アルビノで日差しに弱いお嬢様の私が真炎龍《ヴェーラフラモドラコ》の雛を拾ったんですがこの子と一緒に世界一周はできると思いますか?

辺寝栄無

日ノ土月の8日《3月8日》

 体がこわばってまともに動かせそうもない、苦しい……息ができ――。 
「ッッ……ッハァハァ――――」 
 息苦しさのあまり強制的に眠りから目を覚めさせられた。 
 視界に映るのはいつもと変わらぬ寝室の天井。呼吸は荒く鼓動の音が体中に響いている。 
 息を吸い、吐く――。今度は深く吸い、深く吐く――――――。三度続ける頃には呼吸は大分落ち着いてきていた。 
 ベッドから上半身を持ち上げると自分でもびっくりするくらいの量の汗をかいている事に気がついた。
 汗まみれになった服は身体のラインがくっきり出るぐらいびちょびちょに濡れていた。脱いで絞れば雑巾のごとく染み込んだ汗を吐き出すだろう。
 シーツもしっとりと濡れている事に気がついた。視線を落とすとそこには人型の影のような跡ができていていた。一瞬おねしょかと思い、恐る恐る鼻を近づけて臭いを嗅いでみたが服が吸収しきれなかった汗がシーツまで届いてしまっただけかと思われた。 
 ベッドがこんな大惨事になるなんて、よほど怖い夢を見ていたのだろうか。こんな状態で目を覚ますのは生まれて初めての経験だった。その割には夢の内容について覚えていることは少なく、息が詰まっていたせいか必至で逃げていたような感覚だけが体に残っていた。 
 おぼろげな夢のことについていくら考えても仕方がない。覚えていない夢よりもまずはびちょびちょの服だ、このままでは風邪をひきかねない。それにこれだけ汗をかいたのだ、いっそのこと水で流したほうがいいかもしれない。そのあとはシーツのことについても考えなければ、時間はまだあるだろうか、そう思い壁にかけてある古い年代物の時計に目をやる。 
 壁にかけてある時計は古びているせいで数字が擦れてしまっているのか、それともそういうデザインなのか、理由は定かではないがとにかくこの時計は時計にもかかわらず時間が非常に分かりづらい。こういったアンティーク系の家具は大体がお父様の趣味による物だがいくら気に入ったからといって私の部屋にまでこんな分かりづらい時計を置くのは勘弁していただきたいものだ。
 頭の中にもう一つの時計を創り出し、部屋の時計と照らし合わせると針は7の近くと8を指していた。 
 6時40分。もう!? このままじゃすぐに朝食の時間になってしまうではないか! のんびり汗を流し、身だしなみを整えている暇などない。むしろ一刻も早く着替えて朝食に向かわねば、しかしこんな状態で朝食に向かうわけにもいかない。やはりまずは身だしなみを……――。 
 先ほどまでののんびりとした思考とは打って変わって高速で脳を働かせる。しかし思考は一向に前には進まずグルグルと堂々巡りを繰り返すばかりだ。 
 コンコン。 
 不意に聞こえたノックの音にびっくりし思わず体が跳ねてしまう。 
 まずい、おそらく執事のルイスがもうすぐ朝食の時間だと伝えに来たのだろう。いよいよ時間がない。 
 取り急ぎ出来ることだけやって大急ぎで朝食に向かうべきだろうか。それとも正直に言って準備を整えてから向かうべきか。いやどちらにしろこれらの方法ではお母様のお叱りからは逃れられないだろう。お母様のお小言はものすごくねちっこくて尋常じゃなく長い。この前なんて廊下をちょっと早足で歩いただけで、はしたないだの貴族の娘としての心構えがなってないだの服装が乱れるだのと小一時間飽きもせず、ずっとしゃべり続けていた。今回のは下手をすれば一日中続くかもしれない。それを考えるともう気が滅入ってしょうがない。何とか回避する方法はないだろうか……――。 
「お嬢様、ルイスでございます。朝食の準備が整いましたのでご報告に参りました」 
 ドア越しに執事の声がした。思考に耽っていたせいか思った以上に間が空いてしまっていたようだ。 
 なにか返事をしなければ、だが咄嗟に良い言い訳など思い浮かぶわけもない。もうすでにどうこう出来るほどの時間も残されてはいない。起こってしまったことはもうどうしようもない。覚悟を決めて正直に言うしかないか……。 
「も、もうそんな時間だったのね、気がつかなかったわ。でもごめんなさい、実は今ちょっと困ったことになっているの。とりあえず入ってもらっ……」 
 返事の途中で、ふとびしょびしょのシーツのことを思い出した。 
