モブ令嬢の旦那様は主人公のライバルにもなれない当て馬だった件

獅東 諒

第四章 モブ令嬢とクルークの試練(八)

「――ローラ、フローラ! 大丈夫ですか!」

 私を揺り起こすこの声は……マリーズ?
 私は…………そうでした!!

「メアリー! メアリーは!?」

「ああ、慌てないでフローラ。メアリーは無事だよ」

 慌てて身体を起こした私を、アルメリアが優しく支えてくれました。

「私は大丈夫です奥様」

 メアリーも、アルメリアの反対側で私を支えてくれます。

「私はどれだけ意識を失って……それに状況は!?」

「フローラが気を失ったのはほんの少しの間ですよ」

 私はいつの間にか岩陰に移動させられておりましたが、この場所に居るのは私とマリーズ、そしてアルメリアとメアリーです。
 ゴァァァァァァァァッ、という底ごもる低い鳴き声と、ケェェェェェェッという高い鳴き声が響き渡り、巨体がぶつかり合うような音が聞こえました。

「フローラが意識を失う直前に、バジリスクがコカトリスに突進したのです」

「バジリスクのやつ、ずっと機会を窺ってたんだね。コカトリスは完全に隙を突かれたみたいで、あそこまで吹き飛ばされて、いまはあのような状態だよ」

 マリーズとアルメリアが視線を送った先を見ますと、二匹の魔物が死闘を繰り広げておりました。
 いま私たちが隠れている場所からは三〇ルタメートルほどの距離です。
 緊急の待避だったはずですので仕方ないですが、私たちの存在を認識しているコカトリスには簡単に詰められる距離でしょう。ですが翼が万全であったのならば、この守護者の間に安全地帯などなかったはずです。

 それにしましても……何故でしょう? コカトリスとバジリスクのこの死闘……私には、先ほどまで卵を守り防戦一方だったバジリスクが、その卵以上に大切なものを守ろうとして戦っているように見えてしまいます。
 あの茶会の席――バレンシオ伯爵から私を必死に守ろうとしてくださった旦那様の姿がダブって見えてしまうのはどうしてでしょうか?
 旦那様に死毒を与えた、憎き魔物であるはずなのに……。
 私は、戸惑いを振り払うようにして別のことを口にいたしました。

「リュートさんとレオパルド様は?」

「お二人はあちらの岩陰に隠れております」

 メアリーがバジリスクとコカトリスが死闘を繰り広げている、その向こう側を指し示しました。
 そちらではリュートさんとレオパルド様が私たちと同じように、二匹の魔物の戦いを警戒した様子で眺めております。

「姫様、大丈夫?」

 不意に、少年のような高い声が私に掛かりました。
 声の方向に目を向けると、そこでは幼いノームさんが心配顔をしておりました。

「ノームさん……ここまで来てしまったのですか!?」

 彼は、ここからさらに五〇ルタメートルほど門側の岩場に隠れていたのですが……。
 心配顔をしてこちらを見ているノームさんは、半身を起こして座っている私よりも背が低く、目の位置は丁度私の胸くらいの高さになります。その彼の瞳は、ジーッと私の胸元に向いていました。

「姫様……金色……」

「えっ…………?」

 彼にそう言われて、胸元に目をやりましたら、今朝起きたあと、いつの間にか服に付いていたバリオンを模した胸飾りが黄金色に輝いていたのです。
 この胸飾り、確かくすんだような鉄色だったはずですが……。
 ハッとして私は、マリーズとメアリーの胸元を確認します。

「二人とも……胸飾りの色が……」

「……これは!?」

 私の言葉で、マリーズが胸元を確認して驚きの声を上げました。メアリーも胸元を見て、軽く目を見開いて居ます。
 マリーズの胸にある盾を模した胸飾りは虹色に、メアリーの胸にある鎌を模した胸飾りは艶めいた黒色に変色しておりました。

