モブ令嬢の旦那様は主人公のライバルにもなれない当て馬だった件

獅東 諒

第五章 モブ令嬢と幼子と貴宿館での女子会

「マ~マ、ママ、ママ~!」

 馬車から降りて館へと入った途端、エントランスを駆けて来たシュクルに飛びつかれて、私は、後ろへと倒れそうになってしまいました。
 旦那様は、そんな私をしっかりと支えてくれます。
 ぴょんと飛び上がって私の首に腕を回して抱きついたシュクルは、私から離れまいとでもするように、足までも身体に絡めて「ママ、ママ、ママ」と私の薄い胸に顔を埋めて、涙声で甘えます。

「まあ、シュクル――はしたないですよ。……でも、そんなに寂しかったのね」

 私は、シュクルの背に腕を回して抱きしめてあげます。

「パパ、パパも~~。パパ、パパ!」

 シュクルは、私の首に回していた腕を伸ばして、背後で私を支えてくれた旦那様におねだりします。

「甘えん坊だなシュクルは……」

 そう仰った旦那様はシュクルを抱いた私ごと、覆い包むようにしてシュクルの背に腕を回しました。

「むふっ~~~~、パパ! ママ~~!」

 シュクルが満足を示すように上機嫌の声を上げました。
 私は、王宮にて聞き及んだ黒竜の邪杯の盗難や、サレア様より耳にした精霊教会が私を取り込もうと画策しているなどという不穏な事態。それによって心の底におりのように沈んでいた不安が、シュクルと旦那様のぬくもりに挟まれて、解けて消えてゆくように感じました。

「まあ、ご主人様、奥様――シュクル様も。みなさまがそれぞれの方を大好きなのは分かっておりますが……玄関先で――馬鹿親子ですか?」

 容赦の無い声を掛けて来たのはもちろんメアリーです。

「あらあら、まあまあ、シュクルちゃんはフローラたちが帰ってきたのが分かったのね。突然飛び出していったからびっくりしたわ。それにしても……本当にシュクルちゃんはフローラとグラードルさんが大好きなのね」

 そのように言いながらお母様が階段を降りてきました。
 旦那様が、慌てて体勢を戻そうといたしますが、シュクルの腕が首に絡められていて体勢を動かせません。

「シュクル、後で遊んであげるから、今は放して――お願い」

「ぶぅぅぅぅぅぅーー、……やくそく……」

「はい、はい、やくそく、約束するから」

 そのように約束を取り付けたシュクルは、それでも渋々といった様子で旦那様に回していた腕をほどきました。
 シュクル、……それでも私には抱きついたままなのですね……。
 旦那様は姿勢を正してお母様に向き直ります。

「ゴホン! あ~っ、その……いま帰りました。義母上にはシュクルの面倒を見て頂きありがとうございます」

「いえいえグラードルさん、シュクルちゃんは私の娘と言った方が違和感のない歳ですもの、私も新しい子供を授かったみたいで嬉しいわ。……早くシュクルちゃんに、あんな風に懐いてもらいたいものです」