 あれを見られるのはまずいのでは、もしかしたらあらぬ誤解をされるかも……。いやルイスは狼犬人リカイナントだ。人間とは違い非常に鼻が利くし、そう言った変な誤解はされないだろう。しかしあれだけの汗の量だ。それに服だって大変なことになってしまっている。病気と勘違いされるかも。先生に診てもらってからはだいぶ安定してきたとは言え、そもそも身体は丈夫な方ではなかったし。むしろ今でも病弱の方に含まれるだろう。大事に捉えられる可能性だってあるかもしれない。それはそれで面倒なことになるかも……。もしかしたら本当に何かの病気の可能性も確かにゼロではないけれど疲れ以外には違和感とかは特にないし大丈夫なはず……きっと。いやそんなことよりもまずこの状況をどう説明するべきか、身支度だってどれほどかかるかも分からないし————。 
 並列思考が苦手なくせに脳が勝手に今は必要ない情報まで掘り起こしてくるせいで考えれば考えるほどに考えなければならないことが無数に増えていく。しかも今日に限って無駄に頭は回るときた。とっ散らかった思考が短時間で纏まるわけもなく言葉は途中で止まったまま不自然な間ができてしまっていた。 
「お嬢様、いかがなさいましたか、なにか問題でもございましたか?」 
 不審に思ったのか、いくら言葉に詰まっているとはいえルイスは主人の言葉を遮ってしまう形になるのを承知でこちらに聞き返してきた。 
「だ、大丈夫なんでもないわ」 
 思考に集中しすぎてしまっていたせいか、返事がどもってしまう。なにか答えなければ、さっきまで考えていたことの全てを無理やりにでも頭の隅に追いやる。 
 とりあえずルイスには朝食に遅れるとお父様達に伝えてもらうことにしよう。 
「そうね、やっぱり入らなくても大丈夫。そのかわりお父様達に、私は朝食に遅れると伝えてもらってもいいかしら」 
「かしこまりました。ただよろしければ理由をお聞きしてもよろしいでしょうか、お嬢様」 
「り、理由!?そ、そうね……」 
 予想外の返答に思わず声が上ずってしまう。まさか引き下がらないとは、いやあれは不審に思われてもしょうがない気がする。でも理由なんて聞かれてもどこから話せばいいか。そもそも自分の中ですら整理しきれてないことを他人にわかるように話せるわけがない。そ、そうだここはもういっその事————。
 ふと一つの案が頭の中に浮かび、急遽ルイスへ言伝の内容を変えることにする。 
「いや、やっぱり朝食はいらないわ。あまり食欲が湧かないの、だからお父様達には私抜きで初めて頂いて構わないと伝えて頂戴」 
「お嬢様、何度も申し訳ありません。ひとつだけお聞きしてもよろしいでしょうか?」 
「え、ええ、大丈夫よ。何かしらルイス」 
「体調が悪いということではないのですね? もし少しでも体調がすぐれないようでしたら旦那様方には私からそのようにお伝えし、本日は一日安静にすごすというのも――」 
「体調は大丈夫、全然問題ないの。ただ今日は朝はいいかなって、ただ単純にそんな気分なのよ。今日は」 
 先ほど思いついたことをそのままを言ってみたがこれは、なんというかその……、だめかもしれない。よりにもよって気分とは、中身がなく随分とふわふわしており、これが理由として機能しているかは甚だ疑問である。 
「気分でございますか。しかしお嬢様、朝食は一日の活力とも言います。普段から体調が万全ではないというのもございますし朝食はちゃんととられる方がよろしいかと……」 
 だめか……。いいや、この作戦はむしろここからが本番だ。このまま無理やりにでも押し切る! 
「もう! あんまり深く聞かないでちょうだい、女の子にはいろいろあるのよ。ルイスおわかり?」 
 自分で考えたセリフとはいえ、女の子にはいろいろあるとはなんだろう。こんな台詞を言ったのは生まれて初めてだ。しかも最後のあれはなんだ、わかるわけがない。だって私だってわかっていないのだから。あまりの恥ずかしさに自分で発した言葉なのにも関わらず、顔全体が熱を持ち耳の先まで真っ赤に染まっていくのが自分でもありありと感じられた。 
「いろいろですか……。かしこまりました」 
 コツ、靴のかかとが床に当たる音がした。 
 ふぅ……、何とかなっただろうか。 
「お嬢様、朝食は本当によろしいのですね」 
「――!」 
 まだ居たのか。不意に聞こえてきた声に驚き思わず顔が音の方を向いてしまう。 
「だ、大丈夫よ! もういいから行ってちょうだいったら!!」 
 今度こそは不意を突かれぬように考え事はいったんやめて注意深く聞き耳を立てる。 
「フゥ……――、かしこまりました。では失礼いたします」 
 コツコツコツコツ……。 
 音は消えた……。行ったか、今度こそ大丈夫。途中大きく息を吐くような音が聞こえた気がしたがおそらく気のせいだろう。 
 今回はなんとかうまくいったが、あんなごり押し会話はもう今後一切使うことがないよう気を付けていこう。あんなセリフを多用するような場面が今後もしあったとしたら私はもう恥ずかしさのあまり死んでしまう。 
