モブ令嬢の旦那様は主人公のライバルにもなれない当て馬だった件

獅東 諒

第二章 モブ令嬢と旦那様と法務卿の思惑

 お茶会が開催されているサロンにて、レガリア様から思わぬ知遇を得ておりましたところ、予告されておりましたディクシア法務卿よりの呼び出しを受けました。

 いま私たちがおりますのは、ディクシア法務卿の書斎……というよりは執務室のおもむきの強い部屋です。
 法務関係の書籍や書類が詰まった書棚に、執務用の机と椅子……オルタンツ様は先ほどまでお仕事をなさっておられたのでしょうか? 背もたれの高い椅子が明後日の方向を向いております。

 いま私と旦那様は、ドアの近くに配置された応接用のソファーに掛けており、テーブルをはさんで、その向こうにオルタンツ様が掛けておられます。

「呼び出しに応えていただきまずは礼を」

 そう言って、オルタンツ様は胸の心臓の位置に右の掌を当て僅かに頭を下げました。
 これは目下のものに対する礼になります。 

「先日一応の挨拶はさせていただきましたが、改めまして、私たちも貴宿館の件では骨折りいただきまして御礼申し上げます」

 旦那様は、握った右手を胸の心臓の前に添えて、私は、両の手をお臍の前で左手の手を上にして両の手を添え、頭だけ軽く下げます。これは目上の方に対する礼です。
 ゆっくりと頭を戻しますと、旦那様が口を開きました。

「オルタンツ卿……ひとつ伺いたいことがあります。よろしいでしょうか?」

 旦那様の黒い瞳に、強い光が瞬きます。
 これは――以前アンドルクを訪ねたときに見せた、強い決意を感じさせる表情です。

「……何かなグラードル卿」

「法務部は……いえ、オルタンツ卿は私たちエヴィデンシア家を囮に使うおつもりですか」

 旦那様がそう言った瞬間、私には旦那様の心持ちが透けて見えました。
 オルタンツ様はその旦那様の質問に、片眉を上げて意外そうな顔をなされます。

「……ほう、何故そう思うのかね?」

「今日の茶会に招かれた客の顔ぶれです。当初、茶会への招待を受けました際、私どもはお断りするべきかとも考えました。任期の終わりが迫っているとはいえ、バレンシオ伯爵の権勢はいまだに衰えてはおりませんし、あの御仁の執念深さは尋常ではありません。特に、次期財務卿の選定が始まるこの時節に、ルブレン家の援助を受けたエヴィデンシア家が、さらにディクシア法務卿に近づいたとあっては、必ずやエヴィデンシア家を貶めるために動き出すでしょう」

 オルタンツ様は旦那様の言葉を、明晰な光を放つ瞳に、僅かな喜色を浮かべながら聞き入り、目線でその先を話すようにと促します。

「ですから……ディクシア法務卿は招待客を選別なされていると考えておりました。確かに……選別はなされておりました。ですがそれは私たちが望んでいた選別とはまったく逆であったからです」

 旦那様がそう言いますと、突然部屋の中に拍手が響きました。
 その拍手の響きは、奇しくも、私がバリオンの演奏で受けた賞賛にもにた、感情の発露のように聞こえました。
 しかし私も旦那様もビクリと驚きました。
 その瞬間までオルタンツ様以外、まったく他の人間の気配を感じなかったのですから、無理もないと思うのです。

「これはこれは、なかなかの慧眼だねぇ。どうやら俺が耳にしていたルブレンのグラードルとは、君のことでは無かったようだねぇ」

 拍手が終わると、部屋の中に飄然とした男性の声が響きました。
 その声は、私たちの視線の先、クルリと回った背もたれの高い椅子。その上に足を組むようにして掛けた男性から上がったものでした。
 その男性は燃え上がるような赤い髪に、悪戯を企む少年のような光を湛えた金色の瞳を持っておりました。
 年齢は20代……おそらくは後半でしょうか? 非常に整った顔立ちをしておられますが、どこか剽げておられて気安げな感じがいたします。

「いやいやまあまあ、そのように熱い視線で見ないでくれないか。王国有数の美丈夫の俺とて、さすがに男率高めの視線には耐えかねる。……そのお嬢さんの視線は歓迎だが、他人ひとの妻を寝取る趣味はないので、謹んでご辞退するよ」

