モブ令嬢の旦那様は主人公のライバルにもなれない当て馬だった件

獅東 諒

第五章 モブ令嬢家と貴宿館の茶会の朝

「いやいや、まったく。なんともなんとも――本当に人騒がせな御仁だねぇ。先遣特使がやって来るとは聞いていたが、公王夫妻が先んじてやって来るとはねぇ……おかげで周辺の警備を拡充するために、私は昨日駆けずり回らなければならなかったよ。捜査局は事件の捜査と罪人を捕らえるのが仕事だというのに……あれは、本来軍務部あたりが担う仕事だと思うのだがねぇ……」

 茶会の日の朝、周辺の混乱を警戒する為にやって来たライオット様は、アクビをしながらそのようにこぼし、さらに言葉を続けます。

「まあそれを言ってしまったら、こちらの警備も同じようなものではあるのだけど……、しかしエヴィデンシア家には騒動の種が尽きないねぇ。昨夜は王家でも、あの方の突然の申し出を受けて陛下が大慌てでね、まあ、ノーラ王妃は初めから参加する手筈であったので、それに陛下が加わっても対外的にはおかしな事はない。……だがこれで、エヴィデンシア家は益々、国の内外から注目を集めてしまうねぇ」

 ライオット様は、言葉を続けるうちに調子を取り戻してきたご様子で、いつもの剽げたような笑みを浮かべます。
 彼と連れだってやって来た警備を担う方々は、中庭で屋敷の様子を見回して、人員の配置を話し合っている様子です。何やら何頭か犬の姿も見えました。

「しかしどうだね? つい数ヶ月ほど前までは貴族社会から見向きもされずにいたエヴィデンシア伯爵家が、今ではオルトラントだけで無く、大陸西方諸国にまで名を響かせ始めている――その気分は?」

 その問い掛けに、旦那様は盛大にげんなりとした表情を浮かべます。
 彼の態度は、本来は第二王子である方にするべきものではございません。ですがこれまでの付き合いで、旦那様からはライオット様を敬うような気遣いは完全に無くなってしまっております。
 旦那様の意識の問題もあるのでしょうが、時折大丈夫でしょうか? と、考えてしまうときがございます。幸いなことに、ライオット様はそのような事を気にする様子を見せたことはございませんが……。

「ライオット卿――人の悪いことを言わないでください。よくご存じでしょう。私たちは平穏に暮らしてゆきたいのです。確かに、この国のために力を尽くしたい気持ちはあります。ですが我が家は、日々の暮らしが成り立ってゆけば、それ以上の事を望む気持ちはございません」

 そのように仰った旦那様の言葉を、ライオット様は相変わらずの剽げた微笑みを浮かべたまま、少し呆れたように肩をすくめます。

「いやいやなんとも欲のないことだ……、だが世界が君たちを……その持ち得る能力にふさわしい場所へと押し出したというべきか、君たちが本来いるべき場所に、押し上げられたのだろうねぇ」

「私たちは、降りかかった火の粉を必死に振り払っていただけですし、クルークの試練に関しては……」

 そこで言葉を切った旦那様は、隣に並ぶ私に視線を向けます。そうして私の手を取りますと、さらにその上からもう一方の手を優しく重ねます。

「……それこそフローラの深い愛情によって起きた奇跡です。私は……これまでもフローラを慈しんで、エヴィデンシア家を盛り立てて行くつもりでおりました。あの奇跡を経てフローラが得た力は、嫌が応にも世界の流れに影響を与えてしまうほどのモノになってしまった……他国からすればフローラが得た力は、脅威以外の何物でもないでしょう……」

 旦那様は、ライオット様以外にも、いまだ近くに人がおられるというのに、私の手をご自分の口元に持っていくと手の甲に口づけをして、まるで祈りでもするように私の手を額に付けるようにして掲げました。

「……私は……私は決して、決してフローラを不幸にしたくないのです……」

「…………旦那様……、私もです。私も決して旦那様を不幸にしたくございません!」

 私も、旦那様の額にある手に自分のもう片方の手を重ね、そのように宣言いたしました。

「………………ううんッ、ゴホン! いやいやまったく……。君たちは油断するといつもそのように二人の世界に入ってしまうのかい? グラードル卿。君がフローラ嬢に向ける愛の深さ、おそらく当のフローラ嬢にも劣らないものだと思うよ。あの茶会のとき、毒を受けたのが君でなく、フローラ嬢であったとしても、俺には、同じ結果になったような気がするよ」

 はからずも、互いの想いに昂ぶってしまった私たちを鎮めるように、ライオット様はことさら剽げたご様子で、からかうようにそう仰いました。

「……ああっ、その、申し訳ない……」

「その……申し訳ございません……」

「いやいや、俺が煽ってしまったようなものだからね。それに、君たちがはからずも手に入れてしまった大きな力……その力に溺れることなく自制することができる限り、君たちに不幸が訪れるなどということは無いと、俺にはそう思えるよ。……さてさて、挨拶代わりの軽口が、何やらおかしな話になってしまったね」

「……いや、あれは軽口だったのですか……」

「グラードル卿……そろそろ君とは長い付き合いなのだから、いま少し私のことを理解してくれても良いのではないかな? その奥方に向けている想いの少しで良いから、私に分けてもらいたいものだよ……」

 ライオット様はそのように仰ってから、何かを探すように周りを見回します。

「ああ、いたいた……ミシェル! こちらに来たまえ!」

 ライオット様がそう声を掛けますと、見るからに小柄な男性がこちらへとやってまいりました。
 彼の周りには、先ほど目にした犬が、おとなしく従うようにして付いてまいります。

