モブ令嬢の旦那様は主人公のライバルにもなれない当て馬だった件

獅東 諒

第五章 モブ令嬢と悪縁令嬢と経理局長

「……それでこのような方法で接触してきたわけですか。お互い妙な関係になってしまいましたね……」

 学園の高学舎脇に設けられた花壇は、昼には学生たちの憩いの場にもなっています。
 今、その花壇の周りに置かれている長椅子に腰掛けたメイベル嬢は、植えられた花々を眺めている風を装って、私に言いました。
 私は身隠しの魔法を使って彼女の横に腰掛けています。
 何故このような状態でメイベル嬢と話をしているかと申しますと、時間は前後致しますが一昨日おととい、ノームさんたちが我が家の裏庭に現れて、庭の整備を請け負ってくださった後の話でございます。

 貴宿館に戻って茶会の準備の話をしておりました時に、「茶会前にメイベル嬢と言葉を交わしておきたいのですが、どのようにしたら良いでしょうか」と、皆さんに相談しましたところ。

 アルメリアがなんとも微妙な表情で私を見て、口を開きました。

「フローラ、君、身隠しの魔法っていうのを使えるじゃないか。それを使えば、学園でも目立たずに話ができると思うんだけど……」

「………………あっ」

 そうでした……その手がありました。
 私、とっさの時にはためらいなく使っておりましたのに……、構えてしまうと、他の人から見えないように隠れるというところに、何やらやましいことをしている感じがしてしまうので、理性が押さえてしまっていたのでしょうか?

「……フローラって、頭良いのに、時々抜けてるときがあるよね」

 私が、その手を思い浮かばなかった理由を考えておりましたら、アルメリアには単純にそのように言われてしまいました。
 たしかに……少々自覚はございますけれど。
 結局のところ、そのような遣り取りがございまして、レガリア様、エレーヌ様を経由して、このようにメイベル嬢と対話する事となったのでした。

 花の上を舞っている蝶に視線を向けているメイベル嬢に、私は返答いたします。

「そうですね……まさか、このように隠れてメイベルさんと話を交わす関係になるなど……数ヶ月前の私に言っても、とても信じてもらえないでしょうね」

「それは私もですよ……私、『大伯父様を陥れた家の娘が、それを恥もせずにお兄様に色目を使って……』と、ずっとそう思っておりましたから……ところで、私に話とはいったい?」

「はい実は、その、以前のことを蒸し返すわけではないのですが……。メイベルさんの取り巻きの中にマリエルさんと仰る方がいたと思うのですが、あの方はどちらの家の方なのですか?」

 男爵家の方だとは知っているのですが、男爵家は数が多く、また継承権を持たず一代のみの家も多いので、なかなか覚えきれるものではございません。

「マリエルさんですか? ああ……そういえばあの時、貴女の前で話をしていたのはあの方でしたね。なるほど……そういう訳ですか。フローラさん、貴女は良く人を見ているのですね。……私、今になって思うのです。あの取り巻きの中で、あの方だけが私に真摯に向き合っていてくれたと……。貴女をいじめていたとき、あの方だけが私を諫めようとしてくれたのに。……あの時の私は、どうしても彼女の言葉を受け入れられなくて……キツく当たってしまいました」

 メイベル嬢は恥じ入ったように、視線を花壇の土の上に落とします。

「そんなことがあったのですか……。あの時、私も彼女だけは本心から私に謝罪をなさっていると感じました。ですが、他の令嬢方と彼女を分けて裁定するわけにも行かず……、それにそんなことをしては、後で彼女がどのように扱われるか分かりませんでしたので……」

「そうですね……。フローラさん、貴女が考えていることはあながち間違えておりません。マリエル嬢の家はエンダーレ男爵家です。あの時、彼女の背後に二人、ベルタ嬢とレギーナ嬢が居たと思うのですが……、レギーナのお父様、ヴェフォート伯爵の妹がマリエル嬢のお母様です。エンダーレ男爵家はヴェフォート伯爵家から相当に援助を受けているそうで、マリエルは以前からレギーナの言いなりでした」

 あの時、マリエル嬢の後ろにいたのは、ベルタと呼ばれていた方といま一人……、今メイベル嬢がレギーナ嬢と言いましたが、……あの方、法務卿の茶会の時、私に、弦の音を狂わせたバリオンを手渡してきた方です。
 まさか、あの方の……。

「私、ベルタ嬢の縁続きだと考えておりました……」

 メイベル嬢は、視線を花やその上を舞う蝶に戻して、少し哀れんだような笑みを浮かべました。

「今度は、ベルタが私の代わりにされたというわけです……。私、お兄様に愚かだと……そう言われてしまいましたが、本当に馬鹿でした。レギーナは私に追従するように見せて、巧みに自分の敵や嫌いな相手を攻撃させて……。あのようにおだて上げられて、周りが見えなくなっていた私には、人の上に立つ資格などなかったのです。エレーヌ様の派閥に入れて頂いて……、私は、あの方の立ち居振る舞いを目にして思いました。本当に人の上に立つ人間は、自分の懐に入れた人間をよく見て、気を配っておられます。レガリア様もそうです……」

