モブ令嬢の旦那様は主人公のライバルにもなれない当て馬だった件

獅東 諒

第四章 モブ令嬢と始まりし試練

「フローラ……本当に行くのか?」

 アンドゥーラ先生との待ち合わせ場所に向かう為に、館から出ようといたしましたら、見送りに来られたお父様から、そのように声を掛けられました。
 玄関のドアの向こう、お父様の濃い緑の瞳から、私の真意を今一度確認するように視線が向けられます。
 お母様も、杖をつくお父様を軽く支えるようにしながら、明るい赤みがかった黄色の瞳を私に向けています。
 お母様は何も仰いませんが、私と視線が合いますと、頷くように瞼を軽く伏せました。その動作には、私を後押しするような意識が感じられます。

「はい、お父様――旦那様の捜索はセバスたちに任せます……。私は、いま自分が成さねばならないと考えることを成します」

 私はあの方が仰った試練とは、クルークの試練そのものであると考えておりました。……ですが、既に試練は始まっていたのかも知れません。
 これは考えすぎかも知れませんが、この旦那様が居られなくなった事すら……もしかしたら試練の一部であるのかも知れないのです。
 私がこれまでの――そしてれからの事態にどのような判断するのか? それすらも私への試練なのかも知れません。

「昨夜申しましたとおり、アンドゥーラ先生と私は、調査の為に赴くのですから、大きな危険はないはずです。それに、クルークの試練が課される迷宮では、バジリスクの毒を完全に打ち消すことができる魔法薬、それを製造する為に使える素材が手に入る可能性がございます」

 私は、チクリと胸を痛めながらも、アンドゥーラ先生の誤解から生じた言い訳を口にします。
 そんな私を、お父様は痛ましそうな表情で見ています。そして口を開こうとしては閉じる。ということを何回か繰り返した後、意を決したように言葉を発します。

「最悪……グラードルは戻らぬかも知れないぞ……それでも行くのだな……」

 私はグッと唇を噛みます。
 お父様の仰る意味は、旦那様が、トライン辺境伯領への派兵を前に、逃亡なされたかも知れないという事でしょう。

「お父様……旦那様は、止むに止まれぬ理由があって居られなくなったのだと、私は考えます。旦那様はきっと戻ってまいります」

「お前がそのように言うのであれば、きっとそうなのだろう……。我らはお前たちの無事の帰りを待っているぞ」

 お父様は生真面目なご様子で仰いました。
 するとお母様がお父様から離れて、私を優しく抱きしめます。

「いいですかフローラ……貴女にもしものことがあれば、それこそ貴女の大事な旦那様は後を追ってしまうわよ。だから、絶対に無事で帰ってくるのですよ」

「大奥様、私がこの身に代えても奥様をお守りいたします」

 私の背後で控えていたメアリーがそのように言いました。

「何を言うのですかメアリー。貴女たちも必ず無事で戻りなさい――いいですね」

 お母様は、私から身体を離して、いつものふわりとした調子ではなく、厳しい口調でそう命令いたしました。
 それは厳しくも優しい命令です。

「分かりました大奥様……奥様も私たちも、きっと無事で帰ってまいります」

 そう言って薄く笑ったメアリーに、私は初めて、年相応の笑顔を見た気がいたしました。





「なんと、そのような事が……君にぞっこんの、今のあの男が、君を捨ててどこかへと逃げ出すわけがない。確かに何かがあったのだろうね……このような状況でなければ、私も君の館を調べたいところだが、どう考えても優先順位はクルークの試練だからね」

 合流前に起こった出来事を聞いたアンドゥーラ先生は、腕を組んでそのように仰いました。
 私たちは、貴族や上級市民が多く生活する第二城壁内の市門が開け放たれるのを待ってすぐにトライン辺境伯領へと出立いたしました。
 少し前に第三城壁の市門を抜けたばかりです。
 第三城壁を抜けるとそこは、城壁の守りのない場所になります。しかし、王都であるオーラスは、建国の後これまで一度も周辺を脅かされたことがございません。
 そのため第三城壁の周りにも、現在では多くの人が住み着いております。ですが城壁内とは違って、治安は悪いと聞き及んでおります。

「まあ、一つ良かったことがあるとすれば、先日の件で、デュルクの奴がグラードル卿の容態を知っているということだろうね。でなければこのような時だ、体調不良という言い訳は通用しないだろう。最悪軍法会議にかけられるところだよ。……しかし、事情を知らぬ者たちからは、『新政トーゴ王国との戦争に怖じ気づいた』と、白い目で見られるかも知れないね」

 流石に事が事ですので、軍務部への連絡は、お父様にして頂くことになっております。ですが、確かにアンドゥーラ先生の仰るとおりでしょう。
 旦那様がこれまで努力して築き上げてきた、お仲間たちからの信頼は、今回の件で大きく損なわれるかも知れません。

「それにしても、侍女の彼女は想像していたが、それ以外に三名も連れてくるとは思っていなかった。大型の馬車を手配しておいて良かったよ」

 先生の視線は私を通り越して、その先を見回します。そこには、メアリーを初め以前に旦那様救出に尽力いただいた三名の男の方がおりました。
 皆様、早い時間にかき集められたからでしょう、メアリー以外は横になって眠っておられます。

「この馬車は長距離移動用のものだからね、あと二、三人は乗れるだろう。迷宮で採取した物を積み込む為に大型の馬車を頼んでおいて正解だったね」

 今回私たちが乗車している馬車は、幌馬車と呼ばれる車体の周りを幌で覆った形のもので、車体の上部に半円形の骨組みが何本も通っていてそこに幌が張られています。
 今は、白んできた日の光を取り入れる為に、その幌の脇がたくし上げられて外の様子を見ることができるようになっております。

「のどかなものだね。遠く、トライン辺境伯領では既に戦いの幕が開いているだろうに……」

 先生は、王都周辺にある穀倉地帯に差し掛かった風景を目にしてぽつりと呟きました。
 確かに……今この瞬間にも、トライン辺境伯領では、多くの方の命が途切れているのかも知れないのです。

「奥様、アンドゥーラ様、後方から馬車が二台追ってまいります。お気をつけください」

 メアリーが、王都の城壁を遠くに望む街道を凝視して居ります。先ほどまで横になっておられた方たちもいつの間にか起き上がって、武器に手を掛けておりました。

「この時間は、都市間を移動する商人たちも多い。気にしすぎではないかね」

「普通の馬車をあのような速度で走らせるわけがございません。それに、先ほどから御者の意識が明らかに私たちの馬車に向けられております」

 メアリーの言うように、馬車はグングンと私たちの乗る馬車へと迫ってきます。
 しかし私は、どこか既視感のようなものを感じました。

「お待ちください。……あの馬車には見覚えが……」

 私はすかさず遠見の魔法を使って、こちらに迫ってくる馬車を確認しました。

「あれは……何で!? あの馬車はマリーズの……それにいま一台はクラウス様の馬車です」

 いったいどういう事でしょう。何故、あのお二人の馬車が私たちを追って来たのでしょうか?
 そのような事を考えている間に、馬車は私たちの乗る馬車へといよいよ追いついてまいりました。

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