モブ令嬢の旦那様は主人公のライバルにもなれない当て馬だった件

獅東 諒

第五章 モブ令嬢と謁見と新たな事態(後)

「……タルブの中でトライン辺境伯の抱える騎士たちと、黒竜騎士団の間で方針の対立があって、その夜半にタルブと高山地帯をつなぐ街道を抑えられてしまったのです」

「なるほど、そのような事が……」

 アンドゥーラ先生の口から語られたのは、新政トーゴ王国の宣戦布告から、私たちがクルークの試練の迷宮を攻略していた間に起こった出来事でした。
 当初、セルヌ川を超えた新政トーゴ王国軍は、国境の砦より西側の海岸寄りから軍を押し寄せてきたそうです。
 砦を預かっていた赤竜騎士団の方々は、主都タルブへの侵攻を止めるべく砦を起点として横陣に展開し、その背後をアルメリアのお父様、クロフォード様が率いた部隊が守っておりました。
 ですがトーゴ軍の侵攻は彼らの想像よりも緩やかであったそうです。
 トーゴ軍の動きが活発になったのは、黒竜騎士団がトライン辺境伯領に入ってよりのことだそうで、結果的に考えますと王都の戦力をできる限り引き込むことが目的であったと分かります。
 これも結果論ではございますが、あの飛竜の戦力をトライン辺境伯領へと使われていたら……私たちがあの地へとたどり着く前に、きっとトライン辺境伯領は落とされていたことでしょう。
 そうであったのならば、私たちがクルークの試練を達成することは不可能であったかも知れません。

「その後のことは、レオパルドから聞いたが……結果としてトーゴ王は悪手を打ったわけだな。だが宣戦布告の時点では、間違いなく先を見越した最善の一手であったはずだ。国境を接する我が国が混乱すれば、かの国は悲願である旧トーゴ王国の国土回復に力を注ぐことができたのだからな……」

 ですが、私たちにクルークの試練に挑む時を与えてしまったことが、結果として新政トーゴ王国の野望を阻止する事となったのは皮肉であったかも知れません。
 不意に……私の半身にコテリとシュクルが寄りかかってきました。
 そちらに視線を向けましたら、長い話の合間に眠くなってしまったのでしょう、シュクルが重そうな瞼をウトウトとしばたいておりました。
 私は、寄りかかるシュクルを片方の手で支えて上げます。
 するとシュクルは安心したように、目を閉じて眠ってしまいました。

「……我が国はエヴィデンシア家のおかげで薄氷の勝利を得たようなものだ……」

 陛下の仰りようは恐れ多いことです。
 しかも陛下は、私とシュクルの姿を見て、少し声の調子を落としてくださったのです。

「……さて、ここからが重要な話であるが、この度の論功についてお主たちの意見を聞きたい」

 アンドリウス陛下が視線を向けたのは、ご自身の右手に座る三務の方々と騎士団長たちでした。
 すかさず金竜騎士団団長、ドルムート様が発言の意を示して口を開きます。

「もちろん第一の功はエヴィデンシア家――フローラ様でしょう! グラードル卿の命を救う為とはいえ、彼女のおかげでクルークの試練は行われ、我が国は財宝と今回の危機を救う力を得たのです! あの三〇騎に及ぶ飛竜を一撃の下に墜とした神のごときお力、我が国の守護女神と申しても言いすぎではないかと……」

 ドルムート様はそのように言い募るうちに、まるで陶酔したように上を向いて目を閉じてしました。

「ハッ! オルトラント王国一の力を誇る金竜騎士団の団長が、小娘に入れ込んだものだな。このような小娘に様などと、男として情けなくないのかお主は!」

「何を言うかウルクァンド! お主は王都防衛に間に合わなかった鬱憤で、フローラ様の活躍を不当に低く見ておるのではないか? それに俺は男爵だからな。上位の貴族であるお方を様付けで呼んでも問題なかろう! お主とてそうではないか――ほれ、お主もフローラ様と呼んでも良いのだぞ」

 ドルムート様が、どこか揶揄うような様子で仰いました。
 ……なんと申しましょうか、貴族的な驕りがなく、気安いお方のようですが、少々子供じみたところもあるように見受けられます。
 そのように声を掛けられたウルクァンド様は、キッと、隣に座るドルムート様を睨み付けました。

