モブ令嬢の旦那様は主人公のライバルにもなれない当て馬だった件

獅東 諒

第三章 モブ令嬢と入居人たち(後)

 アルドラの作った菓子の美味しさに驚いたクラウス様が、彼女を王宮へと召し出すようにと、そのような無法な事を言いだして、皆が困ってしまっておりましたところに旦那様が帰宅いたしました。
 旦那様は、アンドリウス様よりの下知を盾にとってクラウス様を牽制いたします。

「遅くなってしまい申し訳ない」

 そう言いながらクラウス様たちの前にやってきますと、軽く礼をして空いていた席に座りました。

「無礼ではないか貴様!」

 そう声を荒らげたのは、クラウス様の後ろに控えた近衛騎士のひとりです。彼は僅かに腰に吊した剣に手を掛けました。
 しかし旦那様はその騎士に向けて手を差し出して、動作を止めます。

「……何を仰るのですか。本日貴宿館に入居した以上、この場でのクラウス殿下は第三王子ではなくファーラム学園の学生、クラウスなのです。先ほども申し上げましたが、このことはアンドリウス陛下よりの下知でございます。それに本来貴宿館は、遠領の懐の厳しい下位貴族や騎士爵の子息や令嬢たちを受け入れるために運営を始めたのです。この度のクラウス様たちの入居は特例であることを忘れないで頂きたい」

 クラウス様の後ろに控えた近衛騎士、そのひとりはクラウス様たちが貴宿館への入居を願うために訪れた折に同行なされていた方ですが、いま声を上げた方は、今日初めてお顔を見せた方でした。
 彼は、確認するようにいまひとりの近衛騎士に顔を向けます。顔を向けられた騎士は間違いない事を示すように小さく頷きます。それを見た彼は、不承不承といった感じで剣から手を離して姿勢を正しました。
 旦那様は視線をクラウス様に戻して、少し諭すような口調で言葉を続けます。

「それに、皆がこのようにクラウス殿下を遇しているのは、確かに本来の地位に敬意を表していることも間違いではないでしょう。しかし、これから同じ場所で生活を共にする仲間としてクラウス殿下、貴男を歓迎しているのですよ。そのような場で無体なことを言い出すものではございません」

「そうですよクラウス様。私もアンドリウス様よりクラウス様が無体を働いたら報告するようにと承っております。私に初日から報告させるようなことをなさらないでくださいね」

 旦那様の言葉に続いてレガリア様が、優しく弟を叱るような様子でそう仰います。

「レガリア…………クッ、それにしてもなんと口の回る男だ」

 クラウス様が旦那様を忌々しげに紫色の瞳で睨みました。
 私はクラウス様のその表情を見て、このままこの話が終わってしまっては旦那様に対して、遺恨が残ってしまうと思い、口を開いてしまいます。

「そっ、それに、いま料理人を召し出してしまわれれば、貴宿館でのこれからの生活で、食事を楽しむことができなくなってしまわれますが……」

 クラウス様が、ハッとした表情をいたしました。

「うっ、うむ。それは……」

 彼は、思い悩むように、皿の上のプティ・ガトーを見つめています。
 ……もしかしてですが、美味なる料理を提供できる料理人を、王宮へと召し入れる事で、アンドリウス様の歓心を得ようと考えておられるのでしょうか?

「そうですわよ。貴宿館での楽しみの一つは、この食事で間違いございません。普段私、銀竜の土曜日と黒竜の日曜日は教会で過ごしておりますけれど、食事のためだけに館に帰ってきたくなってしまいますもの。私の楽しみを奪うのは止めて頂きたいですわ」

 マリーズがそのように援護してくださいました。その言葉に流石にクラウス様も真剣に考え込んでしまいます。
 貴宿館に入居した本来の目的を思い出したからでしょう。いまの彼はアンドリウス様以上にマリーズの心を掴みたいはずなのです。
 残念ながら出会いの遣り取りで相当に厳しい評価を頂いておりますし、いまの行動でもさらに評価を下げてしまったのではないでしょうか。

「確かに食事の楽しみは大きいと思う……だが、それは聖女としてどうなのだ――マリーズ」

 クラウス様はマリーズの意見を呑み込みたいと思っておられるのでしょうが、最後の辺りに素直になれない少年らしさが顔を出します。
 ですが私、こればかりはクラウス様の言葉が正しいのではないかと思ってしまいました。
 しかしマリーズは、微笑みを浮かべてとぼけて見せます。

「あら、私……こちらには学生として留学しておりますので、いまの聖女は副業アルバイトのようなものですわ」

 あの、マリーズ……背後でリラさんが顔を顰めておられますよ。ミームさんは吹き出しそうになっておりますし……。
 レガリア様は、学園で親交がございますが、ここまで羽目を外しているマリーズは初めて見たのでしょう。少々戸惑っているご様子です。レオパルド様に至っては大きく目を見開いて固まってしまっております。
 ちなみに私の前に座っているアルメリアは、既に平常運転のマリーズに慣れてしまっておりますので、遣り取りには意を介さず、先ほどからクラウス様を頬を染めて見やっております。騎士爵の娘である彼女にとって、王族とこれほど間近で接する機会など、本来ならばあるはずがないので緊張しているのでしょうか? ただ、先ほどクラウス様が無体なことを言いだした辺りから、息づかいが荒くなっている気がするのですが、何故でしょう?

