モブ令嬢の旦那様は主人公のライバルにもなれない当て馬だった件

獅東 諒

第一章 モブ令嬢と貴宿館

 翌朝、旦那様と私は貴宿館に関わる使用人を紹介して貰おうと、貴宿館へと向かいました。
 その途中、館の階段をエントランスへと下ってゆきますと、エントランスではお母様とメアリーが向かい合っておりました。

「大奥様、だいぶよろしくなりました」

「あらあら、そうかしら……なかなか難しいものですね」

「お母様、メアリーと何をしていらっしゃるのですか?」

 私が声を掛けますと、二人の視線が私に向きました。

「おはよう、フローラ。昨日の話で私、貴宿館の責任者を務めることになりましたでしょう。メアリーに館の責任者としての振る舞いを教えて貰っているのよ」

 そうなのです。昨夜、あの夕食の折、貴宿館について話し合った中で、貴宿館の責任者はお母様に決まったのでした。
 それは、旦那様は騎士団での仕事がございますし。私もまだ学生です。お父様はあのようなお身体ですので、最も自由に動けるお母様が適任だということとなったのでした。

「それでは、今一度やってみましょう」

 私とお母様の話が終わったと思ったのでしょう、メアリーが促します。
 お母様は、身体の前で両手を軽く合わせますと、笑顔を浮かべます。

「あらあら、うふふ」

「えっ?」

「はぁ!?」

 次に出たお母様の台詞に、私と旦那様の口から驚きの声が漏れました。

「あの、メアリー……いまのはいったい?」

「はい、『あらあら、うふふ』は――このような館の女性責任者には必須の技術もの……どのようなやっかいな住人であろうとも、この『あらあら、うふふ』の前では、従順な住人となるのです」

 メアリーはいつもの薄い表情のままそう言い、拳を握ります。
 そして、お母様の胸のあたりから顔に視線を送りますと、「……特に大奥様のような雰囲気を持つ方が使いますと、それは強力な力を発揮します」と、なぜか満足げです。

「まさか……『この世界ここでも……』」

 つぶやいた旦那様が、隣で固まっております。
 
「欲を言いますと、これで未亡人でしたらさらに威力が跳ね上がります」

 メアリー……お父様を亡き者にしないでください。
 ですが、そのような技術なのでしたら、私も覚えておいた方が良いのでしょうか? 学園卒業後は私がお母様の後を引き継ぐこととなるのでしょうし。

「メアリー、私にもその『あらあら、うふふ』を教えていただけないかしら」

 私がそう言いますと、隣の旦那様が目を見開いてこちらを見ました。

「フローラ!?」

 旦那様の驚きをよそに、メアリーは先ほどお母様にしたように、私の胸のあたりに視線を向けます。

「奥様。いまはまだ……学園ご卒業の折には、きっと……」

 ……なんでしょうか、ものすごく傷ついた心持ちです。
 旦那様が、優しく肩に手を掛けてくださいましたが、何故かその心持ちが増したような……

 そのようなやり取りのあと、責任者であるお母様も伴い館を出ますと、貴宿館の方からアルドラ・カーレムが寸胴を抱えて歩いてきました。

「これは皆様おはようございます。朝食の準備に来たのですが、あちらへ用事ですか?」

 カーレム婦人はニイッと豪快な笑顔を浮かべております。
 おそらくは三〇代後半、お母様と同年代ではないでしょうか? 女性にしては背が高く、身長は旦那様と同じくらいです。昨夕紹介して頂いたときには、夫のトナムの方が少し背が低かった印象がございます。
 彼女の明るめの赤い髪は、まるで燃えさかる炎のようで、見ているだけでこちらも活力をいただけるような雰囲気を放っております。対してその瞳は清涼感ある緑色で、どこか慈愛を湛えた母性を感じさせます。その瞳には僅かばかり懐かしさを感じました。

