モブ令嬢の旦那様は主人公のライバルにもなれない当て馬だった件

獅東 諒

第五章 モブ令嬢家と貴宿館のお茶会(四)

 結局、私とシュクルは、クラリス嬢とともに貴宿館を出ることになりました。
 そうして玄関ポーチの石段を下りましたら、クラリス嬢が私の方にチラリと視線を向けます。

「やはり……オーランド様は、メイベル様の事を愛していらっしゃったのですね」

 彼女が、頬にまだ少し赤みを残したまま口にしたのは、リュートさんのことではなく、レンブラント兄妹の事でした。
 リュートさんからの告白を私に聞かれた事の気恥ずかしさもあるのでしょう、沈黙に耐えられずに出た言葉のようです。
 私は、クラリス嬢のその心情を察して、その話題に乗りました。 

「クラリスさん……貴女も察していたのですね……」

「オーランド様は確かに心根のお優しい方です。……私の為にひたむきにお力を貸してくださっておりました。ですが、私にはその姿が……ご自分の心を殺して――いえ、ご自分の心を懸命に誤魔化そうとしているように感じられました。……やはりお父様の事が関係しているのでしょうか」

 先日のオーランド様の話では、クラリス嬢にも話せる範囲のご家庭の事情を話されているようでした。
 私よりもずっと長く、オーランド様の様子を目にしていたクラリス嬢は、彼の心の底にあるものを感じていたのでしょうね。

「そうですね。オーランド様の話を聞く限り、レンブラント伯爵は決してメイベル嬢とオーランド様を添わせるつもりは無いようですし……」

 ……そういえば、旦那様の話では近親婚禁止法がそろそろ布告されるという事ですが、もしかしてオーランド様はそのことを、私たちよりも早い段階で知っておられたのでは?
 ゲームの中では、近親婚禁止令の布告によって、メイベル嬢は衝撃を受けてしばらくの間行方不明となったそうです。ですが先日話したときには、メイベル嬢はその法令が布告されることを知っておりました。
 私、初めて近親婚禁止令の話を旦那様より聞いたとき、メイベル嬢の十五歳成人誕日たんじつがそれよりも後にやって来るのだと思ったのです。
 そうであれば、オーランド様とメイベル嬢が結ばれる可能性は完全になくなってしまいますから。
 もしもオーランド様が早くからそのことを知っていて、その布告がなされた時に、メイベル嬢が心に大きな傷を負うことを恐れて、手を講じられていたのだとしたら……。

 そう考えれば、愛する人があのように狂乱するさまを、あれ以上人に晒す事が耐えられなかったのではないでしょうか?
 例えは悪いですが、王家のお茶会のおりに、旦那様がボーズ様のお名前とご容姿で、笑いの発作を起こした時に、私が口づけをして心を落ち着けたのと同じようなものではないでしょうか。
 それにオーランド様は、あの場にいた私たちが、あのことを他人に告げるような人間では無いとも考えて行動だったのであろうと思います。
 ……ですが、先日学園の花壇前で話をした時のメイベル嬢の様子。近親婚禁止令が布告されても問題など無いというような……。
 メイベル嬢にその情報を告げたのは、あのエルダン様でしょう……布告の日付がメイベル嬢の誕日よりも後だと告げられたのでしょうか?
 それで、それまでにオーランド様を振り向かせようと気が焦って、あのように神経が昂ぶって……。

 そこまで考えて、私はゆっくりと小さく首を振りました。……まだまだ私たちには見えていない重要な情報がある気がいたします。
 旦那様ではございませんが、情報が揃わないうちにいくら考えても正しい答えにはたどり着けないでしょう。
 私が、煮詰まってしまった考えを振り払おうとしておりましたら、クイクイッと、シュクルに腕を引かれました。

「ママ……。あそこでパパが喧嘩しているの」

「えッ!?」

 シュクルが指さす先に目を向けましたら、本館の玄関ポーチの向こう、木の陰に旦那様の姿が見えました。
 ここからですと旦那様と向き合っている方が木に隠れていて見えません。

