モブ令嬢の旦那様は主人公のライバルにもなれない当て馬だった件

獅東 諒

第三章 モブ令嬢、ロメオとの協奏

「皆の者、直るがよい」

 アンドリウス陛下の力強い言葉が会場となった庭園に響き渡ります。
 こちらの庭園では園遊会が催されることが多いと聞いたことがございます。そのためか、回廊から張り出すように演台が設けられており、アンドリウス陛下はそこから声を掛けたのです。
 庭園は音の響きも考えて作られているのでしょう。陛下は声を張り上げてはおりませんがこの会場全体に声が届いたようです。

 私たちが立ち上がりますと、演台の中央にアンドリウス陛下が、――そして半歩下がって陛下の左側にノーラ様が立っておられました。陛下を挟んでノーラ様の反対側にリュートさんとマリーズがならび立っております。
 陛下はお二人に目線を送ると、開いた右手で軽く差し示します。

「本日は事前に通告してあった通り、こちらの白竜の愛し子である、リュート・ブランシュと七竜教の聖女、マリーズ・シェグラット・リンデルを主賓として招いておる。リュートは我が国の住人であり、そちらに招いたバーンブラン辺境伯の縁者に当たる。皆も知っておろうが、およそ百年ぶりに産まれた白竜の愛し子だ。これ以上の慶事そうはあるまい。以前の白竜の愛し子は、オルトラント王国が今日の繁栄を極める足がかりを築いてくれた。この者もきっとオルトラントに幸運を運んできてくれよう……」

 そのお言葉に、招待客たちから歓喜の声が上がります。
 陛下は、ゆっくりと庭園を見回します。

「……して、聖女マリーズだが、彼女はこの度、我が王国の誇るファーラム学園にて学識を深めるために留学を望み、我はそれを受け入れた。長年の朋友であるマーリンエルト公からもよしなにとの事だ。皆も、この二人が憂い無くオーラスにて暮らしてゆけるように気に掛けてくれ」

 アンドリウス陛下は、神殿の思惑も理解しておられるのでしょう。このような場所で公言することではございませんし、建前としては陛下の仰った事で間違いございません。

 陛下に促されて、リュートさんとマリーズは揃って、陛下の横へと並びます。リュートさんはぎこちなく、マリーズは優雅に。きっと一言挨拶するように言い含められているのでしょうが、リュートさん――大丈夫でしょうか。
 きっとこのような思いが、子供のお披露目を見守る母親のような心持ちなのでしょうね。

「リュッ、リュート・ブランシュでっふッ」

 ああっ、噛んでしまいました。旦那様が、あちゃーっ、っという顔をなさっております。
 私の斜め前におられるバーンブラン様とブラダナ様も、片手で隠すようにした顔を、少し下に向けて首を小さく振っております。さすがにご姉弟というべきでしょうか、見事に動きが揃っております。

「まあ、リュート様。そのように緊張なさって――皆様、申し訳ございません。白竜の愛し子様はバーンブラン辺境伯様の縁者ではございますが、市井でお暮らしになっておられたとのこと、このような場所は慣れておりません。リュート様も私も、現在ファーラム学園にて勉学に励んでおります。これより卒業までの間、皆様のご助力を頂く事があるかもしれません。その折には、どうぞよろしくお願いいたします。ああ、それから――神殿ではいつでも皆様のご援助を賜りたく思っております。そちらもどうぞよろしくお願いいたしますね」

 リュートさんの失態をマリーズがすかさず助けます。マリーズの事です、このような事もあるだろうと考えていたのでしょう、聖女として人前で話すことに慣れておられます。さすがですね。しかし、最後の言葉は……マリーズらしいといえば、らしいですが……ほら、ボーズ様とサレア様までブラダナ様たちと同じように……。旦那様は吹き出しそうになっておりますし。
 私がそのように、周りを気にしておりましたら、横合いから声が掛けられました。

「フローラ様、この後すぐに演奏になりますのでこちらにお越し下さい。レガリア様がお待ちです」

 レガリア様の支度を手伝っておられた侍女です。
 旦那様に演奏に向かうことを告げた私は、彼女に先導されて回廊の端から演台の裏へと回ります。
 演台の後方、回廊の屋根の下にロメオが置かれておりました。