「ライオット――戯れ言はいい。声を上げたということは、お前のめがねにかなったということか?」

「……そうですねぇ。確かに君たちとなら共闘できそうだ」

「その制服は……法務部捜査局……」

 旦那様が、つぶやいた言葉を聞き逃さず、ライオットと呼ばれた男性が喜色を浮かべて旦那様を見ました。
 しかし、笑い顔で細められた目の中の瞳は鋭く光っております。

「ほうほう、知っているのかい? 我らは制服姿で徘徊することはあまりないのだが……」

「……軍人ですので、制服の種類は頭に叩き込んでおります」

 旦那様が、わずかに唾を飲んでそう答えました。

「うんうん、そつの無い返事だねぇ。頭の回転も悪くない……本当に、君の噂を聞いていた部下たちには、実物を見て判断するように教育し直さなければならないねぇ」

「マジ、それやめて上げてください。ごめんなさい。ホント」

 何故か旦那様は、早口の小声で謝りました。男性は剽げた調子ながらも、顎に片方の拳を当てて考え込みます。

「フムフム、いまの君の言葉は素の感じがするねぇ。……君にはどこかチグハグとした印象があるんだよねぇ」

「いい加減にしろライオット……すまないグラードル卿、この剽げ者は君が言った通り、捜査局の人間……局長だ」

「これはこれは、初めてお目に掛かる。ライオット・コントリオ・バーズと申します。以後お見知りおきを」

 ライオット様は椅子から飛び降りますと、オルタンツ様の隣に立ち、大仰に礼をしてそう名乗りました。
 しかし驚きました。まだお若いのに局長……オルタンツ様が最後の辺りを言い渋っておりましたのが気になりますけれど。仕事は確かだということなのでしょう。

「ではやはり、今日の茶会は私たちを囮に使うために開かれたのですね。目的はいったい何なのですか? 平穏を望む私たちエヴィデンシア家を巻き込むからには納得のいく返事を頂きたい」

 旦那様の言葉には私も激しく同意いたします。
 エヴィデンシア家は旦那様と私の代になり、バレンシオ伯爵との因縁を振り払おうとしているのです。

「まあまあ、法務卿をそう問い詰めなさんな。君らのことを考えて『白竜の愛し子』を招いたりして、バレンシオが手を出しにくい状況も作っているわけだしさ」

 そういうライオット様には視線を送らずに、旦那様はオルタンツ様を見たままです。

「それには、今ひとつ目的がおありでしょう。あの会場に内偵の局員が何人潜ませてあったのですか?」

 その言葉を聞いたオルタンツ様は、はっきりと驚きの表情を浮かべました。

あの場サロンでそれだけのことを考えていた訳か、私は君を見くびっていたかもしれんな……しかし、何故そう思ったのかね?」

「私もはじめオルタンツ卿がリュート君を招いたのは、もしバレンシオ伯爵に今回の件が伝わったときに、『エヴィデンシア家には『白竜の愛し子』がいるぞ。下手に手を出せば白竜様の怒りをかうぞ』という威嚇の意味合いが含まれているのだと思っておりました。しかし今日あの場で時間が経つうちに、『白竜の愛し子』に向かう視線と、私とフローラ。エヴィデンシア家の人間に向かう視線。大きくその二つに分かれていることに気が付きました。単に興味を持ったという方もいるでしょう。特にフローラのバリオンの演奏などは素晴らしいものでしたから……ですが、それだけではすまない視線をいくつも感じました。おそらく、その人物たちはバレンシオ伯爵に通じているのではないですか?」

 旦那様の考察を聞いたオルタンツ様は目を瞑り、しばし考え込みました。
 私も、あのサロンの場で、旦那様がそこまで周りに気を配っておられたのかと驚きを禁じ得ません。
 目を瞑り考え込んでいたオルタンツ様が、その目を開きます。彼の瞳には一つの決断の色が浮かんでおりました。

「分かった。私たちの目的を全て話そう……」

 オルタンツ様はそう言いますと一度深く呼吸をして言葉を続けます。

「私たちはバレンシオ伯爵の罪を白日の下にさらし、彼らの勢力を王国から一掃したいと考えている。だが君の言った通り、法務部にもバレンシオ伯爵の息の掛かった者たちが入り込んでいる。私たちは今日、君たちを使ってその者たちの内偵をしていたのだ」