 そこで言葉を切ったメイベル嬢は、まるで私が見えてでもいるように、私の声のする方へと視線を向けると、言葉を続けます。

「そしてフローラさん。……貴女もです。貴女もまた、人の上に立つ器量を持った人です。だから貴女の周りにはあのような貴人たちが集まるのでしょうね……」

 メイベル嬢は、紅色の瞳に温かい光を浮かべて、私に笑いかけました。

「……それで、マリエルを救いたいわけですね、貴女は……」

「できるのならば……。ですが、それが簡単でないことは分かっております。特に、今メイベルさんから聞いたような関係では……、血のつながりのある家の関係というものは、とても強固なものですし……」

「そうですね……。彼女の事は、長い目で見ていかなければならないかも知れませんね。いまの私に何ができるかは分かりませんが、私も、できる限り力を貸しますわ」

 メイベル嬢は、決意を示すように力強く仰いました。
 
「ところで……、話はそれだけではないのですよね? いまの話をするだけでしたら、何もこのように隠れて話さなくても、茶会の後でもできたはずです」

 彼女は、私の方へと視線を向けたまま、そのように疑問を口にいたしました。
 その言葉を受けて、私は、少し逡巡してしまいました。
 私がこうしてメイベル嬢と言葉を交わしているのは、少しでも早く彼女と心を交わして友誼を深めておきたかったからです。
 旦那様が仰っておりましたが、この先に起こるという、近親婚の布告がなされたとき、彼女は大いに動揺してしばらく行方不明になったのだそうです。
 ゲームでは取り巻き令嬢の家に世話になっていたらしいのですが、今は孤立している状態です。エレーヌ様の派閥に入っているとはいっても、彼女に頼る程には関係は深まっていないはずです。
 もしもその事態が起こったときに、私の事がメイベル嬢の頭に浮かんでくれたら……、私を頼ってくれたら……という僭越な、出過ぎた考えであるかも知れません。
 私のその逡巡に、何かを理解したようにメイベル嬢は微笑みます。

「もしかしてフローラさん。貴女……近親婚禁止令が布告されることを知っているのですか?」

「…………知っていたのですか!?」

 近親婚禁止令の布告によってメイベル嬢が受ける衝撃を和らげようと考えていた私の方が、却ってその事実に驚愕してしまいました。

「はい……。こんな私のことを、心配してくれる人も居るのですよ。お父様が情報収集に力を貸して頂いている方なのですが、その方が、突然そのような布告を私が知ったらどうなるか分からないと、教えてくださいました……それにしても、王家の覚えが良くなると、そのような情報も、いち早く伝わるようになるのですね」

 この情報は、旦那様の前世の知識から教えて頂いたことなのですが、そのような事を言えるわけもございません。

「メイベルさん……貴女が、お兄様――オーランド様を強くお慕いしている事を、私先日聞いてしまいましたが……、その、大丈夫なのですか?」

 私のその問い掛けにメイベル嬢は……とても形容しがたい笑みを浮かべました。

「……うふふふふふふ。大丈夫? ええ、大丈夫ですとも……私、金竜王シュガール様の加護が頂けそうですから……」

「シュガール様の加護……?」 

 希望がある。ということでしょうか?

「それについては、今は内緒です……下手に口にして加護が無くなってはいけませんからね。……あの方が、きっと大丈夫だと仰っていましたし……」

 メイベル嬢はもったいぶった様子でそう仰います。
 ですが、とりあえず精神的に大きく動揺している様子は見受けられませんので少し安心いたしました。
 それよりも、少し浮かれているといいますか……その様子を目にして、私は逆に、妙に心がざわついてしまいます。

「その……つかぬ事を伺いますが、あの方というのは、もしかして、先日中学舎の裏庭で話をなさっておられた方ですか?」

 心のざわつきが押さえられずに、私はそのように口にしてしまいました。
 その言葉にメイベル嬢は、キッと私を紅色の瞳で睨みます。

「貴女……、また隠れて私を見ていたのですか? あれは、授業時間であったはずですが……」

「そっ、その……申し訳ございません。わざとでは無かったのです。あの日、私、人捜しをしなければならなくなりまして、探している最中に見かけてしまったのです。……その、私の知っている方に似ているように見えたので……気になってしまって」

 私の話を聞いて、メイベル嬢の睨み顔は、呆れを含んだものへと変わってゆきました。

「まったく……貴女も、また色々と面倒事に巻き込まれる方ですね。……分かりました、教えて差し上げます。貴女の仰るとおりですわ。……あの方、エルダンと仰る、商会を運営なさっている方です。情報通で、お父様とは懇意になさっております」

