モブ令嬢の旦那様は主人公のライバルにもなれない当て馬だった件

獅東 諒

第二章 モブ令嬢と書斎の旦那様(弐)

 夕食後、居室に戻りました旦那様と私ですが、旦那様は「法務卿の茶会の件で考えたいことがあるから」と、書斎へと籠もってしまいました。

 私もまた、素早く控帳と炭筆を手にしてドアへと忍んでしまいます。

『『くぁああああああああああああっ! ウチの嫁、可愛いだけでなく、格好イイだと!? まったく死角無しじゃね! もうあんなこと言われたら。何がなんでもフローラのためにエヴィデンシア家を復興させねば!』』

 何でしょう? 旦那様が書斎の机をバンバンと叩いているような音が聞こえます。

『『しかも、金貨を、金竜シュガールのンコ想像して触るの戸惑うあの仕草とか。もう可愛すぎて――天使かよ!!』』

 金竜シュガール様の名前が聞こえましたが、口調が興奮しているようです。いったい旦那様は何に興奮しているのでしょうか?

『そういえば、俺、子供の頃に金竜王を見たような……。五歳くらいだったからよく覚えてないけど』

 旦那様がこれは普通の言葉で独り言です。はっきりとは覚えていないようですが、金竜王シュガール様をご覧になったことがあるのでしょうか?
 五歳くらいということは、話に聞いていたとおり、私が生まれた年くらいに金竜王様がオルトラント付近を飛び回っておられたということでしょう。

『『だがこうなると、もしものときはフローラやご両親を連れてどこかの国に亡命でもしようかと考えていたけど、それは難しいかな……』』

 一転して今度は、口調が真面目なものになりました。それに、私の名が含まれておりました。もしかして、私が金貨に触るのを戸惑いましたことに、何か思うところがおありになったのでしょうか。
 その、決して汚いとか、そう思っているわけでは……子供の頃にあのお話を聞いたときの衝撃が凄かったといいましょうか……金や金貨のことを考えると不意にそのときの衝撃が甦ってしまうのです。

『『しかし、ゲームの主人公やヒロインたちにはできる限り関わらないようにしようと誓っていたのに、向こうからやって来るって……それは想定してなかったよ』』

「奥様、書き損じておりますよ」

 突然頭の上からメアリーの声が響き、ビクリとしてしまいました。
 さすがに、今回は悲鳴を上げませんでした。しかし彼女、これは狙ってやっているのでしょうか? 幸いにも、旦那様には気付かれませんでしたが、私が物音を立てたら、旦那様に気付かれてしまうと思うのですが。

「……隠れる準備は万全です」 

 メアリー……表情から私の思考を読まないでください。

『『俺自身も謎なんだよな。なんでこの二年の記憶だけが入れ替わってるんだろうか、まあその二年の記憶があったおかげでこの世界が、俺が前世でプレイした美少女アドベンチャーゲームの世界だって分かったし、この先に起こるであろう可能性も、ある程度は予測できる。……だが俺はいったい何なんだ? もう完全にゲームのグラードルって存在とは別のものになってしまっているよな。それに前世の世界の言葉は分かるし、直近二年の行動は大体記憶がある。警察官を目指していたことも覚えているけど……それ以前の記憶が無いから、前世の俺がどういう経歴で、どこでどう育ってきて、その志を持ったのかは今ひとつ分からない。いまある二年の記憶から推測することしかできないんだよな』』

 私とメアリーはそれぞれに、旦那様の言葉の音を綴ってゆきます。
 旦那様が独り言で話す言葉は、不思議な響きをしておりますが、言葉の運びで、区切れる場所がございます。
 今のところ、おそらくそれが一つの文ではないかと予想しております。

『『とりあえず寮生活をしていたことは確かで、警察官を目指して警察官採用の一番多い日○文○大学に在学してたんだよな。しかも貧乏だったみたいで、色々バイトしてたみたいだし、奨学金ももらってた。『白竜の愛し子』は寮の悪友に勧められてプレイしたんだよな』』

