エンドロールシガードラム

宇佐見きゅう

かたりべ


 わたしは目蓋に刺さる眩しさで起きた。薄目を開けると部屋の天井でライトが光り輝いている。ベッドの脇のテーブルには、空になったホールケーキの箱とフライドチキンの骨の山、パサパサに乾いたフライドポテトが食べ散らかしたままで、テーブルの足元にはチューハイの缶が何本も転がっている。ベッドに入った記憶がないが、どうやら昨晩のソロパーティはだいぶ楽しかったようだ。いやしかし、四号ケーキを丸まる一人で食べてしまったのか、昨日のわたしは。にわかに信じられん……、と自分の腹をさすりながらショックを受ける。
 とりあえず現時刻を確かめようと、わたしは携帯を探した。この部屋には時計がないので、正確な時間を知るには携帯を見るしかない。カーテンの向こうはまだ暗いし、少なくとも朝にはなっていないはず。今日は前々から休みを取っていた。誕生日に休暇を取るより、誕生日当日には酒盛りして、翌日は二日酔いを恋人に、ぐっすり眠ろうという算段である。ここ数年はこの独り身楽しい大作戦に成功している。誕生パーティに付き合ってくれる友人はいるにはいるが、やっぱり一人の方が楽しい。
 早く起きすぎてしまったかもしれない。スマホの画面に表示されたのは、05:34。
六時前とは……。仕事の日より早く起きているじゃないか。逆に勿体ない気がした。しかしまあ、ここで二度寝してしまうのは普通に勿体ないかと考え直す。逆の反対で普通に戻る。ご都合よく、眠気もほとんどないし、二日酔いの頭痛もない。腹も痛くない。風邪も惹いていない。さらには今日は休日! 素晴らしいこと山の如しだ。山が素晴らしいと思ったことはないので、何だか違う気がするから言い直すと、素晴らしいこと山盛りてんこ盛り。やっほう。
 わたしはベッドのどこかに転がっているはずの眼鏡を手探りで発掘し、クリアーな視界を確保すると身体を起こした。さて、まずはコーヒーでも飲もうかな。
「コーヒーを淹れるなら、ぜひ私の分も頼みたい」
 そいつがいた。
 ずっと身体を起こして、部屋を見渡して、隅っこまで見渡して、そんでもってそいつ自身に話しかけられる瞬間まで、わたしはそいつに気付かなかった。
「おはよう。葵くん。今日もよき一日を」
 紳士だった。灰色のスーツをかぶり、ハットをかぶった五十代ほどの男性。ベッドから見て対面の壁のチャアに優雅に腰掛けていた。知らない男性だった。
 知らない男性が朝起きたら部屋の中にいた。驚いた。わあビックリ。
 わあビックリで済んだら警察は不要の産物だ。政治家どもと一緒に丸めて産業廃棄物として処分してしまえ。思い切り叫べばよかったものの、完全に虚を突かれてしまったために、叫ぶタイミングを失してしまった。妙に冷静に、緊急時マニュアルを唱えていた。
選択肢は三つ。一。適当な武器を取って、侵入者をぶっ殺す。二。今手に握っているスマホを投げつけ、相手が怯んだ隙に部屋の外に逃げ出す。三。投げつけずにスマホで警察に通報。ぶっ殺すのは現実的ではないので(荒事で勝てるとは思わない)、実行するとしたら、二と三の複合プランか。
 警察への通報の第一歩。
スマホで電話番号を11と押したところで、ふと気になって、紳士に質問してしまった。こういう余計な好奇心が身を滅ぼすのだとばっちゃんも言っていただろうが! と冷静なもう一人の自分が説教を入れたが、怒鳴ってて全然冷静じゃないし、ばっちゃんはそんなこと言っていなかったし、そもそもわたしは祖母をおばあちゃんと呼んでいた。……ってことは誰だてめえ! お前、俺じゃねえな!