 メイベル嬢はそのように言いましたが……おかしくないでしょうか?
 エルダン様は、旦那様の拉致事件の後から行方知れずのはず……もしかしてメイベル嬢はそのことを知らないのでしょうか? それに、何故彼は未だ外部に漏れていないはずの近親婚禁止の布告令知っているのでしょう?
 ……これは、ますますレンブラント伯爵から話を聞かなければ成らないのではないでしょうか。
 私は、無理をしてでも今メイベル嬢と話しておいて良かったとそう思いました。

 そしてその日の夕、財務部より連絡があり明後日緑竜の水曜日。
 旦那様が申請していたレンブラント伯爵との面会が叶うこととなりました。

「これは、わざわざ夫婦で連れ立って訪ねてくるなど、どういった要件かな?」

 経理局の局長室で、応接用のソファーに私たちが掛けた途端、レンブラント伯爵はそう切り出しました。
 旦那様は、レンブラント伯爵の冷徹な視線を受け止めて、そうして切り返します。

「単刀直入に伺います。レンブラント伯爵……貴男はエルダン・カンダルクを匿っておられますか?」

「執拗に面会の要請をして、何を尋ねに来たのかと思ったら……。捜査局にも散々説明したのだがね。奴は君の拉致事件とやらの後から行方知れずだ。……私も、我が家の優秀な密偵を失って難儀しているのだよ」

「……それは、誠なのですか? 先日、彼はメイベル嬢と接触していましたが……」

「なに! それは真か!?」

 私の言葉に、レンブラント伯爵はガタリと椅子をゆらして立ち上がりました。
 いつもは冷徹な表情を貼り付けた彼の顔に、明らかな動揺が浮かんでいます。

「馬鹿な! 本当に、奴はどこかに姿を眩ませたのだ! その奴が何故メイベルに……」

 腕を振り払うようにしてそのように仰るレンブラント伯爵の態度には、誤魔化そうとしているような様子は感じられません。それよりも、彼がこのように激情を露にしたことに私も旦那様も驚いてしまいました。
 オーランド様が、レンブラント伯爵はメイベル嬢だけに愛情を注いでいると仰っておりましたが……この様子を見るに、まことであるのかも知れません。

「彼の真の目的は分かりません……ですが、その時にはこの先、近親婚禁止の法令が布告されると……そのような話を彼女にしていたらしいです。……それ以外にも何かあったようですが……そのことは私には教えて頂けませんでした」

「まさか……メイベルは、まだオーランドなどと添い遂げたいと言っているのか……馬鹿なことを」

 伯爵は苦々しげに吐き捨てます。

「先日オーランド君と言葉を交わす機会がありましたが、貴男は何故息子である彼を毛嫌いしておられるのですか?」

 旦那様が突然そのように仰いました。
 レンブラント伯爵が吐き捨てるように言った言葉に、引っかかりを覚えたのでしょうか?

「何故我が家の事情を、お主たちに話す必要がある。これは我が家の問題だ……」

「確かに、貴男の家の問題であるかも知れません。しかし、私の友の問題でもあるのです」

 私のその言葉に、伯爵は意外そうな表情を浮かべました。

「……友? 確か私の娘はフローラ嬢、貴女のことを毛嫌いしていたと耳にしていたが……」

「お互いに誤解があったことが分かりましたので、今では友誼を結ばせて頂いております。本日私が旦那様に付き従ってやってまいりましたのは、そのことを伯爵、貴男に伝えるためです。レンブラント伯爵……メイベル嬢は、その心根は真っ当で、とても真っ直ぐな方です。……どうか、彼女が誇れる父親であってください」

 私はそう言って頭を下げます。

「……娘のことを友と言ってくれることには感謝しよう。今のエヴィデンシア家の影響力は我が家とは比べものにならぬ。……だが、オーランドとのことは別だ。我が家にも我が家の事情というものが有る。あと、エルダンのことはこちらでも調べよう、何か分かったらお主たちにも知らせることを約束しよう……それでいいであろう。財務卿選定のこともあり、私も忙しい身だ、ここまでにしてもらおう」

 そう仰った後は、私たちが取りつく島もなくレンブラント伯爵は話を切り上げてしまいました。

 帰りがけの馬車の中、「だけどあの様子は……本当にエルダンのことは知らなかったようだね。姿を眩ませたエルダンは何でメイベル嬢にそのようなことを伝えたのか……それに、それ以外にも何か伝えていたのだろ? 奴はいったい何を考えている……」と、旦那様はそう仰って深く考え込んでしまいました。

 私も、エルダン様の行動の心理が分からず、心の底から焦燥感が湧き上がってくるのを抑えることができませんでした。

「モブ令嬢の旦那様は主人公のライバルにもなれない当て馬だった件」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「恋愛」の人気作品

コメント

コメントを書く