「君が提案した警察犬……まあ、捜査局で運用するので我らは捜査犬と呼んでいるが、最近実用の域に達してね。彼はその調教と運用をまかせることになった期待の新人だよ。ミシェル・モンサン・ヒルデスハイムだ。昨年父上が亡くなってね、今は私と同じ子爵だ。確か歳は君よりひとつ下だったかな。同じ時期に学園にいたはずなのでもしかしたら知っているかも知れないが」

「いやだなあ局長。ボクはグラードル卿とは違って、目立つような学生ではありませんでしたよ。初めましてグラードル卿、フローラ夫人。新設された捜査犬課で、このたちの調教師として働かせて頂いておりますミシェルと申します」

 ミシェル様はそう言ってニコリと笑いました。
 笑うと目が線になってしまうように細くて、顔の輪郭に沿うような薄茶色の髪は男性にしては長めで、毛糸を編んだ帽子を深く被っているような印象です。細い目の奥に見える瞳の色は煌めくような黄緑色でしょうか?
 私たちの前までやって来て分かりましたが、やはり背は私よりも少しばかり高いくらいです。

「初めまして、で、良いのだよね?」

「はい。グラードル卿の噂話は、昔も最近も、よく耳にいたしましたが、面識を得るのは初めてです。でも、ボクの特技を生かせる仕事を考え出してくれて本当に感謝しています。母上には、いくら犬が好きで躾が上手でも、そんなもので国の為に働けるのか、と嫌みを言われるばかりでしたので……これで、後は相手さえ見つけられれば、母上に胸を張る事ができますよ」

 ミシェル様は、照れくさそうに頭を掻きました。

「ところでライオット卿、何故捜査犬を?」

「先日話を訊いたときにね、エルダンらしき男が身隠しの魔法を使って学園に忍んでいたと言っていただろう? 姿を隠すことができても匂いはそうは行かない。国王夫妻とマーリンエルトの公王夫妻が参加することになったんだ。近衛が、敷地内に魔法封じの結界を張る魔具を持ち込んでいるが、警戒に警戒を重ねるべきだと考えたのだよ」

「なるほど、そういうことですか。ですが自分が提案した捜査犬が、まさか我が家で働く姿を目にできるとは想いませんでした」

 旦那様がどこか感慨深そうな様子でそのように仰いました。
 話が一段落したと思いましたら、ミシェル様が私の横に視線を流して口を開きます。

「……ところで、そちらの方は?」

「はい?」

 ここには、旦那様と私以外いないはずですが……。
 今日はメアリーも、茶会の準備で駆けずり回っておりますし……、彼は何を見ているのでしょう? と、私は彼の視線を追ってそちらに振り向きました。

「アッ……アルメリア!? いったいいつの間に?」

「え――いや、会場の設営を手伝っていたら、調教がどうとか聞こえてきたものだから……その、気になって」

 いつの間にか私の横へとやって来ていたアルメリアは、ぽつりと呟いて、照れくさそうに頬を掻きながらムニャムニャと笑います。

「アルメリア嬢? 確か……クルークの試練の達成者でしたね。初めましてミシェルと申します。アルメリア嬢は犬が好きなのですか?」

「犬ですか……はい、犬も好きですね。首輪を付けられて主人の言うことをきくように調教される。しばらく前に一度軽く経験しましたがなかなかに興味深いものでありました」

 アルメリアは、何かを思いだしてでもいるように遠い目をいたします。
 頬に薄らと赤味が差してきました。

「犬の調教経験があるんですか? それは凄い、ボクこれまで犬を飼っている令嬢は目にしたことはありますが、躾まで考える方には初めて会いました。まあ、彼らは頭が良いので愛情を注いでいれば、そうそう主人の言うことをきかないということはありません。ですがしっかりと躾けられた犬は……このように」

 ミシェル様は、不意に制服の隠しから何かを素早く放り投げて、ピィッと短く指笛を吹きました。
 すると彼の側にいた一頭の犬が素早く彼が投げた物を追いかけて、地面に落ちるまえに空中に飛び上がって銜え捕らえます。
 犬は捕らえた物を口に銜えて戻ってまいりますとミシェル様の前へと戻ってまいりました。

「よ~し、よしよしよ~し。良い子だミュラ」

 ミシェル様は、投げた球状の物を受け取るとミュラと呼んだ犬の毛をワシャワシャとしてあやしました。
 その様子を、アルメリアは頬を染めてなんともうらやましそうに見ております。
 なんでしょうか? 先ほどまで、ご自分が提案した捜査犬を感動したご様子で見ていた旦那様が、なんとも複雑そうなお顔をしております。
 私にはその表情が、笑って良いのだろうか? それとも呆れた方が良いのだろうか? そのように考えているように見受けられました。
 どちらにいたしましても、アルメリアがミシェル様に興味を持ったような気がいたします。
 私、これまでアルメリアは、レオパルド様や旦那様のように、戦士然とした逞しい方が好みだと思っておりました。ですがミシェル様は、どちらかといいますと柔和な少年めいた雰囲気の方なので意外な気がいたします。
 ですが、やはりアルメリアは彼に興味を持ったようで、茶会の準備に奔走している合間に、ミシェル様の近くにアルメリアの姿を見つけることとなりました。
 そのように小さな出会いがあった後、いよいよ我が家と貴宿館の皆さんによって開催される、お茶会の時間が迫ってまいりました。

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