 熱を持った顔を手で仰ぎつつ、空の水差しを手に取りに魔力を流し込む。すると徐々に水差しの中が飲み水で満たされていった。しかし込めた魔力が少し足りていなかったのか思っていたよりも飲み水は溜まっておらず、少し不思議に思いながらも溜まった水をコップに注ぎ込み一気に飲み干す。 
 冷たい水で頭も冷え、一息ついた私は今後一切もう二度とあんな恥ずかしいセリフは使ってたまるものかと心に決めた。 

==========

 時間的にも脳味噌的にも余裕ができた私は体調不良の可能性を考え、昔病気を診てもらっていたトリスティア先生からもらった検査機を使い体調を調べることにした。
 診断結果を確認したところ魔力不足との結果が出た。
 寝ている間に知らず知らず魔法を行使していたのだろうか。その仮定で考えていくと無意識の魔法の行使により身体機能の補助魔法の行使すら危うくなるほどの魔力不足に陥り、結果息苦しさや大量の汗をかいてしまっていた、そう考えることができる。しかし一体どれほどの魔力を消費すればあんな状態になるのだろう。そもそもそこまで大量の魔力を消費する魔法はまだ覚えてはいないはずだが……————。
 考えれば考えるほど謎は増えていくばかりだった。そもそもこの考えは仮定に仮定を重ねたものであり確証のあるものではなくこのまま考えを重ねていっても原因が明らかになることはないかと思われた。
 思考を一度断ち切り時計を見ると時間は8時半を迎えていた。 
 そろそろ授業に向けての準備をしなくては、今日はたしか自由七科だっただろうか。まぁ裁縫や美術と比べたらまだ良いと思えた。だからと言って好きかと問われれば答えには少しばかり困ってしまうが。 
 少しばかり重くなった腰を上げ椅子から立ち上がり少しずつ準備を整えていく。 
 一通りやるべきことを終え、あとは授業が始まるのを待つのみとなった所でそういえば起きてから一度も用を足していないことに気がついた。
 授業までの時間が少しばかり迫ってきていることもあり、残りの時間を余裕をもって過ごすためにも少しだけ急ぎつつトイレへと向かった。 
 廊下を歩いているとコツコツと誰かが階段を上がってくる音がした。一番確率が高いのは使用人のうちの誰かであろうが、家に雇われている使用人達がこんなにもわかりやすく音を立てながら歩くはずがない、ではお父様かお母様のどちらかだと考えられた。お父様はおそらくお仕事の最中であろう。それにお父様はあまり音を立てて歩かないし。であれば音の主はお母様か、今お母様と鉢合わせるのは非常にまずい。
 私は来た道を引き返そうとしたが判断が遅かったのか、階段からお母様の顔がちらりと見えた。 
 お母様もこちら気がついたのだろう。表情が見るからに不機嫌なり始める。
 お母様は一切表情を取り繕うともせず、その大きな口からいつも説いている貴族らしさとは程遠い速度で歩き始め、それでも姿勢は一切崩さないのは流石はここら一帯を取り締まる領主の嫁といったところか、ツカツカとわざとらしい足音を立てながらこちらに近づいてきた。 
 あまりの迫力に圧倒された私はすぐさまその場から逃げ出そうと、貴族らしさなどかなぐり捨ててその場でクルッと180度方向転換を決めて自室に戻ろうとした。だが抵抗むなしくお母様に呼び止められてしまう。 
「あら、これは奇遇ですね、エレノア。今朝は朝食にいなかったようですがいかがなさったのかしら」 
 やっぱり逃げられなかったか。まぁ、そもそも見つかってしまっている時点で全くもって無意味な抵抗ではあったが……。それでもこの後のことを考えると逃げださずにはいられなかった。 
「お、お母様、おはようございます。今朝はお顔をお見せすることができず申し訳ありませんでした。以後同じような過ちは犯さぬよう気を付けてまいります」 
 お願いだ。これでどうにかなってくれ――。
 しかし祈りもむなしくゆっくりとお母様の大きな口が開かれる。 
「ええ、そうですね。貴族たるものいかなる時も他人に一切の弱みを見せてはいけません。いつ、誰に、何を付け込まれるか分からないんですもの。常に細心の注意を払いつつ行動していかねばなりません。ですからエレノアもう二度と同じような過ちを犯さないためにもなぜ今日、朝食に顔を出さなかったのか、その理由を教えてもらえないかしら。まさか言えない様なことをしていたなんてことはありませんわよね……。エレノア=アルバニア=フォーサイス」 
 まずい、これはまずい。フルネーム呼びは非常にまずい。というか洒落になってない。
 額には脂汗がにじみ、つばを飲み込むことを忘れてしまった口内には大量の唾液がたまっていた。 
 なにか、なにかしらの弁明を今すぐにでもしなければ……。
 しかし頭の中には何も浮かんでこない。そりゃそうだ、だって寝坊しただけなんだもん。弁明などあるはずもない。しかし黙っているのはもっとまずい。なんでもいい、とにかく何かしらの言葉を発さねば……。 
