モブ令嬢の旦那様は主人公のライバルにもなれない当て馬だった件

獅東 諒

第四章 モブ令嬢と一つの決着(前)

 私たちが馬車を止めた場所は、王都近郊の穀倉地帯の終わる場所で、これより先は林や森が点在する辺りになります。
 街道の両脇は林というよりは森に近い密集した木々が立ち並んでおります。
 その場所に三台の馬車を斜めして止めて、騎乗した状態では両脇に回り込めないようにいたしました。
 私たちは全員馬車から降りてその影に隠れます。
 アンドゥーラ先生が風の精霊王ウィンダルの力を借り、攻撃を避ける防壁の魔法を掛けました。
 賊と対話をする為に、近衛騎士のお二人が馬車の前方に出ます。
 そのように迎え撃つ準備をしておりますと、賊は見る見る間に近付いてきました。
 彼らは街道を塞ぐように横に広がり、何人かは、畑で青い穂をゆらす小麦を踏みつけて、私たちを威嚇するように剣を抜き放ちました。

「……なかなか諦めがいいじゃねえか。そのまま惨めな抵抗をしなけりゃぁ、痛い目を見ずにすむぜ……え! どうだ」

 私たちの手前、馬上からそのように声を上げたのは、とても大柄な男です。
 大型の獣の毛皮を加工して作られたらしい袖なしの衣服を着込んでいて、素肌を晒している腕は太く、筋肉質です。
 大きな鳥が翼を広げたように、横に並んだ配下の後ろで、男はふんぞり返るようにしております。
 男の周りには、横合いと後方にも数名が控えていて、周りからの急襲に備えているように見えます。
 そんな賊たちは、一様に頭と口の辺りを布で覆って目元だけを出しておりました。

「貴様ら、匪賊の類いか!! そのように徒党を組み街道で旅人を襲うなど極刑を免れぬ所業だぞ!!」

 近衛騎士の一人が、そのように声を張り上げました。

「おいおい、俺たちはまだ襲っちゃぁいねえだろがよ。それとも何か、傭兵団は街道を使えねえのか? あ?」

 男は屁理屈めいた言葉を吐いて、下卑た笑い声を上げました。
 配下の男たちも追従するように笑います。
 顔を隠し、徒党を組んで追いかけてきた人たちが傭兵団でないことは一目瞭然ですが、そのような事を口にしても仕方ございませんので、皆さん口を噤んでおります。
 その沈黙を、気圧されていると勘違いなされたのか、大男は気を良くしたように言葉を続けます。

「まあよ……襲われたくなけりゃぁ、白竜の愛し子と聖女、それにクラウス王子をこっちに引き渡せ! てぇ話になるのは確かなんだがよ」

「貴様ら!? 何故ここに殿下が居ることを……」

「馬鹿かテメエ……王家の紋章の付いた馬車であれだけ往来を走り回っておいて、王家の末弟がエヴィデンシア伯爵家に居るってぇ話は、俺たちの間じゃあもう有名な話だぜ」

 嘲るように笑う男の言葉を聞いて、私は僅かに疑問に思いました。
 確かにクラウス殿下たちは学園への登学を馬車にて行っておりますが、王家の紋章の付いた馬車をご利用なされていたのは初めて我が家を訪れたときと、王家主催の茶会の当日のみであったはずです。
 王家の馬車は、国王陛下のご家族以外にも、家令なども利用することがございますし、何より有力貴族より茶会へと招かれて使用されることも多ございます。
 貴宿館の事も、学園の関係者でもなければご存じないはず……。ですが彼らは我が家の事情をよくご存じのようです……。
 私は彼らの正体、その一つの可能性に思い至り、アンドゥーラ先生に小さく声を掛けます。

「先生……あの者たちは、バレンシオ伯爵が抱えていたというヲルドという兇賊きょうぞくだと思われます」

「なに!? あの、ライオットが取り逃したというやからか……なるほど、それでか――フローラ気付いているかい?」

 アンドゥーラ先生はそう仰って、賊たちを覗き見ます。いえ、先生の視線はその遙か先を見ておられました。
 先生の目には、迫り来る賊を確認するときに掛けられた遠見の魔法が、いまだ効果を及ぼしているはずです。
 私も先生に倣い、遠見の魔法を使て遠方を見ます。

