モブ令嬢の旦那様は主人公のライバルにもなれない当て馬だった件

獅東 諒

第四章 モブ令嬢と旦那様と過去と怨讐(中)

 修練場の人混みは、セドリック様やデュルク様が現れたことで、当初よりは少なくなりました。多分にデュルク様の威圧感によるものですが、それでもいまだに、旦那様たちの周りを遠巻きにしてぐるりと囲み込めるほどの人たちが好奇の色を浮かべて残っております。
 五ルタメートルほど離れた場所で相対している旦那様とライリー様は何か会話をしているようですが、取り巻く人たちの喧噪に紛れて、はっきりと聞き取ることは叶いません。

「このまま見ていても良いが、彼らの話していることを聞いてみたくはないかい?」

 アンドゥーラ先生が私とアルメリアに向かって、少し悪戯めいた表情をしながら、胸元からワンドを取り出しました。その様子を初めて目撃したアルメリアが目を丸くしています。
 私は既に見慣れてしまっておりますが、驚いているアルメリアを見ていて、これは慣れてはいけない事柄ではないかと、今更ながらに思い返してしまいました。

「聴音の魔法ですか?」

 私は、一瞬押しとどめようかと考えましたが、先日私も同じような事をしてしまったので、言葉が出せませんでした。

「まあ、そうだね。それの能力向上版かな。これまでの聴音の魔法は本人しか効果が無かったが、これは術者以外にも任意に効果を及ぼせるのだよ――このようにね」

 そのように仰ると先生は小さく呪文を唱えます。
 するとたちまち私たちの耳に、旦那様たちの声がはっきりと届きました。

『すまないがライリー、俺は今年初めに負った怪我で、一部の記憶が混濁しているのだ。俺は……妹御にどのような罪を犯してしまったのだろうか?』

 旦那様は、顔を青くなされたままそのように問い掛けました。
 それを聞いたライリー様が怒りに目を見開きます。いまにも旦那様に斬りかかりそうなほどの殺気が、私たちにも分かるほどの力を持って放たれます。ですがライリー様は、なんとかその怒りを抑え込んだように見えました。

『キサマ……貴様のせいで、妹の婚約は破棄された……。俺を養嗣子ようししとして迎えてくれたフォーザー子爵が、妹のために整えてくださった話であったものを……。貴様に身を穢された妹は……、そのせいで婚約者に汚れモノと罵られ……絶望して神殿に入ってしまったのだ』

 ライリー様は旦那様に向かって憎々しげに言い放ちました。

『『マジか……。ギャグシーン担当の当て馬キャラだから、最悪の事態はないんじゃ無いかと思ったのに……何してくれてんだ俺!』』

 旦那様の口から放たれた日本語は私たちの耳には聞こえましたが。それは、呟くように言い放たれたもので、ライリー様の耳には届かなかったでしょう。
 旦那様が時折話しておりますが、彼がゲームとやらの物語の中で、傍若無人な行いをしては失敗して痛い目にあうという役目を負わされた人物キャラであると聞くたびに、私は、いくら物語といえども酷いのではないかと思うこともございましたが、いまは、本当にそのような人物であってくれたら……と、切実に思ってしまいました。

「やはりフローラと結婚する以前はそのような事を……。それにしても……グラードル卿はたまに異国の言葉を話しているようだけど、あれはいったい何処の国の言葉なんだろう? フローラは知ってるかい?」

 アルメリアが私を気遣うように話題を変えました。

「あれは独り言の癖がある旦那様が、ご自身で創った……」

「テメーらの事情なんぞどうでも良いんだよ! そんなもんは後でじっくり話しやがれ! 俺は、テメーらの実力を示せって言ってんだ。とっとと始めやがれ!」

 私が旦那様の言葉について説明しようといたしましたら、旦那様たちから三ルタメートルほど離れた場所に立っておられるデュルク様が焦れた様子で声を張り上げました。
 その言葉に、旦那様とライリー様が木剣を構えます。

「フム。解説もあった方が良いだろう? デュクルの奴めは人としてはどうかと思うが、戦士としては一流だしな。範囲をあの二人の所まで広げるか……」

 そう仰って、アンドゥーラ先生はセドリック様とデュルク様まで、魔法の効果範囲に取り込もうと魔力を操ります。
 旦那様とライリー様は、間合いを計りながらジリジリと動き始めました。