「どうなのです。何か言ったらどうなのかしらエレノア――」 
 私が何も言えずにいると、お母様はより一層の怒りを声に滲ませ問いかけてくる。 
「そうですか、何も言えないのですね。エレノア、貴方は何度言えばわかってくれるのかしら。貴方にはもう一度、一から説明をしなければならない様ですね。我々貴族が貴族らしい振る舞いをすること、それはもう義務なのです。我々貴族は平民とは違う生き物なのですよ」 
 お母様は一度会話を区切ると近くに置いてあったベルを手に取りチリンチリンと音を鳴らした。
 するとどうだろう。すぐそばに待機していたかの様な早さでメイドのメアリがこの場に現れた。 
「フレヤ様、お呼びでしょうか」 
「メアリ、そこの窓を開けてちょうだい」 
 そう言いながらお母様は庭全体を見渡すことのできる窓に視線を送った。 
「畏まりました」 
 メアリの手により窓が開けられ、そよ風がそっと頬を撫ぜる。いつもなら心地よく感じるはずの風も後のことを考えると今回ばかりは少し不快に感じてしまう。 
「エレノア、あれを御覧なさい」 
 大慌てでお母様の向く方向と同じ場所を向き視線の先を確認する。お母様の視線は庭の手入れに勤しむ庭師を指していた。 
「平民というのは我々貴族が常に導いてやらねばならないのです。彼らは本質的には獣と同じであり、我々貴族がいなければすぐ堕落してしまう、そういう生き物なのですよ。あの庭師だってそう。たしかにそこらに溢れる物どもと比べたら多少はできる様ですが、それも全て我々貴族が仕事を与え管理しているからこそ。見なさいあの汚らしい格好を。わたくしとしてはいくら仕事ができるとはいえ、物などに我がフォーサイス家の敷地を跨がせたくはないのだけれど。アデルバートの功利主義には困ったものだわ。あら、わたくしとしたことが少し話が逸れてしまったわね。エレノア、あれらは物です、生き物ですらない。そう、このベルと同じ我々人間に使われるだけのただの道具なのです。いくらあなたでもこれぐらいは理解しているでしょう」 
 これは返事を求められているのだろうか、それとも一度間を置いているだけだろうか。ここを間違えると大変なことになる。この前なんて返事を求められているのかと思い返事をしたら「人が話している途中にも関わらずそれを遮るなんて何事です」といった具合でそれはそれはもう大惨事に発展したものだ。 
「……。これはまた一からキルクス教典を読んでもらうことになりそうですね」 
「奥様、お取り込み中のところ申し訳ありません。少しお時間を頂いてもよろしいでしょうか」 
 返答を返すべきかどうか悩んでいると階段の方から声が聞こえてきた。 
「控えなさい! 狼犬人リカイナント風情が貴族間の会話に割って入るなど、特別に旦那様からフォーサイス家の敷居を跨ぐことを許されているとはいえ到底許されることではありません。己が分を弁えなさい」 
 メアリは声を張り上げ、ルイスを遮るような形でお母様との間に立ちいった。
「申し訳ございません。ですがお嬢様にも関係することでして」 
 お母様は右手にハンカチを持ちそのまま手を口に当てて、左手でベルを持ち鳴らした。
 それを確認したメアリはお母様の口元に耳を近づける。お母様の口から囁き声がした後、メアリがお母様の代わってルイスに言葉を告げ始めた。 
「ルイス、フレヤ様から貴方への言葉です。心して聞き入れなさい」
 少しのためを挟みメアリは言葉を続ける。
「貴方の発言を許可します」
「奥様、発言の許可を下さったこと誠に感謝いたします。そしてメアリ様、ご報告感謝いたします」
 ルイスは非常に丁寧な対応で二人に感謝の言葉を示すがお母様とメアリの心にその姿勢が届くことはないだろう。お母様達の表情は一向に険しいままだ。
「只今お嬢様の授業の時間が目前となっております。このまま会話を続けますと少々遅れが生じてしまいますがいかが致しますか」 
「あら、それはいけませんわね。ではエレノア、この続きはまた」 
 そういうお母様の視線は、一切ルイスの方を向いてはいなかった。
 その理由は明白でお母様の中では自身と道具(に属するような人物)が会話を交わすなどありえないことなのだ。
 だからお母様はルイスの方を見ず、私に喋りかけることによってこの会話を私とお母様との間で起きたものとして処理したいのだろう。
「はい。それではお母様、失礼致します」 
 早々に私から背を向け階段を降りていくお母様に向かい礼を済ませ、後に控えている説教を増やさないためにも、いつも以上に姿勢を正しゆったりと十分な余裕を持たせた歩き方を心がけ表面上は決して急ぐことなく自室へと向かった。 
 無事に自室の前まで到着しドアノブに手をかけようとしたところ、ふと背後から声をかけられた。 
