モブ令嬢の旦那様は主人公のライバルにもなれない当て馬だった件

獅東 諒

第三章 モブ令嬢とタクト

 法務部行政館を出た私は、学園高学舎に視線を向けました。
 法務部へ伺った時にはまだおられたようですが……、私が確認したのは三階のアンドゥーラ先生の個室です。


「良かった――先生はまだいらっしゃるようです。私、アンドゥーラ先生の個室に伺います」


 背後に控えるメアリーに声を掛けて私は学園の敷地へと向かいます。
 いまだ学園に残る先生がおられるためでしょう、門の切戸が開いておりました。
 私たちはアンドゥーラ先生の個室へと走ります。


「アンドゥーラ先生! 学生、フローラです。緊急のお願いがあってまいりました。入室の許可をお願いいたします」


 部屋の奥からガタッ! ガラガラガラッ、という音が響きます。音のした位置からして、ソファーの周りに積まれていた何かが崩れたような気がいたします。
 おそらくですが、先生はソファーで眠っておられたのでしょう。


「……ん、ふぁ~~。ん、フローラか、何だいこんな時間に……まさか、寝過ごして朝という訳では無いよな……」


 部屋の中でカチャリと、ドアの鍵が開けられた音がいたしました。


「失礼します先生」


 私は焦る気持ちを抑えて、礼儀正しくドアを開けます。


「どうしたんだい、もう学生がうろつく時間では無いと思うんだが……おや、そちらは?」


 先生は私の背後に付き従うメアリーを目にしてそう仰いました。


「我が家で侍女長をしておりますメアリーです。本日は私の護衛を兼ねて付き従ってもらったのです」


「……護衛とは物騒な話だね。それに先ほど緊急の願いとか言っていたが」


「はい、訓練用杖タクトを貸し出して頂きたいのです!」


「タクトの貸し出しとはまた……フローラ、君はタクトが学園から持ち出し禁止なのは知っているよね」


 言い含めるように話しながら、先生は胸元から方眼鏡モノクルを取り出して左目の眼窩へとはめ込みました。
 先生の仰るとおり、学園で使用しているタクトは、全て王家より貸し出されたもので、学園での使用以外認められず、持ち出しも禁止されております。
 私は、先生のその言葉に意を決して口を開きました。


「……先生は以前、王家よりタクトを――ワンド制作の研究用に譲り受けたと記憶しております。お願いでございます! そのタクトを私にお貸し頂きたいのです!」


 私の必死の訴えに、先生の表情が少し呆れたものへと変わります。


「まったく、君っては……グラードル卿に何かあったのかい?」


 その言葉に、私が何故それを、と驚きの表情を浮かべますと、先生はそのまま言葉を続けます。


「君は彼が絡むといつもの冷静さがどこかへ飛んで行ってしまうからね……理由を話してみなさい。いくら私だとて納得できる理由でなければ貸し出すことはできないよ」


 言いながらも、先生の表情は優しいものへと変わります。


「はい、実は……」


 私は、旦那様が賊に拉致された事と、私の考察を手早く先生に語りました。
 それを先生は椅子に掛けて机に片肘をついた状態で聞いておりました。


「なるほど、それでグラードル卿が攫われたと……しかし欺瞞が成功とはなんとも運のない男だね」


 そう、少し戯れた調子で仰いましたが、そのお顔は真剣そのものです。
 先生は椅子から立ち上がりますと私の前に立ち両の手を私の肩に掛け、綺麗な薄紫の瞳が私の視線を捕らえました。


「……フローラ。一日待つことは出来ないのかい? そうすれば私が力を貸せるかも知れないよ」


「ありがとうございます先生……しかし私の考えているとおりならば、今回の事態は時間が重要だと思うのです」


「ふむ、軍部でも演習中に隊を襲われるという事態だ。メンツを潰されたのだから彼らも動いているだろう……それでも行くのかい」


「はい。これが少人数で行われたのでしたら、途中で解放されるかも知れないと思うのですが、話を聞いた限り数十人が関わっております。となれば、意思統一が図れているとは思えません、最悪仲間割れを起し囚われている旦那様とアルメリアの身に危険が及ぶかも知れません」


「その可能性は確かにあるか……分かった、タクトを貸出そう」


 先生はそう言うと、部屋の奥にある棚に向かい、そうして漁り出しました。
 ……先生、いくらなんでも不用心です。本人しか使用できないワンドならばまだしも、弱い力しか使えないとはいえ、タクトとて二百シガルは下らない物ですのに。


「ああ、在った在った」


 そう言って一つの箱を取り出して、戻って来ます。


「しかしフローラ、これは私が弄り倒しているから、多少ではあるが学園で使っているものより威力が出るようになっている。ただその分、余計に魔力を使うから気を付けるように。意気込んで救出に向かって魔力消失マギ・バーンなんぞ起こしたら笑い話にもならないからね」


 開かれた箱の中には、一見、学園で使っている物と変わらないタクトが入っておりました。
 ですがよく見ますと持ち手の部分に、古代文字ルーンが刻み込まれております。
 私は、息を呑んでタクトに手を伸ばします。


