モブ令嬢の旦那様は主人公のライバルにもなれない当て馬だった件

獅東 諒

第三章 モブ令嬢と旦那様と捜査局長

 私たちが法務部行政館を訪れますと、既に窓口には話が通っておりまして、二階にある捜査部の局長室へと案内されました。
 局長室は三階にある法務卿の執務室と同じように厚い壁に覆われて、ドアも通常のものより厚くなっておりました。
 部屋に入りますと、旦那様と私が伴ってやって来るとは思っておられなかったのでしょう、ライオット様は一瞬驚いたような表情を浮かべました。しかし直ぐに、ニヤッと――その金色の瞳に光を湛えて揶揄からかう相手を見つけた子供のような笑みを浮かべました。

「君たちは何かい、一緒にいないと死んでしまう病気にでもかかっているのかい?」

 そう言われた旦那様と私は、思わず互いを見つめ合い、そして赤くなって俯いてしまいます。
 ライオット様がその様子を見て、燃える炎のような赤い髪をゆらしてカラカラと笑いました。
 私、以前にもライオット様に揶揄われて、同じような状況を経験した覚えがございます。
 そんなことを思い出しておりましたら、旦那様が軽く咳払いをしまして、口を開きました。

「あっ、いや。先だってこちらを訪れた折には、私一人でしたが……」

「いやいや、俺が君たちと顔を合わせるときには、いつも一緒だと記憶しているんだが、証拠に――今回も二人で居る訳だしね」

 顔の赤みが抜けない旦那様の言い訳は、ニヤニヤと笑うライオット様の証言によって押しつぶされてしまいました。

「まあまあ――そんな戯れ言ばかり言っておっては、ディクシア法務卿あたりに仕事が遅いとお小言を頂きそうなので、本題に入ろうかね。お二人とも、こちらに掛けなさい」

 ライオット様は相変わらず剽げた様子でそう言って、応接用のソファーへと招いてくださいました。

「さてさて、今日はどんな用件でやって来たのかな?」

 私たちが掛けるのを待ちきれないように、ライオット様が問いかけます。
 しかし旦那様は、ソファーに掛けてから一息付いて口を開きました。

「既に十日ほど経っておりますが、ルブレン家の茶会が開かれたのはご存じでしょう」

「ああ、あの君たちの兄弟喧嘩の元になった茶会だね」

「その茶会にレンブラント伯爵が現れました」

 旦那様の言葉に、ライオット様は片眉を上げて剽げた表情をつくります。

「おやおや、まったく……あの御仁はやはり抜け目がないね。ということはルブレン侯爵は己を支持する、派閥の陣容を勝負前に知られてしまったのだねえ。……ああ、あれかい。君の兄上は良いようにルブレン伯爵に丸め込まれでもしたのかな?」

「知性を司る精霊、ノルムの明察に敬意を……まさにそのとおりですライオット卿。しかし、そのことで少々伺いたいことがあるのですが」

 精霊王の中で唯一、竜王様や人間と言葉を解して意思疎通ができる地の精霊ノルム。いえ竜王様たち以上に知恵の回るノルムは、金竜シュガール様を出し抜くように、人々に知性を尊ばれます。
 ですが何故か、髪色と瞳の色は蔑まれてしまいます。
 中央大陸西部の貴族社会の因習といってしまえばそれまでなのですが、やはりあまり納得いくものではございません。

「何かなグラードル卿?」

「捜査局では、人の意識を誘導できるような薬物に心当たりはございませんか?」

「薬物とな――それはそれは、物騒なことを言い出したね」

 ライオット様が目をすがめました。眇められた目の奥で、金色の瞳に剣呑な光がチラリと瞬きます。

「私の兄、ボンデスは元々疑り深い性格をしておりましたが、ここ最近のように異常に感じるほどではありませんでした。確かに私はここしばらく顔を合わせておりませんでしたが、あの様子には違和感を覚えずにおれません」

 私がノルムのことを考えている間に旦那様は、人を操るような薬物という恐ろしげな話を始めておりました。
 しかし、お茶会の席でカサンドラお義姉様も、ボンデス様のお人柄が以前よりも悪くなっていると仰っておりました。