「あれは!? まさか……」

「そうだ――まったく、アイツは嫌な奴だろ?」

 先生は私に視線を向けて仰ると、少し真剣な面持ちになり、さらに言葉を続けます。

「フローラ、私はこれから、彼奴らを確実に捕らえる為に広域魔法を掛ける。いま少しの間、彼奴らの気をこちらへと向けておいてくれないか。君ならできるだろ?」

「承りましたが、先生――いったい何をなさるおつもりですか?」

「いや、なに、目くらましをね……あのように、獲物を追い込み舌なめずりしてふんぞり返った男が、実は自分が追い詰められていたのだと気づいたとき、どのような反応をするのか、見てみたいと思わないかい?」

「……それは、余りにも人が悪くございませんか?」

 アンドゥーラ先生は既に、呪文の詠唱に入っておられて、私の言葉には悪戯めいた笑みを返しただけでした。
 私は意を決して、馬車の影から出て、近衛騎士の側へと歩みます。するとメアリーが、私の斜め後ろに付き従うようについて参りました。

 背後からは、「状況は切迫していると思うのですが、アンドゥーラ先生とフローラの話を聞いていると、まったく危機感を感じないのは何故でしょう?」と、マリーズがぽつりと呟きます。
 マリーズは、リラさんとミームさんが両脇を固めるようにして守っておりました。
 その隣では、緊張した面持ちのクラウス殿下と、彼を守るようにレオパルド様が剣に手を掛けておられ、アルメリアは、少し興奮したように顔を赤く染めていて、彼女も、戦いになったらいつでも参加できるように剣に手を掛けています。
 ただリュートさんだけが……先ほど彼の脇を通り過ぎたとき――彼らしくない、まるで凶暴な獣のように光る瞳で、強い視線をあの大男に向けておりました。
 考えてみますと、彼の雰囲気が変わったのは、私がヲルドという名を出した後からであったかも知れません。
 そのほかのアンドルクの方々も、いつでも戦える用意をなさっておりました。

「エヴィデンシア夫人!? いったい何を……?」

 突然、横合いに歩み出た私に気づいて、近衛騎士のお二人が驚いて声を上げ、私を押しとどめようといたしました。
 しかし、すぐに別の何かに驚いて、そして何かに納得したようにその身を引きます。アンドゥーラ先生が魔法で、彼らの耳だけに言葉を届けたのでしょう。

「おうおう、なんだなんだ? えらく貧相な娘が出てきたな。俺は、聖女にはようがあるが、農奴にはようはねえぞ!」

 掛けられ慣れた嘲りの言葉を静かに受け流して、私は口を開きます。

「あなた方。バレンシオ伯爵が飼っていた、ヲルドとか仰る賊ですね」

 私の言葉に、男から怒りの気配が漂いました。

「……俺たちが飼われていただぁ? いい度胸じゃねえか小娘。……バレンシオの野郎は、俺たちが扱う商品を流す、良い金づるだっただけだ!」

「アンタ!」

 男が失言いたしました。
 それに気付いたのでしょう、男の斜め後ろに控えた賊の一人が声を上げました。甲高い声です。それは一言でございましたが、私には聞き覚えのある声でした。
 よく見ますと、声を上げた賊は細身で、その身を包む衣服は胸の辺りが膨らんでおります。顔を覆う布から覗く瞳は赤く、鋭い目付きをしておりました。
 私は、軽く息を吐きます。

「……やはりそうでしたか。では貴男がヲルドの首領で間違いございませんね。そして――お久しぶりです。王家のお茶会以来ですね。そちらの貴女は、ルブレン家で侍女をなさっておられたシェリルさんですね」

