モブ令嬢の旦那様は主人公のライバルにもなれない当て馬だった件

獅東 諒

第四章 モブ令嬢と旦那様と謁見の時(中)

 アンドリウス陛下とブラダナ様の鋭い視線を受けて、旦那様は居住まいを正します。

「どちらにしましても、その話もするつもりでおりました。……ですが、その前にブラダナ様に伺いたいことがございます」

 旦那様は身体をブラダナ様の方へと向けますと、祈りのときのように両の手を握り合わせて、テーブルの上へとその手を静かに置きました。

「……なんだい、畏まって。ここで言うって事は自分の館でも口にできなかったって事だろう?」

「ブラダナ様…………貴女は、白竜王ブランダル様ではございませんか?」

 旦那様から放たれたその言葉に、ブラダナ様はアンドリウス陛下とアンドゥーラ先生と顔を見合わせました。
 次の瞬間、お三方は吹き出すように笑い出します。

「マッタク――何を馬鹿な事を言い出すのかねグラードル卿。よりにもよって師がブランダル様などと……」

 言いながらもアンドゥーラ先生は、クックックッっと笑いを噛み殺しながら腹を抱えております。
 陛下もいかにも愉快そうに旦那様を見て、口を開きました。

「いやいや、茶会の席でもライオスに同じような事をやっておったが、それがおぬしの手というわけか……突然疑問の核心を突いて、失言を誘うというわけだな。見事に決まれば鮮やかに見えるが、このように外れるとだいぶ間抜けに見えるものだな」

「だけどどうしてそんなことを思ったんだい?」

 ブラダナ様は笑いを収めて、真剣な面持ちになりました。
 旦那様は残念そうに僅かに顔を伏せ、テーブルの上で握り合わせた手を見つめます。
 ちなみに、アンドゥーラ先生がただ一人、いまだにクックックッっと笑いを収められません。
 あの先生……そこまでおかしいですか? それは旦那様というより、ブラダナ様に失礼な気がするのですが……。

「私の願望も含まれていたのですが……外れておりましたか。実は、これから話すことは、白竜王ブランダル様の耳にも届けて頂きたい事柄が含まれているのです」

 ブラダナ様が片眉を上げて、旦那様の真意を探るような光を、その深い海のような蒼い瞳の中に浮かべます。

「ほう……それほどに重大な告白ってわけかい……」

 ブラダナ様は、何故かアンドゥーラ先生に視線を送ると、少し悲しそうな表情を浮かべました。

「この娘にだけは見せるつもりはなかったんだけどねぇ」

 しかし、すぐにその表情を収めてアンドリウス陛下に視線を向けます。
 陛下もその視線を受けて少し考えるようなご様子を見せました。

 しばしお二人で視線を交わした後、陛下が「仕方なかろう。此奴こやつの告白がそれほどのものだというのなら、こちらもそれに応えるべきだろう。尊きお方には労をお掛けすることになるがな」と、仰いました。

 ブラダナ様は、軽く息を吐いて旦那様へと視線を戻しました。

「あの方は先ほどからずっと興味津々で見ておるよ……そうだねえ。グラードル坊や、アンタの考察――当たらずとも遠からずなんだよ……」

 そのように仰り、ブラダナ様は目を閉じます。それと同時にブラダナ様の白に灰を振りかけたような髪色から、灰色の部分が抜け落ちて、リュートさんのような純白に変わります。

「……このようにな」

 その言葉は明らかにいつものぶっきらぼうなブラダナ様のものではなく、威厳を含んだ重々しいものでした。
 そして言いながら見開かれたブラダナ様の瞳は、虹彩が白くなっており、リュートさんと同じ瞳の色になっておりました。

「…………エ゛ッ!?」

 ブラダナ様の変化に、そのような声を上げたのは、いまだに腹を抱えて、笑いを押し殺していたアンドゥーラ先生です。まるで旦那様が驚愕したときのような口調でした。目が見開かれて口をパクパクとさせております。
 私も十分に驚いているのですが、先生のあまりの驚きようにかえって冷静になってしまった気がいたします。

「ブラダナはな……私、ブランダルの遠き子であり、友であり、目であり耳であるのだよ。我が仲間の慈しみを受けし者たちよ。……魂にクルークとシュガール、ヨルムガンドにノルムの残滓までが見える……」

 そのように仰るブラダナ様を前に、呆然としておりましたら、アンドリウス陛下が静かに席を立ち片膝を突くと、お腹の前で両の手を組み、手の親指を額に一度付けるように掲げて元の位置に戻します。
 王に対する礼と、竜王様への祈りが混ざった仕草です。
 旦那様と私も慌てて陛下に倣います。それに、アンドゥーラ先生が戸惑った様子で続きました。

 それにしましても、ブラダナ様――(この場合はブランダル様と言った方が良いのでしょうか?)は、私たちを見て、銀竜王クルーク様と金竜王シュガール様、さらに黒竜王ヨルムガンド様に地の精霊王ノルムの名を上げましたが、私、クルーク様とノルムは心当たりがございますが、シュガール様とヨルムガンド様は?
 そういえば旦那様が昔シュガール様を目撃したことがあると言っておりましたが、その時に何かあったのでしょうか?
 それに、邪竜となられたヨルムガンド様の邪杯から散ったという、穢れた欲望が以前の旦那様の魂には染みついておられたそうですので、それも関係しているのでしょうか?