「なるほどなるほど……薬によって、兄上が操られていると君は考えているわけだね」

「はい。……俺と兄とは母親が違いますし、血筋などの事もあって元々関係はよくありませんでした。しかし兄上も義姉あね上との間に子が生まれた今、もしもそのような事で何かの罪を負っては、義姉上と子が報われません」

 旦那様の言葉には、私も同感でございます。特に、ルブレン家でのお茶会の折、私を受け入れてくださったカサンドラお義姉様にはこの後幸せになって頂きたいと私も思っております。

「ふむ、あの喧嘩のおりに見た彼の様子に、合致するようなものの心当たりはないねえ。もっと危うい状態になる薬ならば心当たりがあるのだがね。しかし……」

 ライオット様は少しの間を置いて、私たちの様子をなんともまぶしそうな様子で目を細めて眺めます。

「君たちは本当に善良なのだねえ……。常日頃、人の悪意を目の当たりにする捜査局の人間としては、君たちは本当に――目が潰れそうなほどにまぶしく見える」

 ライオット様からの視線を、私が恥ずかしく感じてきた頃合いに、旦那様が居住まいを正しました。
 そして、先ほどよりも表情を硬くして口を開きます。

「ところで、今ひとつ気が付いたことがあるのです。これは……もしかすると気の回しすぎかも知れないのですが、白竜の愛し子であるリュート君と聖女マリーズが、我家において何者かに襲撃される恐れがあるやも知れません」

 私は旦那様のその言葉を聞いて――確かに、バレンシオ伯爵が我家を取り潰したいのならばあり得る選択肢であると気がつきました。しかしそれは、バレンシオ伯爵にも相当に危険な行為であるはずです。
 ですが、ライオット様はその言葉を聞いた途端、片眉を上げてニヤリと笑いました。
 その笑いは先ほどのように剽げたものではなく、我が意を得たりという感じです。

「ほうほう、そこに気が付いたのかい。なかなか早かったねえ。俺は気が付いてくれると思っていたよ。この点に関しては法務郷より、俺の勘の方が正しかったと言うべきかな……どうだいグラードル卿、君――捜査局に異動する気はないかい?」

「待ってください。もしかして捜査局――ライオット卿たちは、はじめからその可能性に気が付いていたのですか!」

 旦那様が珍しく、怒りを隠さずに声を荒らげました。
 私も旦那様が何故お怒りになったかを理解いたしました。
 ディクシア法務卿やライオット様は、私たちをお茶会へと招く以前に、既にその可能性に思いが至っていたということに気がついたからでしょう。
 そして、旦那様が怒っているのは、私たちの事よりも、リュートさんとマリーズを危険に晒す決断を、彼らがしたことに対してです。

「まあまあ、そう怒りなさんなグラードル卿。エヴィデンシア家の守りは鉄壁だよ。屋敷の中は君のところのアンドルクたちが守っているだろうから、捜査局では彼らに気付かれないようにエヴィデンシア家に通じる路地は全て見張っている。ついでに言わせて貰うなら。君たちの軍務部や学園への行き帰りも、我々は影から護衛しているのだよ。ちなみに……少数の局員が、『爆発しろ!』と、精神に傷を負っていたようだよ……」

「そのようなことを……最後のところはすみません」

 ライオット様の言葉に、旦那様が驚愕の表情を浮かべましたが、最後の一言になんとも微妙な表情になります。
 私も、旦那様と同じように驚いております。そのような気配はこれまでまったく感じておりませんでした。ですが最後の一言はどういう意味でしょうか? 旦那様は分かったようですが……。
 そんな私たちの驚きをよそに、ライオット様は少しあきれたような表情を浮かべます。

「護衛は当たり前の事だよ。なんといっても聖女様は長年の友好国マーリンエルトからの賓客だ。しかも、白竜の愛し子は、白竜様のお膝元に生まれたバーンブラン辺境伯の縁戚にあたるんだよ。我らが万全を期さないわけがないだろう? それに、彼らのことはそろそろ王の耳にも入るんじゃないかな。君たちも彼らを住まわせる館の主として、王宮に招かれるかも知れない事態に備えておいた方が良いと思うんだけどねえ」

