モブ令嬢の旦那様は主人公のライバルにもなれない当て馬だった件

獅東 諒

第三章 モブ令嬢と旦那様の演習(後)

「君から申し込まれた決闘だ。規定ルールは私の方で決めて良いんだよな」

 レオパルド様と対峙した旦那様は、僅かに自分の剣に手を掛けますと、静かにそう仰いました。

「……せこいですね」

 旦那様の言葉を聞いたアルメリアがそう言いました。どういうことでしょうか?

「ん、まあ、あっちの方が強いんだから、良いんじゃないかな」

 隣に並ぶ、レオンさんが一笑します。
 彼にはアルメリアの言葉の意味が分かるようです。私はたまらずに口を開きました。

「あ、あの、どういうことなのですか?」

「いや今回の場合、普通は目下の人間、騎士修練士であるレオパルド君にも規定ルールの決定権があるんだ――というか普通は騎士修練士の彼に選択させる」

「つまり、グラードル卿はそれを対等な決闘という体裁にしようとしてるってわけさ……プライドの高いレオパルドさんがああ言われたら……」

「くぅッ、分かった……だが、剣を使わないなどとは言わせぬぞ!」

「あっ、引っかかりましたね」

「うむ、かなりわざとらしかったが――向こうは元々そのつもりだったんじゃないか?」

 また二人だけで会話を始めてしまいました。私には何のことかさっぱりです。

「いえ、あそこまで頭にきていたら絶対に叩きのめそうとすると思うんですよ、レオパルドさんの場合……。私、良く挑発したんで知っています。女でも情け容赦ないんですよ……まあ、そこは評価できるんですけどね。……でも得意の槍を封じられたんですから、グラードル卿の勝ち目も出てきたんじゃないですか」

「まあ、そうだろうな。ここのところ君と俺とで掛かり稽古をしていたからな。……ところで、この騒動は君が原因じゃなかったか、アルメリア騎士修練士」

「……何ででしょうかね?」

 アルメリアが、真顔でそう答えます。その、アルメリア……先ほどからのレオパルド様の言動を考えますと、彼は――アルメリアに特別な感情があるのではないですか?
 私はそう思ったのですが、会話を続ける二人に割り込むことができませんでした。

「……気付いていなかったのか」

 初めてお目にかかったときからこれまで、驚いた表情というものを見たことがなかったレオンさんが、初めて絶句しております。

「君、グラードル卿が出仕してくる以前は、あれだけ執拗にレオパルド君と修練していたじゃないか。それがあの総当たりの後からはずっとグラードル卿と修練している……」

「ええ。いまの私には、グラードル卿こそ最高の相手ですので……あの攻撃こそ、私が求めていた一つの答えなのです」

 アルメリアが拳を握って力説いたします。しかし、彼女の頬は上気していて、私が時々感じる違和感が漂っていました。

「ふむ、不殺での捕縛か……だがあれは戦場の技ではないぞ。君は法務部へ行きたいわけでもないのだろ? 捜査局だったら生きる技かも知れないが」

「リディア姫かノーラ王妃様の近衛騎士になることが夢でした。ですが、最近今ひとつ心揺れる事が……」

 アルメリアはそう言って、前方で対峙しているレオパルド様と旦那様に視線を向けます。心なしかその視線に熱が籠っているような気がします。何でしょう――胸の奥がざわざわといたします。

「……まあ、君の夢は俺には関係ないが、レオパルド君はそれまで執拗と言っていいくらい修練を迫ってきた君が、突然見向きもしなくなったんだ。それは不思議に思ったろうね。そうして、一度気になったら、気になったで、あの若さだ。その気持ちが恋だとか、愛だとか思うわけさ……」

 アルメリアはレオンさんの説明をはてな顔で聞いています。……いま一つ頭に入っていない様子です。

「それで手近な連中に話を聞いて……まあ、グラードル卿の以前の悪評が耳に入ったんだろうね」

 そこまで聞いてもアルメリアは分かっていないようですが、その説明に私はやはり言わずにはおれません。

「ではやはり誤解ではないですか!」

「まあ奥方。ああなっちまったらもう止められないですね。グラードル卿も怒っちまってるみたいですし……それにしても、上官が配下のために怒ってくれるってのがこんなに嬉しいもんだとは……」