『ところでよ、セドリック。あのライリーって野郎は、お前の所で期待してる人員だろ? 何で一時とはいえ交代させようなんざ考えたんだ?』

 デュルク様は、旦那様たちの動きを目で追いながら、そのように問いました。
 セドリック様も同じように、二人を見たまま答えます。

『……ライリーは、元々市民でした。彼は非常に上昇志向が強く、幼い頃からファーラム学園に入学することを目指して、入学金を貯めるために冒険者として依頼をこなしていたそうです。どのような経緯かは存じませんが、子に恵まれなかったフォーザー子爵の目にとまり、跡を継がせるために養嗣子として迎えられたのです』

 そう語るセドリック様の前では、旦那様とライリー様が二度三度と剣を打ち合わせました。
 私の目には、いまのところ互いの手の内を探り合っているように見えます。

『……彼の人生はこれまでほとんど思い通りに進んでいる。だが、私にはそこに挫折を味わったことのない者の危うい傲慢さを感じるのです。デュルク殿、貴男の所ならば彼に考える機会を与えられるのではと考えました』

『まったく……テメーは真面目だな。で? うちの期待の人員を引っこ抜こうってのはどういう魂胆だ? あの野郎、以前は袖の下を使って出世しようなどと考える大馬鹿者だったがな。まあ、袖の下は俺の飲み代に有り難く頂いたが……』

 そう仰って、デュルク様は眼光を強めて旦那様を見やりました。
 旦那様は、ライリー様が足元を狙って放った剣戟を飛びすさって躱します。

『だがよ……怪我の療養後、復帰してからまるで人が変わっちまった。積極的に訓練をするようになったし、攫われたとはいえ演習での立ち回りも見事なもんだった。最近じゃ配下の奴らもアイツのことを慕っている。さっきの百騎長ってのはたき付けるための方便だが、次の任務からは十騎長は間違いない。それに、先の茶会で陛下の目にも止まったって聞いたぜ? テメーはその場にいたんだろが、それだけでキサマがヤツを引き抜くとも思えねえ』

「まったく、戦いの解説を聞きたいのに、あの二人は何の話しているのだ。これでは却って耳障りではないか」

「先生、そのままでお願いいたします」

 先生が、お二人を聴音の魔法の範囲からはずそうといたしましたので、私は慌ててそう言いました。アンドゥーラ先生には旦那様とライリー様の事情はそこまで興味がおありで無いかも知れませんが、今の私は少しでも情報が欲しいのです。
 セドリック様は、顔は剣を切り結ぶ旦那様とライリー様に向いておりますが、チラリと視線をデュルク様に向けました。

『彼が陛下の目に止まったことは知れているのですね』

『ああ、出所がどこかは知らねーがな……』

 デュルク様がクックックッと、人の悪そうな笑みを浮かべています。

『だからよ……いまだにヤツのことをバカにしていた貴族のボンボンどもが、ヤツと知己を得られないものかと慌てていやがる』

『グラードル卿が傷を負われたことはご存じですよね?』

『そういえば、先ほどあの小娘も言っていやがったな。休養してるってぇ話は聞いたが……』

『彼は、陛下の目に止まった案件で毒を受けたのですよ。あのクルークの試練の折りに私がくらったバジリスクの毒を……』

 デュルク様は片眉をクイッと上げ、唇をゆがめるような笑みを浮かべました。

『……ほう。よく生き残りやがったな』

『つまりはそういうことです。今の彼に数ヶ月に及ぶ国境線を守る砦での任務は荷が重い。今も身体のだるさと微熱を抱えているはずです』

『それだけでか? それだけの温情を向けるほど、キサマとヤツに付き合いがあったとも思えねえが』

 ライリー様が、身体の重心を背後に残したまま、腕だけで突っかけるように二度三度と突きを繰り出します。
 旦那様はそれを、半身で前に突き出したままの剣を手首を捻るように動かすだけで危なげなく捌きました。
 セドリック様はその一連の動作をジッと見つめています。

『……彼に興味があることも確かです。私の耳にも彼の悪行は届いていた。だが茶会の折にも、先ほども感じたが、彼はとてもまっとうな人間だ……』

『ヤツがどうしようもねえ碌でなしだったことは間違いねえぜ。俺が証人になってやる。まあそれならあの小娘の方が興味深くねえか? あの娘と結婚してから人が変わったってぇ話だ。あの娘、アンドゥーラの弟子かなんかだろ、魔女の手管ってヤツかも知んねえぜ』