 ライオット様に、国王様から王宮に招かれるかも知れないと聞かされて、私ははしたなくも口を開けて驚いてしまいました。
 旦那様も隣で、目を見開いております。

「まっ、まさかそのようなこと……」

「まあ、王もこの時期はお忙しいからねえ、早くとも月が変わる頃かどうかかなぁ。まあ覚悟はしておいた方が良い」

 私たちの驚きをよそに、ライオット様は世間話でもするような調子で話しております。

「ああそれから、グラードル卿が先ほどの可能性に気付いた褒美に、一つ良いことを教えてあげよう。君たちはそもそも何故エヴィデンシア家とバレンシオ家の確執が生まれたのか知っているのかね?」

「そもそもとは? バレンシオ伯爵の横領事件が原因ではないのですか?」

「いやあ、少し調べてみたんだけどねえ、そもそもバレンシオ伯爵の方ではエヴィデンシア家というよりオルドー殿かな、彼に強い恨みを抱いていたようだよ」

 そのライオット様の言葉に、旦那様が私を見ました。
 あの横領がらみの事件以前からの確執などと言われてしまいますと、たしかに旦那様は第三者となってしまいます。

「私は、存じておりません……おそらくは両親も……」

「ふむ、これは……もしかしてオルドー殿もまったく気付いていなかったのか? フローラ嬢はお婆さまのことは知っているのかね?」

「お婆さまは、お父様を産むと同時に亡くなったと聞いております」

「ならば、当時のことを知っていそうな御仁に心当たりは無いかね」

「ライオット様はどうしてお婆さまのことを?」

「バレンシオ伯爵がエヴィデンシア家に向ける強烈な執着心の元はどうやらその辺りにありそうだということさ。俺たちもなかなか忙しくてね。できるのならばその辺りのことは当事者である君たちに調べてほしいところではあるのだよ。それにだ、バレンシオ伯爵が何に執着しているのか分かれば、どこを守るべきかハッキリするだろう?」

 そう言って、ライオット様は剽げた様子で笑います。

「さてさて、今日の話はこんなところかな?」

 ライオット様がソファーから立ち上がって、軽くのびをいたしました。
 しかし、旦那様は席から立たずに、今一度居住まいを正します。

「いえ、実は今ひとつ……これは、バレンシオ伯とは関係ないのですが……もしかすると捜査局の役に立つのではないかという事に気が付きましたので、ライオット様の時間がおありでしたら、いま少しお付き合い頂きたいのですが……」

「ほう? 捜査局の役に立つと……興味深い。俺はね、先ほども言ったが――君を捜査局に迎えたいと思うほどには、君のことを気に入ってきていてね。……良いだろう話してみたまえ」

 そう言って、ライオット様はソファーに座り直しました。
 それからのお話は、実務的なお話で、私には良く理解できませんでしたが、その話が終わった後、ライオット様はいよいよ旦那様を、是非捜査局へと強く勧誘なさいました。
 しかし旦那様は、その申し出を丁寧に辞して、私たちは捜査局を後にすることになったのです。


「旦那様、なぜライオット様からの申し出をお断りになったのですか?」

 法務部行政館を出てから私は旦那様に聞いてみました。
 求められての移籍でしたら、軍務部と軋轢は生まれないと思いますし。騎士団の平騎士よりは俸給も上がる可能性もございます。
 旦那様を見上げている私に、彼は優しい視線を向けました。

「この先のことを考えるとね。俺は騎士団にいた方が良いと思ったんだ。あと、あの人の下についたら、きっと便利使いされて、フローラと一緒にいられる時間が減りそうじゃないか……」

 そう言いますと、旦那様はそっぽを向いて、頬の傷跡を掻いております。

「まあ……」

 私は、そんな旦那様の腕を抱いて、館への帰り道を寄り添って歩きました。

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