 レオンさんは、どこかニヤけた視線で旦那様たちを見ております。
 私たちがそのような話をしておりました間に、決闘の規定ルールが決まっておりました。

 刃を潰した剣を使い、一本勝負だそうです。

「ところで決闘と言うんだから、勝敗によって賭けるものがあるんじゃないのか?」

「……俺が勝ったら、アルメリア嬢を解放してもらう!」

「いや別に、拘束も何もしてないんだが……で、こっちが勝ったらどうするんだ?」

「そのようなことは無いと思うが、その場合は仕方がない……アルメリア嬢がよしとするのならば何も言うまい」

 レオパルド様の言葉に、旦那様があきれた表情を浮かべます。

「……レオパルド君。君、だいぶ自分に都合の良いことを言っていることに気が付いてるかい。……俺が勝ったら、レオン兵長に先ほどの言動を謝ってもらう。俺が望むのはそれだけだ」

 そう言われたレオパルド様は、自分でも旦那様に指摘されて気付いたのでしょう、ムッとした顔を致しましたが、吐き出すように口を開きます。

「……分かった。デュランドの名にかけて」

「ふむ、面白い! たまたまこちらに出向いてきたので、孫の顔でも見てみようとやって来てみれば……面白いことをやっておるではないか! 孫が女を賭けて決闘とは、儂も歳をとるわけだわい!」

 そう仰い、呵々と笑い声を上げましたのは、元軍務卿のバーナード・ダリュース・デュランド様です。
 草の枯れ始めのような緑の髪に、深い湖のような青色の瞳を持った、大きな身体をしたお方です。
 身体も大きいのですが、存在自体が大きく感じる圧力と申しましょうか、見ていて圧倒される感じが致します。
 私、バーナード様には、小さな頃に一度だけお目にかかった記憶がございます。お年は召しましたが、そのときとまったく同じような迫力を感じます。
 この場に集まっていた方々がバーナード様を確認して、ビシリと姿勢を正して上官への礼をいたします。

「ああ、儂はもう隠居した身だ、そのような礼はよい。それよりも、その決闘の判定は儂が付けてくれよう」

 バーナード様はそう仰い、旦那様とレオパルド様の元へと歩み寄りますと、旦那様に鋭い視線を送ります。
 旦那様は、その視線をしっかりと受け止めて、目礼いたしました。
 バーナード様が、軽く片眉を上げます。

「……おぬし名前は」

「グラードル・ルブレン・エヴィデンシアと申します。バーナード卿」

 旦那様が名乗りますと、エヴィデンシアの名を聞いたバーナード様が目を細めました。

「エヴィデンシア……それは懐かしい名前を聞いた。ロバート殿には結局、苦難の道を歩ませることとなってしまったが、ご息災か」

「はい、息災にしております」

 バーナード様は旦那様の返事に一つ大きく頷きますと「ふむ。決闘の判定に関しては、身内だからといって贔屓するようなことは決してせぬ。安心するがいい」、そう仰いました。

「お願いいたします」

「では準備を致せ」

 そうして、決闘は始まります。
 いつの間にか、旦那様たちを中心にグルリと人の輪ができておりました。
 物見高い、騎士や兵士たちがガヤガヤとどちらが勝つか語り合っております。大きな声では言えませんが、金銭を賭けて勝敗を予想している方たちもいるようです。

 剣を抜き放った旦那様と、レオパルド様が対峙します。
 その横合いに少し離れてバーナード様が立ち、剣を高く掲げております。

「では、始めよ!」

 そう言って、掲げた剣を振り下ろしました。
 瞬間、レオパルド様が、素早く踏み出して袈裟懸けに剣を振ります。
 旦那様は、それを予想していたのでしょう、背後に下がりながら、剣で受け流します。

