モブ令嬢の旦那様は主人公のライバルにもなれない当て馬だった件

獅東 諒

第三章 モブ令嬢と魔導爵の個室にて(前)

「フローラ――いったいどうしたんだい? 珍しく手が動いていないようだけど。君でないと、私もどこに何があるか分からなくなってしまうから、しっかりしてくれたまえ」

 ゴワゴワの深紫の髪を掻きながら、アンドゥーラ先生は組み上げたばかりの魔具マギクラフトを、机の上に座った状態でぐるぐると回しながら眺めております。
 私が、旦那様がそろそろやって来るのではと、気持ちが逸れておりましたら、そのように言われてしまいました。

「先生……ご自分で片付けることも少しは考えていただきたいのですが」

 婚姻の儀の折りにもこのような事態になっておりましたが、あの時は四日でした。今回は一週間です。乱雑に置かれている失敗作や、道具類、魔法薬製造に使う器具類など、授業後から片付けてやっと足の踏み場ができた感じでございます。
 行儀が悪いですが、先生には動き回らないように机の上に待避して頂いております。

「ムリムリ、この娘――整理や整頓という言葉を母の腹の中に置いてきたんだから。まったく物臭にもほどがあるよ」

 そう言ったのはブラダナ様です。実は昼後の授業が終わり先生の個室を訪ねましたら、ブラダナ様はソファーの周り、ご自分が座れる空間だけを片付けて掛けておられました。そして先生はそんな、師でもあるブラダナ様を尻目に魔具の組み上げに熱中しておりました。
 今ブラダナ様は、私がお出しした紅茶を口にしながら、私たちのやり取りを見ております。
 それにしましても、なんということでしょう。ブラダナ様は既にお諦めのご様子です。

「先生、もしも私がいなくなったらどうするつもりなのですか?」

 私がそう言いましても、先生は悪びれた様子もございません。

「まあ実際、フローラ――君はいるわけだしね。居る者は使わねばもったいないだろう」

「……そういう事を言っているわけではないのですけれど」

「諦めなよ嬢ちゃん。アンタも言いながらもそうやって片付けてるんだから……もうこの娘の思惑通りってやつさ。下手に頭が回るだけたちが悪いだろ」

 もしかしたらブラダナ様も、このように何回も言い聞かせようとしたものの玉砕されたのでしょうか? 同じ苦労を共有した人間に忠告されているような感じがいたします。

「嫌だな師よ。適材適所って奴ですよ――フローラは頭も手際も良いのに、どういうわけか魔具製作と魔法薬製造の才能が壊滅しているのですから。それに見てください――この短時間でこれだけ片付くのですよ。才能は有用に使わなければ」

 そう言って先生は軽い調子で笑いました。事実である以上反論できないのが悲しいところです。

「ふーん、不思議なもんだねぇ」

 ブラダナ様は、深い海を思わせる蒼い瞳で私を興味深そうに眺めます。
 そして口を開こうとしたときに、コン、コンとドアを打つ音が響きました。

『グラードル・ルブレン・エヴィデンシアです。入室の許可を頂きたい』

「旦那様!」

 待っていた旦那様の到着に、私は手にしていた工具を棚に置いてドアへと向かいます。
 私の視界の左端では、先生がどこかウキウキとしたご様子になり、手にしていた魔具を置いて、立てかけてあった愛用のワンドを手にして、机の上から降りました。

「ふむ、フローラ。やっと目が覚めたか、グラードルを私に差し出す決心をしたのだね。いやめでたい、私が直接君をどのように眩ましていたのか調べてくれよう」

「違います! 何で私が先生の好奇心を満たすために旦那様を差し出さなければならないのですか。旦那様は先日の救出の件で、練習用杖タクトをお貸し頂いたことへのお礼をとやって来たのです。先ほど説明したではございませんか」

 戯れた調子でございましたので、揶揄からかわれているのは分かっているのですが、否定しておかないと先生の場合本当に何かやり始めかねません。

「つまらないね……まあ、以前の仕返しは十分にしてあるから、それなりに気が済んではいるのだが」

『……入室してよろしいだろうか?』

 旦那様の言葉は、一向に来ない入室許可に戸惑い気味です。以前、先生とブラダナ様がお二人で話をしていたのが聞こえていたのですから、私と先生の遣り取りは旦那様にも聞こえておりましたよね? ……恥ずかしいです。

