モブ令嬢の旦那様は主人公のライバルにもなれない当て馬だった件

獅東 諒

第三章 モブ令嬢と旦那様と陛下と王妃

 光の月六月一日、金竜の金曜日。
 本日は昼後より、王家主催の茶会が王宮にて開催されます。
 上位貴族院の方々と下位貴族院の方々を中心に、また上位貴族の多くの方々が招かれており、さらに各行政部の長や局長なども招かれておられるそうです。

 お茶会に招待された旦那様や私たちは、職や学園を昼前で辞して一度家へと戻り、正装して王宮へと上がることになります。
 旦那様はいつもと同じように騎士団の白を基調とした正装です。私は以前ディクシア法務卿の茶会へと招かれたときと同じ薄い青色のドレスです。
 お母様のドレスを仕立て直した物ですので、形は流行から外れておりますが、我が家に残っているドレスとしては最も素材や仕立ての良い物です。

「すまないね。私たちも同乗させてもらうことになってしまって。しかしいい物だねぇ、最新式の馬車というのは。揺れは少ないし、尻が痛くないというのがなんとも良い」

 そう仰ったのはアンドゥーラ先生です。先生……淑女としてはしたないです。
 私たちはヴェルザー商会からお貸し頂いた馬車に乗り、王宮へと向かっております。ヴェルザー商会からは御者まで手配頂きました。
 そしてこの馬車には、私たち以外にリュートさんとアンドゥーラ先生が乗っております。

 実は、この一週間の間に、王宮へと上がる事に対して一悶着ございました。
 当初リュートさんの傍えパートナーをマリーズが務めるはずだったのです。しかし『王宮が神殿に要請した以上、王家の人間である自分が傍えパートナーとなるべきだ』と、クラウス様が主張なされまして、結局マリーズはクラウス様に連れ添われることとなってしまいました。

 立場上仕方がないとリラさんに言い含められておりましたが、最後までマリーズは頬を膨らませておりました。
 どちらにしましてもアンドゥーラ先生も招かれておられますので、リュートさんの手が空いたのは、ある意味では幸いでございました。
 先生は、「いや、リュートがダメだったら私が男装でもして、師、ブラダナを傍えパートナーとして出席しようかと考えていたよ」と、笑って仰いましたが、それはそれで問題がございます。

 ちなみにブラダナ様は弟のバーンブラン辺境伯が伴って出席なされるそうです。
 今回の茶会は聖女マリーズと白竜の愛し子、リュートさんを主賓に迎えて開催されますので、バーンブラン辺境伯たちは私たちと同じように関係者として招かれたそうです。
 マリーズの話では、神殿からも、神殿長様と巫女長サレア様が招かれておられるとか。

 私たちの前には、クラウス様とマリーズ、レオパルド様とレガリア様を乗せた王家の馬車も進んでおります。
 本日は多くの方の出席がございますので、馬車は私たちを降ろして後、待機場所として指定された軍務部と学園の教練場へと向かうことになるそうです。
 城門までやってきますと、衛兵から停車の指示が出されて馬車を停車いたしました。
 衛兵が、馬車の乗客と招待状を確認をいたします。前のクラウス様たちの馬車は軽く面通しをして内へと通されました。
 
「他の招待者は、まだやってきていないのですか?」

 旦那様が衛兵にそう問います。確かに、私たち以外の馬車が見えないのは不思議に思われます。

「ああ、茶会までにはまだ時間があるからな。主賓もおられるし貴方たちは早めに呼び出されたのだろう」

 旦那様の問いかけに、一人の衛兵が答えてくださいました。
 それから、馬車は門を通り抜けて城壁内へと入ります。そうしますと正面に王宮が見えて参りました。
 王宮は建物が横に広く伸びており、まるでおおとりが翼を広げたように見えます。
 オルトラント王国の王宮は、王都オーラスに三重城壁が完成した一五〇年ほど前に城塞型の城から、宮殿へと建て替えられました。