「フローラ、こちらをアンドゥーラ先生から預かっておりました……これが話に聞いていた?」

 レガリア様がバリオンのケースを手渡して下さいました。アンドゥーラ先生が本日の演奏用にと運び込んでおられたのです。

「はい、以前我が家で所蔵しておりましたバリオンです」

 私は、ケースを開けて慣れ親しんだバリオンを手にいたします。

「手入れの行き届いた素晴らしいバリオンですね。何故、学園での練習に使用しなかったのですか?」

「私もできることならば使用したかったのですが、先生の個室以外では、いつどのように嫌がらせを受けるのか分かりませんので……」

「まあ、まだ貴女にそのような事をなさる方がおられるのですか……」

 レガリア様の輝くような海色の瞳に、キラリと剣呑な光が紛れ見えました。

「杞憂ならばよいのですが、こればかりは壊れては取り返しがつきませんし……」

「貴女に嫌がらせをなされることは、私たちの派閥に敵対することだと、いまいちど宣言しておいた方がよろしいかしら?」

「レガリア様、そのお言葉はありがたいものですが、強いお立場からの言動は反感を招く場合もございます。それに今申し上げましたように、これは私の杞憂ですので。実際にはレガリア様に庇護頂きましてより、僅かな陰口をたたかれることはございましても、以前のような嫌がらせを受けることは無くなりました」

「そうですか。それならばよかったです。それに、フローラの言うとおりですね。私、仲の良い方が理不尽な目に遭っていると聞くと、時折やり過ぎてしまうのです。悪い癖ですね」

 レガリア様とそのような話をしておりましたら、ロメオが使用人たちによって演台の上に運ばれてゆきます。
 私はその間にバリオンの調弦をして、いよいよ演奏のときがやってまいりました。

「皆様、宴遊のまえに、王家の茶会では恒例になっております、レガリア・フォーン・ルクラウス嬢のロメオの演奏をお楽しみ下さい」

 演台の前で、ノーラ様がそのようにレガリア様の紹介をいたしますと、この演奏を楽しみになされておられた方々から歓喜の声が上がりました。

「また、本日は彼女の強い要望により、フローラ・オーディエント・エヴィデンシア夫人によるバリオンとの協奏になります」

 そのように紹介が続きますと、会場にはどこか落胆と嫉妬めいた雰囲気が満ちました。

「ロメオの名手レガリア様の演奏に余計な雑音を……」

「法務卿の茶会で素晴らしい演奏をしたとか……」

「しかしあの髪と瞳の色は……なんとみすぼらしい……」

「あの農奴のような娘に、このような場で聞かせられる技量があるのか……」

「エヴィデンシア家――いまだに存在していたのか。とうに没落したものと思っていた……」

「そういえば、白竜の愛し子様と聖女様がエヴィデンシア家の館で生活しているとか……」

「……たしか、今のエヴィデンシア伯爵は、あの成り上がりのルブレン家の人間か、まさかそのようにして王家に取り入るとは……」

 王家の方々がおられるのでヒソヒソとですが、概ねそのようなことが呟かれているようです。
 実際のところ、レガリア様が今回の茶会にて、私と協奏したいと陛下に申し上げたそうなのです。当初は却下されたのですが、法務卿主催の茶会にての演奏の話を、レガリア様が申し上げて、さらに他の方からも、私の演奏の話が陛下のお耳に入ったのだとか。それで興味を持たれた陛下の許可が下りたのだそうです。
 ノーラ様がキッと、強い視線を庭園に送りますと、ざわめいていた招待客たちが静まりかえりました。

「それでは、お二人とも始めて下さいな」

 ノーラ様がそのように仰って、アンドリウス様がお掛けになっている席の隣へと移動なされました。
 レガリア様と私は、僅かに視線を合わせて演奏を開始いたしました。

 本日演奏するのは三曲です。
 一曲目は、ディクシア法務卿の茶会にて演奏いたしました『ファティマに捧ぐ』です。
 思えばこの曲のおかげでレガリア様とお近付きになれたのでした。
 しかし、オルトラント王国建国王、クラウス陛下を袖にした方に捧げられた曲ですので、アンドリウス陛下に却下されるのではと思ったのですが、レガリア様がその時のことをあまりにも熱く話されたらしく……また、バリオンの演奏技術が全て盛り込まれているというこの曲は、私の技量を測るのに最も適していると思われたのかもしれません。

 初めてレガリア様と演奏したときには、ロメオが伴奏という形でしたが、今回は曲中でお互いの楽器の強みを活かして協奏のかたちに編曲して演奏しております。
 初めは、私が失敗しないかと冷やかすような視線が向けられておりました。しかし次第に驚き、そして賞賛の視線へと移り変わってゆきます。一曲目の演奏を終えると、惜しみない拍手が私たちに降り注ぎました。

 二曲目は『優しき千年の風』レガリア様が最も好きだという曲で、私がルブレン家の茶会にて演奏した曲です。
 この曲は、元々キタンと呼ばれる弦楽器用の曲なのですが、レガリア様がそれは見事にロメオ用に編曲成されて、王家主催の茶会でも必ず演奏される曲目となっているのだとか。
 こちらは、レガリア様に敬意を表して私が伴奏するかたちで演奏いたしました。