 ふと気になったこととは、どうしてこいつがわたしのことを、葵くんと呼んだかという点だった。小説家志望であることは職場の同僚に漏らしたりしたことはあるが、しかし、葵刹那というペンネームを話したことはない。わたしが小説を投稿しているサイトでは常に葵刹那を名乗ってファンと交流しているが、わたしは小説にも、ファンとのやり取りの中でもリアルのことは一切触れたことがない。年齢不詳、性別不詳、住所不詳の透明人間だ。ゆえに現実のわたしの前に現れて、わたしを葵くんと呼ぶことは誰にも不可能なはずなのだ。
 絶対に不可能とまでは言わない。細い細い可能性を探れば、IPアドレスから住所を探れるハッカーか、わたしと葵刹那のリンクを熟知している家族の誰かから、わたしのことを聞いた人。そういう理由があるなら、紳士がわたしの部屋にいるのも不思議ではない。いや嘘だ。超不思議だし、超不審者。何で平気な顔をして、不法侵入しているんですかねこの人。怖いなあ。特に前者の可能性とか、恐怖そのものでしょ。
 とりあえずどうしようかな。話通じる人かな。寝込みを襲ってきたわけではないから、危害を加える気はないのかな。だったらいいなあの希望的観測が増えてきた。
 とりあえず会話を試みるか。コミュニケーションこそ平和の第一歩。
 ええと、どちら様です?
「初めましてと言うべきかな。私は君のことをよく知っているが、君は私の存在を今このときをもって、やっと知覚したわけだからね。ゆえに初めまして、葵刹那くん。私は『探偵』だ」
 すっげえ喋る人だと思った。わたしが言うのも何だけど、ただの挨拶一つに回りくどいし、いちいちそんなことを考えていたら面倒くさくないか? ……『探偵』?
 それで、どうして私のことを知っているのでしょうか?
 できる限り丁寧に尋ねると、『探偵』は不愉快そうに顔を顰めた。
「敬語を使うのはやめたまえ。私は敬語を使われる立場ではない。私は君の上司でも親でも恩人でもないのだから。私は誰とでも対等なのだ」
 あらそう素敵なポリシーね。真摯な紳士に惚れちゃうわ、何つって。
 口調を改めないと会話してくれないようなので改めた。
 なぜ知っている? 私が葵刹那だということを。
「どうしてと問われれば、探偵だからと答えるのが最も手っ取り早いが、それで納得してくれる者が少ないことは知っている。ちなみに一応尋ねておくが、私が探偵だからという理由で、君は納得してくれるかね?」
 んんん。頼まれればする。まあ、飲み込めなくはない。
「ほう? ほほう? 探偵だからで理解を示してくれるか。それは実にありがたい。説明の手間が省ける。私は無駄が嫌いでね。所作の一つ一つにも徹底して無駄を排除していきたいと思う所存なのだよ。贅肉は美しくない」
 まずはその無駄語りから排除したらいいと思うのだが、突っ込んではいけない部分なのだろうか。反省できない大人なのだろうか。
『探偵』って言うからには情報収集力が高いのだろう。別に秘密裏にしているわけでもないし、プロの仕事なら、あっさりばれてしまうものなのかもしれない。探偵業界に詳しくないので、断言はできないが。
 しかしまあ『探偵』という立場は分かりやすい。ついさっきまで不審者の塊にしか見えなかった紳士のキャラクターがはっきりと掴みやすくなった。もちろん今でも、不審者という事実には変わりはないのだが、顔もない怪人に怯えていたときに比べれば大きな第一歩だ。
 ところで何の用? 依頼者は誰?
 すっかり警戒心を解いてしまったわたしは、砕けた感じで『探偵』に話しかけた。常人からしたら信じられない神経に思えるだろうが(実際に友人には本気で心配されたこともある)、わたしは奇妙な紳士を受け入れていた。出会ってまだ数分、話してまだ二、三言の関係である。別にわたしは誰とでもすぐ仲良くなれるフレンドリーセックスマシーンではないのだが、よく分からないものに対しての耐性が強かった。一度も見たことがない、珍しいものの方が、理解するスピードが速いという特性。自分でもよく分からない特技と呼んでいいのかも分からない特技である。これで得したことは一度もない。『探偵』はそれほどまでに不可解だったということになる。なるほど、分からん。
 おっさん、怪人赤マントとか、怨霊とかそっちの類?
「いやおっさんって……。馴染みすぎだろう、君。そんな調子では君の親御さん心配するのではないか? 怖がった方がいいぞ?」
 親はけっこう法治国家なので。
「放置主義?」
 間違えた。放任主義なので。
「私はそっちの類ではない。戸籍はないが、れっきとした人間だ」
 あらそう素敵。でも戸籍なかったら日本人じゃないね。
「君真顔でさらっと酷いこと言うなあ……」
 何の用? 誰の依頼?