「……まったく、男は簡単に挑発に乗っちまうから始末に悪いよ。まさかアンタがここに居るなんてね。街に潜ませた野郎ども……いい加減な情報を伝えやがって」

 彼女は忌々しそうにそう口にいたしました。

「ハッ、何言ってやがる。俺たちの正体が知れたところで、目的の獲物を引っ捕らえてとんずらしちまえば問題ねえ……その代わり、獲物以外は皆殺しだがな」

 男は鬱陶しそうに顔を覆う布を取り払うと、傷だらけの凶悪な顔に下卑た笑みを浮かべました。
 男の発する暴力の気配は恐ろしいものですが、あの茶会の折りにバレンシオ伯爵から向けられた殺意に比べれば、顔色を変えずに受け止めることのできる程度のものです。
 私は、静かに問います。

「ということは貴方たちの目的は、バレンシオ伯爵を殺された事への復讐ではなく、身代金ですか?」

 私の冷静な態度に、男は気を抜かれたように口を開きました。

「なんで俺たちがバレンシオの復讐なんぞしなけりゃぁならねえんだ? 俺に恥を掻かせてくれたこのオルトラントから、たんまり金をせしめなけりゃぁ気が収まらねえ」

 私は、彼の余りにも身勝手な言い分にあきれ果ててしまい、大きく息を吐き出しました。

「……先生、もうよろしいでしょうか?」

 彼らの目的は聞き出せましたし、時間的にもそろそろだと思うのですが。

「ああ、フローラありがとう」

 そのように仰りながら、アンドゥーラ先生が私の横に進み出ました。

「……どちらにしても、君たちはもうおしまいだ。無駄な抵抗をせずにおとなしく捕まりなさい。ここに私がいることを知らなかった時点で既に君たちに勝ち目はない」

「カッ……カランディア魔導爵……」

 シェリルさんが、絶句いたします。

「魔導爵がどうした! そんなもん魔法を唱えるまえに殺っちまえば問題ねえ! テメエら! 殺れぇぇぇぇぇぇ!」

 男がそう声を張り上げ、その前に居並ぶ男たちが抜剣して、馬を進めようといたします。

「魔法はとっくに唱えてあるよ。言っただろ、私がここにいると知らなかった時点で、君たちに勝ち目はないと」

 アンドゥーラ先生はワンドを振り上げ――そして、彼らに向けて差し下ろそうといたします。
 ですがその時、私たちの横合いから白い影が飛び出しました。
 それは、剣を抜き放って賊へ――いえ賊の首領へと向かって駆け出したリュートさんです。

「なッ! リュート、何を!? くぅッ――仕方ない!」

 先生は僅かに躊躇いたしましたが、ワンドを賊たちの方へと向けて差し下ろしました。
 その途端、襲いかかろうとした賊たちが、騎乗した馬ごと地面に倒れ込みました。まるで上空から透明な重量物が彼らの上に落ちてきたように……。
 しかしただ一人、その魔法の範囲に入っているはずのリュートさんは、魔法が発動したときに、一度片膝を突いたものの、ゆっくりと立ち上がりました。そして賊たちの首領へと向かって、手にした剣を引きずるようにして、一歩、また一歩と、歩みを進めます。
 私たちからは彼の背しか見えませんが、その背からは確かな怒りがほとばしっておりました。
 地面に押し付けられた賊たちは、皆何とか立ち上がろうと身悶えますが、誰一人立ち上がることは叶いません。

「なッ、何だ、これは!?」

「くぅぅぅッ……」

 賊の首領も、シェリルという女も、まるで地面へと縫い止められてしまったかのようです。
 彼らは、迫り来るリュートさんに気を向ける余裕もございません。

「これは重化の魔法と言ってね。君たち自身の重さを何倍にもするものだよ。まあ厄介なのは、効果範囲に入った者、皆に効果が出てしまうことなのだが……まさか、耐えきれる者がいるとは……」