 そして今回最後の曲目は『英雄たちの凱旋』。
 五百年前の黒竜戦争を戦い抜いた英雄たちをモチーフにした楽曲です。
 作曲したのが誰か分かっていないのですが、非常に活力に満ちた、力強いロメオのための楽曲です。
 不穏な音色から始まるこの曲は、黒竜王様が邪竜へと変じたことを暗示しているのでしょう。
 それから始まる、けたたましくも聞こえる音の連続、騒乱が始まります。その中に、次第に淡々と力強く、活力のある音色が混じり始めます。
 各地で生まれ始めた、僅かな希望……英雄たちの目覚め。
 騒乱の音色は、力強い英雄たちの音色に打ち負かされて、やがて英雄を象徴する力強い音色と邪竜を象徴する不穏な音色が戦い始めます。
 レガリア様も私も、額から汗が流れ出るほどに躍動、集中して音を紡ぎます。
 拮抗していた音の戦いは、次第に英雄たちの音色に押されて、ついには不穏な音色がかき消えます。
 そして穏やかな調が始まり、次第に凱旋の明るい音調へと変化してゆきます。

 あと少しで、この曲も終わります。演奏中の忘我の恍惚の中、突然、ぞくり――と私の背筋に悪寒が走りました。
 それは、刺さるような刺々しい視線。いえ、刺し殺されそうなほどに強い視線です。
 私は庭園の中にその視線の主を探しました。
 おりました。……間違いようもございません、あの方です。
 会場となっているこの庭園、その招待客用の入り口に立って、私をその視線だけで刺し殺そうとでもしているように睨んでおられる……きっと、あの方がバレンシオ伯爵でしょう。
 でっぷりと太っておられて、太い手足をしておられます。財を誇っておられるのか、手には派手な指輪をいくつも嵌めておりました。
 顔立ちは、茶会が始まる前にお目に掛かったローデリヒ様を、そのまま年老いさせたように見えます。
 ただし決定的に違っているところは、彼は私たちを嘲っておられましたが、バレンシオ伯爵は明らかに私に殺意を持っておられます。
 ギリリ――と、歯を噛みしめる音がここからも聞こえそうなほどに、きつく閉じられた口の両端が下がっております。

 私は、演奏中の恍惚から強引に醒まされて、この身が震るえだしそうになります。しかし、何とか気力と勇気を振り絞って、演奏を終えることができました。
 会場からは、一瞬の静寂の後、喝采の拍手が湧き上がりました。ですが今の私にはその喝采を受け取る余裕がございません。
 旦那様……少しでも早く旦那様のお近くに戻りとうございます。
 こちらを睨み続けているあの方から視線がそらせません。黒に近い赤色の瞳は血走っており白目まで赤く染まっております。
 彼の口が僅かに動いているのが分かりました。
 それは幻聴……だったのだと思います。

 ですが私には、呪うようなしわがれた声が、『オルドーに……エヴィデンシアに穢された……フローリア……。あのような娘だと知っておれば、もっと早く……あれは、この世に存在してはならん……』と、そうハッキリ聞こえました。

 気付くと全身が粟立ち、演奏で浮かび上がった汗が冷たいものへと変わっておりました。

「……ローラ、フローラ。どうなさったのですか? 他の方は気付かなかったようですが、最後の辺り音色が濁っておりましたよ」

 レガリア様が、心配そうに私を見つめております。

「申し訳ございません、緊張しすぎてしまったのかもしれません、少々気持ちが悪くなってしまいました」

 そう言った私の声は、震えていたかもしれません。

「まあ、それはいけません。この後陛下よりお言葉を頂くはずだったのですが、少し休みますか?」

「ありがとうございます。ですが、旦那様のお側に戻れば直に回復すると思います」

 心苦しいですが、正直に事態を話すわけにも行かず、レガリア様に嘘を付いてしまいました。

「まあ、フローラは本当にグラードル卿のことを慕っておいでなのですね。……そのように思える殿方に私もお目に掛かりたいものですわ。――分かりましたこちらのことはお任せなさい。私が取り成しておきますから」

 レガリア様は、そのように優しく笑って下さりました。ですが私は、そのお心遣いにお礼をする心の余裕もなくなってしまっておりました。
 一刻でも早く旦那様のお側に戻りたくて、手早くバリオンをケースに戻します。それをレガリア様に預けて、旦那様の元へ――、演台から足早に、庭園に設けられたテーブルへと歩み出してしまいました。
 その……レガリア様には呆れられてしまったかもしれません。

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