「お嬢様、少々お時間よろしいでしょうか」 
 声の主はルイスだった。先ほどの助け舟は非常にナイスなタイミングであった。ちょうど良い、こちらとしても礼を言っておきたかったし少々話すぐらいどうって事はないだろう。 
「ええ、大丈夫よ。なにかしら」 
「先ほどは出過ぎた真似をしてしまい申し訳ありません」 
「全然謝ることなんてないわルイス。むしろ私がお礼を言わせて欲しいぐらいよ」 
「いえ、私はただ事実を述べただけです。お嬢様からお礼を言われる様なことなどなにもしておりません」 
「そうだとしても、私が貴方のおかげで助かったことには変わらないわ。だから言わせてちょうだい。ありがとうルイス、おかげで助かったわ」 
「お嬢様。お言葉ありがたく頂戴致します」 
「そうよ、遠慮なく受け取っておきなさい。ところで私にあった用事って謝罪だけってわけじゃないでしょう」 
「ええ、実はお嬢様にお渡ししたい物が御座いまして」 
 そう言うとルイスは片膝をつき私と目線の位置を合わせた後、懐からナプキンに包まれた何かをとりだしてきた。 
「朝に何があったかは詳しくはお聞きいたしません。ですが朝食を取られないと言うのは流石によろしくないと思いましてパンを持ってまいりました。お時間がございましたらこっそりとお食べください。ですが急いで食べてはなりませんよ。喉に詰まらせてしまっては大事です」 
「ルイス……。あなたはやっぱり最高の執事よ! ありがとう」 
 溢れ出す感謝の気持ちを一切抑えることなく、勢いのまま私は感謝の言葉とともに思いっきりルイスに抱きついた。 
「お嬢様お気持ちは嬉しいですが、淑女(レディー)があまり気軽に男に抱き付くのはよろしくありませんよ。 それに、これこそ奥様に見つかってしまっては先ほど程度のお説教じゃすまされません」 
 そう言いながらルイスは私の手を優しく解き立ち上がった。 
「だって言葉だけじゃ溢れ出る感謝を表現しきれなかったんですもの。こればっかりはしょうがないわ。あの表現方法が一番適切だったのよ」 
「だとしてもです。それではお嬢様、失礼致します」 
 ルイスは立ち上って姿勢を正したまま踵を返し歩き出し始めた。
「ルイス本当にありがとう。それと今日の毛並みも最高だったわよ!」 
 私のお礼に対しルイスは頭の天辺の位置を下げることなく180度クルッと綺麗にまわってみせ軽く頭を下げた後もう一度クルッと回って前に向き直り足音を立てることなく気持ち足早に去っていった。
 ドアを閉め自室に戻るや否や、もらったパンを無作法極まりない早さで口の中に放り込んでいく。
 私は口の中をパンでパンパンに膨らませ途中喉に詰まらせそうになりながらも大急ぎでパンを平らげていった。 

==========

「エレノア、聞いているのですか。エレノア」 
 予定していたよりも少しだけ早く全ての授業が終わり、余裕を持っていつもより早めに一階に向かった私を待ち受けていたのは夕食の準備に追われている給仕達ではなく、いつにも増して人を威圧し萎縮させる様な雰囲気を身に纏ったお母様であった。 
 何故こんなにも見るからに不機嫌なのか、間違いなく朝の出来事のせいだ。殊勝なことにお母様は朝の話の続きをするためにわざわざ待ち構えていたのだった。だとすれば私は張られた蜘蛛の巣にまんまと引っかかってしまったというわけか。なんと間抜けなことか、逃げ出そうにもその場を離れるに足る理由が見当たらない。今の私には蜘蛛の巣に絡め取られた羽虫の様にもがき回ることすら叶わない。早めに来るという選択肢を選んだ時点でもうすでに手遅れだったのだ。 
「いいですかエレノア、貴方には何度も言わなければ理解ができないようですから今一度説明しますけれど、このフラウギス宗主国でわたくしたち貴族は与える者と呼ばれています。そしてそこにいるメアリや執事長のローゼスらを仕える者と言います。人とされるのはここまででありそれ以下は使われる物、そう道具なのです。ちなみに我がフォーサイス家の中にはそんな下品な道具は一つたりとも置いてはありませんが。……そういえば例外が一つだけ存在しましたね、あれに関しては種そのものが人に使われるために生まれたというのに。いくらアデルバートのお気に入りとはいえあんな下品な道具を家に置いておくなどわたくしは認めたくはないのですが。アデルバートの功利主義には本当に困ったものです。まぁアデルバートが変わり者であることなど今に始まったことでもないけれども。いいですかそもそも与える者の義務とは――――」
 お母様の長い説教を少しでもかわすために今の私にできる事は心を無にして脳の電源を落とし耳から入ってくる全ての言葉を右から左または左から右へ聞き流すことだけだった。 