「グラードル卿もだいぶ受け流しが巧くなったね」

 アルメリアが、冷静に感想を口に致しました。正直、私にはまったく分かりません。

「俺との掛かり稽古が少しは役に立ったかね。力技の剣は俺の得意とするところだからな」

「ですね。私の剣の使い方に近いので、私とだとかち合ってしまって力が出せないみたいですけど。流石に私より力があるから、レオパルドさんに剣をはじかれることもない」

「クッ、クソッ! のらりくらりと、貴様、それでも騎士か! 正面から戦えないのか!」

 レオパルド様はそう吠えるように言って、力業で旦那様に剣を打ち込みますが、旦那様は、半身で剣を前に出してレオパルド様の剣の軌道を巧みに逸らします。

「クソ! いい加減にしろ!!」

 そう怒鳴り、レオパルド様は旦那様の剣の腹を強打いたしました。よほど強い力で叩きつけられたのか旦那様が剣を取り落としてしまいます。
 それまで冷静にレオパルド様の剣筋を見極めていた旦那様の視線が、取り落とした剣へと向かい、身体が剣を拾おうと動きます。

「旦那様!!」

「あっ、決まりましたね」

 私がそう叫んだのと同時に、アルメリアがそう言い、目の前では、レオパルド様が宙を飛んでおりました。
 地面に叩きつけられたレオパルド様は、旦那様に腕を取られ、さらに己の手にした剣を首筋に突きつけられておりました。

「勝負あり! 見事だグラードル卿!」

 バーナード様がそう言い勝敗は決しました。

「あっ、あのアルメリア……いまのは、一体?」

「レオパルドさんはグラードル卿に嵌められたのさ」

「視線の誘導ってやつだ、奥方。グラードル卿はこの決闘のはじめから、己の剣をことさら意識させて、わざと剣を取り落とした。レオパルド君はそのままグラードル卿を狙えば良いものを……よほどあの剣がやっかいだと印象づけられたんだろうね。グラードル卿に剣を取らせまいと動いてしまった」

「そして、グラードル卿自身が意識から消えてしまったのさ。で、腕を取られて投げ飛ばされ――あの状態ってわけさ」

「レオパルド君ははじめから興奮気味だったが、あそこまで見事に決まると、滑稽ですらあるな」

 私にはよく分かりませんが、戦いを生業としておられる騎士や兵士の方々にはそのように見えるのでしょうか。
 賭けをしておられた方の中には、バーナード様の手前大きな声ではございませんが、レオパルド様の事を、「血筋をことさらひけらかすが、大したことの無いやつだ」などと言っておられる方もおりました。
 騎士修練士の方々の中にも、レオパルド様を指さして笑っておられる方もおります。
 これではさらし者のようで、見ているこちらが居たたまれない気持ちになってしまいます。

 旦那様がレオパルド様の腕を放して解放いたしますと、彼は飛び跳ねるように起き上がります。

「……クッ、卑怯な! こっ、このような勝負認められるか!今一度正々堂々と……」

 レオパルド様はそう言って剣を構えました。

 その瞬間、「この痴れ者が!! レオパルド、おぬしは先ほどからのグラードル卿の態度を見て、おぬしがかしておったようなことをする人間だと思うのか!!」と言う声が響きます。

 それは、この修練場が揺れるのではないかと思うほどの怒声でした。
 ざわついていたこの場が、一瞬で静寂に呑み込まれました。
 レオパルド様も、その声に怯え顔を浮かべて固まっております。

「グラードル卿、孫の非礼この通りお詫びする」

 バーナードさまが片膝をついて、胸の前で右の拳を左の手で握り込み、頭を下げました。

「……おっ、お祖父様……」

 レオパルド様の顔が青くなります。
 それは、最上位の礼――本来であれば配下が王にする礼でございます。
 それほどの覚悟を持った詫びに旦那様も慌てて目を白黒とさせております。その様子に私までオロオロとしてしまいます。

「おっ、お直りくださいバーナード卿、そのような詫びは無用です。私がこの勝負に求めたのは、レオパルド君に我が配下への非礼にたいして詫びて頂く事だけです」

「グラードル卿、おぬしは気のいい男だな。儂が現役であったなら是非おぬしのような男を配下にほしかったわ」

  そう言って、呵々と笑いますが、細めた目の奥の瞳がギラリと光ります。

「……だが、おぬし。戦場で敵を殺せるか? 先ほどの剣の筋――殺すためのものではなく制するためのものに見えた。覚悟しておかねば義父のように、その身に傷を負うぞ、下手をすれば命を落とす」