 わたしは話を戻した。『探偵』とのじゃれあいのような会話は楽しいので、話しているだけで時間を浪費してしまいそうだった。その前に重要な一点を確かめておこう。
「誰の依頼? 他人に調べられる心当たりがあるのかね? いや違うか。『探偵』という肩書きから、私を職業探偵と同じ行動理念の下に動いていると推理したのか。判断材料が『探偵』だけでは確かにそういう考察を辿るのは自然。しかし君の予想は間違いだ、葵くん。君の間違えは二つある」
 あんたが職業探偵ではないこと。ゆえに、あんたがもっと自由な行動理念の下で動いていること。結論、あんたには依頼人がいないこと。この三つ?
『探偵』がにっこりと微笑んだ。
「お見事。その通りだ、葵刹那くん。間違えが三つになっているがね」
 わたしからしたら論理で繋がってる一つの理由だ。だったら平均して二になる。
「そこは平均しなくてもいい気がするが、細かい揚げ足取りはやめておこう。こういうことをしていると若者に嫌われてしまいかねない」
 妖怪でもない。日本人でもない。職業探偵の依頼でもない。こうなると残されているのは頭のおかしい人か、犯罪者の二択になる。さてこの紳士はどっちだろう。
「葵くん、思考が聞こえているぞ。それともわざと聞かせているのかね?」
 変態という可能性もあった。変態死すべし。
「変態ではない。信じてもらえないかもしれないが、私には変態性癖はない。君の寝顔にときめいたりしないし、夜這い趣味もない。ゲイでもなければ、ペドでも、ネクロフィリアでもない。性癖はいたってノーマルの、若いグラマなー娘がタイプだ」
 五十代紳士の恥ずかしげもない性癖の暴露なんて聞きたくもない。わたしはキッチンに立って二人分のコーヒーを淹れた。淹れるといっても、使いきりのドリップ式インスタントだ。二杯分のお湯をやかんで沸かして、二個のドリップ式を用意しただけである。お手軽とはそれだけで価値がある。
 淹れ立てのコーヒーのマグカップを一つ、『探偵』に手渡す。『探偵』は片手でしっかりと受け取った。受け取ってくれるまで、わたしはこの紳士が幽霊か、わたしの見ている幻覚である可能性を疑っていたので、この瞬間、『探偵』が今確かにここに存在する一人の人間であることが確定した。確定してしまった。
「うん、ありがとう。美味しいよ」
 どういたしまして。ところで用件を聞いてもいい?
「そう焦るな。私の長話で説明していたら、せっかく淹れてもらったコーヒーが冷めてしまう。コーヒーは熱い内に飲め、だ。ゆっくり味わせてくれたまえ」
 そうは言うがね。あんた、こっちの質問にまだ一度も答えてないじゃないか。どうして葵刹那だと知っているのか。依頼人は誰。何の用なのか。どうやって部屋に入った。
「矢継ぎ早に来たね。まあ、いいだろう。手短に話そう。飲みながらの片手間に話そう。それでいいだろう? 私は君を助けに来たのだ」
 なるほど。完全に理解した。私は命を狙われているんだな?
「飲み込み早すぎじゃないかなあ! 理解速度がえぐい!」
 命を狙われている……。そう仮定すると、なぜそれが『探偵』の知るところになったのか。脅迫状が届いたんだな? 届いた先のヒントは、葵刹那というペンネーム。なるほど完全に理解した。わたしがもっぱら小説を投稿している小説サイト、ラノベトレンドの運営会社にメールか、ファックスか、直接の手紙で送られてきた。違うか?
「えええ……。正解だよ、何だよ君。私の出番ないじゃないか。私の存在いらないじゃないか。もう君が今日から『探偵』を名乗りたまえよ」
 え……? 本当にそうなの? 脅迫状が? マージで? バヤじゃねそれ。
「何で急に若者ぶってるんだ。どういう心理状態が君をそうさせるんだ。私が部屋に侵入した手段だが、君の弟に合鍵を借りた。君の危機的状況を知ると、快く貸してくれたよ」
 あのボケ何しくさってくれやがる。今度会ったとき、ボコボコにしてやる。
「まあまあ、彼も悪気があったわけではない。責めないでやってくれ」
 まあいい。その話はあとだ。
 となるとそうか。私の小説家活動で、誰かに経済的被害が発生するとは思えない。アンチ、単なる悪質な悪戯の線も考えられるが、この場合はストレートに推察しよう。熱狂的なファンが、葵刹那を殺すと脅迫状を書いて、運営会社に送った。ファンを怒らせる心当たりが直近で一つある。
「『エンドロール・シガードラム』。最終回まであと三回らしいね」
 やっぱりそれか。

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