におりますが……。

 クラウス様とレオパルド様は、アンドリウス様とノーラ様に居室の案内をしているようです。
 マリーズはあの騒動の後、貴宿館に戻ってまいりまして、好奇心全開で話を聞きたい様子でしたが、珍しくリラさんから逃れる事が出来ずに部屋へと押し込められてしまいました。
 怪しげな外見のトルテ先生に、リラさんの警戒心がとても高まっているように感じられました。先生は悪い方では無いので、後でリラさんには理解して頂かなければなりませんね。
 リュートさんとクラリス嬢は、どうやら会場の片付けを手伝っておられるようで、まだ貴宿館に帰ってきておりません。
 アルメリアも、最後に目にした時にもミシェル様と一緒で、彼が伴っていたミュラに、お手、というものをさせようとしておりました。ですが何故か、何回やっても手ではなく頭に手を乗せられていて、顔を赤く染めて、半泣きのような顔になって身を震わせておりました。
 アルメリアは犬が好きなようですが、さすがに屈辱に身を打ち震わせていたのでしょうか?
 
 サロンに来てから、レガリア様とトルテ先生から聞いた話では、先生は館に入ったあと、お父様達に挨拶しようと考えたそうです。
 そこで勝手知ったる他人の家と、以前のお父様達の部屋……現在のレガリア様の部屋へと向かわれたのだとか。
 つまりは、レガリア様がお茶会で着ていたドレスから、普段使いのドレスに着替えていたところに、先生が顔を出したのだそうです。
 先生はお顔もそうですが声も中性的ですし、入室前に声を掛けられたレガリア様は、着替えを手伝いに来た侍女の一人だと思われたそうでした。ですが、部屋に入ってきたのは、吟遊詩人独特の衣装を纏った先生です。
 しかも長旅の影響もあったのでしょう、土埃で汚れていて、その姿を目にしたレガリア様は、ならず者が侵入してきたのだと思われて、あのように悲鳴を上げたのだそうです。
 トルテ先生も、レガリア様から手近にあったものを投げつけられて、驚いて部屋から逃げ出したところをルクラウス家の侍女達に追い立てられて、エントランスにまでやってきたのだそうです。
 そこに外からやってきた近衛騎士や捜査局の方々や、私たちと鉢合わせしたというわけでした。

 そのような事がございましたので、レガリア様は下着姿を晒してしまったことの羞恥と、私にバリオンの手ほどきをしたトルテ先生に対する好奇心の狭間で煩悶しておられます。
 ですが先生は、レガリア様のそのようなお気持ちに気付いておられるのかおられないのか、フヤリとしたとぼけた微笑みを浮かべて口を開きました。

「まあそうなりますかね……でもボクが出会った時には基本は既にできていましたよ。ボクが教えたのは細かい技術と曲、その曲が出来た背景や作者の経歴などですね。あとは――よくせがまれたので神話や様々な国の伝説、英雄達の物語も唄って聞かせましたがね」

 トルテ先生の話を聞いたレガリア様は、それまでの煩悶した様子が嘘のように、身体を前のめりにいたしました。
 彼女の海色の瞳は、光を受けて輝く海面のような煌めきを放っています。

「まあ……まあまあ、それではやはり、貴男の薫陶がいまのフローラの礎を築いているのですね……私、あれほど素晴らしい演奏をするフローラの師――トルテ様、貴男の演奏を拝聴したいと思っていたのです。是非お願いしますわ」

 初めて顔を合わせた時もそうでしたが、レガリア様は奏楽のこととなると普段の大人びた冷静さは影を潜めて、情熱家の一面が前面に押し出されてくるようです。
 レガリア様の迫力の押されたのか、トルテ先生の身体が少し背後に引き気味になってしまいました。

「そうですねぇ……うん、フローラの腕前がどのくらいになったのか確認してみたいし……フローラ、一緒に弾くかい?」

 先生は、私の隣で先ほどから仏頂面をして座っている旦那様に、チラリと視線を送ってから私に戻します。

「良いのですか先生……」

「どうしたのかなフローラ? バリオン好きの君が遠慮なんて、ボクにバリオンの指導をお願いしてきた時の君は、あれほどに積極的だったのに……ふむ、若くとも結婚というのは、女性を内向きにさせるものなのかなぁ」