「貴宿館の使用人を皆様に紹介しに行くところです。貴女は昨日紹介しましたので、そのまま本館で朝食の準備をお願いします。……しかし、本館付の貴女が何故貴宿館に?」

 メアリーが私たちを代表してカーレム婦人に答え、最後に疑問を付け加えました。

「ああ、実はねぇ、煮物ってヤツはさ、大量に作った方が味がよくなるんだよ。だからさ、最終的に貴宿館の方が人数が多くなるんだし、煮物の設備は貴宿館に設置して向こうで作ることにしたってわけさ。それに煮物は時間が掛かるからね、使う薪の量の事もある。こうすれば僅かばかりだろうと節約になるだろ。一年で考えてみれば相当なもんだよ。まあ、あとはあっちの厨房の連中には経験を積んで貰わなきゃね」

 答える相手がメアリーだからでしょうか、口調が先ほどよりも砕けております。

「それではトナムも?」

「ああ、うちの旦那は、あっちで弟子どもを怒鳴り散らしてるさ、あの人も厨房じゃあ格好良いんだけどねぇ」

 紹介頂いたときのトナムを思い浮かべますと、とても怒鳴り散らすような雰囲気ではありませんでしたが……。
 私がそんなことを考えておりますと、ふとカーレム婦人と目が合いました。豪快だった彼女の笑顔が優しいものへと変わります。

「あたしにおやつのおねだりをしに来てたお嬢様が、奥様か……あたしも歳をとるわけだね」

 そう言われて、ハッと思い出しました。赤い髪とあの緑の瞳、特にこの瞳の色。
 私がまだ分別の利かない三歳か四歳くらいの頃でしたでしょうか、一時期、おやつの我慢ができずに、お父様やお母様に禁じられていた地下の厨房へと、足を運んでしまったことがございました。
 そのときに、「困ったお嬢様だねぇ、いいかい、おねだりはあたしが居るときだけにするんだよ」と言って、おやつを出してくれた女性。

「……あの時の……」

「ああ、覚えていてくれたんですねぇ。嬉しいねぇ。結局あたしたちは子供を授かることができなかったんで、お嬢様のことはそれは気に掛けていたんですよ」

「アルドラ……」

 メアリーが、少し低い声で彼女の名前を呼びました。

「ああっ、済みません。奥様にこんなこと……」

「いえ、良いのです。私も幼い頃の我家を知っている方と話す事ができるのは嬉しいことです。アルドラ、またそのうち話を聞かせてください」

「はい、畏まりました奥様。それでは、皆様方が本館にお戻りになる頃に、朝食を並べられるように段取っておきます」

 そう言って寸胴を抱えて本館へと行ってしまいました。考えてみますと、あの寸胴は中身の入ったもののはずですのに、まったく重さを感じていないような様子でした。
 料理人というのはそれほどに肉体の強さが必要な職業ということでしょうか。
 私もこれまでの環境もあり手慰み程度に調理の経験はございますが、とても私に務まる仕事とは思えません。頭の下がる思いです。

 アルドラと別れて私たちは貴宿館へと入りました。
 二日ぶりに入った館は外見こそ私たちが生活していたときと変わりありませんでしたが、その内部は、いささか雰囲気が変わっておりました。それは、置かれている調度品の変化でしょうか。
 高価な調度品は売り払ってしまっておりましたので、がらんとしていたエントランスには、高価なものではなさそうですが、調度品が要所に並べられており、華やいで見えます。
 学生が生活する場としてでしたら、十分なもののはずです。

 「エミリー、その花瓶はそちらの飾り柱の上に。ヨハンナ、そのようにほこりを立てるような箒の使い方をしない! ミミ、あなた先ほど頼んだシーツは片付けたのですか?」

 という声が、二階から響きます。
 上を見上げると、階段を上りきった場所に五〇代と思われる女性が、細い身体をピンと背筋を立てて立ち、周りをめまぐるしく動き回る侍女たちに指示を飛ばしております。

 髪は白の上に紫を薄く塗ったような色です。まとめた髪を頭の上で棒状の櫛を使って留めています。鼻頭が高く尖ったような感じで、また右の眼窩に片眼鏡モノクルを嵌めているのが確認できます。