 その文を単語単位まで分解できますれば、旦那様の言葉を理解するための次の段階に移ることができるとおもいます。しかし近在の国の言葉と、あまりにも響きが違っておりますので、なかなか難しいのです。

『『そして、これは兄弟なのかどうか、あまりにも顔立ちが違いすぎるから違うと思うんだが、二人の兄貴みたいな人たち。彼らは警察官だと思うけどその二人に逮捕術を教わったりしてたんだよな。その彼らが『お前には上に行ってもらわねえとな。そうすりゃあ、下の奴らのでっかい目標になる。俺たちみたいな境遇の人間がまっすぐ育つには。身近に道しるべが必要なのさ』、そう言っていた』』

「メアリーは、旦那様の使っているこの不思議な言葉について何か心当たりがありませんか?」

 私がそう訊ねますとメアリーが軽く小首をかしげて、考え込みました。

『『それに……頭の中に時折ちらつく子供たちの顔。学業やバイトで忙しい中、あの二人と訪れた場所。あれは児童養護施設だろうか? 慰問って感じじゃなかった……。それこそ弟や妹たちの相手をしてるような気持ちだったし。たまにフローラにもあの感じで触っちゃうんだよな俺。後で気がついて心臓バクバクだけどさ。でも……もしかしてあそこで育ったんだろうか? よくよく考えてみれば、二年の記憶に親らしき人は居ないし……』』

「……東方、トーワ皇国の言葉の響きに少し近い感じがいたしますが、トーワ皇国の言葉が分かるものがおりませんので、いまはまだなんとも……」

『『そして、あの日。バイトの帰り道……女性を襲おうとしていた不審者を俺は取り押さえた。警察に通報するように言って女性を逃がした後、間抜けな話、油断した隙に胸を刺されて死んだんだよな……俺』』

「トーワ皇国の言葉ですか……確か、かの国の言葉は私たちの国の言葉と、文法が違っていると聞いたことがあります。確かアンドゥーラ先生が少し話すことができたはずです」

 アンドゥーラ先生から以前、魔法先進国であるブリステン魔法王国と、トーワ皇国に訪れたことがあるという話を聞いたことがございます。
 一度、相談してみた方がいいでしょうか。もちろん旦那様のことは伏せてですが、でなければ旦那様がどのような扱いを受けるか分かりませんし。

『『その俺が何で、この世界に生まれ変わってきたのか……まあ、生まれ変わりに理屈を求めるのは無理なのかもしれないけど、馬から落ちたときのショックでフラッシュバックしたようにいまの意識に切り替わったんだよな。その後はもう頭の中がグッチャグッチャで、整理が付くまでに三ヶ月近くかかったわけだ。療養所から出たと思ったら『エヴィデンシア家の娘との婚姻の儀は二日後だ』だもんな。あのときはホントびっくりしたよ』』

 それにしましても、今日の旦那様の独り言は、何かを吟味しながら話しているようで、あまり早口ではございません。おかげで、記述してゆくのに私でもなんとか間に合います。

『『あのゲームの世界にグラードルとして放り出されるなら……どこか地の果てにでも逃げだそうと考えていたのに。…………フローラと出会ってしまった。……一目惚れだ。そんなものが本当にあるとは思わなかったよ……。いま俺は、彼女を幸せにしたい。……それにはやっぱりここじゃなきゃダメなんだろうな。彼女が一番輝いて見えるこの場所でなければ』』

 旦那様の言葉の中に私の名前がありました。その言葉がとても優しく響きます。
 この優しい響きは、時折、旦那様が私の頬に手を当て、優しく語りかけてくれるときと同じもの。
 何でしょうか、意味も分からないのに胸に熱いものがこみ上げてきます。

