モブ令嬢の旦那様は主人公のライバルにもなれない当て馬だった件

獅東 諒

第二章 モブ令嬢家の家族会議(弐)

 貴宿館でリュートさんとアルメリアの入居受付をした後、屋敷の居室に戻りました私は、旦那様にディクシア法務卿より預かった手紙を渡し、お茶会へのお招きをいただいたと報告いたしました。
 旦那様が、また「『なんでこうも立て続けに……』」と、崩れ落ちそうになりながらつぶやいておりましたが、「どちらにしてもお礼に伺わないわけにはいかないか……」と踏みとどまっておりました。


 家族のそろった夕食の席で旦那様がこの件について口を開きました。

義父ちち上、先日お話しいたしましたが、貴宿館の件でディクシア法務卿にはお骨折りをいただきました。本来であれば我が家よりお礼に伺わなければならないところ、本日フローラづてに茶会への招待状を頂きました。これは、断るわけにはいかないと思うのですが、よろしいでしょうか?」

 旦那様は懐から招待状を取り出すと、傍らに控えたセバスづてに、お父様へとディクシア法務卿からの招待状を渡します。

 旦那様がお父様にそう伺いを立てているのは、バレンシオ伯爵の因縁を気にしているからでしょう。
 お礼に伺うだけでしたら内々の話ですみますが、我が家――エヴィデンシア家が社交の場に出席するとなれば対外的な活動となるからです。社交界の噂話は風の精霊王ウィンダルのように止めることもできず、またたく間に広まってしまうでしょう。
 お父様は、招待状を広げてゆっくりと一読しますと、その招待状を傍らに掛けるお母様に手渡しました。

「……オルタンツは、グラードル殿とフローラを認めたということなのだろうな。これはあの男の美点でもあり欠点でもあるのだが……あやつは自分の目で確認したことしか信じない男だ。先日の出会いは偶然ではあろうが……二人は、信じるにたる人間だと確信したのだろうな」

 お父様はその深い慈愛を湛えた濃い緑の瞳で、旦那様と私を見ています。

「私は既に貴族社会から身を引いた人間だ。いまの社交の場がどのようになっているかは想像もできぬ。だがオルタンツのことだ、何の手も講じずに二人を招くことなど無いであろう」

「では、問題無いとお考えですか」

「だがオルタンツがわざわざ茶会の席に呼ぶということは、彼にも何らかの思惑があるのだろう。出席すれば、良くも悪くもやっかい事に巻き込まれることになるぞ。それだけは覚悟しておきなさい」

 お父様自身も、覚悟を決めたように表情を引き締めています。

「分かりました……ではフローラ、君の意見も聞いておきたい」

 私は目を見開いて旦那様を見ます。お父様もお母様も軽い驚きを持って旦那様を見ております。
 何度も申し上げておりますが、大陸西方諸国は男尊女卑の気質が強い文化をしております。
 我家ではお父様のお身体の関係もあり、通常の家庭よりは母様や私の意見を尊重してくださいますが、私の婚姻話を独断ですすめるなど、やはりお父様も大陸西方諸国の男性には違いありません。

 思い返してみますと、あの初夜のおりも、旦那様は私にお願いなどすることなく、『俺がそう決めたのだから、お前は従っていればいいんだ』と言って切って捨てることもできたのです。
 アンドルクを訪ねた折も……。
 妻である私を尊重してくださる旦那様のこの気持ちを、女性の意見に惑わされる軟弱者だとそしる方もきっといるでしょう。
 しかし私は……心の内から湧き上がる思いのままに、瞳から涙が溢れてしまわないように、気持ちを必死で静めます。

「……私はディクシア法務卿のお誘いを受けるべきだと考えます。お父様が仰いましたように、法務卿にもきっとエヴィデンシア家を招くことに何らかの目的がおありでしょう。ですが我家はグラードル様を迎え、新たな一歩を踏み出したのです。仇敵でもありますバレンシオ伯爵も財務卿の任期を終えるいま、我家もオルトラント貴族として国のために生きねばならないと思うのです」

「なるほど……。フローラ、君は俺が思っていたよりもずっと貴族としての矜持を持っていたんだね」

 優しく掛けられた旦那様の言葉に私は、顔が赤くなってゆくのを感じました。しかしそのとき、ひとつ告白しなければならないことを思い出して、血の気が引いてしまいました。

「そ、その……、申し訳ございません!」

「どッ、どうしたんだいいきなり。フローラ!?」

 突然頭を下げて謝罪をした私に、旦那様が驚き、両親たちも何事かといった表情を浮かべました。

「あの、これはどこから説明すればいいのか……。……実は私、これまでお父様にもお母様にも黙っていたのですが、学園に入学してよりずっと、バレンシオ伯爵の又姪であるメイベル嬢に嫌がらせを受けておりました……」

「まさか! そこまで……」

 ガシャリ! と、お父様が食器を鳴らしてしまいます。お母様も眉を寄せて心配そうに私を見ました。

「これまでは、友人であるアルメリアの助けもありましたし、学生のうちだけのことと耐えていたのですが……。まさに先日、法務卿とお目にかかった日に、その……旦那様まで悪し様に言われて我慢がきかず……エヴィデンシア家を貶める無法にこれ以上黙っているつもりはないと――宣言してしまいました……」

