モブ令嬢の旦那様は主人公のライバルにもなれない当て馬だった件

獅東 諒

第三章 モブ令嬢の慌ただしい一日

 昨日、旦那様と私は、本当に目の回るような一日でした。
 しかし、屋敷の方も色々とあったようです。
 朝食の席でセバスの報告を聞きましたところ、近衛騎士の待機所が今日中にはできあがるだろうとの事です。
 待機所は、3ルタメートル四方位の大きさで、貴宿館の右側に位置しています。外観は目立たないようにするためでしょう、年を経たような色合いになっていて、新築の建物とは思えません。
 また、門からアプローチ、本館、貴宿館が見渡せるように窓が設置されていて、基本的に騎士たちは建物の中から警戒するそうです。
 先日された説明ですと、常時二名がこの待機所に詰めることとなるそうで、仮眠を取るための設備なども整えられるとのことです。

 それから昨日、貴宿館のサロンに、レガリア様のロメオが搬入されたそうです。
 驚いたことに、レガリア様はご自身が愛用している、シュタイン家製のロメオを貴宿館へと運び入れられたというのです。シュタイン家製のロメオといえば、ロメオ界のバリオンとも呼ばれる透明感のある音色が素晴らしい名器です。
 それほどの名器を我が家に預けるレガリア様の信頼を裏切らないようにしなければなりませんね。
 貴宿館の使用人は熟練の者たちですし、アルメリアもサロンで本を読みながら寛いでいることが多いですが、楽器の類いには興味がございませんので、いじり回すようなこともないでしょう。リュートさんも館の調度品を破壊するのを恐れておられるので、そもそも高そうなものには近付こうといたしません。間違っても傷を付けるような事は無いでしょう。

 それから、昨夜はあのような事がございましたので、お父様とお母様には詳しい話をしておりませんでした。
 概要は、セバスを通じて聞いておられたようですが、私たちの口から詳細の説明をいたしました。
 バレンシオ伯爵の手の者がお義兄様を煽って、私たちを襲わせたらしいという話には、お父様もお母様も怒りを示し、旦那様を気の毒そうに見つめておりました。

 食後、旦那様と私は出かける前に貴宿館へと足を運びました。

「グラードル卿、フローラ――朝からこちらに来るなんて、いったいどうしたんですの?」

 階段を上がってサロンまで来たところで、マリーズがそう声を掛けていました。
 おそらく朝食の後、学園に通学するまでの間、サロンで寛いでいたのでしょう。お供のリラさんとミームさんもご一緒です。

「フローラ、おはよう。グラードル卿も――」

「おはようございます、グラードル卿、フローラさん」

 マリーズたちの寛いでいる、その奥に置かれた椅子に座ってアルメリアが本を開いておりました。リュートさんはアルメリアの隣で、背の低いテーブルの上に控え帳を広げております。もしかして課題か何か出ていたのでしょうか?
 貴宿館の二階のサロンは、朝食後には男性にも開放されますので、リュートさんは勉強を見て貰っていたのかもしれません。
 私たちは軽く挨拶を返して、私はマリーズの質問に答えます。

「昨日、レガリア様のロメオが搬入されたと伺いましたので、確認にまいりました」

「ああ、あちらの高価そうなロメオですね」

 マリーズがそう言いましたら、リュートさんがビクリとして、恐ろしそうにロメオを見ます。リュートさんオーラスにやって来る前にバーンブラン辺境伯の館でしばらく生活しておられたそうですが、何か壊しでもしたのでしょうか?