「フローラ、見てこれ! 私のも……」

 アルメリアが興奮した様子で声を上げました。私がそちらを見ましたら彼女の手には、黄色い盾と金色の剣に変色したブランバルトがあったのです。

「フローラ……これ、魔法の武器みたいだ……」

「え、どういうことですか?」

「……多分、それに触ってみれば分かるよ」

 アルメリアが少しぼーっとした様子でそう言います。
 それは、頭の中で何かを確認しているような、そんな感じです。

「これをですか?」

 アルメリアの言葉を受け、私はマリーズとメアリーと目を見合わせて胸飾りに手をかざそうといたします。

 その時、「気をつけろ!! コカトリスがそちらへ跳んだぞ!!」と、レオパルド様の切迫した叫び声が上がりました。

 私たちは、銀竜王クルーク様から贈られたと覚しき胸飾りと武器に、完全に意識が集中してしまっておりました。
 慌てて、コカトリスとバジリスクのいた場所に目を向けましたら、そこにはどうしてそのような体勢になったのか、バジリスクが腹を向けて倒れており、足をバタつかせておりました。
 コカトリスは?

「上です!!」

 私が、コカトリスを見失っていると気付いたのでしょう。メアリーが叫びます。
 同時にバサバサという音と共に、私たちの上空に影が差しました。
 メアリーが私を抱きしめるようにして、コカトリスに己の背を晒し、大岩の陰に倒れ込みます。
 しかし、細身のメアリーでは庇いきれるはずがございません。
 私は魔法を使おうと考えましたが、この手にはタクトがございませんでした。おそらく私の身を運ぶのが精一杯だったのでしょう。
 そして…………大岩の上にコカトリスが降り立ちます。
 ……コカトリスがゆっくりとこちらに顔を向けました。
 私と視線を合わせて……、コカトリスがニヤリと笑ったような気がいたします。
 ああ……コカトリスは、私が魔法を使っていたと気づいていたのですね。私を仕留めれば脅威が無くなると理解して……。しかもなんと性悪な……コカトリスはどう見ても意識的に石化の呪いを使っておりません。
 圧倒的に有利な状況で、私たちが絶望する様を楽しんでいるのです。
 ああ……旦那様……今一度、今一度だけ、旦那様に優しく抱擁して頂きたかったです……
 私は旦那様を思い、目を閉じてしまいました。己の無力さに苛まれながら最後のときを迎えようと……

 私が折れてしまいそうになったその時、「グォォォォォォォォーーーー!!」と、雄叫びが響きました。

 バジリスクが上げた雄叫びです。それはまるで私を叱咤するように――この胸へと響きわたりました。

「まだです!! フローラ、目を開けてくださいまし! 私たちにはまだ戦える力がございました。この胸飾りはこの守護者の間に入る為の印ではございません! 私も、銀竜王様は意地悪だと思いますけれど、ただただ試練を強いるだけではございませんでした。胸飾りに触れてください! この窮地を乗り越える術はここにあります!」

 雄叫びに続くマリーズの叱咤の声に、私は、閉じていた瞼を開きました。
 私たちの眼前ではコカトリスが、忌々しげに切られた羽をバタつかせて、その鋭い爪のある足で空中を掻きむしっておりました。
 ……これは?
 コカトリスが懸命に足の爪を使って引き裂こうとしているのは……虹色の光の壁。
 その虹色の光は放射状に放たれ、巨大な盾の形を描いております。そしてその光の収束点では、マリーズが虹色の盾を掲げておりました。

「この盾で、コカトリスの攻撃と石化の呪いは防ぐことができます! それから盾の内側、一定の範囲には癒やしの効果がございます!」

 マリーズが、掲げている盾の力を説明してくださいました。
 その間に私とメアリーは立ち上がって、胸飾りに手を触れました。

「…………これは!?」

 触れた瞬間、私の頭の中にこの胸飾りの持つ力、そして、どのように使えばいいのか、その使用方法までが浮かび上がります。
 私と同じように、胸飾りの持つ力を確認したメアリーと視線を交わし、私たちは軽く頷き合いました。
 私たちが銀竜王様から賜った贈物の力を確認したのを見て、アルメリアが声を張り上げます。