 説教に紛れて少し離れた場所からキィとドアの開く音が聞こえた。お母様が一度話を区切ると、それを確認したメアリは報告を伝えにやってきた。 
「フレヤ様、旦那様がお見えになられます」 
「そうですか。今日のところはここまでにしておきましょう」 
「はいお母様」 
 コツコツと耳障りにならない程度の足音と共にお父様が大広間にお見えになられた。
 それに合わせ執事やメイド達が軽く頭を下げ、お父様が前を通り過ぎる頃に合わせ顔を上げる。もっと人数がいればお父様に合わせて揺れる波のようになるだろうか、そんな考えが頭を過ぎる程には統率のとれた綺麗な動きをしていた。毎度のことながらこの動きには関心せざるを得ない。
 夕食の時間を迎え家族全員が食卓に集まった。まず最初にお父様が席につき、少し後にお母様も席につく。私は最後、そういう決まりだ。お母様いわく「貴族たる者、その場いる人物の序列を瞬時に把握し、それに即した行動を即座にとらねばなりません」と言う事らしい。そう言うお母様だが、心の奥底ではお父様のことを自分より下に見ている節があるのを私は知っている。 
「皆、席についた様だな。では今日までの神のお導きに感謝を示すための祈りを捧げる。皆、目を閉じなさい」 
 お父様の言葉に従いその場の皆がこの国、フラウギス宗主国で最上位神とされる主神キルクスに祈りを捧げるに相応しい体勢を取り始める。 
 まずこの場で一番位の高い最上位者であるお父様が手のひらを天に晒す。するとその場の皆が目を閉じ、フォーサイス家に仕える執事やメイド、給仕、所謂中位から下位者にあたる者達は体を地に伏せ首を垂れる。上位者にあたる私たち家族は体を地に伏せる必要はなく、代わりにテーブルに頭を伏せ首を垂れる。 
 この場の全員が祈りの体勢が取れたのであろうか。しばしの静寂の後、お父様が祈りの言葉を捧げ始めた。 
「われら主神キルクスの敬虔な信徒なり。主よ、人は皆、主の導き無くしては生きてゆく事すらままならぬ無知蒙昧の愚物なり。しかし主は本来、神の奴隷でしかなかったわれら人に手を差し伸べ、知恵を授け、生の道を示した。主こそ、われらの真なる導き手なり。われらが今日も人としての生を真っ当できることに感謝を示しわれらの骨肉、血の一滴までの全てを主に捧ぐ。われらの全ては未来永劫、主の所有物なり。主よ変わらず、われら人を未来永劫導きたまえ。敬虔なる信徒より主に捧ぐ。エィスクリーブ」 
 お父様が祈りの言葉を捧げ終わり、皆が続けて「エィスクリーブ」と唱える。 
「今日も主は我らの願いを受け入れてくださるだろう。フレヤ、エレノア目を開け楽にしなさい」 
 最上位者であるお父様からお声がかかり、お父様の次に上位者に当たるお母様と私の祈りの体勢を解くことを許される。その後、お父様はお母様に向かって目配せをし、お母様がローゼスに告げる。
「ローゼス」
 お母様から声を掛けられた執事長のローゼスは、即座に祈りの体勢を解き姿勢を正してお母様のお言葉聞き入れる姿勢に入った。
「以降の指示は全て貴方に委任します」
「かしこまりました。フレヤ様」
 パンッ。
 ローゼスが手を叩くとこの場にいる執事やメイド達全員が一斉に祈りの体勢を解き食事の準備に取り掛かり始める。
  みるみるうちに食卓の上に食事が運ばれ五分もしないうちに夕食の準備が整う。だからと言って、並べられてすぐに手を付けては決してならない。
「それではいただくとしよう。各々自由に手をつけなさい」
 まず最初に最上位者から食事に手をつけても良いという様な旨の許可が下りる。そして最上位者が一口食すのを確認したのちにやっとその他の上位者達が食事に手をつけても良くなる、が序列をもっと細かく分けると家族間で序列が一番低いのは私であり、細心の注意を払うのであれば私はお母様が手をつけるまで待たねばならないのだ。
 いつも思うのだが、この場に存在しない神に向かってあそこまで畏って平伏したり、人にいちいち位をつけたりなんだか違和感を感じずにはいられない。なんというか、ふに落ちないのだ。お母様に何度説明されようがキルクス経典を何度読もうが納得ができないのだ。しかしこの家でこんな当たり前のことにいつまでも疑問を感じているのは私くらいだろう。この国でこんな疑問を抱えたままじゃ、いつまでたっても生きづらいままなのは分かってはいるがこればっかりはしょうがない。だって納得ができないのだから。そのせいでいまだに私の所作にはぎこちなさが付いて回ってしまっている。
「エレノア、あまり食が進んでいない様だが。そういえば朝食の時にもいなかったが何かあったのか」
