モブ令嬢の旦那様は主人公のライバルにもなれない当て馬だった件

獅東 諒

第五章 モブ令嬢家と想定外の訪問者(後)

 マーリンエルト公国。
 この国の歴史は少々変わっております。
 現在公王とも呼ばれるマーリンエルト公爵、その家の興りは七〇〇年程前に遡ります。
 当時、国力を高めていたトーゴ王国に、大陸北中央部に位置していたドラグ帝国より、末の皇女が嫁ぎました。
 その後、その皇女の血を分けた実兄でもある、当時皇帝の座を争っていた第二皇子が政争に敗れ、トーゴ王国に亡命してまいりました。
 帝国はトーゴ王国に第二皇子の引き渡しを要求いたしましたが、トーゴ王国は遠く離れた帝国主都との距離を盾に、その要求をのらりくらりと躱します。そうしているうちに時は過ぎ、最終的には世代が変わってしまったことでうやむやとなってしまいました。
 それはきっと、表には出ていない遣り取りが有った上での結果なのでしょうが……。
 そうして第二皇子の子は当時のトーゴ王より、マーリンエルト公爵の爵位を贈られ、形だけはトーゴ王国の貴族となったのです。
 ですが、帝国よりの侵攻の口実を与えないために、トーゴ王家はマーリンエルト公爵家と血を交えることを回避し続けるのです。それは、戦争などに発展しそうになった場合にはいつでもマーリンエルト公爵家を切り捨てる為であったのだと思われます。
 しかし結局のところ、そのおよそ二〇〇年後、トーゴ王国を滅ぼしたのは帝国ではなく、簒奪教団に唆された、当時の欲深きトーゴ王によってだったようなのです。

 後の事は広く知られているとおりなのですが、邪竜と化した黒竜様によってトーゴ王国の主都は壊滅し、黒竜戦争後、混乱したトーゴ王国の領主たちを纏め上げたのがマーリンエルト公爵でした。
 何故、マーリンエルト公爵は王国を名乗らないのか?
 それは、黒竜戦争後に瓦解した、ドラグ帝国よりの難民流入を抑える為であったと云われております。
 それ以外にも、当時のマーリンエルト公爵は、血統を重んじる帝国の重臣より、帝国に戻り帝国を立て直すようにとの要請を受けたそうです。
 ですが公爵は、食糧生産力が乏しい帝国本国の未来に希望を持っておりませんでした。
 豊かな穀倉地帯を抱える現在の領地を捨ててまで、困難だと分かりきっている帝国の再興の為に力を尽くそうとはしなかったのです。
 そして、その要請を断る口実として、『私は、正当なトーゴ王国の後継者が現れるまでの間、この地の統治を預かっているに過ぎず。この地の平穏を保つのに精一杯である』とうそぶいたのでした。

 ちなみに、現在、新政トーゴ王国を名乗っている、旧トーゴ王国の首都周辺を治めているトーゴ王のことを、マーリンエルト公爵はトーゴ王の血筋を騙る簒奪者であると断定して、その正統性を認めておりません。
 つまり、極論を申しますならば、マーリンエルト公国はドラグ帝国の正統な血筋による後継国家であるのです。
 マーリンエルト公国は、そのような経緯もございますので、友好国であり、さらにお母様の出生の地ではございますが、私には、政治的な交渉相手として、なかなかの難敵であるとの印象がございます。


「ところで、マティウス様は何故そのように身分を偽ってまで我が家にやって来られたのですか? 過去の想い人の現状を確認しに来たとも思えませんが……」

 あのマティウス様の爆弾発言の後、私たちは応接室へと移動いたしました。
 マティウス様を守るために同行しているのでしょう、その護衛騎士のお二人以外が席へと着いた後、ひとまずはマティウス様の勧めもあって、お母様とお祖父様の間で長年の空白を埋めるための会話がなされました。

 その話が一段落ついたところで、旦那様がそのように仰いました。
 公王様は先ほどから、お母様とお祖父様の話を興味深そうに聞いておられましたが旦那様の言葉を受けて、視線をこちらへと向けます。
 確かマティウス様は、お母様と同じ歳、三七歳であったと記憶しております。
 こうしてじっくりと見てみますと、その年齢とは思えないほどに若々しく、外見だけを見ておりますと、顔立ちも柔和で少々頼りない印象を与えます。
 ですが、その心根を掴ませないような飄々とした雰囲気を纏っておられて、どこかライオット様に通じる、一筋縄ではいかない感じを受けました。

「う~~ん、そうだねぇ。まあルリア嬢が幸せに暮らしているか確認したかったというのは、あながち嘘ではないのだよ。…………うむ。まあここまでの遣り取りでも目的を果たせたようなものなので隠し立てしても仕方がないかな……」

