モブ令嬢の旦那様は主人公のライバルにもなれない当て馬だった件

獅東 諒

第三章 モブ令嬢と旦那様、王宮にて……

 ノーラ様と別れた私たちは、会場で客の給仕をする王宮付きの侍女に指定されたテーブルへと案内されました。
 会場は王宮の正面から右側に広がる広大な庭園です。
 王宮の庭園は、左側にもございますがそちらは秋から冬にかけて映える造りになっており、冬の庭園と呼ばれています。今回の茶会が開かれる庭園は夏の庭園と呼ばれ、春から夏に映えるように造園されているそうです。
 庭園には、今が盛りの花々が咲き誇っております。その中に、煌びやかな装いに身を包んだご婦人方が、艶やかさを競い合うように紛れております。

 案内されたテーブルには既に先客がおりました。
 ブラダナ様と、彼女に付き添われるようにして杖をついた老紳士――おそらく、彼がバーンブラン辺境伯でしょう。
 ブラダナ様の白の上に灰を振りまいたような髪色と違い、バーンブラン辺境伯は濃い灰色の髪をしております。瞳の色もブラダナ様は深い海のような蒼い瞳ですが、彼は薄い紫です。
 私たちの住む世界ハルメニアでは、七大竜王様、精霊王の祝福と加護の影響で、兄弟姉妹でも極端に違う色合いの瞳と髪色になることもございますが、お二人は比較的近い色合いかも知れません。
 さらに神殿の神官が纏う法衣に身を包んだ男性と、巫女服姿の女性がおられます。神殿長様と巫女長のサレア様でしょう。
 神殿長様は、おそらく四〇代後半くらいでしょうか、目鼻の線のしっかりしたお顔立ちで、瞳の色は深緑色をしております。オルトラント貴族と言われても納得してしまいそうな、端麗な容姿をしております。彼は神殿長冠という五角形に見える冠を頭に被っておられました。
 サレア様はマリーズが法衣をまとっているときと同じように、薄いベールを被っておられます。軽くお顔が隠れておりますが、お顔の輪郭はほっそりとしているのがわかります。ベールから覗けている唇は少しポッテリとしていて可愛らしい印象です。そして薄いベールの向こうに涼やかな水色の瞳が覗けています。
 こちらのテーブルは、リュートさんとマリーズの関係者で纏められているようですね。

「クロイツ・クルバス・バーンブラン辺境伯でしょうか? お初にお目に掛かります。ブラダナ様も本日はよろしくお願いいたします」

 旦那様は、近くにいたバーンブラン伯爵に声を掛けました。その声に明後日の方向を向いていたブラダナ様が振り返ります。 旦那様と私を目にしてブラダナ様が気安く笑いました。

「ああ、あんたらと一緒かい。まあ気を使わないのは良いことだね。クロイツ、リュートはこの二人の館にやっかいになってるんだよ」

 そう言ってクロイツ様に紹介くださいます。

「おお、貴公がエヴィデンシア伯爵か。姉上から話は聞いておる。リュートの奴めの扱いには苦労しておるのではないか? 彼奴が王都に向かう前、三月ほど館に預かったが、山奥で姉上が野放しで育てたものだから、誠に野生動物を教育するような苦労であった。彼奴め、礼法の教師から逃げ出しては、狩りにばかり出かけておったのだぞ」

 そう愚痴を言うクロイツ様の苦労が忍ばれます。我が家にてロッテンマイヤーと顔合わせをいたしましたら、意気投合しそうな気がいたします。
 旦那様もリュートさんが、礼法の教師から逃げ出すのを想像しているのでしょうか、少々呆れたような笑い顔になって口を開きました。

「幸いと……いいますか、我が家には優秀な家政婦がおりまして、その者も苦労しておりました。しかし――何とか無礼にならないほどには形になったと存じます」

「なに!? あのリュートを……。誠――エヴィデンシア家には優秀な人間がいるとみえる。それだけでも王都に寄越した甲斐があるというものだ」

 クロイツ様は、目を剥いて驚いた後、孫の成長を喜ぶような好々爺然とした笑顔を浮かべます。

「あんたら、神殿長と巫女長とも初めての顔合わせなんだろ? じじいと話し込んでないでちゃんと挨拶しな」

 ブラダナ様、ぶっきらぼうな調子でそのように言われました。
 そうでした! 何という無礼を……旦那様も私も慌ててお二人に向き直ります。

「これは失礼いたしました。神殿長様、巫女長様、エヴィデンシア家当主、グラードル・ルブレン・エヴィデンシアと申します。七大竜王様のお導きによりお目にかかれましたこと慶賀の至りに存じます」