「――ところで、お二人は昨日遅かったようですね。私、窓から目にしました。物々しいご様子でしたけど何かあったのですか?」

 マリーズは、虹色の瞳に好奇の光を湛えて身を乗り出します。

「いいえマリーズ、大したことではございません。王族主催の茶会の件で、旦那様のご実家に馬車を用立てて頂くため、話をしに参っていたのです。思いも掛けず話が弾んでしまいまして帰りが遅くなってしまいました。遅くなるとの話をしていなかったので、セバスたちが気を揉んでいたのです」

 マリーズたちに嘘を言うのは心が痛みますが、我が家の事情を彼女たちに話すわけにも参りませんし、彼女たち貴宿館の住人には心安らかに過ごして頂きたいのです。
 私の言葉に、マリーズはどこか残念そうな表情になり、身体を元の位置へと戻します。

「……そうなのですか。まあ夜でしたし、雰囲気が物々しく感じられたので、少し気になっていたのです。ところで、明日にはあの方々がやって来るのでしょうか?」

「そうですね。皆様、身の周りのお荷物も部屋の方へ運び込まれたご様子ですし、本日中には近衛騎士の方々の待機所も完成するそうですから、マリーズの言うように明日のご入居になると思います」

「……どうしたものでしょう」

 マリーズは小首をかしげ考え込むようにして、リラさんに視線を向けます。

「マリーズ様、あまりお避けするのも神殿とオルトラント王家の関係上よろしくございません」

 リラ?さんがそう窘めるように言いますと、マリーズは頬を膨らませて愚痴をこぼします。

「私、クラウス様が苦手なのです。あの方は我が儘な子供のようで、本当の子供ならば私も可愛く思うのですけど、あの年齢で、あの態度は頂けません。せっかく見目はよろしいのに……これで、迫るのが他人であったのなら、安心して見ていられるのですけれど。本当に残念でなりません。あっ、レガリア様は大歓迎ですよ」

「フローラ……第三王子クラウス様が貴宿館に入居なされるというのは本当なんだね。信じていなかった訳ではないけど……しかし、あのような待機所をわざわざ建ててまで貴宿館にやって来るなんて……それに、マリーズの話だと、よっぽど我が儘な方らしいけど……どうしようフローラ、私、わくわくが止まらないよ」

 アルメリアが真剣な顔でそう言いました。あのアルメリア? なんで我が儘から、わくわくなんでしょう? 今ひとつ意味が通じない気がするのですけれど……。
 私がアルメリアの言葉に少し疑問を感じておりましたら、アルメリアに続いてリュートさんが口を開きます。

「そういえば、レオパルドさんも入居するんですよね。ボク、専攻学部を決めるのに、騎士就学部の授業を受けたときに面倒見て貰いました。これまで貴宿館の男ってボクとハンスさんくらいしかいなかったんで心強いです……ただ、王子様にはどう接したらいいんでしょうか?」

 リュートさんは喜びと戸惑いを混ぜ合わせたような表情を浮かべております。
 そういえばそうでした。地下の厨房にはトナムや徒弟たち下働きの男性も居るのですが、これまでリュートさんの目に入る男性はハンスと旦那様くらいしかおりませんでした。それに、田舎でのびのびと育ったリュートさんに、いきなり王国の王子と同じ館で過ごせと言われたら戸惑うのも無理もありません。

「流石に簡単にはいかないだろうが……、アンドリウス様から貴宿館内では、クラウス様も一般の生徒と同じ扱いでよいという下知を頂いているので、あまり気を張らずに接してほしい」

 旦那様はそう言ってリュートさんを宥めました。
 その後、私たちはレガリア様のロメオを確認いたしました。
 学園の奏楽室に置かれているものよりも高価なロメオが、我が家のサロンに置かれているのは、感動よりも恐ろしさが先に立ちます。しかし、レガリア様がこれほどのロメオを我が家に預けてくださるという信頼は嬉しいものです。その信頼を裏切らないようにしなければいけませんね。

 そのような話をした後、旦那様は軍務部へ、私たちは学園へと向かいました。
 学園では、昼にレガリア様が私たちの教室を訪れて、予想していた通り、明日貴宿館へ入居するとの連絡を頂きました。
 また昼後からは、旦那様に依頼された魔法の研究です。アンドゥーラ先生からの課題として、先日から私はこの魔法の研究に従事しております。

