戦場の絶対正義

アカヤネ

序章 十一話 トラウマ

「お前は撃つのか?」
ウィリアムの意識が再び戻った時、そこは一九六七年八月のベトナム、チューチリンの村だった。
蒸し暑い空気、水たまりのできた泥の地面、村を取り囲む熱帯林、周囲では木を組んで作られた家が火をつけられて燃えており、撤退する解放戦線と追撃する航空騎兵隊の交える銃火の銃声が散発的に轟き、爆発の硝煙が大気にたなびいている。
そんな中、ウィリアムはコルト・ガバメントを構えていた。震える銃口の先、白い硝煙がたなびく先には、オリーブドラブの戦闘服に身を包み、ウィリアムにM16を構える一人の青年の姿があった。ウィリアムより若干高い背丈に、白い肌と青色の済んだ瞳……。
"彼"だった……。
ウィリアムは叫びたかったが、それはできなかった。いつもできない。これは夢でも幻覚でもなければ純粋な記憶の再現なのだ。彼が彼自身に最大の問いを問うための。
「お前は何故撃つ?」
ヘルメットの下から覗く鋭い眼光を向けて、"彼"は問う。引き金を引くのは、命令のため?国のため?家族のため?その銃弾が誰かの命を消し、誰かの人生を不幸にすることがあっても?それは正義だったといえるのか、放った銃弾が絶対的な正義であったといえるのか……。
「お前は何の正義を信じて、誰を射つ?」
分からない。許してくれ。でもいくら考えても、いくら戦っても、その正義が分からないんだ。
ウィリアムは叫びをあげたいほどだったが、記憶はそれを許さなかった。ただ、"彼"にガバメントを向けたまま、硬く口を結び、足は震えていた。
そして、繰り返される記憶の終わりがやってきた。
「俺は自分の正義を見つけた。だから、この引き金を俺は引く!」
青年が声を張り上げ、M16の引き金を引く。
「やめろーーーっ!!!」
やっと声を出せ、ウィリアムは叫び声を張り上げた。だが、すでに遅く、目の前で閃光が弾け、銃弾が一発、二発と放たれる。その瞬間だった。
「大尉、危ない!!」
ハワードの叫び声が意識の中に響き渡り、ウィリアムは眼に見えない力に押し飛ばされたのだった。それと同時に白い光が眼の前に広がり、やがて収縮して一点に消えた。その白い光は、革命軍兵士のFALの銃口で弾けたマズルフラッシュの閃光だった。すぐ左隣でドス、という鈍い音が聞こえたが、ウィリアムは自分が横に吹き飛ばされている理由もその音のことも意識に介さずに一瞬で体勢を立て直すとコルト・ガバメントを目の前の敵兵の脳天に向けて撃ち放った。部屋に飛び込んできたアールとリーのMC-51SDも同時に火を噴き、拳銃弾三発、小銃弾三十二発を全身に受けたゲネルバ革命軍の少年兵は頭などはほとんど形をとどめないような形で後ろに吹き飛んだ。
「こちら、アルファ。銃声がした。どうした?」
骨伝導イヤホンから伝わってきたサンダースの声に短く「問題ありません」と返そうとしながら、すぐ左隣を振り返ったところでウィリアムは異常に気が付いた。
「ハワード!」
すぐ左隣でハワード・レイネスが仰向けに倒れていた。首の右側を負傷している。自分の手で傷口をおさるようにしているが、その指の間から出血は止まらない。すでに地面に広がった血液はどす黒く広がり、闇の中でも一際黒い液体が床に広がっていくのが分かる。
即座に衛生兵の名を呼ぶ。
「アーヴィング!!」
呼び終わる前にハワードの左脇に滑り込んできたアーヴィングは腰の応急キットから白い止血帯を取り出し、ハワードの出血部に押し当てる。わずかな月明りの中でも白い止血帯がみるみる赤く染まっていくのが分かる。ウィリアムの背後では、トム・リー・ミンクが折り畳み式担架を展開しており、ジョシュアとアールは周囲の警戒に当たっていた。
「くそ!死にぞこないがいたなんて...。」
背後でトム・リー・ミンクが毒吐くのが聞こえる中、ハワードは静かにこちらを向いた。自分をとらえた、彼の目がすでに己の死を悟っているのが、ウィリアムには分かった。
過去の幻想にとらわれて動けなかった自分。そんな自分を救うために身を挺した部下が自分が受けるはずであった銃弾を代わりに受けて死にかかっている。
すまない……。
もう感じるのも何度目かの罪悪感に耐えきれず、歯を食いしばり、部下の目から視線を逸らしたその時だった。ウィリアムの手に温かい感触が伝わった。ハワードの左手、血で赤黒い色に染まったタクティカル・グローブに包まれた左手がウィリアムの手を握りしめていた。やがて、その左手は自身の戦闘服の胸ポケットの中に隠れると、ライターのような物を握ってウィリアムに差し出された。
「隊長……、これを……、カナダにいた時の……、仲間……。」
切れ切れと絞り出すようにして声を出すハワードに、傷口を抑えるアーヴィングが「しゃべらないで!」と叫びながら、応急処置を進める。背後では
「担架組み立て完了。アーヴィング、移すぞ!」と叫ぶトム・リー・ミンクの声が響く。
そんな喧騒の中でウィリアムは再びハワードと目を合わした。首に新しい止血帯を押し付けられて倒れているハワードはもうすでに言葉を口に出す必要もないという目をしていた。まるですべてをやり切ったというような清々とした目に対して、ライターを受けとるとウィリアムも言葉を交えずに深く頷いた。
任せろ、これは必ず……。
「移します!」
ウィリアムがハワードの隣を退くと、アーヴィングとリーがハワードの体を担架の上に移した。装備品を含めると二人で持ち上げても重たい体を、出血を悪化させないように持ち上げるのは簡単ではなかったが、二人はそれをやってのけると担架を持ち上げた。その様子を見て、呆然としていたウィリアムの脇にアールが立つと「大尉!」と呼び掛けた。
「政府軍が来ます。行きましょう。」
アールの耳打ちで我に返ったウィリアムはアールに頷き返すと、指揮を再開した。
「アール、先頭についてくれ。アーヴィング、リー、アールのうしろにつけ!ジョシュアと私が最後尾につく。」
命令に従い、撤退の隊形を整えながら、ジョシュアは背中に背負った無線機で、"指揮所"への連絡をとっていた。
「こちら、ブラボー。負傷者一名、重症。これより大使邸より撤退します。」
「コマンド、了解だ。最後の狼煙を忘れるな。」
ウィリアムの指示通り、アールが先頭につき、その後ろに担架をもつ二人が、後方警戒にはウィリアムとジョシュアが当たるという形で「ゴースト」ブラボー分隊はアルファ分隊の護衛と誘導を受けながら、地下水路を通って現場となった駐ゲネルバ・アメリカ特命大使私邸をあとにした。
大使私邸を去る直前、建物の中庭に出たサンダース少佐は左腿の専用のホルスターから信号銃を抜きだすと、真上に向かって引き金を引いた。軽い破裂音とともに、雲の切れ間から弱い月明かりが射し込んできた夜空に信号弾が打ち出され、上空五十メートルまで上昇したところで、白緑色の光に姿を転じた。
"最後の狼煙"が上がったことを確かめたサンダース少佐はすでに先行した部下達を追いかけるように地下通路に向かった。

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