モブ令嬢の旦那様は主人公のライバルにもなれない当て馬だった件

獅東 諒

第三章 モブ令嬢と旦那様と捜査局長(弐の後)

「そうでした。実は前回お目にかかったおりにライオット卿より示唆いただいた件ですが、昨日、デュランド元軍務卿より伺うことが叶いました」

 話が一段落したところで、旦那様がそう口にしました。
 しかしライオット様は、キョトンとした顔をしております。これは本当にお忘れなのでしょうか? そう判断に迷う態度です。

「前回……俺が示唆した?」

 旦那様は、一つ大きく息を吐きました。どこかライオット様の調子ペースに付き合うのが疲れてきたようにように見受けられます。

「バレンシオ伯爵と義祖父そふオルドーとの確執についてです」

「あぁあぁ、そのような事を言ったね。――で、分かったのかね」

 私は、旦那様の様子を見て、出過ぎた真似だとは思いましたが彼よりも早く口を開いてしまいます。

「はい……バレンシオ伯爵はフローリアお婆さまの事を好いておられたらしいのです。若い頃オルトラント貴族社会より排斥され荒れていたというバレンシオ伯爵は、手を差し伸べたお婆さまに恋心を抱いておられたと、お祖父様もお婆さまと一緒に、バレンシオ伯爵に手を差し伸べておられたそうなのですが、しかし、バレンシオ伯爵はお婆さまとお祖父様が婚約者であった事を知らなかったらしいのです」

 旦那様は、一瞬ビックリしたお顔をなされましたが、私を止めることはしませんでした。
 私の話を聞いたライオット様は、ポカンとしたようなお顔をした後、大仰に呆れてみせます。

「はぁ、いやいやまさか……それで、裏切られたと逆恨みかい? ……そのような事が、いや、まあその可能性も考えなくも無かった。馬鹿馬鹿しくて考えから排除したのだがね。しかし、誠かね。そんなことが……この長きエヴィデンシア家への執着の根だと言うのかね……いやいや、本当に――恋は盲目だとは誰が言ったのだか……」

「執着というのはそのように単純なモノなのかも知れません……単純だからこそ、これほどに長く思いが続いているのではないでしょうか」

 ライオット様の感想に対して、旦那様がご自分が感じておられる意見を口にいたしました。それは、私も同じように感じていた言葉でした。
 旦那様のその言葉を聞いた、ライオット様は少し吟味するように考えた後、決心したように口を開きます。

「……知っているかい? フローリア殿のご実家、フランド候爵家の城は頑強な岩盤の崖下に築かれていたのだが……フローリア殿がエヴィデンシア家に嫁いでより数年の後、その岩盤が崩れて、城ごとフランド家は滅んでしまった。そのときの調査資料によると、たまさか近くで狩りを行っていた竜の咆撃によって起こった不幸な事故であったと記されていた」

「不幸な事故があったとは聞いておりましたが……」

 私は愕然としてしまいました。まさか……それがバレンシオ伯爵の手の者によるものであるとしたら……

「それに奥方、貴女の兄上が幼くして亡くなった件も、それに、お母上が貴女を産んだあと、子を望めない身体となったという話を法務卿より聞いたが、それにもバレンシオ伯爵の影がちらついて見える」

「まさか……そのようなことまでも!?」

 あまりのことに私が二の句を告げずにおりますと、旦那様がそう声を上げました。
 その当時はまだアンドルクの方々が我が家にいた時代のはずです。それさえ掻い潜ってそのような事をなされていたのだとすれば……私たちエヴィデンシア家は、本当に奇跡的に生き残っていたのではないでしょうか……。
 我知らず身体が震えてしまいます。それに気づいた旦那様が静かに背中に手を回して抱き寄せてくださいました。
 ライオット様はその私たちの様子を見て、気の毒そうな表情を浮かべております。

「これまでの経緯を考えると、そういう事なのだとおもうよ。だがしかし――いまの話を聞いて、何故レンブラント伯爵が、あのような事をしたのか分かったような気がするよ」

「それは、いったい?」

「神殿と折り合いが付いたらしくてね。白竜の愛し子と聖女様がアンドリウス王が主催する茶会へと招かれる事が正式に決まったようだよ。その際、君たちも供に招かれるそうだ。おそらく数日の内には通達があるだろう。王の決定だ、オルトラント貴族である以上辞退は難しいだろうね。さらに言うならば、その場にはバレンシオ伯爵も招かれるそうだよ。……もしかしたら初めての出会いが最後の出会いになるなどという事態になりかねない」

 ライオット様が仰る以上、既に上位貴族の方々には通達されているということでしょう。私、旦那様にも申し上げましたが、これまでバレンシオ伯爵と顔を合わせたことがございません、このように顔を合わせることが現実となることが分かりますと身がすくむ思いがします。
 しかし、そんな私の思いをよそに、ライオット様は何か良いことでも思いついたような表情を浮かべて言葉を続けます。