 折しも、あの時先生の元を訪れていたブラダナ様が、「リュートの持ってるのはあの子のお守りでもあるからね。あたしのヤツを貸してやるよ」と言って、形見の一つである竜の逆鱗を貸してくださりました。

 しかし、なかなか巧く行きません。先生のタクト練習用杖を貸して頂いているので、力が足りずに魔法が発現しないということは無いと思うのですが……。もしかしたら何か根本を間違えているのでしょうか?
 魔法は、竜王様や精霊王の力を借り、発現する力は術者の魔力と認識の力によって形となります。
 力を借りる存在と認識、どちらかが間違えていれば、魔法として発現しないのです。
 先日二人で話した限り、旦那様は、お茶会前にこの逆鱗に残されている記憶を確認したいはずです。急がなければと、気持ちばかりが焦ってしまいます。
 魔力を使いすぎないように気を付けながら、いくつかの形を試してみましたが糸口が見付かりません。
 そのように試行錯誤しておりましたら、軍務部から退出してこられた旦那様が迎えに来てくださいました。





 学園を出た旦那様と私は、その足で法務部の捜査局を訪ねました。
 ボンデス様のご様子を伺うためです。
 捜査局でも、私たちの来訪は承知していたらしく、直ぐに局長室へと通されました。

「やあやあやあ、やってきたね。ああ、わざわざ挨拶はいいよ。……それにしても、あんなことがあった後だから、君たちが法務部に顔を出さない方がおかしくなってしまった。……まったく、エヴィデンシア家で出される茶菓子を楽しみにしていたというのに。私にとってはそちらの方が大事件だよ」

 ソファーに掛けて待っていた私たちに、入室してきたライオット様が、いつものように剽げた調子でそうぼやきます。
 旦那様は相変わらずのライオット様の態度に、少し疲れたようなご様子で口を開きました。

「……ところで、兄上の様子はどうでしょうか?」

「いやいや、せっかちだねグラードル卿。君たちのためにこれだけ身を粉にして働いている俺に対して、もう少しこう、労おうという心根はないのかね」

 私たちの前のソファーへと掛けながらライオット様がそう仰いまます。

「申し訳ございませんがライオット卿……、昨日の今日ではそこまで心の余裕は生まれません」

 旦那様は、真面目なお顔のままそう答えました。
 その様子を眺めて、ライオット様は一つ息を吐き出しました。

「……ふむふむ、いやいや、これは俺がやらかしてしまったということかな……、うむ確かに、そそのかされたとはいえ兄に命を狙われるなどという事態になど、滅多にあうことではないからね」

 いえ、肉親に命を狙われるなど、滅多にでもあっては困るのですが……。そのような目に遭った旦那様のお心の痛みをライオット様にももう少し理解して頂きたいと思います。
 しかしライオット様は、どこかとぼけたような雰囲気のまま私たちに視線を向けていました。

「それに、あの後の事を知っている俺としては、少し気持ちが楽になってしまっていてね」

 昨晩、私たちが帰った後、ライオット様はお義父ドートル様をボンデス様と面会させたはずです。そこで何かがあったのでしょうか? そう考えて、私は問いかけてしまいます。

「……あの、それはいったいどういうことでしょうか?」

「……まあ、端的に言ってしまうとね。ボンデス君の様子が……なんと言ったらいいのかな。まとも……と言うのとも違うか、毒気が抜けたとでも言うのかね。以前君たちの喧嘩を見たときとは違って、だいぶ落ち着いているよ」