「貴様! 俺を愚弄するか!!」

 ウルクァンド様は椅子から一歩足を踏み出して、ドルムート様の方へと身体を寄せて掴みかかろうといたします。

「いい加減にせぬか! この馬鹿者ども!! 陛下の御前であることを忘れたか!!」

 そのように怒声を上げたのはサンチェス軍務卿です。

「「ハッ! 申し訳ございません閣下!!」」

 こればかりは軍人の性という言うべきでしょうか、お二人は直ちに居住まいを正して敬礼をいたしました。
 旦那様とレオパルド様もビクリと敬礼をしそうになったのは、この際見なかったことにいたしましょう。
 サンチェス軍務卿が、お二人を叱りつけた瞬間、私に寄りかかっていたシュクルがビクリとして目を見開きました。ですが、このように緊張感のある場所に長くいるのは初めてのことでしたので、気疲れしていたのでしょう、すぐにまたウトウトとして目を閉じてしまいました。

「この度の危機を乗り越え、気が緩んでおるのだと思うが、王都は無傷であった訳ではないのだ、気を引き締めよ……ドルムートの意見は聞いたが、他の者たちはどうか?」

 陛下が、少し呆れが滲んだ表情を浮かべてお二人に声を掛けてから、今一度他の方々に視線を向けました。

「陛下、私もエヴィデンシア家に第一の功を与えることに賛成です。クルークの試練が誠にエヴィデンシア夫人の為に行われたのならば、それによって得られた財宝は本来クルーク様よりエヴィデンシア家へ下賜されたと考えるべきでしょう。それを前回のクルークの試練と同条件で国庫へと納めようというのです。財務部としてはこの国に対する献身を評価いたします」

 財務卿福主事のルクランさまはそのように仰いました。
 その時、これまで言葉を発しなかったディクシア法務卿が、発言の意を示して口を開きます。

「恐れながら……私は、第一の功は都市防衛魔方陣を展開し続けた魔道士たち、そして、陛下を始め魔力を注ぎ続けた者たちへ与えるべきだと考えます。さらに、第二の功は城壁をトーゴの魔道士たちより守り抜いた白竜騎士団。そして第三の功は、数の不利を押して王都上空を守り続けた金竜騎士団の者たちに与えるべきかと。強いていうのならばエヴィデンシア家は第四以降の功となすべきでしょう」

 その意見を聞いて、隣に座るサンチェス軍務卿がディクシア法務卿に向き直ります。

「オルタンツ卿。それはいささかエヴィデンシア家の功績を低く見積もりすぎではないか? 儂も第一の功はお主に賛成するが、少なくとも第二の功はエヴィデンシア家であるべきだと思うが」

 お二人の意見を耳にして、アンドリウス陛下は未だ意見を口にしていないセドリック様に視線を向けました。

「セドリック卿、お主の意見は?」

「私はサンチェス軍務卿に賛成いたします。第一の功は都市防衛魔方陣を起動し続けた方々であるべきだと考えます。そもそもあの献身がなければ、エヴィデンシア家のお二人が戻ってきても意味がなかったのですから」

「ハッ、それは暗に城壁を守った自分たちが第二の功だと言っているも同じだろうが」

 真面目な表情で仰るセドリック様の言葉を聞いて、ウルクァンド様が小さく吐き捨てました。
 その言葉は陛下の耳には届かなかったようで、一通りの意見を聞いた陛下は少し考え込みます。

「……ふむ、我は意見の違いなくエヴィデンシア家が第一の功であると思っておったのだが……、そのような考え方もあるか……これについては、いま少し意見を募る必要があるかも知れぬな……。ところでグラードル卿。功の順位は別として、我はエヴィデンシア夫人に魔導爵の爵位を贈るつもりでおる。前回のクルークの試練を成し遂げたアンドゥーラ卿にも贈ったのだ。一代限りの爵位であるし、伯爵夫人でも問題なかろう? これは決定していると考えておけ」

 アンドリウス陛下がそのように仰いました。
 ですが、何故か旦那様は覚悟を決めたような表情を浮かべます。私は、嫌な予感がしてそれを留めようといたしました。しかし寄りかかっていたシュクルが背後へと倒れ込みそうになって、そちらに気を取られた為に留める機会を逸しました。