「ああ、お待ちください……」

 私は、急いでドアを開けて旦那様を迎えます。

「いらっしゃいませ旦那様」

 私が笑顔を浮かべて、旦那様を迎えますと、「……君に、迎えられるというのもなんだかおかしな気分になるねフローラ」と、顔を合わせた彼は、優しく笑ってそう仰います。

 その旦那様を見て、アンドゥーラ先生が眼を大きく見開きました。

「…………遠目からは気がつかなかったが、君は、本当にあのグラードルかい? 人相がまるで変わっているようだが」

「自分では今ひとつよく分からないのですが、そんなに変わっているだろうか?」

「ああ、違う違う、冥界の番犬が室内犬になったくらいには違っているよ。しかし、これは……フローラの言い分を信じないわけには行かなくなってしまったな」

 アンドゥーラ先生がどこか納得いかなそうに頭を掻いております。

「グラードルと言ったか、以前アンタを見かけたときは、髪色と魂の色合いが違うと感じたが……違うね。アンタ魂が浄化されているようだね」

 旦那様を興味深そうに見つめていたブラダナ様が、彼にそう声を掛けました。

「……あ、あの貴女は?」

 突然、魂の色などと声を掛けられた旦那様は、初めてソファーに座っていたブラダナ様に気が付いたご様子です。

「アンドゥーラ先生の師であり、リュートさんの育ての親である、ブラダナ・クルバス・バーンブラン様です旦那様」

「ブラダナ様!? ……リュート君の……、ああっ、これは初めましてブラダナ様……」

 突然のことに慌てて、上位の方への礼をしようと身構えた旦那様を、ブラダナ様が制します。

「ああ、堅苦しい挨拶はいいよ! あたしゃ、もう爵位を返上したから、貴族でも何でも無いんだからさ。ただの婆さ」

 ブラダナ様は、いまの立場を強調するようにお気楽な様子で私たちを眺めております。
 私は、先ほどからご一緒しておりましたので緊張感が薄れておりますが、彼女はアンドゥーラ先生の名が知れる以前は、王国で最も偉大な魔導師であり、また先生と同じく魔導爵の位にあった方なのですから、緊張するのも当然です。
 堅苦しくしなくて良いとは言われたものの、旦那様はブラダナ様にどう対応して良いのかと考えているご様子です。
 私は先ほどブラダナ様が仰った事が気になりましたので、そのことについて質問します。

「ところでブラダナ様、旦那様の魂が浄化されているというのは、いったい?」

「人間はさ、竜王や精霊王の加護の影響を受けてるじゃないか。特にグラードル卿、アンタみたいに黒味が強い髪色をしていると黒竜ヨルムガンドの影響が大きいだろ、あの竜王は欲望を司ってる。全員が全員ってわけじゃないけどさ、その祝福と加護に振り回されちまうヤツがたまにいるのさ」

「浄化されているということは、欲望が無くなっているということでしょうか?」

「いやいや、そんなわけないだろう。欲望というのは別に悪いモノばかりじゃないんだ。あんたたち二人がお互いを思い合うのだって、欲望には違いないんだからさ。どう言ったらいいのかね。つまりよこしまな欲望が無くなってるっていった方が良いのかね」

 確かにブラダナ様の仰るとおりです。私、馬鹿なことを言ってしまいました。黒竜ヨルムガンド様も欲しいものを掴み取るために欲望をお与えくださいました。それは夢や愛である場合が多いでしょう。そして問題はそれを掴む過程にあるのだと思います。真摯に相手に向かい合ういまの旦那様と、以前のアンドゥーラ先生に近付こうと邪な策略を使った彼とでは、目標は同じであっても明らかに正邪の違いがございます。

「私としては、その原因が知りたいところだね。フローラからは、戦場で傷を負って考えが変わったって聞いたけど――実際のところどうなんだい?」

 ブラダナ様の話を次いだアンドゥーラ先生が、旦那様を問い詰めます。眼窩に嵌めた片眼鏡モノクルがキラリと光りました。

「……いや、まあ。死ぬような思いをして、俺はこれまでなんと馬鹿な人生を送っていたのかと――人間、このように突然死ぬかも知れないと考えたら、他人様にまっとうに認められる人間になりたいと……そう思ったのです。……アンドゥーラ卿にも昔日に働いた悪行の数々、お詫びさせて頂きたい」

 そう言って旦那様は頭を下げます。
 この言い訳は昨夜、このように先生から問い詰められることを想像して、旦那様と二人で考えて即座に返答できるように練習いたしました。その成果もあり比較的なめらかに返答することができたと思います。
 それまで興味津々といったご様子で旦那様を見ておられた先生は、その言葉を聞いて何やらがっかりとしたご様子です。

「昔の悪行については仕返しもしたし、もうどうでも良いのだが……ふーむ、つまらない――なんとも普通だ。私としては、実はグラードル自身は本当に死んでいて、そこに異世界の人間が乗り移ったとか、落馬した衝撃で前世の記憶が甦ったとか、そういう研究しがいのある状況を望んでいたのだがね」