「それは……『と言うことは、やっぱりあれが何か関係していたのか?』」

 旦那様が、僅かに日本語で呟きました。何か真剣に考え込んでいるご様子です。
 ライオット様は、そんな旦那様を金色の瞳で眺めながら言葉を続けます。

「ただ、落ち着いたら落ち着いたで、あの時、何故あのような事に及んでしまったのか、本人も分からなくなってしまったらしい。確かに、考えてみると君の言っていたことにも、納得できる部分があると、そう言っていたよ。……それからこれはドートル殿からも話があると思うが、一応ことづかっているので……ボンデス君は財務官の職を辞して領地へ帰す事にしたそうだよ。捜査局の調べた結果も、辻馬車の御者の殺害に関しては彼の関わりは無いと結論が出た。ある意味では彼も被害者だし、君たちの襲撃に関しては、襲われた当事者の君たちからの嘆願で、彼の罪は軽いものだ。まあ、もうしばらくは拘留させて頂くが、それがすんだら彼の身柄はルブレン侯爵領へと送られることになるだろう」

「そうですか……兄上にとっては、その方がいいかもしません。領地には生まれたばかりの子供もおりますし、義姉上もおります。きっと心の平穏が取り戻せるでしょう」

 旦那様はそう仰いました。その表情は優しく、安堵の色が浮かんでおります。

「ところで、ライオット卿が捕縛した男の調べはどうなりましたか?」

「ああ、奥方を狙った男だね。あの男はルブレン家に下働きとして入り込んでいたそうだ。今朝、ドートル殿が執事を伴ってやってきてね。面通しをしてもらった。丁度一年ほど前に雇い入れたそうだ。君たち二人の婚姻話が持ち上がった直ぐ後の事だそうだよ」

 ライオット様は、意味ありげな笑みを浮かべてそう仰いました。彼も、昨晩旦那様がフルマとチーシャに問い合わせて得たのと、同じ結論に至ったのでしょう。

「ただ、やはり口が堅くてね、言質は取れていない。バレンシオ伯爵とエヴィデンシア家の過去の因縁。それに彼の異常な執着を知らなければ、とても点が線にならない事件だね。しかしバレンシオ伯爵も歳をとったということだろうか――ここ最近の動きは、これまでの慎重さが嘘のようだ。まあ、そのおかげで彼の尻尾を掴めそうなのだがね」

 旦那様は、バレンシオ伯爵のここ最近の行動について、ご自身が今の自分になったことと関係しているのではないかと疑っておいでです。それは、お義兄様の旦那様に対する猜疑心が異常に強くなり出した時期も重なっており。さらにゲームの中ではバレンシオ伯爵が我が家に対して何かを仕掛けてきている様子が見受けられないからだそうです。しかしそのような事が本当にあるのでしょうか?
 ですが、旦那様の意識が前世のものとなっていることが事実であるのですから、そのような事があっても不思議ではないのかもしれません。

 ライオット様は、椅子に深く掛け腕を組んで軽く考え込んでおりましたが、何かを思い出したご様子で、身体を乗り出しました。

「ああ、そうだった。エルダンという男が、ロランという従僕をルブレン家に紹介したというので、エルダン商会に局員を差し向けたのだがね。なんとエルダンは十日ほど前から、商会の人間も連絡が取れないと言うのだよ。局員が何故、捜査局に行方不明者捜索の願いを出さなかったのかと尋ねたら、数日の間姿を見せないということはよくあるらしい。だが流石に今回は長すぎるので、丁度捜索願を出そうと考えていたと、副会頭が言っていたそうだよ」

 十日ほど前と言えば、私たちが旦那様を救出した頃になります。
 これまでは私が声を聞いただけでしたので、絶対にエルダン様であるとは断言できませんでした。
 それに、彼のことを疑っていることを、気付かれてはいけないと、旦那様もこちらからあえてエルダン様を探ることはいたしませんでした。
 状況的に、私たちに気付かれたと考えて身を隠したのでしょう。
 アンドルクの方々も、カーレム夫妻が食堂を経営しておりましたし、フルマとチーシャはルブレン家に密偵として潜んでおりました。エルダン様もそのようにして市井に潜んで、レンブラント伯爵に尽くしていたのでしょう。
 今回のこの襲撃事件のおかげで、バレンシオ伯爵やレンブラント伯爵の影を払うことができたのは、後のことを考えますと幸いであったのかもしれません。

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