「クラリスさん、すみませんがシュクルを連れて先に裏庭に行っていてくださいませんか。――シュクル、クラリスお姉さんと一緒に先に行っていてね。ママもパパと一緒に後から行きますからね」

「分かりました、シュクルちゃん。お姉さんと一緒に行きましょう」

「むぅぅぅぅーー、……分かったの。ママ、約束」

 シュクルはぷぅっと、頬を膨らましましたが、渋々といった感じで言うことを聞いてくれました。





「……上! あなたは結局何にも変わっていないんだ!! そうやってボクのことを揶揄からかって……もういい! あなたの言うことを真面目に聞いたボクがバカだった!」

 私が本館へと近付いて行きますと、そのように昂ぶった声が聞こえてまいりました。
 その声は、私には聞き覚えのある声です。

「違うんだアルク! 確かに俺が悪かった、だが聞いてくれ! あの時の俺は本当に――もしもの時はお前に後を頼みたかったんだ! 話を……」

 木陰に見える旦那様が、顔を悲愴に歪めております。

「放して――放せ!!」

 そう叫ぶような声が響いて、木の向こうからアルクさんが飛びだしました。彼は近付いてきた私に気付いて、まるで辱めを受けでもしたかのようにキッと私を睨みますと、くるっと後ろを向いて屋敷から駆け出していってしまいました。

「…………アルク」 

 旦那様はアルクさんの後を追うこともできずに、自責の念に駆られたような様子で立ち尽くしておりました。

「旦那様。……いったい何が……」

 私の声を聞いた旦那様は、気持ちを切り替えるように笑顔を作ろうといたしますが、どこかやるせない気持ちが残っているのでしょう、それは失敗しているように見えました。

「フローラ……おかしなところを見られてしまったな」

「アルクさんと何があったのですか?」

 私の問い掛けに、旦那様がお顔に貼り付けようとしていた薄紙のような笑顔は簡単に破れてしまいました。

「これは完全に俺のミスなんだ。王都に帰ってきた後、本当なら真っ先にアルクと話をしなければいけなかったのに俺は……。無意識にアルクを軽んじていたのかも知れない……父上には、馬車の話をしに行ったときに事の経緯を説明したのに……あの時、アルクと話しておけば……」

 深い後悔の念を滲ませて、旦那様は言葉を続けます。
 私を見つめる瞳には、重大な決断を告げる覚悟がハッキリと浮かんでおりました。

「実はね……フローラにも怒られてしまうかも知れないけど。俺は、バジリスクの毒を受けた後、俺の寿命はそう長くないと考えていた。まあ、実際にそうだったみたいだけど、あの時の俺は――フローラ。君とエヴィデンシア家の事をアルクに託そうと思っていた。そうしてアルクに考えてくれと頼んだんだ……」

 私は旦那様のその話を聞いて、身を縮めてしまいます。
 学園の食堂でマリーズと一緒に目にした、あの時の話です。
 私、お二人に内緒で、一部始終を耳にしておりました。

「……結婚した相手が若くして亡くなった時に、相手の家に年齢の近い兄弟姉妹がいた場合、代わりに添うということは珍しいことじゃないからね」

 身を縮めた私の動作を誤解されたのか、旦那様は言い訳をするようにそう言いました。
 申し訳ございません旦那様。そう心の中で謝罪いたします。
 ですが、ここで実際にそのように言ってしまいましたら、きっと話がややこしくなりますので、私は罪悪感を胸に、旦那様の言葉をそのまま聞きました。

「アルクは、真剣に考えてくれていたんだ。さっきその返事をされたんだけど、「それはもう大丈夫だ」という話をしていたんだが……巧く伝わらなくて、ああなってしまったんだ。……完全に俺のせいだよ。せっかく兄上との仲が修復されたっていうのに……」