 マティウス様はどこかもったいぶったようなように旦那様に向かって笑いかけます。

「式典前にエヴィデンシア夫妻……君たちの人となりを目にしておきたかったのだよ。グラードル卿。君の噂はとても興味深い……私のところには、これまでの使節団より様々な話が聞こえてきてね。オルトラント王国の通商を一手に引き受けている。そう言っても過言ではないルブレン家最大の汚点――というのがこれまでの評価であったのだが……最も新しい報告では、長年エヴィデンシア家を排斥し続け、さらに竜種売買という大罪を犯していたバレンシオ伯爵を退けるのに多大な尽力をしたとか。また、国の中枢をなす法務卿の覚えもめでたい切れ者だと……まるで同一人物とは思えないものだった。そのような男が、ルリア嬢の娘……オルトラント王国救国の女神と名を上げたフローラ嬢の婿であるのだ。……この目で直接確かめたくなってしまってね」

 公王様にそのように言われて、旦那様は僅かに渋い顔をいたしました。
 それは、褒賞授与式典で、旦那様が汚名を被ってまで、私の為に一芝居打つつもりでおられた目論見を、マーリンエルトには見破られてしまう事となるからでしょう。
 エントランスで、お祖父様が私に迫ってこられたときの旦那様の行動を見れば、旦那様が私の事を深く想ってくださっている事は見て取れたはずです。
 それにしましても、アンドリウス陛下も仰っておりましたが、マーリンエルトの間者がどれほど我が国で活動しているのか……。

「どうやら……最近聞こえてきた情報の方が真実であったというわけだ。これまで韜晦とうかいでもしていたのかな?」

 マティウス様は柔和なお顔の中にある緑の瞳に、明らかな好奇の光を湛えています。

「勿体ない評価です。私など無骨な男に過ぎません。フローラも、たまさか師事しているカランディア魔導爵の調査に同行したことによってクルークの試練を受ける羽目になりました。それこそ偶然の重なりによって得た幸運にすぎません」

「ほう……。これだけの功績を挙げたものを――謙虚なことだ」

 公王様は旦那様と私に、その好奇の光を隠すことなく視線を向けます。
 そして、少々相手を驚かすことを楽しんでいるような、戯れた雰囲気を発しました。

「ところで、この話は、オルトラント王、アンドリウス殿にも図るつもりでいるのだがね。私は、君たちの間に生まれた子……跡取りでない子に、我が国の者と縁をつないでほしいと考えている」

「なッ……」

 マティウス様は、これから君たちが驚くことを口にするよ。と雰囲気で示しましたが、それにもかかわらず、旦那様も私も息を呑みました。

「これは悪い話ではないと思うのだよ。貴族家の跡取りでない者が、その地位を失うことなくいられるのだからね。それに、縁をつなぐ相手も、我が国でも優秀な者たちを見繕うつもりでいるよ」

 これは驕った考えではありますが、マーリンエルトは、他国に轟くまでに名を上げた私たち……その間に生まれた子を自国に取り込むことで、その威光を己の国にも取り込もうということでしょう。
 ですが旦那様は、マティウス様からの申し出に、キッと瞳に強い光を浮かべて、絞り出すように口を開きます。

「地位を目当てに子を売るような真似を、私にしろと……子の意思ならばまだしも、生まれる前の子に選択の余地無く相手を決めるなど……」

 旦那様と私の結婚も、ある意味選択の余地のないものではございました。ですが、少なくとも成人した人間としてそれを受け入れるか否かの選択はしたつもりです。
 私は別に生まれながらに相手を決められることには大きな抵抗を感じませんが、旦那様の意識は前世の日本という国で生まれ育った時のものとなっております。きっとその意識が、マティウス様の申し出に強く反発するのでしょう。
 旦那様のその反応に、やはり公王様は戸惑いを隠せないご様子です。

「何を言っているのかな君は? 貴族の間で生まれながらに相手が決まっているなどということは良くあることだろう? そのように気色ばむことでは無いはずだがね」

 旦那様と私を交互に見比べて、マティウス様は、最後にはまるで意固地になってしまった子供を見るような視線を浮かべます。

「ふむ。どうやら先走ってしまったようだね。……だが、いま私が言った申し出は、この先という事でも構わないんだ。決して君たちの子でなくとも、その孫でも、さらにその先でも構わない。私は、君たちの血を我が国に取り込みたいのだよ。……まあ考えておいてくれたまえ」

 マーリンエルト公爵家は、かつては千年帝国とも唄われたドラグ帝国の正統な血を伝える血統です。その瞳はとても先まで見つめていて、私たちにはその遠謀は計り知れません。
 そのように話が一段落したところに、突然応接室のドアが開いてきらめくような金色の影が私に突進してまりました。

「シュクル様、ダメです! まだ……」

 そう、声量を抑えながらも、シュクルに切実に声を掛けたのはフルマでしょうか?

