境界の教会/キョウカイ×キョウカイ

宇佐見きゅう

予知能力少女も手に負えない・前編

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「うわあ……。やっぱすごい量だな、ここの本」


 美玲は資料室に入って、部屋を埋め尽くす蔵書に圧倒され、歓声を上げた。
 こちらを追い越し、先に踏み込んでいったパートナーは、広辞苑のように分厚い本を手に取りつつ、興味ありげに鼻を鳴らした。


「美玲君は、以前にもこの部屋に入ったことがあるようだな。その際には目当ての物は見つかったのかね?」


 白い顎鬚をさすり、タルボットがこちらに振り向いた。美玲は凍り付いたように固まって、ぎこちなく笑い返した。言葉は出なかった。
 美玲の硬直を疑問符と受け取ったか、老いた科学者は朗らかに言う。


「いやなに、この量だからな。司書でも付いていてくれなければ、一苦労かと思ってね。阿誰君との大学の研究のためにここに入ったのだろう?」
「あ、そっちか! ……っと、いやいや、なしなし。何でもないんだよ」
「ふん? 何でもないとは気になるな」


 菩薩のようににっこりと微笑まれて、美玲も咄嗟に笑い返す。しかし、内心は冷や汗だった。こちらの緊張が完全に向こうに伝わっているのが、嫌になる。


 資料室の蔵書の調査には、美玲とタルボットが選ばれた。


 もちろん選別したのは鬼無なのだから、美玲も承知済みの采配である。
 自分からこの決意を示したのだが、今になって後悔を覚える。どうしてタルボットと組ませてほしい、などと言ってしまったのだろう。


 神父と一之瀬以外の六人を二人ずつに分けて、敵の出方を見るという作戦を練ったとき、争点となったのはタルボットを誰と組ませるかだった。
 鬼無は「オレが組む」と言ったのだが、それは前回の二の舞になりかねない。美玲は反対し、そのあとで進言したのだ。「私が組む」と。


「どうせ鬼無さんが詰問しても、あの人はとぼけるよ。他の人と組ませたら何を吹き込まれるか分からない。だから、私が攻める」


 猛反対を食らうと覚悟していた。
 だが、鬼無は苦渋の末だったが、承諾してくれた。


「……オーケー。気に入ったぜ。最高だ。もしお前が殺されたら、オレはすぐあいつをぶっ殺す。警戒されているってばれてんなら、向こうも開き直って大胆に仕掛けてくるだろうよ。こっちもこそこそしねえで行こうぜ」


 そういうやり取りがあって、ここに美玲が立っている。他に選択肢がなかったとはいえ、いわば自業自得の結果だ。


 恐がってばかりいられない。タルボットから有益な情報を聞き出さなければならないのだ。老練なタルボットがそう簡単に隙を見せてくれるとは思えないが、鬼無いわく、彼もこちらがどれほどのことを知っているか探りに来るはず。美玲にある『二周目』の記憶というアドバンテージは最大の武器になるはずだ。


「……うーん、でもちぐはぐだな」


 こうしてタルボットと対面してみると、見た目は優しそうな老人である。とても冷徹な殺人者には見えない。この老人が棚田を銃殺し、他の皆も手に掛けようとしたのを、この目でしかと見届けたというのに、今こうして孫に向けるような彼の微笑みを見ていると、イメージが上書きされそうだった。


「美玲君? どうしたのかね、こんな枯れた老人に情熱的な視線を向けて」


 何の事情も知らない者だったら、まんまと騙されてしまうだろう。
 例えば、高名な彼を慕っている阿誰とか。


「……鳳子、大丈夫かな?」
「おや、大胆に無視かね。新しい」


 一人を選ぶとき、親友の阿誰を選んであげられなかったことを悔いていないと言ったら嘘になる。だが、阿誰にはタルボットの本性を教えることはしたくなかった。『二周目』のように親友が深く傷つく姿を見たくなかった。


 それが、阿誰だけは選ぶわけにはいかなかった理由、逃避の言い訳である。


「目の前で手を振っても気付かない。大した集中力だ。一種のトランス状態に入っているのだろう。自己催眠の才能を持っていることが超能力を持つ上での条件とも言える。意識を朦朧とさせることで脳の領域を広げているのだな。閾下を越えた大脳新皮質の奥の箇所をこの状態の彼女は認識しているのかもしれない。遺伝子には太古からの記憶が連綿と受け継がれている。先祖返りとは、遺伝子の記憶が甦ることから引き起こされる。大脳の奥底に、人間が認識できる状態で記憶が刻まれていても不思議ではないのだ。もし美玲君がそれを見ているのだとしたら……。興味深い素材だ」
「……あれ? って、うわっ!」


 雑音がすると思ったら、目の前にタルボットの顔があったので、美玲は引っくり返った。あっさり接近を許していたとは。油断大敵、己が敵である。


 本棚に背中からぶつかり尻餅を着く。本棚の上の段から文庫本がまとめて落ちてきて、美玲の頭上に降りかかる。たんこぶがいくつもできた。


「大丈夫かね? 気を付けないといけないよ。本の堅さと重さは凶器だ」


 タルボットが手を伸ばしてくる。美玲はビクッと後ずさりかけ、わざとらしく微笑みを作って、彼の手を断わった。


「大丈夫。ありがとう、タルボットさん」
「私が恐いかね? 何をしてくるのか分からなくて」


 立ち上がって頭をさすっていた美玲は、動きを止めた。
 いくつもの感情と思惑が溢れるが、美玲は全部却下し、正直に頷いた。


「うん。とっても恐いよ。今にも殺されそうってドキドキしている」


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