 お母様は、私に抱きつくシュクルを愛おしそうに見つめてそのように仰いました。

「大きいママもパパも好きなの……でも、ママとパパが大好きなの」

 私の耳元でシュクルがそのように言います。私は湧き上がってくる愛おしさに今一度シュクルをしっかりと抱きしめました。

「旦那様、奥方様方。このように長々とエントランスで話しておられては……どうぞ、奥の方へお入りください。メアリー、お前も一緒になって何をしている」

 お母様の後ろに続いて、セバスも階段を降りてまいりました。

「ああ、セバス。お前と話をしたいことがあったのだ。俺は書斎に行くからもし用事があるのなら、誰かにまかせて書斎に来て欲しい」

 旦那様は、そのように仰いますと二階へと向かいます。
 私も、抱きついていたシュクルを降ろして、手をつないで居室へと戻りました。


 その後私は、私から離れようとしないシュクルと一緒に貴宿館を訪ねました。
 貴宿館からは、レガリア様が演奏なされるロメオの音が漏れ聞こえて来ます。
 おそらくは、皆様サロンにてその演奏を聴きながら、夕食までの時間を楽しんでおられるのでしょう。
 私たちが、サロンへと足を進めますと、想像していたとおり、入居人の皆様は思い思いの場所に陣取って、読書をしていたり、レガリア様の演奏に聞き入っていたりしておりました。
 ただ、リュートさんだけはまだ帰っていないようで姿が見えません。
 私とシュクルがサロンに足を踏み入れて、少しの間レガリア様の演奏に聞き入っておりましたら、私たちに気が付いたレガリア様は演奏を切り上げました。

「まあフローラ。……どうしたのですか?」

 腰掛けていた椅子から立ち上がり、こちらへとやって来るレガリア様に、私もシュクルを伴って近付きます。

「実は、レガリア様にお話がございまして……」

 私はそのようにレガリア様に声を掛けましたが、この場にはクラウス様とレオパルド様が居られましたので、その後の言葉を濁してしまいました。

「クラウス様――レオパルドも、申し訳ございません。本日はサロンを私たちに利用させて頂けませんか?」

 レガリア様は私の態度から、男性陣がいる場所で話しづらい事柄であろうと察してくださったようで、そのように声を掛けてくださいました。さすがは学園において派閥の長になっておられるお方です。
 それまで、盤上遊戯のドランジュをなさっておられたクラウス様とレオパルド様も、幼い頃からの付き合いで、レガリア様の態度から感じ取ったのでしょう、何も仰らずに階下へと降りてゆかれました。

「どうしたのですかフローラ? なんだか物々しい感じですが」

 レガリア様の演奏を聴きながら、クラウス様たちの方を眺めていたマリーズが、今の遣り取りを目にして近付いてまいりました。

「マリーズにも聞いて頂きたい話ですので、ご一緒頂けますか?」

 すぐ近くで本を読んでいたアルメリアが、手にした本から顔を上げます。

「……もしかして、今朝の話かい? フローラ」

「ええアルメリア。貴女も一緒に……」

「それは、込み入った話になりそうだね」

 アルメリアは一人掛けのソファーから立ち上がって、皆で向かい合って座ることのできるように配置されたソファーセットへと移動いたします。
 私たちもアルメリアの後を追うようにしてソファーセットに腰を落ち着けました。

「まあまあ、シュクルちゃんは本当にフローラのことが大好きなのね」

 ソファーに座っても私から離れず、その、はしたないのですが、シュクルは寝そべるようにして私の腰に手を回しています。

「申し訳ございません皆さん。初めて長い時間離れていた反動でしょうか、いつも以上に甘えん坊さんになってしまっていて……」

「まだまだ幼いのですからしかたございませんわ。私たちに遠慮することはありませんよ」

 私から離れまいとするシュクルを、レガリア様は微笑ましそうに眺めて、そして言葉を続けます。

「……それで、話というのは?」

「はい、実は……」

 私は、今朝の出来事、そうしてこれまでのメイベル嬢との悪縁を、詳らかに説明いたしました。
 もちろん、メイベル嬢がオーランド様に抱いている気持ちは伏せてです。

「結局の所、私も彼女も、出会ったときに抱いた印象に、これまでずっと引きずられてしまっておりました」

 私の話を、聖女らしい真面目な表情を浮かべて聞いていたマリーズが、静かに口を開きます。

「それが、今朝初めて互いの本質に目を向ける機会があったということですね。……私が学園にやって来てからは、今聞いたメイベル嬢からの嫌がらせを目にしたことはございませんでしたけど、小耳には挟んでおりましたよ」