 旦那様の激しく落胆した様子に、私は彼の頭を抱えてあやしてあげたいような、そんな気持ちになってしまいました。
 居室であれば、すぐにもそうして差し上げたかったのですが、誰に見られているかも分からないこの場所で、そうするわけにもまいりません。
 実際、先ほどのお二人の遣り取りは、門を守ってくださっている近衛騎士と、近くで警備をしておられる捜査局の方の耳にも届いていたようで、何事かといった様子で、二人の方へと視線を向けておりました。
 いまも私たちの様子を気に掛けている感じがいたしますし。

「追いかけなくて良かったのでしょうか」

「……ああなってしまったら、もう俺の言葉は聞かないよ。しばらく時間を置かないと、数日待ってからルブレン家を訪ねることにしよう」

 ご兄弟ですのでアルクさんの性格を分かっているのでしょう、旦那様はあきらめ顔です。
 私たちがそのような遣り取りをしておりましたら、アルクさんと入れ違いでもしたように、馬に乗ったライオット様が門から入ってまいりました。
 玄関ポーチ横の木陰にいた私たちに目を留めたのでしょう、彼は私たちの前で馬の歩みを止めます。

「やあやあやあ、いまそこで弟くんとすれ違ったが、どうしたのかね? 大変な怒り顔で駆けていったが?」

「その、少々行き違いがございまして……、ところでライオット卿は? 屋敷から出ておられたのですね」

 旦那様は、悔恨をその表情から拭い去ることができないでおります。
 ライオット様はそんな旦那様を目にして、さらに問い掛けることはしませんでした。

「法務部での用事があってね、王宮に出向いていたのだよ。そこにトライン辺境伯領から飛竜使がやって来てね。私は陛下の耳に入れなければならない情報を持って戻って来たという訳さ。おそらくマーリンエルト公王はその情報を知って急ぎ我が国へとやって来たのだろう。彼は相当な食わせ物だよ。陛下も一杯食わされていなければいいのだがね……」

 ライオット様はいつもの剽げたご様子ですが、いまの話の様子は、そのようにゆったりとしておられていい内容ではない気がするのですが?

「ライオット卿、急がなくてよろしいのですか? いまの言いようですと、陛下が何か陥れられるような口ぶりですが……」

 旦那様も私と同じように感じたのでしょう。つい先ほどまでの悔いの念を振り捨ててそのように言いました。

「ここへ来て僅かばかりの時間で変わるとは思えないが……まあ現状、陛下が一杯食わされたとしても、我が国が不利になるような事でもないので、そうなったらそうなったで、陛下が一人悔しがるだけの話だよ。マーリンエルト公王が未来に何を見ているのかは知らないがね。おそらく我々の世代には関係のない話だと思うよ」

「それは……いったい……」

「ああ悪いが、いまはまだ言えることではないので、陛下に話した後、許可が下りたら教えてあげるよ。……まあもしかしたら、後で陛下の愚痴に付き合わされるかも知れないがね……その時は覚悟しておくように。それでは、失礼するよ」

 ライオット様はいかにも意味ありげな様子でそう仰いますと、馬から下りて本館へと入って行きました。
 後に残された私たちは、人を化かすと言う、狐にでも揶揄からかわれたような、そんな気持ちになってしまいました。

「そういえば、旦那様はどうして屋敷を出られたのですか? 我が家のお茶会はまだまだ始まったばかりですのに」

「いまのライオット卿の話ではないけど、陛下にね、マティウス様から言質を取られないように、お前も貴宿館の茶会の方に行っていろと追い出されたんだよ。それで館から出たら、アルクが思案顔で立っていたんだ」

 その口からアルク様の名前が出て、旦那様の顔がまた後悔に曇りかけます。

「旦那様! せっかくですので、私たちも貴宿館のお茶会を堪能いたしましょう! レガリア様がそれは一生懸命に企画なされたのですから……さあ、裏庭の会場にはシュクルも先に行っていますし、私、すぐに旦那様と後を追いかけるとシュクルと約束したのです。さあ旦那様!」

 私は、旦那様の心の曇りを晴らすようにあえて明るく言い放って、彼の手を取りました。

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