「このように、聖女マリーズでさえ貴宿館では、学生として生活しているのです。クラウス殿下にもどうかそのことを考えて頂きたい」

 旦那様は周りの反応を無視して、マリーズの言葉をこれ幸いと、クラウス様を丸め込もうとしておられます。

「うむ……確かに、これからこの館で生活することを考えると、召し出してしまうのは勿体ないかもしれぬな……」

 クラウス様は、結局マリーズとアンドリウス様を天秤に掛けて、マリーズを取ったご様子です。
 彼に苦手意識を持っているマリーズには申し訳ございませんが、クラウス様の行動はこれが正解なのだと思います。アンドリウス様からの書状を考えますと、王は、今回の学園への入学と貴宿館への入居に伴って、クラウス様の成長を願っているのだと考えられるからです。そのことは、旦那様も感じ取られているようです。

 話が一段落したところで、旦那様が私に視線を向けました。

「フローラ。皆様は既に自己紹介をしたのかな?」

「そういえば、まだでございました……至らずに申し訳ございません旦那様」

「私たちは先日顔合わせをいたしましたので、貴宿館の入居人皆様で自己紹介をしてはどうですか」

 旦那様がそのように皆様に勧めました。皆様、旦那様の急な意見に少々戸惑いの色を見せます。

「それでは、私から始めてよろしいですか? 私、マリーズ・シェグラット・リンデルと申します。聖女などと呼ばれておりますが、本来マーリンエルト公国の子爵家の娘にすぎません。どうぞそのことをお忘れにならないようにお願いいたしますね」

 このようなときに一番初めに行動するのは彼女です。しかし、いまの自己紹介には『私、子爵家の娘ですからお気楽に付き合ってください』という意味と、クラウス様に対して『私、本来子爵家の娘ですから家格が合っていませんよ』と、言外の皮肉が混じっていたようです。
 それを感じ取ったのは、私と旦那様、それからレガリア様だけだったように思われます。
 マリーズが口火を切りましたので、対抗意識からかクラウス様が口を開きました。

「我は、クラウス・モーティス・オルトラント。オルトラント王国の第三王子である。クラウスという名は、建国王クラウス・エーゲンス・オルトラント一世陛下から頂いている。建国王と私は瞳と髪色が同じなのだ。王家では代々男児にそのような色相が現れた場合、クラウスの名が与えられる事が多い。我は七大竜王様や精霊王たちから建国王と同じ祝福と加護を得ている」

 クラウス様はそう胸を張って仰いました。彼の言外には、だからこそ自分が王位を継ぐにふさわしいという言葉が滲んでおります。

「リュートと言ったか、お主は?」

 クラウス様が、リュートさんに自己紹介するようにと催促いたしました。
 それを受けて、リュートさんが口を開きます。王子からのある意味強要ですが、彼はそのような事には頓着した様子はございません。

「ボクは、バーンブラン辺境伯の領地から学園に通うためにやってきました。両親はボクが小さい頃に亡くなっていて、両親の縁戚だという、ブラダナ・クルバス・バーンブラン様に育てられました」

 私たちのいる場所から少し離れて控えているロッテンマイヤーが、目頭を手巾で拭っております。
 リュートさんが、それなりの態度で答えられていることと、ブラダナ様の名前を最後まで間違えずに言えた事に感極まってしまったようです。

 その後、レオパルド様、レガリア様が自己紹介をして、マリーズのお付きの二人が簡単に名前を言い、最後にアルメリアが口を開きます。

「私は、トライン辺境伯に仕える騎士爵、クロフォード・パーシー・カレントの娘、アルメリア・パーシー・カレントです。皆様のような上位貴族の方々と共に生活できるなど身に余る光栄です。……あの、ご無礼ではございますがクラウス様、一つお伺いしてもよろしいでしょうか」

「本来ならば無礼な事だが、貴宿館の住人となった以上、館の流儀に従おう――言ってみるがいい」

 一瞬だけ旦那様の方に視線を向けて、クラウス様がそう仰いました。

「ありがとうございます。……あっ、あの、クラウス様の近衛騎士には女性騎士はなることができないのでしょうか?」

「お主、我が国の人間ならば知っておろう、女性騎士を近衛に受け入れるのは、姫や王妃、女性に限られる。このことに変更はない」

 アルメリアは、なんとも残念そうに唇の端を噛みしめます。彼女が近衛騎士を目指していることは知っていましたが、本当はクラウス様の近衛になりたかったのでしょうか?

「やはりそうですか……ナンデワタシハオンナニウマレテキテシマッタンダ……ありがとうございます。お手を煩わせてしまいました。あの、その――粗相をしてしまった私を、その、折檻して頂いても……」

 アルメリアが、懇願するようにクラウス様に詫びますが、なんだか言っていることがおかしいですよ。
 クラウス様もそのように感じたのでしょう、戸惑ったように視線をさまよわせて、最終的に旦那様を捉えました。

「……おい、この娘大丈夫か? なんだか怖いぞ……」

 クラウス様にそのように言われた旦那様も、アルメリアの事を不可思議そうに見つめて、小さく呟いたようです。

「『あれ? アルメリアってこんなこと言うだったっけ? 何だろう、たまにゲームと違う感じがする。マリーズも天真爛漫なところはゲームと同じだけど、やっぱり違和感あるんだよな』」

 その後、夕食の時間になり私たちは食堂へと場所を変えて晩餐です。トナムの料理にも、クラウス様たちはあまりの美味しさに感動しておりました。
 その日、このようにして、私たちは貴宿館の新たな住人を迎えたのです。

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