「先生、お借りします」


 そう言って手に取りますと僅かに魔力を吸い上げられる感覚がございました。


「先生……これは!?」


「気付いたかい。魔力圧縮のルーンが組んであるんだ。君ならば使えるだろう」


 試してみなければ分かりませんが、この感覚ですと通常の倍近い魔力を消費するかも知れません。


「先生。ありがとうございます大切に使わせて頂きます」


「まあ、私にとっては研究し尽くした代物だからね。別に壊れても問題ないが、私の元にある経緯が経緯だから他人の手に渡るのだけは避けてもらえると有り難い」


 先生はそう冗談めかして笑って仰いますが、ワンドの自国生産は各国の悲願です。それと、多くの人間が扱えるタクトの能力向上も各国が推し進める政策の一つです。いまその一つの研究成果が私の手にございます。自分から望んで貸し与えてもらったのではございますが、その先生の信頼に涙が滲むのを抑えられません。


「こら、フローラ。この私の寛大さに感動するのは結構だが、それは君の大切な旦那様を救出してからにしなさい。さあ、行った行った!」


 先生は照れくさそうに横を向いて、手だけをこちらに向けて追い出すように手の甲を振りました。









 フローラたちが去った後、個室に残ったアンドゥーラは、貸し出したタクトを収納していたケースを眺めていた。


「本当にあのは……どこまで自分のことには無頓着なんだろうね。そもそもタクトであの出力の魔法が使えていることがどれだけ規格外の事なのか……いまだに気付いていないんだから。まあ私が魔導学部に引き込んだ後、実験だと引きずり回して基本授業をほかの生徒と受けさせなかったのも原因ではあるんだが……。しかし、そもそも才能のない人間を私が引き込むと信じているところがあの娘の純粋さなのだろうかね。……あの子がワンドを手に入れたら一体どれほどの力を使うのか」


 彼女は椅子に座り直し、机の上に置かれた魔法薬を合成する器具を取り出す。


「あれから一週間。まだ私の魔力の波動は残っているか。あのが急いでいるのはそれもあるんだろうね」


 そう言って試薬を取り出すと、仮眠を取る前に調合しておいた魔法薬の効果を調べ始めるのだった。









 学園から大通りへと出た私とメアリーは辻馬車を拾い屋敷へと戻ります。
 屋敷の敷地に入りますと、館の玄関前に大型の幌馬車が止まっておりました。
 セバスが、私たちが法務部へと行っている間に準備をしておくと言っておりましたがこれは……。


「思ったよりも時間が掛かったようだがどうしたのだ?」


 お母様に支えられるようにして、セバスと話していたお父様が私に向き直りました。


「説明に思いのほか時間をとられました。ですが何とか目的を果たすことができました」


 私はそう返事をいたしましたが、館を出るまえ、いえ、旦那様を救いに行くのだと宣言したときから感じていた事を両親へとぶつけました。


「しかし、法務部へ出かける前にも思ったのですが、お父様も、お母様も、私を止めないのですか? 私、あの発言をしたときに止められるものとばかり思っておりました」


 私がそう言いますと、お父様とお母様は軽く顔を見合わせてから口を開きます。


「グラードル殿と結婚してからのお前を見ているとな……それにお前は、これと決めたら決して譲らないところがある。それは――ルリアの若い頃を思い出す……」


「まあ、旦那様ったら……でもそうですね。フローラ――あなたには私の、オーディエントの血も入っているのですから……私も、きっとロバートが同じ目に遭ったら、自分で動かずにはいられないと思います。ですからあなたを止める気にはなれません。フローラ、あなたの大切な人を助けてきなさい」


 お父様は、どこか諦め気味に笑い、お母様は包容力のある優しい微笑みを浮かべています。
 そうして、私たち親子の会話が一段落したところで、セバスが口を開きました。


「奥様。いま動く事のできるアンドルクの者たちを手配いたしました。旦那様の救出には彼らを手足としてお使いください。メアリー、お前も奥様の補佐をするように」


 セバスのその言葉を聞いて、お母様がメアリーの手を取ります。


「メアリー、先日グラードルさんから貴方たちアンドルクの真実を聞いたときには驚きましたが。私はセバスや貴方たちの所作を見ていて、武術に長けた人間だとは感じておりました。フローラのことよろしくお願いしますね」


 旦那様は演習に出掛けるまえ、自分が演習に出掛けている間に何かあってはいけないと、お父様とお母様にはこれから起こりえるかも知れないことと、セバスたちアンドルクが我がエヴィデンシア家にとってどのような存在であるのかを全て打ち明けました。


 お父様もお母様もそれは驚いておられましたが、お父様は、「考えてみれば、それを感じる事柄はあった気がする。父上も、私に彼らの人生を背負えるだけの心の力が無いかも知れぬと、思ったのであろう。悔しくはあるが、父上の判断は間違っていなかった……」そう、どこか納得したような表情でそう仰っておりました。


「お父様、お母様、行ってまいります」


 私はそうして、旦那様とアルメリアを救出するために王都から出発いたしました。

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