 私の告白に、旦那様は少しの間目を見開きますと――突然、笑い出しました。
 それは、とてもおもしろい話を聞いて、笑いすぎてお腹が痛くなりでもしたかのように、腹を抱えて笑っております。

 あの、旦那様? 私そのように笑われる話をした覚えはないのですが? どちらかといいますと、何をしてくれたのだと怒られると思ったのですが……。

「突然、申し訳ございません義父上、義母上」

 旦那様が食事中の無礼に、お父様とお母様に謝罪しましたが、まだ笑いが収まりきれず、目の端に少し涙がにじんで見えます。
 私が納得のいかない顔をしておりますと、旦那様はなんとか笑いを抑えて私に視線を向けました。そして愛おしそうに私の頬に手を添えます。

「うん、それで良いと思うよフローラ……君は最高だ」

 これは、褒められた……。と思っていいのでしょうか?
 
「だが、あの蛇のように執念深いバレンシオ伯爵のことだ、おそらくそのことは既に耳に入っているだろう。いくらグラードル殿がルブレン家の血族だとしても何を仕掛けてくるか分からんぞ」

「なればこそ、ディクシア法務卿とのこの縁を、我家も存分に使わせていただきましょう。相手の思惑に流されるより、我らも己の矜持を貫いた方がいい。時代が変わったということを、かのご老人にも分かっていただきましょう」

 そう言った旦那様は、何かを振り切ったように、出会ってよりこれまでで最も挑戦的で、凶悪そうに見える笑みを浮かべました。
 しかし……私の目には、例えようもなく頼もしく映ったのです。





「難しい話が終わったのでしたら、フローラ――これをグラードル様に」

 お茶会への参加を巡る話が終わりましたところで、お母様がセバスを介して革袋を私の元へと運ばせました。
 私はそれに手を出そうとしますが、中身を想像して手が止まってしまいます。

 その様子を見ていた旦那様が「……フローラ? 君……もしかして、気にする人なのかな?」と、意外そうな表情を浮かべました。

「はい……馬鹿らしいとも思うのですが、その、時々思い出してしまいまして……。別に触れないわけではないのですよ」

 私は、セバスの手から革袋を受け取り旦那様へと渡しながら、訴えかけるように彼を見ます。

「アルメリアさんと、リュートさんからお預かりしました金貨シガルになります。合計八金貨シガルですね」

 お母様が貴宿館管理人の顔でそう仰いました。

「確かに受け取りました。セバス、この管理は君に任せる。ロッテンマイヤーと話し合って基本的には貴宿館の運営に使うように」

 そう言って、確認した金貨を革袋に戻すとセバスに引き渡しました。

「確かに畏まりました旦那様」

 セバスは受け取った革袋を胸元へとしまいますと、私たちの給仕を続けます。
 それを確認した旦那様が続けて口を開きます。

「しかし……食事の場で言うことではないとは思いますが、金が金竜シュガール様の排泄物だという逸話は本当なのでしょうかね」

 私が言葉を濁しておりましたのに、旦那様はためらいなく言ってしまいました。
 そうなのです。私たちの世界では金は金竜シュガール様の排泄物であると言われております。

 シュガール様は普段は空中を飛び回っておられるのですが、金の鉱脈が大好物だといわれております。ときに地上に降りては金の鉱脈を食い荒らして、その後、空中から純度の高い金を排泄物として落として回るとか。そのときにある国では王宮の一角が潰れたとかいう話もありまして、大空に金竜様の姿を見かけたときには、皆その進路から逃げ出すのだそうです。

 私は幸いにも、シュガール様を見かけたことはございませんが。私が生まれた一五年程前には度々オルトラント付近にも姿を現したと聞いたことがございます。

「全てがそうでは無いだろうがね。普通に出回っている金貨は人が掘って精錬したものだろう。ただ金竜シュガール様の金は非常に純度が高いので、宝として各国の宝物庫に秘蔵されていると聞いたことがある。たしかオルトラントにもあったはずだ」

 お父様も旦那様の振ったお話に、おもしろそうな様子でそのように答えました。

「しかし、かの竜王様は狂言回しトラブルメーカーのようなのに、肝心なところで美味しいところを持って行く不思議な存在ですね」

 旦那様も、先ほどまでの少し重苦しくなっていた雰囲気をかき消そうとでもするかのように、金竜王様の話を続けます。

「黒竜戦争のときに黒竜ヨルムガンド様を鎮めたのは結局、かの竜王様だったわけですし、さすがに希望を司る竜王様というべきでしょうか」

 私も旦那様のその心遣いに合わせるために、金竜王様の逸話を口にすることにしました。

「あまりにも金の鉱脈を食い荒らして、地の精霊王ノルムに数百年、地中に閉じ込められたというお話もございましたし、その後も、反省したといいながら同じようなことを繰り返したので、ノルムには目の敵にされて、様々な意趣返しをされた逸話もございましたね」

 お母様も私の話を次いでくださいます。

「ええ……結局、地に棲まう銀竜王クルーク様の取りなしで、一年に金の鉱脈を口にする量を定められたとか。しかし、地の精霊王ノルムは、いまでも金竜王様にいたずらをしているといいますね」

 このようにして、重苦しい話で始まった私たちの夕食は、最後には金竜王様の逸話という、たわいもない会話をもって楽しく終了することとなりました。

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