 宮殿を守る第一城壁は以前のままですので、城門をくぐると、初めて訪れた他国の方は驚くそうです。
 私も話には聞いておりましたが、城壁内に訪れたのは初めてですので、外と中の違いに戸惑ってしまいました。

 旦那様も「『マジか、石造りの城壁内に、ヴェルサイユ宮殿みたいな建物って……違和感が半端ない』」と、呟きました。驚いておられるようなので、旦那様も城壁内を見たことがなかったのですね。

 王宮前の広場で馬車が停止いたしました。
 私たちが馬車から降りますと、前方のクラウス様たちのところから近衛の騎士がやって参ります。

「皆様、こちらへお越しください。本日は庭園にての茶会になりますので、茶会の前にアンドリウス陛下が顔あわせをしたいとのことでございます」

 その言葉に旦那様が私の隣でゴクリと唾を呑んだのが分かりました。旦那様が緊張なされるのももっともです。私も、一生のうちに、アンドリウス陛下と直接顔を合わせる機会が訪れるなど、考えた事もございませんでした。
 それにいたしましても、今回の茶会が昼から開催されると聞きましたので、もしかしてとは思っておりましたが、庭園茶会だったのですね。
 近衛騎士に促されて、クラウス様たちの後に続き王宮へと入ります。
 クラウス様も含めて、私たちは全員応接の間へと通されました。

 しばらくの間、応接の間で待っておりますと、奥の扉を初老の従者が開け放ち脇へと控えました。
 そこから背の高い男性が入ってまいりました。背後に二名の近衛騎士が付き従っております。
 その男性は、私が聞き及んでいた年齢とは思えないほどに力強い雰囲気を纏っております。
 間違いございません、アンドリウス陛下でしょう。
 赤銀の瞳を持ち、毛量の多い赤茶けた髪を背後に流しております。それが南の大陸に生息するという獅子レオンたてがみを彷彿とさせます。
 骨格がすっきりとした顔立ちで、オルトラント王国の名に恥じぬ美男と呼べる顔立ちをしております。
 眼光が鋭く、押しつぶされそうな威圧感を放っております。レンブラント伯爵の怜悧な威圧感と違い、豪放な感じです。

「『うぉッ! 格好ェーッ、……まるで外人版、土方歳三』」

 アンドリウス陛下を目にした旦那様が、少し興奮したご様子で呟きました。
 格好良いという言葉は教わりましたが、後の方の言葉は教わっていません。ですが最後のは人の名前のような気がいたします。アンドリウス陛下が、ヒジカタトシゾウという方に似ておられるということでしょうか?

 クラウス様を初め、応接室にいた私たちは椅子から立ち上がり、マリーズとリュートさん以外は臣下の礼をいたします。
 リュートさんは一瞬、どうしたら良いかと視線を彷徨わせましたが、マリーズがニコリと笑って上位者に対する礼をしたのを目にして、同じように上位者に対する礼をいたしました。貴宿館にて練習していたのですが、雰囲気に呑まれてしまったようです。
 私たちはオルトラント王家の臣下ですが、マリーズはマーリンエルトの人間ですし、リュートさんは自国民ではございますが、臣ではございません。彼は、白竜王様の特別な祝福と加護をいただいた存在ですので、陛下に敬意を表しての礼となります。

「皆の者、頭を上げよ……」

 力強い声がアンドリウス陛下から掛かりました。陛下の鋭い眼差しが私たちをぐるりと見回します。
 視線が、リュートさんとマリーズを捉えました。

「我はオルトラント王、アンドリウスである。……そなたたちが、白竜の愛し子と竜の聖女か」

 アンドリウス陛下の言葉と視線を、マリーズは慣れた様子で悠然と、リュートさんは開き直ったのでしょうか、しっかりと正面から受け止めております。

「ひとときのこととはいえ、我が国に白竜の愛し子と、竜の聖女が揃うなど誠に慶賀な事だ。本日の茶会はそなたたちを主賓として開催される。楽しんでもらえると有り難い」

「陛下。この度はこのような場を設けて頂きましてありがとうございます。神殿を代表してお礼申し上げます。また、白竜の愛し子リュート様は、市井の出でございますので、このような場での挨拶になれておりません。彼に代わり礼の言葉を申し上げさせて頂きます」