『『正直なところ、これからどうしたらいいのか……フローラがアンドゥーラの生徒だし、主人公リュートが貴宿館の住人になった以上、ヤツとの交流は間違いなく生まれる。それにアルメリアまで……、俺は彼女を含むヒロインたちに手を出すつもりはないから、下手をすると主人公とヒロインの出会いや、恋愛イベントがほとんど発生しないんじゃないか?』』

 気持ちが昂ぶってしまい手が止まってしまった私の前では、メアリーが淡々と旦那様の独り言を綴っております。
 彼女の瞳は私を見ております。表情の薄い彼女の瞳にはいま、温かい光が浮かんでおりました。

『『あれ? それ不味くない!? 先のこと考えたら、主人公リュートには誰かとくっ付いてもらわないと!』』

 しかし私の胸の昂りをよそに、旦那様の口調はめまぐるしく変わり、今度は驚きを含んだようなものになりました。

『『……それとも、ライバルたちとの友情を育む別名『腐れエンド』に誘導するべきなのか……しかし何だよ『腐れエンド』って。なんで美少女アドベンチャーゲームに腐女子御用達とか言われるシナリオがあるわけ? でもダメだ。あれだと、たぶん、ただ先送りになるだけだろうし……』』

 旦那様の感情が、上に行ったり下に行ったりしている様が、口調から判別できます。
 この感情の動きみたいなものも、書き記しておいた方が言葉の解読の役に立つかもしれませんね。

『『あれれ? そうなるともしかして俺、どっちにしても主人公リュートの恋愛が成就するために何かしないといけないんじゃない?』』

 突然旦那様の独り言が止まりました。
 しばしの間、物音もなくなりました。
 ……これは、独り言が出ないほど熟考しているのでしょうか? 

『『それに……俺は奴らに利用されるつもりはないけど、奴らのことは今のうちから』、調べておいた方がいいんだろうな』

 旦那様はそう言うと、チリーン、チリン、チリンと呼び鈴を鳴らしました。
 隣で一瞬メアリーが動こうとしましたが、鈴の鳴り方を最後まで聞いて留まりました。
 この鳴らし方はセバスを呼ぶものだからです。
 それから少しの間を置いて、廊下側のドアの付近から声がします。

『旦那様、セバスです』

『入ってくれ』

 ドアの開き、そして閉める音がしました。

『旦那様、ご用件は?』

『セバス……君に聞きたいことがある。……君は簒奪さんだつ教団という名前を聞いたことがあるか?』

『……旦那様、何故その名を!?』

 普段冷静なセバスの声に、明らかな驚きが含まれております。

『その反応は、知っているんだな』

『……はい。近年各国に浸透を図って……』

『どうした、セバス?』

 そう聞こえた瞬間、メアリーが私の口をふさぎ身体を抱えて後ろへと引き下がります。

『いえ……大きな鼠がいたようですので』

『何を言ってるんだセバス。この館は出来たばかりだぞ、そうすぐに鼠が入ってくるわけが…………』

 旦那様の声がそこまでは聞こえましたが、ドアから離れてしまったのでそれ以上は聞くことが出来ませんでした。
 しかし、簒奪教団とはいったい何でしょうか? 不穏な名前です。

「メアリー。あなたは簒奪教団という名を知っていますか?」

「申し訳ございません奥様。私は存じません」

 メアリーは否定しました。彼女の顔には明らかに悔しさのような表情が浮かんでおります。
 それは、そのような物の存在を父親から聞かされていなかったことに対する感情でしょうか?
 そしてなぜ旦那様は、セバスさえもその名前を聞いて驚くような存在を知っているのでしょう?

「私もその名を心に留めておきます。何か分かりましたら奥様には必ずお伝えいたします」

「分かりましたメアリー。よろしくお願いしますね」

 メアリーは、音を立てずに部屋から出て行きました。
 私は、旦那様が書斎から出てくる前に布団へと入り、目を瞑ります。
 ……それにしましても、地下室に大きな鼠が居ると、封印したのは旦那様だったはずですが……。

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