「レオパルド様! リュート君! 銀竜王様に賜った武器を手にしてください!! それを使えば、この魔物を倒すことができるはずです!!」

 アルメリアが手にしたブランバルト――盾の裏、刀身を収めている鞘から剣を抜き放ち、マリーズが展開している光の盾から飛び出して、コカトリスの背後へと回り込みます。
 虹色の光に阻まれていたコカトリスは、その光の守りから飛び出したアルメリアに狙いを変えて、その視線をアルメリアに向けました。

「アルメリア! 危ない!!」

「大丈夫!!」

 私の叫びを、アルメリアは確信的な自信を持って答えます。
 驚くまいことか、アルメリアの手にする黄色い盾からも陽光のような光が放たれます。

「マリーズの盾ほどじゃないけど、この盾にも同じような力があるようなんだ! レオパルド様とリュート君はマリーズの盾の背後に! 私が援護します!!」

「ケッ、ケェェェェッ!?」

 アルメリアの方へと顔を向けたコカトリスが、驚きの奇声を上げて大岩の上でバランスを崩しました。
 天井の高いこの空間の中を、黒い影が円を描いてコカトリスの向こうへと飛んで行きます。そして、今ひとつ宙に舞っているものがございました。
 それは、コカトリスの羽です。
 私が飛膜を切り裂いた羽が、根元から切断されて宙を舞い……そして地面に落ちました。
 それを待っていたかのように、円を描いて宙を飛んでいた黒い影がメアリーの元へと返ってきました。
 メアリーが器用にそれを掴み取ります。
 彼女の手に戻ってきたのは、艶めいた黒光を放つ大鎌でした。

 ……私は、静かに胸飾りを外して魔力を流し込みます――すると、胸飾りはグングンと大きくなりました。
 黄金色のバリオン……これは、かの魔奏者ストラディウスが初代バリオンと共に造り上げたという、魔具マギ・クラフトにしてワンド
 かの偉大な奏者の名をそのまま頂いた、魔器ストラディウスです。

 私は弓を手にして……そして音を奏でます。
 いま選ぶのは『ファティマに捧ぐ』、かの赤竜皇女ファティマは、戦の女性ひと。赤竜騎士団を従え黒竜戦争を戦い抜いた偉大なる女傑。
 魔法は竜王様と精霊王の力を借り起こす奇跡。しかし、その根幹は心象イメージです。
 いま私が奏でる音は、偉大なる方々への奏上。
 そして私は、魔力を宿すべき心象イメージを心の内に浮かべます。
 皆の身体を黄金色の光が淡く包み込みました。途端、コカトリスの背後へと回り込もうとしてたアルメリアと、私たちの方へと駆けて来ていたレオパルド様とリュートさんの動きが格段に素早くなりました。
 私が身体強化の魔法を掛けたからです。
 さらに、コカトリスが大岩からドサリと落ちます。
 地面に叩きつけられたコカトリスは、バタバタと暴れて逃げようといたします。ですがその身体は、まるで上空から踏み潰されてでもいるかのように身動きが取れません。

「皆さん、コカトリスを重化の魔法で捕らえました。効果はコカトリスのみに留めていますので……止めをお願いいたします」

 私は、バリオンの演奏を続けながら思います。
 アンドゥーラ先生が、ワンドとタクトは全くの別物だと仰っておりましたが、私は初めてその意味が分かりました。これほどの魔法を使っているのに、魔力が殆ど減りません。
 いまでしたら、三日でも四日でも魔法を使い続けることができそうな気さえしてしまいます。

 ……そして、死を覚悟するほどに私たちを追い詰めたコカトリスは、葬送となる曲の響く中、リュートさんの白い剣と、レオパルド様の緑の柄に赤い穂先の付いた槍によって、あっけなく止めを刺されたのです。

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