「……いまはまだ。ただ命を懸けても守ると決めたものがございます」

 旦那様はそう言って、私を優しい瞳で見つめてくださいました。胸の奥が昂ります。しかし、旦那様……私は旦那様に命を懸けてほしくはございません。

「そなた、フローラ嬢か……大きくなったのう。まさか……」

「私の妻です」

「なんと、考えてみればそうであった。エヴィデンシアの長男は幼くして亡くなっておったのう」

 バーナード様のお言葉に、旦那様が驚きの表情を浮かべます。
 それは仕方のないことだと思います。お兄様のことは私もよく知りません。それはお兄様が亡くなったのが私が生まれるまえの話だからです。
 生まれて三年で亡くなってしまったというお兄様のことは、お父様もお母様もあまり話したがりませんので、我家ではこれまで話に上がることもございませんでした。

 そんな話をしておりましたら、演習に参加する部隊の招集が掛かりました。

「ふむ、グラードル卿、フローラ嬢。儂は二月ほど王都に滞在しておる。暇があったら訪ねてこられよ。儂はおぬしらともう少し話をしてみたい。それから――レオパルド。おぬしグラードル卿との約定、しかと果たすのだぞ!」

 バーナード様はそう仰いますと、軍務部行政館の方へと歩いて行かれました。
 そのお姿を見送って、旦那様が私たちに近付いてきました。旦那様は何やら思案顔をして呟いております。

「『おかしい――このイベントって、リュート君のじゃない? 何で俺に起きてるの!?』」

「ぐっ、グラードル卿……、そっ、その……すまなかった。……お祖父様に言われたからではないが、確かに……冷静になって先ほどからの貴男の言動を考えてみれば、噂に上がって居たような事をするとはとても考えられない。本当にすまなかった……」

 レオパルド様が背後から旦那様を追ってきて、そう仰って謝罪いたしました。バーナード様が旦那様に対して行った謝罪によほどの衝撃を受けたのか、まだ、お顔が少々青白く見えます。

「レオパルド君。俺への謝罪はいい。彼……レオン兵長に謝罪をしてくれ。俺がいまの勝負に賭けたのはそれだけだ」

 レオパルド様は旦那様にそう言われて、何か憑き物でも落ちたように目を見開きました。

 そして、賞賛するような表情を浮かべると、「貴男は本当に……、何故あのような噂が広がっているのですか? まさか、ご実家の悪評に尾ヒレでも付いて貴男個人にまであのような悪意ある噂が……」と、仰います。途中からその表情が旦那様を心配するようなものへと変わっておりました。

「いや、本当に……俺の事は良いから、レオン兵長に謝罪を……」

「ああ、そうでした。その、すまなかったレオン兵長。いくら頭に血が上っていたとはいえ、あのような言動。民の規範とならねばならない貴族の一員として、決して許されるものではないが、この通り謝罪させて頂く」

 レオパルド様は、バーナード様よろしく、最上級の礼を持ってレオンさんに謝罪いたしました。

「ああっ、いや、そこまでされるような非礼を受けた覚えはないんでどうかお直りを。確かに謝罪は受け取りましたんで」

 レオンさんは先ほどバーナード様から謝罪を受けて慌てた態度の旦那様を、ニヤニヤとして見ておりましたが、同じような立場に立たされて、レオンさんも結局、目を白黒とさせて慌てておりました。

 そうこうしておりましたら、再度、部隊の招集の声が掛かります。

「それじゃあフローラ、行ってくる。屋敷の事は頼んだよ」

 旦那様が最後に私の頬に片方の手を添えてそう仰います。

「はい、旦那様。……旦那様も、怪我など成されないようにお気を付けて」

 私もその旦那様の手を包み込むように取ってそう言いました。

「フローラ。私たちには声を掛けてくれないのかい」

 アルメリアが、少しニヤついた顔をしております。私をからかっておりますね。

「もう、アルメリアもレオンさんも、怪我など成されないようにお気を付けて」

 そうして、旦那様たちは演習へと出発なさいました。

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