 これまで決然とした表情を崩さなかった旦那様の表情が、少し柔らかくなりました。

「そういう訳ですか……今日の理由については得心しました。しかしバレンシオ伯爵の罪過を暴くことは……」

「そう、エヴィデンシア家のオルドー殿が試みたが失敗に終わった」

「何故――今なのですか? バレンシオ伯爵が財務卿の地位を退けば自ずと力は弱まっていくのでは……」

「いやいや、あまい、あまいよグラードル君。彼の後釜に座ろうとしているレンブラント伯爵は、バレンシオ伯爵よりも慎重で抜け目のない男だ。下手に彼が財務卿にでもなってみなさい、我々がつけいる隙はなおさらに無くなってしまうだろうね。あのバレンシオの爺さんの執念深さこそが我々の切り札になるのだよ」

 私は、完全に聞き役になってしまっておりますので、気になったのですが、ライオット様のこの口調と態度は、この重苦しい雰囲気を振り払おうとでもしているように感じられます。

「彼らが犯している罪とはいったい何なのですか?」

「横領した金を元手にした人身売買と……竜種売買だ」

「竜種売買!? まさか……国際法違反ではないですか!」

「そうそう、そうなんだよねぇ、竜種は竜王様のお許しを得て国が管理し、その使用法も厳密に定められている。だが、密猟して闇に流せばボロ儲けだ。人身売買についても我が国では大問題ではあるが、奴隷の売買が禁止されていない国はたくさんあるからねぇ」

 確かに、竜種売買が本当であったのでしたら、極刑が免れない悪行です。
 竜種とは、私たちの世界では、竜王様が生み出した子を第一世代として、その後。その第一世代が成した子を第二世代。さらに、その第二世代が成した子の、第三世代までをいいます。
 第一から世代が下がるごとに、知性が落ち、第四世代ともなりますと、既に野獣と変わらなくなってしまいます。
 第三世代は馬などと同じくらいの知性があり、比較的簡単に人間に馴れますので騎士団でも利用されております。
 第二世代は、簡単な人語を解し、簡単な言葉を話すこともできます。五歳くらいの子供と同じぐらいの知性があると言われております。
 第一世代は、人間と変わらないかそれ以上の知能を持ち、また魔法を扱うこともできるとか。第二、第三世代は市井や軍などでも見かけることはございますが、第一世代はある意味伝説でございます。
 この第三世代までは、竜王様が自身の眷属と認め、各国に相応の対応を求めております。

「エヴィデンシア家には、何か手がかりが残っていないかね。君たちのところにはアンドルクがいるのだろう?」

 ライオット様の言葉に、旦那様と私は、驚きを隠すことができませんでした。
 何故、彼はアンドルクのことを知っているのでしょう? 我家では、お父様さえ知らずにいたものを何故?

「おやおや、エヴィデンシア家は本当に善良なのだねぇ。まあ、アンドルクのことを知っていたのはディクシア家なんだけども……ディクシア家もエヴィデンシア家に劣らず古い家系だからね。だからディクシア家は一〇年前、エヴィデンシア家から解雇されたアンドルクを雇い入れようと交渉したのだそうだよ」

 そう言ったライオット様は、オルタンツ様の隣で意味ありげに目配せをいたしました。

「彼らには『エヴィデンシア家以外に仕える気は無い』とすげなくあしらわれたよ」

 オルタンツ様は表情を動かさずにそう言いました。

「律のディクシア。情のエヴィデンシアとはよく言ったもんだよね。それに、ウチの法務卿は、自分の目で見たことしか信じないので、下についた者の張り合いの無さと言ったら……ああ、話が逸れたね。まあ、エヴィデンシア家に何らかの証拠が残されていれば、いまの状態に甘んじていた訳はないか」

「ではやはり、オルタンツ卿とライオット卿の捜査局では我がエヴィデンシア家を囮として使い、彼ら――ないしその一党を現行犯として捕まえて、それを足がかりとするつもりですか?」

 旦那様がライオット様に渋面を向けます。

「そうそう巧くいけばいんだけどね。三〇年前の証拠が手に入るのが一番なんだ。なんといっても、あのときはまだバレンシオが財務卿になる前だから、帳簿の改ざんが完全にはできていなかったはずなんだ。引き出した金で奴隷や竜種を売買し、得た利益から引き出した分を戻した形跡が残っていたはずなんだよ」

「しかし、帳簿などが見つかったとしても三〇年も前の証拠では、立件には使用できないのではないですか? それに、その件に関しては別の犯人が突き出されたと聞き及んでおりますが」

「折しも、その犯人が近々釈放されるはずなのだよね。ねえ、何か事が動くような気がしないかい?」

 剽げた口調でそういうライオット様は、その金色の瞳を持つ目を、悪戯を企む少年のようにニマリとゆがめて、楽しそうに笑いました。

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