「恐れながら陛下。……フローラに魔導爵の爵位を贈るという話。有り難きことですがその申し出、お断りいたします」

「なッ! グラードル卿! お主、妻に命を救われておきながら、その功績を無にするつもりか!! お主の噂はこれまでに耳にした事があった。だがフローラ様が己の命をかけて、そのように献身的に力を尽くしてまで助けようとするのだ。かの噂は根も葉もないものだと思っておったところだ。だが、己よりも妻の功が上であることを厭うような男であったか!」

 そのように声を荒らげ、ドンッとテーブルを拳で打ったのはドルムート様です。
 ですが肝心のアンドリウス陛下は、片眉を上げて僅かに驚き意外そうな顔をしただけでした。

「待てドルムート。グラードルはそのように偏狭な男では無いわ。そのように言うからには……理由が在るのであろう? 申してみよ。納得がいかねばお主の申し出、受けることは出来ぬぞ」

「……陛下。この度の出来事、クルークの試練を達成したことによって、我が国は力を得すぎました。特にフローラは魔器ストラディウスを手にして、一つの軍をも単独で殲滅し得るほどです。それに第一世代の竜であるシュクルも妻に託され、さらに試練の間に赴いたレオパルド殿たちも特別な武具を手にいたしました。それは妻が言うには既にその製法が失われているという偽神器と呼ばれる物ではないかということです。さらに財宝の中には我が国が求めていたワンドが多数ございます……。今回、王都城壁外の被害は大きかったものの、手に入れた力を考えれば、さらに国力が増したと他国は考えるでしょう。フローラが爵位を得れば、国からの命令によって容易にその力を行使することが可能になります。他国は強大な力を得た我が国が、いつ領土拡大の為に己の国に攻め入ってくるかと疑心を抱くでしょう」

 アンドリウス陛下は、その言葉に心外そうな表情を浮かべました。

「何を申すかグラードル卿、我に領土拡大の野心は無いぞ。それで無くともオルトラントは広く、また豊かな国だ。これ以上広い領地を得ても、統治が難しくなるだけで利点など何も無いわ」

「陛下のお心がそうであっても、他国がそう考えるとは限りません。アルバダ王国が動いたのは、その脅威の表れではないでしょうか? さらに、報償授与の式典に合わせて他国から使節団がやって来ることも、我が国の心胆を探る為であるでしょう。フローラが伯爵夫人のままであれば、彼女が魔導師であったとしても私の意向に左右される存在です。今回のフローラの働きは、間違いなく魔導爵の地位を手にするものでしょう。それは他国から見ても明らかです。ですから、それを夫である私が、妻の功が自分より高く評価されたことに激怒して強硬に反対したとすれば、男性の力が強いこの大陸西方諸国では理由として受け入れられるでしょうし、そのように狭量で馬鹿な男が夫であり、それに縛られる女であるならば、脅威は小さいと認識されるでしょう。この際これまでに広まっている私の悪評がかえっていいように力を発揮します」

「お待ちください旦那様。それでは旦那様が不当に貶められるではございませんか! 旦那様がこれまでその悪評を覆す為になされてきた努力を……わ、私の為に無になさるというのですか!」

 旦那様がこれまで、以前のご自身の行いによって受けていた悪評を覆す為に、どれほどの労力を払ってこられたか……それを目にしてきた私には、到底受け入れられるものではございません。

「フローラ。これは君の為だけでは無いよ。シュクルの為でもあるし。オルトラント王国の為でもある。国を守るのが騎士の仕事であるのだから、悪評だけで僅かでも国を守る力になれるのであれば大したものだと思わないかい?」

「……旦那様……」

 ……旦那様は卑怯です。そのように言われては、反対だと口にできなくなってしまいます。

「グラードル卿、はっきりと申せ。お主の心胆は、妻に魔導爵の地位が与えられれば、各国から暗殺者を送られかねんから止めてくれということであろう。長々と垂れた講釈ももちろん心の内にはあるであろうが。お主が底抜けに妻思いであることは既に知れておるわ」

 陛下が、笑い顔で仰いました。
 今の旦那様の事を知っているアンドゥーラ先生、ブラダナ様、そしてセドリック様とオルタンツ様、レオパルド様も陛下と同じような笑みを浮かべて、微笑ましそうに私たちを見ておりました。
 旦那様も私も、その視線を受けて顔を赤くしてしまいます。