「ママ! ママ、ママ、ママ。もうつまんないの!」

 突進してきたシュクルは、私の腿の上にポフリと伏せてそのように言いました。

「……シュクル――お行儀が悪いわよ。お客様がいるのにこんな真似をしては……」

 私は、なんとかそのように言って、なるべくシュクルの顔をマーリンエルトの方々の目に触れさせないように、抱きかかえました。
 旦那様も、シュクルの登場のあまりの間の悪さに、お顔を青くしています。

「失礼いたしました皆様。ほらシュクル、もうしばらくフルマやチーシャと遊んでいてね」

「ぶぅぅぅぅぅぅーー! パパもママも今日は遊んでくれる約束したの! 明日はお茶会で大変だから、今日は遊んでくれるって……」

 抱き上げたシュクルは、そういって唇を尖らせました。

「待ちたまえ。……そちらの子は? どこかフローラ嬢と似ているように見えるが?」

「うむそうだな。ルリア、これはいったいどう言う事だ? お主からは次女がいるなどという話は聞かなかったが」

 できるだけ顔を見せないようにフルマの手に渡して、応接室から出そうといたしましたが、やはりダメでした。
 マティウス様とお祖父様にそのように声を掛けられましたが、旦那様も私も二の句が継げません。そんな中、いつものように落ち着いた様子で口を開いたのはお母様です。

「お父様、マティウス様、申し訳ございません。この子はフローラの妹のシュクルと申します。長らく、バレンシオ伯爵やその手の者の目に晒さぬ為、秘密裏に育てておりました。お父様に出した文にシュクルの事を書かなかったのは、その時にはまだバレンシオ伯爵の手として動いていたならず者が捕らえられていませんでしたので警戒していたのです」

「ならば何故、いまも紹介しようとしなかったのだルリア」

「長年の習い性とでも申しましょうか、突然の来客があるとシュクルを隠すのが我が家の習慣となってしまっているのです。バレンシオ伯爵を退けてより二月ばかり、皆未だにその習慣が抜けません」

 お母様はしれっとそのように言い切ってしまいます。このような胆力に、時折お母様の強さというものを感じるのかも知れません。

「なるほど、少々苦しい言い訳のような気がしないでもないが、先ほど聞いたエヴィデンシア家の長年の窮状を鑑みればあながち嘘とも言い切れないか……」

 マティウス様はそのように仰いましたが、明らかに目が笑っております。

「……ところで、先ほどの話なのだがね。ルリア嬢にフローラ嬢以外の娘がいるとなればまた話は違ってくる。先ほどの話。我が国ではそのシュクル嬢でも歓迎するよ」

 ああ……これは。マティウス様はシュクルが何者であるかご存じなのですね。何割かは当てずっぽうなのかも知れませんが、第一世代の竜種が我が家にいることは知れていた……という事でしょう。
 旦那様も公王様の言動で、そのことに気付いたのでしょう、居住まいを正して口を開きます。

「既にご存じでしたか。……申し訳ございません。このがフローラの妹であるというのは偽りにございます。このは銀竜王クルーク様よりフローラに託された銀竜王様と金竜王様の娘でございます」

「なッ、なんと、第一世代の竜種が人に化身できるとは耳にした事があるが、……真に、これほど見事に人に化身できるのか……」

 お祖父様が、驚きを隠すことができずに目を見開きました。
 マティウス様の後ろに控える護衛騎士の方々も驚きを隠せずにおります。

「やはりそうだったか。さすがにそれでは我が国に嫁がせろというわけには行かないね。……ところで、いまシュクル嬢が明日は茶会だとか言っていたが?」

 相変わらず目が笑っているマティウス様に、旦那様はどこか諦めたように息を吐きました。
 それは、この後の言葉を口にすれば、きっと公王様より願われることが分かってしまったからでしょう。

「実は……明日、我が家と我が家にて運営している貴宿館と言う施設で、茶会を開く運びとなっております」

「ほう……それはそれは。これはなんとも、私たちは間の良いときにやって来たようだ……」

 マティウス様は、これはもう満面に笑みを浮かべて言葉を続けます。

「……その茶会に私たちも参加させてもらえないだろうかね?」

「いえ、しかし、貴宿館の茶会は学生たち中心ですし。我が家の茶会も奥方たちが中心のものとなっておりますゆえ……」

 旦那様は、それが無理だと分かりつつも最後の抵抗をいたします。

「うんそれは問題ないよ。私は妻も伴って来たのでね」

 旦那様の儚い抵抗はこのようにして打ち砕かれました。

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