「先生! よろしいのですか!? リュートさんはあの男が、ご両親の仇であると気が付いておられますよ! 彼は、あの男を討つもりでは……」

 先ほど彼の脇を通り過ぎたとき見た、凶暴な獣のように光る瞳……あの首領を睨んでいた強い視線の意味を悟った私は、先生へと知らせます。

「おっ、おい! そいつを止めろ……何だそいつは、何で? 何でそんな目で俺を見る!?」

 近寄ってくるリュートさんに気付いた首領が、声を震わせて叫びます。
 私たちからはリュートさんの表情は分かりません。しかしあの男の様子を見る限り、よほど恐ろしい殺意のこもった視線を向けられているのでしょう。

「……十一年前、バーンブラン辺境伯領の外れ、フリュクの森でボクの父さんと母さんを殺したのはお前だな! 婆ちゃんが言ってた。『そいつはいまヲルドという盗賊団の首領になっているようだ』って……」

「なッ、まさか――白竜の愛し子が、あの男の息子だってぇのか!? おっ、おい待てよ――俺は、バレンシオからの依頼で仕方なく」

 リュートさんが、引きずるようにしていた剣を懸命に振り上げます。

「リュート……いいのかね。一時の気持ちの昂りに任せて、その男を殺してしまって」

「アンドゥーラさん、止めないでください……ボクは、ボクは……」

 リュートさんは、振り上げた剣をブルブルと震わせております。それは、アンドゥーラ先生の重化の魔法の影響だけではないでしょう。……彼は人を殺したことは無いはずです。
 先ほど、もし先生の魔法の影響を受けていなければ、間違いなく彼は、あの男へと駆け寄り切り捨ててしまったでしょう。
 しかし一気に燃え上がった気持ちの昂りは、魔法の影響を受けて男の元までたどり着く間に、僅かでも静まった筈です。理性を呼び覚ますには十分であったでしょう。

「まあ、止めるつもりは余りないのだがね。いまのその男の態度を見る限り、傲慢で見栄張りのようだが、思ったよりも小心者だ。その男、どちらにしても捕まれば、市中で公開処刑されるだろう……この場で君に刺し殺されるのと、どちらの方がより屈辱的だろうかね……」

 先生はそのように言って、リュートさんの心に剣を収める道を示します。

「どちらを選択しても、ここに居る者たちはそれを受け入れるだろう。君には間違いなく仇を討つ資格があるのだからね」

 リュートさんが……ゆっくりと剣を下ろしました。

「ボクの父さんと母さんは誰に見取られることもなく命を失った……お前は……人々からの憎悪の視線を浴びて最後をむかえろ」

「ハッ、ヘヘッ、小僧が……臆病風に吹かれやがった。ハッ! いいか、俺たちは魔法が切れるまで待ってれば反撃できるって事だ……、待ってろ、魔法が切れたら小僧、テメエは殺す! そこの取り澄ました魔女、お前のその顔も切り刻んでやるからな!」

 男は憎々しげにそう吐き出しますが、アンドゥーラ先生は取り澄ました顔のまま口を開きます。

「残念だがそれは無理だよ。魔法が切れたらその時は、君たち全員捜査局に拘束されることになるだろうからね。後は任せるよライオット卿」

 先生はそう仰いますと、今ひとつ掛けてあった魔法を解除いたします。
 その途端、倒れ込んだ賊たちの向こうに、多数の兵の姿が現れました。アンドゥーラ先生が掛けた魔法、身隠しと消音の魔法の効果が途切れ。辺りは、この賊たちを追って来たらしき兵たちの喧噪に包まれます。
 そして、その彼らの前にはバーズ捜査局長の姿がございました。

「やあやあ、危ないところであった。早く言ってくれないかアンドゥーラ卿。いま少しのところで、その重化の魔法とやらの中に、俺も飛び込んでしまうところであったよ」

 ライオット様は相変わらずの剽げた調子でそうおしゃいます。
 先生は魔法を使ってライオット様と打ち合わせていたのでしょうが、重化の魔法についての連絡はしておられなかったのですね。

「潰れてしまえばよかったものを……」

 私の隣でぽつりと呟いたアンドゥーラ先生の言葉は、とりあえず聞かなかったことにいたしましょう。

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