「逆に考えてみると、ここが仕掛け時かも知れないな……その場合、大変申し訳ないが、君たちにはまた囮になって貰わなければならなくなってしまう……」

「なッ! ……確かに、我が家にとってバレンシオ伯爵がどれほど危険な相手であるか、それを気付かせていただいたことに対しては、大変に感謝しております。だが、それとこれとでは話が違う! 特に、フローラの命の危険が最も高いと判明した以上、私にはそれを看過することはできない」

 旦那様が私を抱き寄せた手に力がこもりました。そして懸命に怒りを抑えてそう仰います。
 僅かに怒りで言葉が震えております。彼が私を想って口にしてくれたその言葉に胸が熱くなりました。

「旦那様……」

 ライオット様はそんな私たちを、これまで見たこともないほどに優しい表情を浮かべて諭すように口を開きました。

「……だがね、グラードル卿。今回ただ一度だけ、その身を危険にさらす覚悟さえすれば、君たちエヴィデンシア家はこの先、バレンシオ伯爵が存命の間、彼の執着に怯えて過ごさなければならないという事態を避けられるかも知れないのだよ。奥方……フローラ嬢。貴女はどう考える? グラードル卿の言うとおり貴女が最も危険なのは確かだからね」

 私は、そうまっすぐに視線を向けられて戸惑います。
 それはとても恐ろしい決断だからです。これまで顔をあわせたことがない相手であるバレンシオ伯爵は、私の中でいまはそれは恐ろしい化け物として捉えられております。ですが、ライオット様の仰ることは最もなのです。必要なのは勇気です。赤竜グラニド様、私に勇気をお与えください!
 ……私は半身を捻り、旦那様と視線を合わせます。

「……旦那様。私、旦那様が拉致されたと聞いたとき……お命が狙われたのではなかったと安堵いたしました。そしてあの時、もしもお命が狙われていたらと思うと、いまでも全身に震えが走ります。我が家はこれまでバレンシオ伯爵から攻撃されるばかりでした。ですが今回――初めて、その攻撃を想定して受けることができるかも知れないのです……そして、かのお方に私たちから攻撃することが叶うかも知れない。……私はこのお話、うけたまっても良いのではないかと考えます」

 私が、そのように意見を口にいたしますと、ライオット様はとても満足そうに微笑んで頷いております。逆に旦那様は私の決意の視線を受け止めるのがとても苦しそうな様子で、ついには目を瞑ってしまいました。

「しかし、フローラ…………クッ!」

 旦那様は、何かを訴えかけようと口を開き掛けて止まってしまいます。旦那様もこの機会を活かすことが我が家にとって最良の選択であると分かっているからです。

「やはり、このようなときには女性の方が肝が据わるモノなのかねぇ……」

「フローラの身は必ず守る――と、それだけは確約願いたい……」

 苦悶の表情を浮かべたまま、旦那様はライオット様にそうおっしゃいました。

「君も十分に危険なのだがね……それは請け合おう。君たちの命は我々捜査局が威信にかけて守ってみせよう。……しかし、まえから感じてはいたが、グラードル卿は本当に奥方を対等な相手として見ているのだねぇ。普通の貴族ならば俺が奥方に意見を求めたら、たとえ愛する奥方であろうと『何故女の意見などを聞く必要がある』と怒り出すだろうからね」

 ライオット様はそう請け負ってくださいましたが、その態度はいつものように飄々としたご様子で、最後には大陸西方諸国では特異といっていい旦那様と私の関係性を指摘してみせます。
 このお方の剽げた態度はいったいどこまでが本当なのでしょうか。
 私がそのような事を考えておりましたら、旦那様が何かを思い出したご様子で口を開きました。

「……一つお伺いしたい事があります」

「何かね?」

「以前、法務卿の館でお目にかかった折りに、三十年前横領の真犯人として捕まった者が刑期を終え、近々釈放されると仰っておりましたが、その後どうなりましたか? あの折はそちらからバレンシオ伯爵の悪事を暴けるかも知れないようなことを匂わしておいででしたが」

 旦那様に言われて私も、そのことが頭に浮かびました。旦那様はライオット様の提案を断腸の思いで了承したのでしょうが、それでも私を囮にさせないために考え続けておられたのですね。

 旦那様がそう口にしますと、今度は珍しいことにライオット様が渋いお顔をなされました。

「……覚えていたのかね。できれば忘れていてほしかった」

「我が家が関係することです、忘れるとお思いですか。それよりもいまの言葉はどういう意味ですか?」

 ライオット様の冗談めかした言いように対する旦那様の言葉には、僅かに怒りが滲みます。

「そう怒らないでくれないかグラードル卿。我々が思っていた以上にバレンシオ伯爵の手は長くてね……彼は釈放の数日前に変死を遂げたよ。直ぐに監獄の職員を調べたのだが、一名その日から消息がつかめない――しかも家族共々ね。事を起こすならば釈放後と睨んでいたのだが……完全に裏をかかれてしまった。……つまりは、バレンシオ伯爵の一党を排除するには彼の執着を利用する以外に無くなってしまったのだよ」