 私が脳内で言い訳をこねくり回しているうちも変わらず時間流れていた様で、しかし体だけが流れに乗り切れておらずそのせいで行動にズレが生じていたのだろう。意識の外側からふとお父様の声がした。適切に言葉を返さねば。間を間違えるなどあってはならないし、無視など到底許される事ではない。失礼のない様ナイフとフォークを食卓に置きナプキンで口を拭き、思考回路と神経の向いてる方向を内側から無理やりに外側へ向け直す。
「お父様、朝はご迷惑をおかけして申し訳ございません。どうやら昨日の疲れが少し残っていた様です」 
「エレノア、お前の体は健常とは言えないのだ。注意だけは怠らないようにしなさい」
「かしこまりました、お父様。ご助言いただきありがとうございます。ですがご心配には及ばないかと、ただの疲労でございます」
「そうか。自身のことは自身が一番よく分かっているだろう。自らでよいと判断したのなら私からは何も言うまい」
「ありがとうございます」
 会話に区切りもつきフォークを手に取り食事に手を伸ばすがお母様から声がかかる。
「エレノア、お父様に向かって肯定以外の返答はよくないわね」
「フレヤ。状況を正しく判断するためには時には否定も必要だ」 
「アデルバート。ですが、言い方というものがありますわ。自身よりも目上の者の意見に対してあんなに真っ向から否定するのは貴族としていかがなものかと。それにエレノアはまだ子供です。正しい判断が下せているかと言われると少し疑問が残りますもの」
「エレノア、トリスティア女史から送られてきた検査機での確認はとっているのか」
「はい、お父様。確認したところ魔力が少ないとの結果でした。睡眠中に魔力が回復しきらずそのために疲労感があったのかと思われます」
「そうか。そういうことであれば問題はないだろう」
「エレノア、そういうことは早く言いなさいな。でないとお母様が困ってしまうでしょう?」
「申し訳ございませんでした、お母様」
「わかればいいのよ。わかれば」
 会話に区切りがつき以降言葉を交わすこともなくなったためか粛々と食事は進み、今日で唯一家族全員が揃った夕食の時間は長針が一周するよりも早く終わりを迎えた。

==========

「ルイス、居るかしらー。ルイス〜」
 今日行う全ての予定を終え自由時間を迎えたエレノアは気分転換がてら庭を散歩していた。
 散歩の途中ちょうどルイスがトレーニングを行なっている時間と重なることに気がついたエレノアは裏庭に向かいながら声を張り上げルイスを探していた。
 こちらの声を聞きつけたのか裏庭の方からルイスがやや小走り気味にこちらに向かってきた。
「あ! やっぱりいたわ。こっちよ。こっちー!」
 無事にルイスを見つけた私は小刻みにジャンプをしながら両手を振ってルイスを迎える。
「お嬢様! 淑女レディーがそんなに声を張り上げて大袈裟な所作をするものではございません。周りからはしたないと思われてしまいますよ。私を呼ぶときは専用のベルを鳴らすだけでよいと何度申し上げればわかってくださるのですか」
「こっちだって何度も言わせてもらいますけど! ベルを鳴らして呼びつけるなんてなんだか偉ぶってるみたいでいやなの」
「実際にお嬢様は私よりも偉いのですから、ベルをお使いくださればよいではないですか。それに周りの目もございますし少しは貴族らしい態度をお取りになられてください」
「ルイスいくら貴方そうして欲しくてもいやなものはいやなの! それに今なら誰にも見られてないんだからちょっとくらいは大丈夫よ。そういえばトレーニングの方はどうなの?」
「トレーニングですか。それでしたら今し方終わりまして、戻ろうとしたところにお嬢様の声が聞こえましたのでこちらに伺った次第でございます」
「それはちょうどよかったわ。汗もかいていることでしょうし、われながら完璧なタイミングね。ちょっと試したいことがあるの。協力してくれるかしら」
「お嬢様に危険が及ぶ事でなければ構いませんが」
「それなら大丈夫、心配ご無用よ!」
「であれば不肖ルイスご協力いたしましょう。それで一体何をなさるおつもりですか」
「それはね、これよ。じゃーん!」
 そういって私は懐から一つの石鹸を取り出した。
「普通の石鹸の様に見えますが」
「これはただの石鹸じゃあないわ。洗浄魔法の触媒バージョン2よ!」
「おお、おめでとうございます。お嬢様ついに改良に成功したのですね」
「そうなの! 前回は失敗してあなたを泡だらけにしてしまったけど……」
「ああ、懐かしいですね。あの時はなかなかに大変でした」
「でも今度こそ成功間違いなしってなわけよ!!」
 私は石鹸を天にかざし体内の魔力を触媒に流し込んでいく。
「お嬢様、空にかざす必要はないのでは」
「気持ちよ気持ち! こっちの方が盛り上がるでしょ。昔トリスティア先生もおっしゃってたもの魔法に感情を乗せることは無駄じゃないって」
「ですがお嬢様、淑女レディーがあまりそういった格好をされるのはよろしくないかと」