 …………旦那様、事前に練習しておいて正解でした。うっかりばれようものなら、昔の悪行の贖罪をと、どのような実験に付き合わされるか分かった物ではございません。

「とっ、ところで本題ですが――先日は、フローラに練習用杖タクトを貸して頂いてありがとうございました。そのおかげで、このように大過なくお礼に伺うことが叶いました」

 旦那様はそう言って、礼をいたします。

「フローラは私の大事な生徒だからね。しかも魔導学部で私の専従生はいまのところ彼女だけなのだ」

「この娘、これだけやり放題しているくせに、意外に人気を気にするのだよ」

 ブラダナ様が、口を横にニーッと広げて笑います。
 専従生とは、教諭の助手を務めることのできる学生のことをいうのですが、専従生は専攻の学部で一定以上の成績を収めた学生からの申し出によって決まりますので、教諭の人気の尺度にもなります。教諭によっては何人もの専従生を抱えておられる方もおります。

「それにバリオンの話も聞いております。フローラを大切に扱って頂き、アンドゥーラ卿には本当に感謝しております」

「……ふっ、フン! まったくあのグラードルがこのようにまっとうになるとは、世界とは不思議に満ちているな。……ところで、君は礼をするためだけに私のところに来たのかな? 私は君がわざわざやってくると聞いて何を企んでいるかと思っていたのだ。礼だけならばフローラからでも十分であったろう?」

 あまり素直に感謝されることのない先生は、このようにまっすぐに感謝の念を伝えられて、少しばかり照れくさそうに鼻の頭を掻いております。

「いえ、本当に礼をするのが一番の目的ではあったのです。ですが……いくつかお聞きしたいことがあるのは確かです。アンドゥーラ卿は……その、物品に籠った記憶を見ることができるような魔法に心当たりがございませんか?」

「物品に籠る記憶? 物に記憶などあろうわけがあるまい?」

「ああ、言い方が悪かったかな。例えば装身具のようなものに装着者の記憶が宿るようなことがあったりしないだろうか? あるとするならばそういう記憶を見ることができる魔法があるかなのだが」

「……うーむ、装身具か。宝石の種類によってはそのような事があるかも知れないが……例えば、琥珀とか一部の宝石、真珠や竜涎石、ああそうだ――少し違うかも知れないが、逆鱗なんかはそれこそ竜の一生の記憶を蓄えているとも言われているね。昔語りでも逆鱗の首飾りの記憶に導かれて、様々な冒険をするといった話があったはずだ」

「……! 逆鱗には竜の記憶が残っているのですか!? ではその記憶を見ることはできるのですね!」

 突然興奮しだした旦那様に私も驚いてしまいました。旦那様はいったいなにを考えてそのような事を言い出したのでしょうか?
 もしかして、ゲームという物語の中から何かに思い至ったのでしょうか?
 それに、このご様子ですと旦那様が見てみたいと考えているのは間違いなく逆鱗に残された記憶のようです。

「逆鱗の記憶を見てみたいとは、いきなり突拍子もないことを言いだしたねこの男は」

 これまで飄然としていたブラダナ様の表情に、この男はなにを考えているのだという思いが浮かび上がっております。

「逆鱗の記憶なら、そこまで難しくはないと思うが……」

 先生はそう言うと何故か笑顔を浮かべて私を見ました。その笑顔はどこか悪戯を思いついた子供のように見えます。

「……フローラ、特別授業だ。君だったら、そのような魔法を構築するのに何の力を借りるかね?」

 他の方々には見分けづらいかも知れませんが、先生は完全に授業をしているときの態度です。

「記憶ということは過去――時に関係いたしますのは金竜シュガール様ですので、聖弓シュギンの力を使うことになるのでは」

「ふむ、そうだね。世界の根幹に関わる時間を操ることになる、そうなると世界の調和に関係する精霊王の力では、及ばない領域だね。魔法は想像力が重要だとはいえ、根本の選択を間違えていてはなにも発現しないからね」

 ちなみに私たち人間が魔法という力を使えるのは、竜王様と精霊王に加護をいただいているからなのですが、持ちうる魔力の総量については、竜王様からの祝福が影響していると言われております。

「グラードル卿、実際に魔法を構築するとなるといま少し考えないといけないから、直ぐにというわけには行かないけど、研究するのはやぶさかではないよ。それに、これならばフローラにも課題として出せるしね。フローラ、課外授業として研究してみるかい?」

「旦那様のお役に立てるのでしたら、私も研究してみたいです」

 私は先生にそう答えて、旦那様に笑顔を向けました。

「助かります。フローラも協力してくれるなら安心だよ」

「なんだい君、性格はまともになっても無礼なのは変わらないのだね」

「別にアンタにまかせておくのが不安って言ってるわけじゃないだろ。そりゃぁ妻が協力してくれるとなれば男はそう言うもんさ。悔しかったらアンタも相手を見つけるんだね」

 そう言ってブラダナ様がカッカッカと笑います。

「私はまだ二二歳なんですから、この先まだまだ望みはありますよ…………別に悔しくはありませんからね」

 先生はいかにも心外だという表情を浮かべてブラダナ様にそう言います。
 その様子を旦那様が、どこか生温かい眼差しで眺めておりました。

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