「その妻、フローラ・オーディエント・エヴィデンシアでございます。七大竜王様のお導きによりお目にかかれましたこと慶賀の至りに存じます」

 旦那様と私は名を告げます。そして、お腹の前で両の手を組み、その手の親指を額に一度付けるように掲げて元の位置に戻しました。
 この出会いを頂いた七大竜王様に祈りを捧げ感謝の意を示します。
 私たちの挨拶を受けたお二方は、軽く驚きの表情を浮かべましたが、直ぐに微笑みを浮かべて、七大竜王様に祈り、「七大竜王様のお導きに感謝を」と、挨拶を返して下さいました。

 その後、神殿長様は、神殿長冠を外しました。禿頭とくとうが私たちの目に入ります。端麗な容姿をなさっておられる方は、このように禿頭になさっておられても、その端麗さを損なうものでは無いのですね。
 サレア様も神殿長にならいベールを外しました。長い艶めいた青髪が陽光にさらされ、流れる川のきらめきのような光を反射いたします。
 お二人は、私たちに向かって上位者に対する礼をいたしました。
 旦那様も私も、少々戸惑いましたが……もしかして、王宮は貴族の領域だからでしょうか、神殿では当たり前にする礼に対して、先ほどお二人は驚いておられました。

「お初にお目に掛かりますエヴィデンシア伯爵。私は神殿長のボーズ・キョーヨムと申します」

「巫女長を務めております。サレア・ファーリッシュと申します」

「ご丁寧な挨拶痛み入ります……」

 旦那様もお二方の挨拶に返事をなされると思ったのですが、旦那様はボーズ様に視線を向けたまま固まっております。

「旦那様…………?」

 私がそう声を掛けた瞬間。旦那様の口――いえ、頬がボンッ! と膨らみました。彼は慌てて口元を押さえます。しかしその口からは『ブッ!』と、息を吹き出したような音が漏れました。
 旦那様が身体を折り曲げて屈み込みます。
 ヒッ、ヒッ、ヒッ、と、どこか引きつって息ができないようなご様子です。
 突然の出来事に、周りの皆様も驚きで固まってしまっております。
 私は、屈み込んで旦那様の背中をさすります。

「だッ、旦那様!? どうなされたのですか! 大丈夫ですか!?」

「……大丈夫ですか? グラードル卿は、彼は何か持病がおありなのですか?」

 サレア様が、そう問いかけて下さいました。しかし私、この旦那様のご様子を拝見していて、彼が必死に笑いを堪えているのではという気がして参りました。
 おそらくは神殿長様の何かが彼の琴線に触れてしまったのではないでしょうか?

「だッ、ブッ、大丈夫です。クッ、少し、クッ、休めば……クヒッ――フローラ、ここでは迷惑になる――ヒッ、少し建物の影に……」

 旦那様が、ヒクヒクと痙攣したような状態のまま、何とか言葉を吐き出しました。

「申し訳ございません皆様、少し旦那様を休ませて参ります」

 私は、他の方々に旦那様が必死で笑いを堪えていると気付かれないように、ヒクヒクしたままの旦那様をなんとか立ち上がらせて、人の集まりから離れた建物の影へと連れ込みました。
 旦那様は必死に堪えていたらしい、笑いを解き放ちます。

「『ぼッ、ボーズって、ヒッ……神殿長なのにボーズって……ブッ、しかも神殿長、美男なのに本当に坊主だし、――それに何、キョーヨムって、経読むって、坊主経読む――美男なのに……ああっ、ダメだツボに嵌まった……』」

 ああっ、どうしたらいいのでしょうか? 旦那様の笑いの発作が治まりません。
 旦那様はお腹を押さえて、クックックとヒクついております。
 ………………そうです! 旦那様の琴線に触れた思いを、別のもので上書きしてしまえば……きっと!
 そう閃いた瞬間、私は行動してしまっておりました。

「『クックッ、ああっ、ヒッ、息ができねー、誰か助けて…………ング!! ッ、ムム…………』」

 私は旦那様を抱きしめて、彼の唇に自分の唇を重ねました。
 突然の出来事に、旦那様が目を白黒させております。……しかし、ヒクヒクしていたお身体の痙攣がゆっくりと治まってゆきます。

「旦那様…………落ち着きましたか?」

「フローラ……きみ。いや、落ち着いたというか、別の意味で興奮してしまたというか……」

 旦那様の笑いの発作は治まりましたが、お顔が真っ赤になっております。
 私は旦那様から離れて、自分の火照った頬を両の手で挟むようにして隠します。……きっと私も彼に劣らず、赤い顔になっていると思います。
 その……私は、自分から旦那様に口づけをしてしまいました。ああ、女性から殿方の唇を奪うなど、なんとはしたないことをしてしまったのでしょうか……。

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