モブ令嬢の旦那様は主人公のライバルにもなれない当て馬だった件

獅東 諒

第一章 モブ令嬢の事情

 蝋燭を挿した燭台からの光が、食堂の中を薄暗く照らします。
 壁に据えられたランプを灯せばいま少し明るくなるのですが、ここ数年の生活が染みついていて、なかなかランプを灯す気にもなりません。
 夕食を終えた私と両親の前には空になった皿と、フォーク、スプーンなどの食器類がそのまま置かれています。

「くぅっ……フローラ。すまない――私の力が足りぬばかりに……」

 家を潰されないための政略結婚。
 そんな状況を受け入れるしかなかったお父様が、テーブルの上で握りしめた拳を、濃い緑色の瞳で睨み付けています。
 ブルブルと震える拳に、私を思うお父様の気持ちが見て取れ、私の胸中に温かいものがあふれてきました。
 お父様の、灰色に近いくすんだ金髪は、蝋燭の黄色い光を受けていまは金髪に見えます。
 四〇を少し超えたばかりの年齢ですが、長年の苦労のために本来の年齢よりも上に見えてしまいます。
 そのお顔にはいま、己のふがいなさへの怒りのようなものが滲んでおりました。

「いいえお父様。私も貴族の娘。私があの方と結婚することが我が家の利になるのならば、怯むことなどございません」

「…………フローラ」

 お母様が、炎の色に近い色の瞳に滲む涙を、手巾しゅきんで拭います。
 赤茶けた色合いの髪は、蝋燭の光でさらに赤味を強くして見えました。
 普段は明るく振る舞っているお母様ですが、この婚姻の話になると心を乱してしまうようです。
 ですが女性の持つ強さでしょうか、四〇を少し下るお母様は、その年齢よりもだいぶお若く見えます。
 そんな二人を前に、私は朗らかに笑って見せました。

「グラードルさまも私と結婚することで、貴族としての地位を維持できるのですから、無下に扱われることもないでしょう」

 そう、私の家。エヴィデンシア家はオルトラント王国より伯爵の地位を賜った貴族です。
 代々、王国の内務を預かる文官を輩出してきました。
 しかし三〇年ほど前、お祖父様がある有力貴族と諍いを起こしてしまい、国の要職から外れてしまったのです。
 当時文官として出仕する道を閉ざされたお父様は、政敵となった貴族の力が及ばない、武官としての栄達を目指しました。ですが若くして戦傷を負い、戦の場に立つことのできない身体となってしまったのです。王国に貢献する道を閉ざされてしまった我が家は、名誉を回復するすべを失ってしまったのです。
 領地を持たない我が家は、現在困窮の一途をたどっており、先祖の残した遺産を切り崩して、細々と生き延びている状態なのです。

「それに、グラードルさまを婿に迎えるのですから。住まいも別館に移るだけですし」

 私は、視線を窓の外に向けました。そこには数日前に建ち上がったばかりの別館が見えます。
 別館といいながらも、私たちが住む館よりも立派なものなので、新たな館に移ること自体には気持ちが高まるのですが……。

 ギリリッという音が私の耳を打ちました。
 視線をお父様に戻すと、口の端に血が滲んでいるのが目に入りました。

「金で貴族の地位を買ったルブレンに、エヴィデンシアも娘ごと買い取られたと、バレンシオ伯爵が触れ回っておる」

 バレンシオ伯爵。
 三〇年ほど前、法務卿であったお祖父様が、国費横領の容疑で告発した相手です。
 しかし当時の捜査によって別の犯人が見つかり、罪を逃れたバレンシオ伯は、逆にお祖父様に対して、えん罪を仕掛けたと、法務卿からの解任を迫りました。
 結局。お祖父様は責任をとり職を辞することとなったのです。そしてまだ若かった父に当主の座を譲り、国政の第一線から退きました。
 お祖父様は、亡くなる最後までバレンシオ伯が横領の中心人物であったと、お父様に訴えていたと聞きます。私が物心つく前の話ですので、今の私には真偽のほどは確認のしようもございません。

「お父様、ルブレン侯爵はバレンシオ伯爵とは、あまり仲がおよろしくないと聞いています。おそらくルブレン候が私とグラードル様の婚姻を進めたのには、子息に貴族の位を与えること以外にも、バレンシオ伯の不正の証拠を手にしたいという思惑もあるのかもしれませんね」

 ルブレン侯爵には申し訳ございませんけれど、お祖父様の遺品にはその件に関するものが見つかっていないのですが……。
 お父様が、私をまじまじと見て悔しげに口を開きます。

「フローラ、おまえが男であったなら……」

「お父様、私が男であったのならば、バレンシオ伯爵からの迫害は今以上のものであったでしょうし、我が家の名が残るのですから、今はこれが最善で御座いましょう」

「フローラ、貴族の娘として振る舞うあなたは立派ですが、あなたはまだ一五歳の娘でもあるのです。家族にだけは年相応の本音をさらしても良いのですよ」

 お母様は痛ましいものでも見るような表情をしています。ですが、これも私の本音であるのです。それに私は結婚などできないものと思っておりましたので、この後の生活を成り立たせる知識と技術を学ぶために学園に通っていたのです。

「お母様、私は別に強がっているわけではございません。学園に通えなくなるのは少し残念ですが、在学中に結婚なされた上級生の方々も、皆様同じようなものでしたから」

 ニコリ――と、笑ってみせました。
 私としては、女性に爵位継承権の無いこのオルトラントで、家名を残せ、さらに私に男児が生まれれば血も残せるのですから僥倖ぎょうこうではないかと思うのです。
 ただひとつ懸念があるとしますと、お相手であるグラードルさまとお顔を合わせるのが、婚姻の儀当日が始めてであるということでしょうか。

 グラードルさまは私より五歳年長で、およそ半年前に隣国との間で起きた国境線を巡る争いによって、軽い戦傷を負ったそうです。
 本来であれば、私が一五歳になるのを待って婚姻の儀を行う予定であったのですが、彼の回復を待つ間に二ヶ月ほど婚姻の儀が延びていたのです。
 そしていよいよ明日、グラードル様と私の婚姻の儀が行われるのです。

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