「それでこのように、我が家を訪れてきたわけですか?」

「……まあ、そうなるね。バレンシオ伯爵の勢力も法務局とエヴィデンシア家の繋がりができたことは承知しているだろうが、どこまで協力関係にあるかは分かってはいないだろう。これ以上君たちが法務局を訪ねてくれば、彼らの警戒感を必要以上に高めてしまう可能性があったからね。それに……今日の話を聞いた限り、それは正解だったと思うよ。王宮へと招かれる事が決まり、さらにはレンブラント伯爵が君たちに身を守れと警告するのだ。バレンシオ伯爵の狂気は相当に危ない状態になってしまっているのかも知れないね。もしかしたら王の主催する茶会で事を起こしてしまうくらいに……」

 このようなことを言うときでさえ、ライオット様のご様子にはどこか剽げた雰囲気が漂います。これはもう身体に染みついてしまった癖のようなものにさえ見えます。

「……フローラの身、必ずお守りいただけますよう、重ねてお願いいたします」

 王よりの茶会への出席の要請である以上、私たちには既に退路はございません。旦那様は絞り出すようにそう仰い、ライオット様に頭を下げます。
 その後、館周りの警備についての情報を交わして、ライオット様は席を立ちました。

「それでは、長々と失礼したね」

 ライオット様はそう言った後、何かを思いだしたように言葉を繋ぎました。

「そうそう、そういえば。今回、エヴィデンシア家とバレンシオ伯爵の確執を調べる過程で、法務部に収蔵された古い資料を見る機会があったのだが、エヴィデンシア家の初代当主というのは、とても興味深いお方だったよ。黒竜戦争のおりに、クラウス王が……まあ、そのときはまだただのクラウスであったわけだが、辺境の田舎町から見いだした博識の学者であったらしい。かの御仁は法治国家などというものを提唱していたのだそうだ。まあ、それは実現はしなかったわけだが、我が国の法務部が、ある種他国とは大きく違う原因もかの御仁にあったようだね」

 そう言ったライオット様は、何故かその視線をずっと旦那様の斜め後ろに控えていたメアリーに向けました。

「ところで、その初代エヴィデンシアは、いまのグラードル卿のようにとても奥方を大事にした方だったようだが、彼には奥方以外にも、ずっと傍らに寄り添っていた女性がいたという話だ。何でも彼女は初めて、アンドルクと名乗った人物らしいよ。しかもなんと、その女性は悪魔であったというのだよ。彼女は艶やかな黒髪に、明るい夜空のように黒みを帯びた青い瞳をしていたようだ。俺は貴女を初めて見たときに、そのことが頭に浮かんでね。物語では悪魔の寿命というモノは人などより遙かに長いと聞くが……まさか本人などということはあるまいね?」

「……ご冗談を、確かに私はアンドルクの姓をいただいておりますが、この姓は我らにとっては世襲のものではございません。それに、そのようなお話は私も初めて耳にいたしました。今度、お父様にも尋ねてみたいと思います。しかし、どうしてそのような事を?」

 メアリーは感情の読めない薄い表情のまま、ライオット様にそう答えました。

「いやいや、そのような存在がおれば、今回の件もっと簡単に片付くのではないかと思ってしまってね。悪魔というのはそれは人間など及びも付かない力を使うと、物語や吟遊詩人の昔語りなどでも伝えられているからね」

「私にそのような力が使えれば、エヴィデンシア家がいまこのような状況に陥っていることなど無いと思うのですが?」

 表情を変えないまま、小首をかしげるメアリーの返事を受けて、ライオット様は剽げた笑顔を浮かべます。

「なるほどなるほど、いや、確かにそのとおり! うーむ、なかなか簡単に事を片付けようなどという欲目でおかしなことを言ってしまった。すまないね。いまの話は、あの時代に、作家として多くの物語を残したポールズの控え帳のような物の中に在った話でね。何故そのような物が法務部の書庫の中に紛れ込んでいたのかは謎なのだが、物語の着想を纏めてあっただけかも知れない。忘れてくれたまえ」

 そう言って、ライオット様は帰って行かれました。
 それにしましても、ポールズという作家が書いた物語は、アルメリアが貸してくれた中に何冊かございましたが、全てファティマ様関連のお話だったと記憶しております。その中に建国王クラウス様がファティマ様の輿入れを願って、躁竜騎士マリウス様と一騎打ちをするという話はございましたが、エヴィデンシア家の初代様が出てくるようなことはございませんでした。それに悪魔というのは逸話には語られているものの、その存在がはっきりとは確認されていないはずです。
 ……しかし、今日ライオット様がやって来てからの態度も、語られた内容も、まるで嵐のようで旦那様も私も、心底疲れ切ってしまいました。

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