 そう言ってデュルク様は下卑た感じで笑い、私たちの方へと視線を向けました。

「まったく、奴らは立ち会いそっちのけで、何を愚にも付かないことを話しているのだ」

 先生は、意図したこととまったく関係のない話を聞かされてムッとしておられます。
 それを見たアルメリアが、どこか気を遣った様子で口を開きます。

「騎士団長たちには及びませんが、私が解説しましょうか?」

 ムッとした表情のままのアンドゥーラ先生が、チラリとアルメリアに視線を送って表情を緩めます。

「ふむ、それではお願いしようかね」

 旦那様は、自分と同じように前に出てこないライリー様に対して、始めて自身が大きく踏み込んで鋭い一撃を繰り出しました。
 ライリー様は、その攻撃の力を流すように巻き取ろうとします。旦那様はその流れに巻き込まれないように、剣の軌道を強引にねじ曲げて身体を離します。

「それでは……。見た感じ、ライリー殿も私やグラードル卿と同じ柔の剣の使い手ですね。受け流しからの切り返しが特徴で長期戦に強いのですが、同じ型同士の戦いでは技量の差が如実に表れます。先ほどから互いに打ち込みきれずにいるのは技量が近いということです。しかし……」

『……あの野郎。また成長していやがる。おいセドリック。こりゃあ勝負が分からなくなってきたぞ』

『どういうことですか? 私には技量は均衡しているがまだライリーの方が勝っているように見えるが』

『オメエは知らないだろうがよ。ヤツはついこの間までまともに剣も振れなかったんだぜ』

 その言葉にセドリック様が軽く目を見開き、考え込みました。

「デュルク殿が言っておられるのは、人を切れる剣ではなかったということだと思います。私もフローラと結婚する以前のグラードル卿を知っていますが、昔の彼は、何も考えずただ闇雲に剣を振るっているだけでした」

 アルメリアが、先生と私が疑問を口にする前に説明してくれました。

『彼も、自分の体調には気付いているはずです。勝てば王都に残れるのだから。必死になって実力以上の力を発揮しているのでは?』

『ハン! 堅苦しい白竜騎士団の団長様は思った以上に人を見る目がねーな。今のヤツは以前と違う。冷静に、冷静に隙と勝機を窺ってるぜ。それに――目的は王都に残ることかねぇ……』

 セドリック様の言葉を鼻で笑い飛ばして、デュルク様は腕を組みます。
 旦那様とライリー様の剣戟は既に何十合と続いています。流れるようなやり取りは、どこか舞を見ているようです。

「……デュルク殿の仰っているとおりだと思います。私はグラードル卿が復帰なされてから修練の折には必ず剣を合わせています。今日の彼にはまるで勝てる気がしない。……凄い。怖いくらいだ」

 アルメリアの言葉には、明らかな賞賛の感情が乗っておりました。きっと彼女にはこのやり取りは私たちとはまったく別のモノとして見えているのではないでしょうか。

「それにしては、先ほどからグラードル卿の動きが悪くないかい。攻めているのがライリーという男の方が多くなっているようだが」

『……まさか……』

『おっ、気付いたかい。さっきから最小限の動作で相手の剣を捌いてる。まるでテメーの剣技みてーじゃねーか?』

「セドリック卿は盾の騎士として有名ですが、あの方の剣技は、柔の剣技の極地と言われています。その対極にいるのがデュルク殿です」

 アルメリアが、お二人の会話の補足をしてくれました。

『……そろそろ決まりそうだな』

 デュルク様がそのように仰いますのと時を同じくして、ガクッと旦那様の片膝が折れました。よく見ると旦那様の額や首筋にはダラダラと汗が流れておりました。
 セドリック様が深みのある青い瞳に同情めいた光を湛えています。

『体力が持たなかったか……』

 膝が折れ地面に足を付いた旦那様に、好機を見たライリー様が勢い込んで大きく踏み込み、旦那様の喉元に剣を突き出します。

「旦那様!!」

 木剣であっても喉を突かれれば、大怪我は必至です。私はその場面を幻視して、目を手で覆ってしまいそうになりました。
 その時、ボソリ――と、デュルク様の言葉が耳を打ちます。

『……バカめ、それが狙いだろうが』

 旦那様は自身の剣から手を放して、突き出されたライリー様の剣の平を、バシッと両の手で挟みました。そして地面に付いた片膝を後ろに引いて身を捻ると、自身の後方へと剣を強引に引き寄せます。
 その勢いに、ライリー様は前傾になった体勢を立て直すことができず。そのまま引き倒されてしまいました。
 旦那様は、奪い取った剣をライリー様の首筋に当てます。

「それまで!! ……おいおい、本当に勝っちまいやがったぜ」

 デュルク様は、まるでご自身が相手に勝ちでもしたように上機嫌なご様子でそのように仰いました。

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