「ロッテンマイヤー。――ご主人様たちをお連れしました。皆を紹介してください」

 メアリーの声かけに、ロッテンマイヤーと呼ばれた女性がこちらに振り返りました。彼女は滑るように階段を降りてきます。そして、私たちの前まで来ると姿勢を正しました。彼女の灰色の瞳が私たちを捉えます。

「これは、ご主人様方。私、この貴宿館の管理を任されました家政婦のロッテンマイヤー・フィリンと申します。またアンドルクでは館にお仕えする侍女たちの教育もしております」

 彼女はそう言ってセバスやメアリーのような見事な礼をしました。確か家政婦とは執事の女性版のようなものだったはずです。おそらくはセバスやメアリーにその礼を教えたのも彼女なのでしょう。そして、パンパンと手をたたくと「ハンス! ハンス! エントランスにおいでなさい! エミリー! ヨハンナ! ミミ! 集合!」とよく響く高い声を上げます。

 近くで片付けをしていた侍女たちはすぐに集まりましたが、ハンスと呼ばれた男性は、館の奥にいたのかやってくるのに少々時間が掛かりました。

「それでは紹介させて頂きます。私に近い方から、エミリー・クータル、ヨハンナ・ミリム、ミミ・カルーシェ、ハンス・ロダンになります。いまここに居る者たちが貴宿館の運営に関わります。下働きと厨房の人員などは、お目に掛かることは無いと思われますので、紹介は省かせて頂きます。また、当初はこの人員で運営して行きますが、これ以上の人員が必要な場合は随時補充する予定でおります」

 ロッテンマイヤーから、侍女たちを紹介されて旦那様とお母様が挨拶している間、私の目が行ってしまったのは、ミミと呼ばれた侍女でした。昨晩のメアリーとの会話で出てきたのが彼女だったからです。
 彼女は青紫の髪をしていて、瞳は髪と同系色ですがもっと鮮やかな色彩です。目がくりくりしていて少し少年めいた雰囲気です。貴宿館の侍女の中では一番若いのではないでしょうか。
 しかし、とても昨晩のメアリーと同じような事をするような人とは思えません。きっとあれはメアリーの冗談だったのでしょう……そう思いたいです。
 旦那様とお母様の挨拶が終わり、私も一言挨拶をすることとなりました。

「グラードル・ルブレン・エヴィデンシアの妻、フローラ・オーディエント・エヴィデンシアです。皆さんのエヴィデンシア家への献身、篤く御礼申し上げます。しかし私はそれを当たり前のものとして受け取りたくはございません。あなたたちの献身にたる人間であれるよう、私もまた研鑽し、夫グラードルと共にエヴィデンシア家をもり立てて行きたいと考えております」

 私の前で、頭を軽く下げ静かにその言葉を聞く使用人たちからは、その静けさには似合わない、強い熱のようなものを発散させているように見えました。

 その後ロッテンマイヤーに先導されて、住人を受け入れるために改装が始められている個室を見て回りました。
 私やお父様たちが使っておりました部屋も、既に改築の手が入っておりました。少し感傷的な気持ちも湧き上がってまいりましたが、旦那様と私が新たなエヴィデンシア家の歴史を作って行くのだ、という決意を後押しされている気持ちもまた湧き上がってきます。

「ところで奥様、本館のほうでメアリーは真面目に働いておりますか? この娘、間違いなく仕事はできますが、性根に少々癖がございます。大奥様とは旧知でもございますし、できるのならば私が本館にお仕えしたかったのですが、セバスがご主人様にお仕えします以上、こちらに私が詰めないわけにはまいりませんでした」

 そう言ってロッテンマイヤーは悔しがっております。
 年齢を考えて、もしやとは思っていたのですが、ロッテンマイヤーも以前エヴィデンシア家の館に勤めてくれていたのでしょう。しかし私、何故か彼女のことは覚えておりません。
 
 メアリーの方から強い視線を感じてそちらを見ますと、彼女が切実な視線を私に送っておりました。どうやら彼女にも頭の上がらない相手というものが居るようです。私は、これは覚えておいた方が良いでしょうと、頭の隅に控えておくことにいたしました。

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