身代わり婚約者は生真面目社長に甘く愛される

黒柴歌織子

27

「おはよう。……クマがでているな」
「え? クマ?」
「目元にクマがある」

 悠馬さんが自分の目の下を指さす。
 頭の中には動物のほうのクマが浮かんでいたので理解するまでちょっと時間がかかった。

「ああ……。寝ないとすぐ出てしまうんだよね」

 普段はコンシーラーでごまかせるぐらいだけど、指摘されるということはそこまでひどいのか。

「眠れなかった?」
「んー……夢見が悪くて」

 数時間前の電話は悪夢以外の何物でもなかったので嘘はついていない。
 会話自体は十分にも満たなかったけれど、それの倍以上の時間私の気持ちを乱し続けている。
 気分が晴れなくてずっと動画サイトで犬や猫を見ていた。

「具合が悪いとか?」
「そういうのではないよ、ありがとう」

 トーストの焼ける香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。続けてふわりとコーヒーの香りも。
 沈んでいた気分がわずかに上がる。
 席についてテレビをつけると、ちょうど天気予報がやっていた。

「そろそろ梅雨明けみたいだね。早くじめじめから解放されたいな」
「分かるよ」

 このシーズンは特に傷痕の痛みがひどい。
 夏は夏で台風が来るとやっぱり疼くのだが、梅雨の時の頻度に比べればマシなほうだ。

<みなさん、夏休みのご予定はなんですか?>

 天気予報が終わり、【夏の最新情報!】というテロップと共に草原が映し出される。
 ぼんやり見ているとキャスターが満面の笑みで<ご覧ください!>と景色を指さす。

<こちら、ニュージーランドのトンガリロ国立公園です!>
「っ!」

 思わずむせこんでしまった。

「……大丈夫か?」
「ごほ、うん、ごめん、心配しないで」
「トンガリロ国立公園になにかむせこむような要素があったとか?」
「ぜんぜん違うから安心して」

 悠馬さん、真面目なのかボケているのかたまに分からない時がある。
 タイミングが良すぎるんだよね。つばきがニュージーランドに行っていると聞いたから、国名に過敏になりすぎている。
 私が落ち着くまでにいくつか観光地が映し出される。

「ニュージーランドって羊のイメージしかないけれど、観光地としても有名なんだね」
「うん。今テレビで言ってた通りファンタジー映画のロケ地があるし、水際のホテルもきれいなところが多い」
「行ったことあるの?」
「大学時代に友人と。あそこ、教会のつくりも美しいから自分の目で見たかったんだ」
「へえ」

 デザイナーとして惹かれるものがあるのだろう。
 そういう見方を持っていると世界は面白いんだろうな。

「そういえば俺、久しく旅行に行っていないな」
「そっかぁ。行く?」

 ほぼ無意識に相槌を打ち、発言した後で自分の言葉の意味に気づく。
 有休取って旅行行きたいなーという気持ちがダイレクトに出てしまっていた。

「あー……言っといてなんだけれど……多分本条家が許してくれないかも……」
「別に許しとかいらないんじゃないか? そんな、門限が決められている子どもじゃあるまいし」
「そうなんだけど……『私』が悠馬さんと仲良くすることに良い顔をしないと思う。その、詳しくは言えないけど私は『本条つばき』ではないので……」
「本条家はめんどくさいね」
「うん……本当に思う」

 あの親あっての娘ありって感じがする。

「黙って行けば分からないはずだ」
「思ったよりも不真面目な回答が出て来た」
「だってそうだろう。どちらも大人だ、制限をかけられる謂れはない。なにか定期的な報告をしなくてはいけないとかはある?」
「それはないかな」

 今のところは。
 父親にそれとなく様子を聞かれているので、その経由でおじさんに情報は行ってそうだけれど。

「じゃあこっそり行こうよ。国外はさすがに無理にしても、国内の近場ならそこまで怪しまれもしないだろう」
「……提案しておいてなんだけれど、悠馬さん乗り気だね」
「たまにはゆっくり二人で過ごしたいと思っていたところだったから。急ぎの仕事もそろそろ一段落つきそうだし、温泉にでも行こうよ」
「温泉は……」

 傷痕を晒すのは嫌だな、と考えていると悠馬さんは続けた。

「貸し切りで。俺と君だけなら構わないだろう?」
「い、一緒に入るつもりなの!?」
「そうだけど」

 なに平然と言っちゃってるのこの人……。
 なんだか水族館デートから夜の一件以来、距離を急速に詰めてきている気がする。つばきの代理だと暗に伝えているのだけれどもしかして通じていないのだろうか? それとも分かってやっている?
 問いただすと逆にこちらが話さなくてはならない事態になる気がして確かめられないのがもどかしい。

「あんまり傷痕を見られたくない……」
「じゃあ夜に入ろう」
「あ、どうしても一緒がいいんだね」

 譲れないらしい。
 ちょっと困りながらも、何処に行こうかと考えている自分がいた。

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