「もう! ルイスしつこい! どうせふたりだけだからいいの! それに変な事言ってじゃましないでちょうだい」
「変な事は言ってないと思うのですが……」
「よし。これでいいはずよ! さぁルイス、キレイにしたいところにかざしてみてちょうだい」
「かしこまりました。ではとりあえず手にかざしてみるといたします」
 するとどうだろう。ルイスの手の周りの体毛は湿り気を帯び、周りにほんのりと石鹸の匂いを漂わせ始めた。
「おお、これはすごい! お嬢様これは大成功と呼べるのではないでしょうか」
 成功を喜び、驚くルイスを他所にエレノアは何故か納得が行ってない様な表情をしていた。
「いえ、これじゃダメだわ。私としたことが重要なことを忘れていたみたい」
「そうでしょうか。私としては十分洗浄はできている様に思えますが」
「いえ、これじゃあ、ツメが甘いわ」
 ツメが甘いとはいったいどういうことだろう。まだ失敗の理由にピンときていないルイス見てエレノアは言った。
「だって手が濡れたままじゃない」
「なるほど、そういうことでしたか。ですが洗浄という主目的は果たせていることですしこれでも十分成功と言えるのではないでしょうか」
「それはそうだけど……」
 そこでエレノアの言葉は途切れてしまい、二人の間に一瞬の沈黙ができる。
「……ゃ……ぃ」
 風に紛れてふとルイスの耳に小さな声が聞こえてきた。
「お嬢様何かおっしゃいましたか」
「何も言ってない……」
「しかし今何かおっしゃっていた様に聞こえましたが」
「……あんな声でも聞こえちゃうのね。さすがは狼犬人リカイナントと言ったところかしら」
 エレノアは一度言葉を区切ると少しの間をおき続きをしゃべり始めた。
「これじゃあ今日の目的が果たせないって言ったの」
「今日の目的ですか?」
「そう、でもそれは恥ずかしいから言いたくない」
「あんなに二人だけだから大丈夫と言っていたお嬢様でも恥ずかしいことですか。その問題は私には解けそうもありませんね」
「わたしにも、わたしなりの淑女レディーのラインがあるのよ。……ふぅ、魔力を練ったせいかしら、ちょっと疲れちゃった」
「お嬢様、屋敷にお戻りになられた方がよろしいのでは」
「大丈夫よ、もう少しくらい。本当にただ少し疲れただけだもの」
「ですが疲労した体にこの夜風はあまり好ましくありません。お嬢様、屋敷までは歩けそうですか?」
「うーん、どうかしら。少し休憩したいかも」
「それは、困りましたね」
「一つだけいい解決方法があるわよ」
 そう言ってエレノアはめいいっぱい背伸びをして手を広げて見せた。
「お嬢様、今年でもう十歳になられるのですからそういったことはそろそろ控えた方がよろしいかと。十歳はもう立派な淑女レディーです。私には荷が重すぎます」
「あら、それはケンカイのソウイね。十歳なんてまだまだ子供だと思うけれど。それにルイス、わたしのこと淑女レディーと言っておきながら重いはないんじゃないかしら」
「そ、それは言葉の綾でございます! 賢いお嬢様ならわかってくださるでしょうに」
「いいえ。まだまだ子供のわたしには全然わからないわ。だからルイス、罰よ」
 そう言い私はもう一度めいいっぱい背伸びをし手を広げる。
「しかしですね……」
「もう、じゃあ裏庭を出るまでそれならいいでしょ。だって誰もいないじゃない。もう淑女レディーを待たせるんじゃありません。ほら」
 そう言って私は上下に動き背伸びを繰り返した。
「……。裏庭を出るまでですよ」
 ついに観念したのか。ルイスは前を向いて手を後ろに回し私の前で屈んでみせた。
「ねぇ、抱っこじゃないの」
 少し思っていたのと違い少し駄々をこねて見せたが、ルイスもこればかりは譲れないとひたすら首を振り続けた。
 私は渋々ルイスの背に乗った。
「ん? 朝と比べると毛のふわふわ感が足りないわね」
「仕方ありませんよ、トレーニングしたばかりですからね。それに今はもう夜ですしそこはお許し願いたいものです」
「そうだったわね。しょうがない、今回だけ特別に許します」
「ははぁ、ありがたき幸せ」
「ふふっ」
「ハハッ」
 ふと二人の笑い声が重なる。
「本当、久しぶりね」
「ええ」
「ねぇ、ルイス。わたし今日はもう疲れたわ」
「本日は色々ございましたですしね」
「そうなの、だからルイスちょっとの間だけおやすみなさい」
「ええ、? お嬢様?」
 スゥ、スゥー、ルイスの耳元に夜風の音に紛れてかすかだが寝息が聞こえてくる。
「まだまだ子供……か————」
 裏庭の前まで到着したルイスは自身の五感を最大限まで研ぎ澄まし誰にも見つからぬ様、そして起こさぬ様ひっそりと慎重にエレノアを自室のベッドまで送り届けたのであった。

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