「だがグラードル卿。それを理由とするのであれば、お主は得ることのできるはずであった他の報償も大きく損なうことになるぞ。そのような理由であれば、我は相当気分を害したであろうからな」

 アンドリウス陛下は、ライオット様に似た戯れた表情を浮かべました。

「はい、そのようにお願いいたします。我が家は今回クルーク様より授かりました宝物と、達成者に下賜される取り分で僅かでも安全が買えるのであれば十分でございます」

 旦那様も、陛下の調子に合わせた笑顔を浮かべて答えました。

「……グラードル卿……おぬし、お主はなんと懐の深い立派な男なのだ……。なるほど……俺はなんと愚かな男か。フローラ様のような女神のごとき女性が、命がけの試練に挑むほどに愛した男が、愚かで狭量な男である訳が無かった……。なるほど、これは我らのような男では束になっても太刀打ちできぬわ。……グラードル卿。これは金竜騎士団団長としてではなく、男爵として言わせていただく。私はグラードル様、貴男を尊敬する。貴男のような男こそ誠の騎士というものだろう」

 ドルムート様は、瞳を潤ませて旦那様に熱い視線をおくっておられます。

「このこと、我が団の者たちに広めて、決して貴男の性根を疑わせるようなことはしない。任せてください」

「お待ちくださいドルムート卿……それでは意味が無くなってしまいます」

「ぐぬぬ、なんということだ。これほど素晴らしい方が評価を得られずに、あえて酷評を受けねばならぬとは……」

 旦那様に口止めされて、ドルムート様はなんとも悔しそうに唇を噛みました。ですが、ドルムート様ほどまっすぐな気性のお方でしたら、きっと黙っていることはできないでしょう。
 私は内心で、ドルムート様の口が軽くあってほしいと願ってしまいました。
 ドルムート様がそのように苦悶しておられる間に、アンドリウス陛下も考え込んでおられました。
 陛下は考えが定まったように、旦那様へと視線を送ります。

「だが、何も報いぬわけには行かぬ。お主達には内々に勲章を授与する。そのくらいは受けられるであろう」

「はい、それについては有り難く……」

 旦那様は、今度は神妙に陛下の言葉を受けました。

「よし、ではひとまずこの話はここまでだ。それでは、場所を変えて財宝の検分に移るとしよう」

 陛下の言葉を受け、私たちはクルーク様より賜った財宝を検分することとなりました。
 そのおり、アンドリウス陛下は財宝以上に、財宝を入れてあった袋の方に大きな興味を示されました。ですが銀糸で出来た不思議な袋は、財宝を外に出し尽くすと霞のように消え去ってしまったのです。
 消え去って行く袋を目にして、大いに落胆の色を示した陛下に対して、ブラダナ様とアンドゥーラ先生の師弟が、吹き出しそうな口を押さえて必死に堪えておられ、私は陛下が少々気の毒だと思ってしまいました。

 財務部の方々が財宝の見聞を終えますと、旦那様とレオパルド様が、クルーク様より賜った偽神器の力を皆様に披露いたしました。
 偽神器の力はすさまじく、使用者の魔力で魔法使いが及ぼす以上の攻撃が行える事に、皆様驚きの声を上げておられました。
 他の方が使えるか試してみましたが、やはりワンドと同じように、魔力で染め上げた本人にしか利用できないことも判明いたしました。
 本日の全ての用向きが終わり、私たちが王宮を辞しようとしておりましたら、銀竜騎士団団長ウルクァンド様が私たちに近づいてきて旦那様の胸を拳の背で軽く打ちました。

「ドルムートのお調子者ほどでもないが……俺も、お主のような男は嫌いではない。もしもこの後黒竜騎士団を追い出されるようなことがあったら、俺のところに来るがいい」

 ウルクァンド様は、あさっての方向を向いてそのように言うと、こちらを振り向くこともなく去ってゆかれました。

「まったく、彼奴は素直ではないな。グラードル卿、貴男が躁竜騎士でなかった事が残念でならぬ。だが先日のようにシュクル様がその背に乗せてくれるのならば、また、轡を並べて戦えることもあるかも知れぬな。それでは、フローラ様、シュクル様、失礼する」

 ドルムート様もそのように仰って去ってゆかれました。
 今回、旦那様はあえて悪評を被る選択をしてしまいましたが、王国の中心を成す方々に旦那様の誠の心根が知れたことを喜ぶべきでしょうか。

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