 マリーズは貴宿館での態度が幻のように、聖女らしくそう言いました。
 それに合わせて、リュートさんも今一度礼をいたします。

「うむ、竜の聖女は如才ないな……ところで、そちらの二人がエヴィデンシア夫妻か」

 アンドリウス陛下の視線が私たちに移りました。この場でマリーズとリュートさん以外に陛下の知らぬ顔は私たちしかおりませんので、見分けるのは簡単なことでしょう。

「ハッ、陛下! 私はグラードル・ルブレン・エヴィデンシアです。こちらは妻の、フローラ・オーディエント・エヴィデンシアです」

 旦那様が騎士の礼をなされて名乗りを上げます。次いで私を紹介いたしました。私は、軽く頭を下げて礼をいたします。
 そんな私たちを、陛下は値踏みするようにじっくりと眺めます。

「……ファーラム学園の生徒とはいえ、貴族が館を貸出すとは面白いことを考える……考えたのはエヴィデンシア伯爵、けいか?」

「いえ、私ではございません陛下。我が妻、フローラの考えです」

 旦那様がそう言って私を誇るように見ました。私は内心で「しまった」、と思いましたが、態度には表さないように気を付けます。
 アンドリウス陛下は、薄らと目を細めました。

「ほう……そのような商い事は、ルブレン家の人間の発案かと思ったが……、奥方はエヴィデンシアの血筋であったな。あの誇り高きエヴィデンシアの人間がそのような事を考えるか……貧すれば鈍するというが、嘆かわしいものだな」

 陛下の言葉は、蔑むという感じではなく、ただ事実を述べるような淡々としたものでございましたが、その言葉を聞いた旦那様が、歯を噛みしめます。そして瞳に怒りにも似た決意の色がきらめきました。
 旦那様は私が止める間もなく口を開いてしまいます。

「恐れながら陛下……エヴィデンシア家の誇りは己の心の内に向かうものです。己の誇りを貫けているのならば、他者のそしりを恐れるものではございません」

 決然とした態度で言い放った旦那様のそのお言葉は、私にとっては嬉しいものです。しかし、陛下の言葉にそのような事を言い返すのは……。
 私と同じように考えたのでしょう、レガリア様やレオパルド様、マリーズも心配顔です。アンドゥーラ先生は呆れたご様子です。

「グラードル卿、無礼であろう! 父上に口答えなど――ここはお主の館とは違うのだぞ!」

 私の恐れを先回りして、クラウス様がそう旦那様を諫めます。しかしそれは旦那様を心配しての言葉ではございません。
 その証拠に彼のお顔には、この場ではご自身が立場が上であるという、優越感が滲んでおります。
 そのクラウス様を、アンドリウス陛下はキッと睨みました。

「クラウス。誰がお主に口を挟めと言ったか」

 そのように言われてしまい、クラウス様のお顔がみるみる青ざめます。

「すみません父上!」

 そう謝罪するクラウス様から視線を外して、陛下は私たちに向き直り、そして口の端を持ち上げて笑みを浮かべます。

「エヴィデンシア夫妻か……、ファーラムが面白い夫婦だと言っておったが、誠に面白い……。クラウスめが学園に通い、聖女マリーズの入居している館に、自分も入るなどと言いだしたときには、また此奴こやつが馬鹿なことを言い出したと思ったが、ファーラムの話を受け入れたことは間違いで無かったかもしれぬな……」

 アンドリウス陛下はそう仰いますと、それまで発していた威圧するような雰囲気をかき消しました。

「成人して二年もたっているというのに此奴クラウスは、いまだ子供のままだ。エヴィデンシア伯爵――そのエヴィデンシア家の誇りの一部でも此奴に授けてもらえると有り難い。……クラウス。お主もこの者たちの生き方から学ぶのだぞ。それはきっとお主にとって学園で学ぶ以上の宝となるだろう」