 私、先生の方が遠慮しているように見えたので確認したのですが……もしかして、私が旦那様に遠慮してそのように言ったと思ったのでしょうか?
 先生は少し残念そうに、ご自分の横に置いたバリオンの弦をつま弾きました。
 透き通ったピーンという音が、悲しげにサロンに響きます。

「いえ、お願いします先生! よろしいですよね旦那様」

「ああ問題ない。長らく離れていた師弟の交流を妨げるような野暮なまねはしないよ」

 旦那様はそう仰いますが、やはり表情は硬いままです。
 旦那様がどうしてそこまでトルテ先生に警戒心を顕わにしているのか分かりませんが、きっと演奏を聴いて頂ければ、先生の事が理解して頂けると思います。

「レガリア様、申し訳ございませんバリオンを貸して頂けますか?」

「ええ構いませんよ。……でもフローラ、あのバリオンは?」

「あれは、どちらかと申しますと魔具の類いですので、実際の演奏には不向きであると思います」

「まあそうなのですか……。私、実際の演奏もこの目で見てみたかったのですけれど、それではしかたございませんね。すぐに部屋から運んできます」 

 レガリア様はそう仰って部屋へと戻りました。

「フローラ……君のお祖父様が残してくれたというあのバリオンはどうしたのかな?」

「あれは継爵税を払うために、売り払ってしまいました」

「なんと……それは勿体ない。あれ程の名器は早々手に入る物ではないよ。バリオン家の作品の中でも一二を争う出来であったのに……」

 先生はまるでご自分の事のように嘆きます。

「でもまあ、売ってしまったものは仕方がないか……ところで、あの女性は相当な身分の方のようだけど、いったいエヴィデンシア家はどうなってしまったんだい?」

「……先生。本当に何も耳にしておられないのですか? 実は……」

 私は、短い時間でかいつまんでここ最近の経緯を先生に伝えました。
 そうしている間にレガリア様がお部屋からバリオンケースを運んできます。

「なんと、旅の途中でオルトラントの王都で戦があったようだという話は耳にしたけど、君たちがその中心にいたとはねぇ。ふむ、その話は、後でゆっくり教えてもらうよ。ボクが一大叙事詩にしてあげよう……まあまあ、遠慮しないでまかせなさい」

 先生は、私と旦那様の表情を読んだのか口を開くのを押しとどめるようにして、ホクホク顔で請け負います。
 その間にもレガリア様が来てしまいましたので、私たちは口を開く機会を逸してしまいました。

「さてそれでは一曲、レガリア嬢のご期待に応えて奏でさせて頂こうか。ご要望はございますかお嬢様」

 トルテ先生は吟遊詩人の本領を発揮して、軽妙な言葉と動作でレガリア様の言葉を引き出します。
 レガリア様が望んだのは、そうではないかと思いましたが、やはり最も好きだという『優しき千年の風』でした。

「なかなか良い選曲ですね。『優しき千年の風』はかのストラディウスがバリオン用に編曲した緩やかな旋律の曲だが、それ故に乱れが許されない。……それにフローラ。伴侶を得た君が、この曲に込められた愛をどのように表現するのか……うん、本当に良い選曲だね……それでは始めよう」

 先生の目線による合図に合わせて、私たちはバリオンを奏で始めます。
 自由に流れ、吹き行く風が、麦の穂を波のようにゆらして行くように……
 時に静かに、時に荒々しく、深く、長く……
 自由に吹く風が全てを包み込むような深い……深い愛を……
 愛することの厳しさ――そして苦しさ。
 その苦渋を超え、その全てを飲み込んで――人は人を愛する。
 そう訴えかけるような……優しく包み込む風の愛を表す旋律。
 私はこの曲を奏でていると、いつも旦那様の事が心を満たします。
 旦那様と出会い、家族とは違う他人ひとを愛することの難しさ、痛み、障害、そんなものを知りました。
 ですが愛は、その全てを風のようにすり抜けて、私の心の中に温かく吹き付けるのです。
 私は最後の旋律を奏でて、バリオンをいたわるように弓を弦から放しました。