 マリーズが我が家にやって来たのは、丁度私が法務卿のお茶会に招かれた日でした。
 それに彼女が学園に通い出した日には、すれ違いもありましたし、あの日より、私はレガリア様の庇護を頂いて、あの後からは学園での嫌がらせは、時折聞こえてくる陰口くらいしか無くなっておりました。

「私も派閥の令嬢たちから、メイベル嬢のことは耳にしておりました。ですが、フローラは私の力を利用して意趣返しをするような方ではないし、静観していたのです。……それで、フローラ。貴女は彼女のことをどうしたいのですか?」

「……私、貴宿館のお茶会にメイベル嬢を招きたいのです……。レガリア様、お力添え頂けませんでしょうか」

「ああ、そういう事ですか……なるほど、そういたしますと、私が考えていた規模よりさらに大規模な茶会になってしまいますね。メイベル嬢はエレーヌ様の派閥に入っておられるのでしょう? 彼女の派閥の方々も招かないわけには行かなくなりますし……いえ、ええ、大丈夫ですわ。それでこそやりがいがあるというものです」

 レガリア様は、これまで以上に力が入ったご様子で、茶会の招待客の人選を考え始めました。

「その、自分から言いだしていてなんですが、よろしいのですか?」

「ええ、構いませんよ。もしかしてフローラ……、私とエレーヌ嬢の関係を誤解しておりませんか? 私たち第一王子派、第三王子派などと言われておりますが、別に敵対している訳ではございませんよ。エヴィデンシア家とバレンシオ家のような悪縁があったのでしたらまだしも、王家に近い古い家というのは、我家のようにその時代によって仕える方が決まってしまいますし、その方が権力を握ったときには勢力を伸ばそうと励みますが、それは、権力の座から遠ざかったときのための準備であると考えて頂いた方が正確です。……そういえば、エヴィデンシア家は古い家柄ですが、法務を司る臣として、王家に近づきすぎない事を信条にしていた特異な家系であると、ノーラ様より伺いました。亡くなられたオルドー様は、その辺りの事を皆様にはお伝えになっていなかったのですね」

「……お祖父様は、法務卿の地位を退いたあと、私たちにそのような枷を嵌めることを嫌ったのだと思います。おそらく、『お前たちは過去に縛られることなく次代を生きよ』と、言われたとしても、そのような話を聞いてしまったら、お父様はエヴィデンシア家の信条にしたがってしまったでしょうし」

「……なんとも不器用な事ですね。このような話をするべきではなかったかしら?」

 私の事を考えてくださったのでしょう、レガリア様の言葉は申し訳なさそうに響きました。
 いまの私たちは、クラウス殿下の派閥であると貴族社会では捉えられているでしょうから。

「私は大丈夫です。当主は旦那様ですし、彼は軍務部の人間です。いまの私たちに過去のエヴィデンシア家の信条は関係ございません」

 私の言葉に、レガリア様は安心したように息を吐きます。

「でしたら、エレーヌ様と図って彼女の派閥からメイベル嬢を含んで何人か招くことといたしますね」

 そのあと、貴宿館のお茶会を開催するため会場の配置など、マリーズとアルメリアも参加して賑やかに話し合いました。
 それは、以前旦那様より耳にした、女子会と言われる集まりのように楽しい時間で、私の腰に抱きついていたシュクルも、楽しそうに皆さんの間に入って、特にレガリア様にかわいがられておりました。

 その楽しい時間は、貴宿館付きの侍女ハンナが、夕食の準備が整いましたと呼びに来るまで続き、私がシュクルと共に本館へと帰ろうといたしましたら、「フローラ、夕食のあと時間を取ってもらえないかな? 話したいことがあるんだ。……その、できたらグラードル卿も一緒に」と、アルメリアがどこか思い詰めたような様子で声を掛けてきました。
 
 アルメリアのあのように思い詰めた表情は、トライン辺境伯領へと向かう途中に見て以来ですので、私、とても気になってしまいました。

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