 それは、アンドリウス陛下がこの場で初めて見せた父としての顔でした。

「しかしなるほど。エヴィデンシア家に復興の兆しがあるとオルタンツめから聞いたときには、何のことかと思ったが、その兆しとはお主たちの事であったか……」

 アンドリウス陛下は満足そうに笑うと、「皆、本日は茶会を楽しんでゆくが良い」と仰い、控えた近衛騎士を伴って応接室を出て行かれました。
 陛下が部屋から出て行かれますと入れ替わるように、近衛の女騎士を伴った女性が部屋に入って参りました。若葉を思わせる緑の瞳に瑠璃色の髪を持った女性です。アンドリウス陛下の第一夫人、ノーラ王妃でしょう。
 しかし……アンドリウス陛下も年齢よりもお若く見えましたが、ノーラ王妃もお若く感じられます。たしか、陛下と同じ歳であったはずです。

 大陸西方諸国の貴族社会には三夫人制と呼ばれる慣習がございます。それは、第一夫人は広く全体を統轄しながら家の顔として社交界などの対外活動を、第二夫人は家を統轄、第三夫人は第一夫人と第二夫人の補助をするというものです。
 茶会など社交界の行事の仕切りは第一夫人の最も大事なお役目です。第二夫人と第三夫人が茶会に顔を出す事は、よほどに事情が無い限りまずございません。

「皆様、庭園へ移動いたしましょう。聖女マリーズ様、白竜の愛し子リュート様には茶会の開催後、出席なされた方々に紹介をいたしますので私たちと同じ席に、他の方々は別に席が設けられておりますのでそちらに移動頂きます」

 ノーラ王妃に先導されて茶会が開かれる庭園へと向かいます。
 その途中、ノーラ様が私の近くにやってまいりました。

「レガリアから少し聞いておりましたが、先ほどの様子を見ましても、あなた方夫婦の関係は、西方諸国の貴族とは少々変わっていると感じられました。女の身としてはうらやましい関係だと思います。しかし――それを表に見せるのは要らぬ騒ぎを起こしますよ」

 私が心配していたのと同じ事を、ノーラ様も感じたのでしょう。
『旦那様が、侮られますよ』と、ノーラ様はそう忠告してくださいます。
 このような会話をしているときに旦那様に側にいてほしいのですが、女同士の話と気を利かせたのでしょう。彼は少し離れて歩いております。

「それから、クラウスは私が腹を痛めた子ではございませんが、王家の次代を担う存在には間違いございません。あの子のことをよろしくお願いしますね。……フローラ。そう呼んでよろしいかしら?」

「はい、勿体ないお言葉、ありがとうございますノーラ王妃陛下」

「あら、そこまで畏まらずとも良いのよフローラ。貴女のお祖父様のあの事件が起こるまでは、エヴィデンシア家といえば譜代の名家だったのです。それに私の実家にも何代か前にエヴィデンシアの血が入っているのですよ」

 ノーラ様がそう言って悪戯っぽく笑います。

「だから私、エヴィデンシア家が持ち直そうとしていると聞いて、密かに喜んでいたのです」

 私はノーラ様の話を聞いて驚いてしまいました。ノーラ様のご実家は公爵家です。私も家系を全て存じているわけではございませんが、エヴィデンシアから公爵家へ嫁いだ方がいたとは聞いたことがございませんでした。
 しかし、ノーラ様は立派な方です。クラウス様は確か第二夫人の子であったはず。ご自身の子は第一王子トールズ様です。それでも王家の繁栄を考えて、クラウス様の成長を願っておられます。
 ノーラ様と、そのような話をしながら歩いておりましたら、茶会の会場である庭園までやってきました。
 庭園には既に多くの招待された貴族が集まっております。

「あら、だいぶ招待客が集まってきたようね。私、少々挨拶に回らなければなりません。フローラ――また後で、機会があったらお話しましょうね」

 ノーラ様は、近衛の女騎士を伴って、会場である庭園に集まる人の群れの中へと進んでゆかれました。

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