「ブランダル様、お久しゅうございます。お慰みにブラダナの目に映るものを見ておられる事もあるかとは思いますが、四年ぶりに言葉を交わさせて頂き恐悦至極の存じます」

「アンドリウス……久しいな。と言うべきか――私にとっては数日前と余り変わらぬ。おぬしたち……椅子に掛けるが良い。そのような姿では話もまままらぬ」

 ブランダル様に促されて、私たちは席に掛け直します。

「これは……いったい?」

 旦那様は遠慮がちにアンドリウス陛下に尋ねました。

「今、ブランダル様が仰ったように、バーンブランの一族は遠き昔、第一世代の竜と人間の間に生まれた者たちの子孫なのだ」

「……では、バーンブラン辺境伯が代々、ブランダル様と王家の橋渡しになっていたというのは……」

「そうだ。バーンブランの一族には、時としてブラダナのような、ブランダル様のための聖女と呼ぶべき者が生まれるのだ」

「なるほど……それで……」

 陛下の話を聞いて、旦那様は得心いったご様子です。
 おそらくは、旦那様が生まれ変わる以前の記憶にある、ゲームという物語の中の出来事と整合性がとれたのでしょう。

「して、グラードルと申したな、私に話とはいったいどのようなものだ」

 アンドリウス陛下と旦那様の遣り取りを、静かに目にしておられたブランダル様が口を開きました。
 旦那様は表情を改めますと、ゆっくりと一度私と視線を合わせてから、アンドゥーラ先生、アンドリウス陛下、そしてブランダル様へと視線を動かしました。

「これから話すことは、皆様には妄言と取られるかも知れませんが、現在の私の意識は、おそらくグラードルとして生まれ変わる以前……前世の人間のものとなっております。そして、ここ直近二年余りの記憶もその前世の記憶と入れ替わっているのです」

 陛下との今回のこの謁見で、旦那様がご自身の秘密を、その場にいる方々に告げることは、私は事前に伺っておりましたので驚くことはございませんでした。しかしこの告白を聞いた陛下たちの反応は様々でした。
 ブランダル様は表情を崩さず。アンドリウス陛下は片眉を上げて、僅かに驚きとも呆れとも取れるような表情をなさりました。そしてアンドゥーラ先生は、ブラダナ様の真実を受け止めかねていたような表情から、満面に好奇心を浮かべて旦那様を見やります。
 ああ……これは、完全にいつもの標的研究材料を見つけたときの先生のご様子です。
 私、今後の旦那様の身が心配になってしまいました。

「事の起こりは本年の初め、トライン辺境伯領での国境の防衛戦に端を発します……」

 旦那様は、落馬事故の後からこれまでの話を淡々といたしました。
 そして、その話が一応の区切りの付くまで、誰も口を挟むことなく、淡々と静かにときは流れます。

「……それでは、君がフローラと婚姻の儀に臨んだときには、既に今の君であったということだね。……それで得心がいったよ。以前の説明では今ひとつ納得できなかったのでね。あのグラードルが、あのような事で心を入れ替えるなど……なるほど、どうりで……」

 アンドゥーラ先生は、新たな好奇心を満たす事柄を前にして完全にいつもの調子に戻りました。

「ブラダナも、おぬしの魂が浄化されておることに得心がいったと言っておる。生まれ変わりに関わっているのは金竜王シュガールであるので、おぬし、彼奴と何か縁があるのかも知れぬな」

 ブランダル様も、白い瞳に好奇の光を宿して旦那様を見つめております。
 アンドリウス陛下も、旦那様の告白を妄言と捉えておられるご様子は無く、興味深げに話を聞いておられました。

「そしてここからが、今回陛下との謁見を望んだ本題になるのですが、その前世の記憶の中に――この世界の記憶があるのです」

「この世界の記憶?」

 アンドリウス陛下が、片眉を上げて仰いました。

「はい。およそ二月ふたつき前から半年の間の記憶です。それは私の前世では『アドベンチャーゲーム』と呼ばれる、途中の選択によって、未来が分岐する物語なのです」

「では、おぬしはこれより先四ヶ月の未来が分かるということか!?」

 旦那様の告白に、陛下がはっきりとした驚きの表情を浮かべてそう仰いました。
 しかし、旦那様は難しいお顔で首を横に振ります。

「残念ながら……私が、今の私になったからでしょうか。既にだいぶその物語から道がずれてしまっております。ですが、その物語の中で起こる出来事が、今後起こる可能性が間違いなく高くなっているのです」

 旦那様はそう仰いますと一度目を瞑ります。そして、決心したように目を開くと言葉を続けました。

「先日の茶会の折りにローデリヒ殿が邪杯の欠片によって滅びました。……時と事情はまったく異なりますが、本来邪杯によって、あのように身を滅ぼすのは私のはずだったのです。そして、それが記された物語の題名は『白竜の愛し子』と言うのです。主人公の名はリュート。私はその中で、主人公や彼の好敵手ライバルにもあたらない、当て馬のような存在だったのです」

 旦那様のその言葉は、この場にいる皆様の表情に、明らかな好奇を浮かび上がらせるものでございました。

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