 途中から目を閉じて、心の内に吹き付ける風を感じて奏でておりました。
 先生と音を合わせたのは四年ぶりになりますが、先生の奏でる音は、いまの私だからこそ理解できた、とても深みのあるものでした。
 静かになって行く音の余韻を感じながら、私はゆっくりと目を開きます……。
 目を開いた私の視線の先では、共に曲を奏でていたトルテ先生が、とても、とても優しい微笑みを浮かべて、私を見やっておりました。
 そして、ソファーに腰掛けて私と先生の演奏を聴いていた旦那様とレガリア様は……旦那様は薄らと涙を滲ませて、レガリア様は涙が瞼から決壊してしまい、手巾でしきりに拭っておりました。

「なるほど……。フローラ……君はとても良い伴侶を得たのだねぇ……。いま君が奏でた音に、君の今の想いが全て乗っていた。とても素晴らしい演奏だったよ。君は、本当に大人になったのだねぇ……」

 先生は、そう年齢不詳のお顔に感慨深そうな微笑みを浮かべます。

「……素晴らしい、お二人とも、とても素晴らしい演奏でした……。私、この曲が大好きで、ロメオ用に編曲もいたしましたけれど、まだまだストラディウス様の編曲の域には達しておりません……。今日のこの演奏を耳にしたことで、己の未熟さに打ちのめされた想いです」

 決壊していた涙が収まったレガリア様が、拍手をしながら私と先生の元へとやってまいりました。

「貴女は、ロメオを奏でられるのですか。吟遊詩人であるボクは、ロメオのような大型の宮廷楽器とは縁のない人間なので、できるならば貴女の演奏を耳にしたいものですね」

「……まあ、トルテ様。ぜひ、ぜひ聞いて頂きたいですわ。ではすぐに準備を……」

 屈託のない先生の返事を受けて、レガリア様がロメオの準備を始めようとします。
 するとその直前に二階へと上がってきたクラリス嬢が、トルテ先生を真っ直ぐに見つめて足早に近付いてまいりました。

「あっ、あの! 申し訳ございません。あの……貴男はトルテ様と仰るのですか? もしかして、トルテ・フォンサス様ではありませんか?」

 クラリス嬢から掛かった言葉に、先生はいぶかしげな視線を向けます。

「いかにも、ボクはトルテ・フォンサスですが……貴女は?」

 先生の返事に、クラリス嬢はとても嬉しそうな笑顔を浮かべました。

「ああ、やっぱり……あの、覚えておりませんか? 十年ほど前のことですが、南東のベイルバーン子爵領で貴男に助けて頂いたクラリスです。クラリス・ウィザーです」

 トルテ先生は彼女にそのように言われ、視線を彼女へと向けて過去を思い出すようにしながらまじまじと眺めます。

「……ああっ、君はあの時の娘さんか……。それにしても……君はいまだにその髪色にしているのだねぇ。提案したボクが言うことではないけれど――大変ではないかな」

 まさか、先生とクラリス嬢に面識が有ったとは……人の縁とは分からないものです。
 ですが今先生の仰ったその髪色とはいったい……?
 私が、そのような疑問を頭に浮かべておりましたら、さらに他の方が声を上げます。

「おや、アンタ……妙なところに居るじゃないか。……アンタ、フローラ嬢やクラリス嬢とも面識があったのかい?」

「ゲッ、ブラダナ殿……何故貴女がこんな所に!?」

 階段の上がり口からこちらへとやって来るブラダナ様を確認して、先生が僅かに逃げ腰になりました。
 ……トルテ先生? いったいブラダナ様と何があったのですか?
 そんな先生の様子に頓着すること無く、ブラダナ様は返答いたします。

「何故もなにも、いまここの館で孫が世話になってるもんでね。アタシも、嬢ちゃんの家にしばらく前から厄介になっているのさ」

「孫――と言うことは、リュート君もいるのかい?」

 トルテ先生がそう仰るのと同時に、クラリス嬢とブラダナ様の後に続いてリュートさんが階段を上がってサロンへとやってまいりました。それを確認して先生が大きく目を見開きます。

「いやあ……人の繋がりとは、本当に分からないものだねぇ」

 そう、先生の言葉がしみじみと響きました。
 まさか、クラリス嬢だけでなく、リュートさんとブラダナ様とも面識がお有りだったとは……。

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