境界の教会/キョウカイ×キョウカイ

宇佐見きゅう

狂信の抵抗

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 すべては突然。
 腕を組んでいたタルボットが、着流しの袂から黒い塊を取り出した。凶悪なシルエットのそれには回転式弾倉が付属する。タルボットの指が引き金に掛かり、現象が起こされる。
 冷や水を浴びせかける爆発音。
 目の覚める閃光。
 そして震動。


 血の飛沫が、棚田の側頭部から上がった。


 棚田が力なく横倒れ、床で停止。スイッチを押すように生物から無生物に切り変わる。
 タルボットが棚田を撃ち殺した。そんな言葉が脳内に浮かんで、そこから別の言葉を派生することなく、霧散していく。何度もそれを繰り返す。


 悲鳴が上がった。


 阿誰が、床にへたり込んでヒステリックに叫んでいる。
 リボルバー拳銃を構えたタルボットは気さくに告げた。


「やあ、諸君……。本当に恐縮なのだが、大人しく殺されるのは真っ平ごめんなのでな。君たちにはまったく何の恨みもないが、死んでもらうよ」


 その銃口が向けられた先、次の標的は一之瀬だった。
 鉛の弾丸が放たれるより速く、メイドが飛び跳ねた。タルボットが照準を定めた一瞬の隙に、低い姿勢で距離を詰める。左の前蹴りで拳銃を持った相手の手首を蹴り飛ばし、続く右拳のフックでその顎を打ち抜いた。


 タルボットは吹き飛ばされ、床に倒れる。拳銃は明後日の方向に転がっていく。
 反撃の機会を与えぬよう一之瀬は駆け寄り、倒れているタルボットの右手首を思い切り踏みつける。骨の折れる音が響いた。


 銀の光が閃いた。一之瀬は鋭敏に跳びすさる。仰向けになったタルボットの左手にナイフが握られていた。それは誰のナイフだろうか。


「やれやれ……、やはり君に無力化されるか。貧弱な己が恨めしいとも」


 タルボットは身体を起こし、じりじりと壁際まで後退する。壁にもたれて顔を苦痛にしかめた吐息をする。右腕は二の腕のところで歪んで、力が入っていない。


「化けの皮剥がれちゃったね? いい狸っぷりだったよ。いや、まじで」


 軽口を叩きながら、追い詰めるように接近していく一之瀬。二メートルの距離を置いて立ち止まり、手負いの獣と対峙する。油断はない。


「あんたが鬼無さんを殺したんだね?」


 左手でナイフを突き出していたタルボットは、ふっと笑ってナイフを下ろす。


「……殺すタイミングを見誤ってしまったか。鬼無君を殺したあと、すぐにでも棚田君を殺しておくべきだった。下手な三文芝居を見守ってなんかいないでね。……いや、こんな不快な気持ちにさせられるのなら、彼こそ最初に殺すべきだったかな」


 冷たい殺意の篭もった台詞のあと、タルボットがこちらに向く。
 阿誰が小さな悲鳴を上げた。美玲は唾を飲み込んで、彼を見つめ返す。


「一番の障害は君だったよ、美玲君。しかし、君は消したいとは思わなかった。我ながら不思議な心理だ。自殺願望でもあるのかね?」
「あるんじゃないの? 結局ばれちゃっているんだから」
「とても厳しいことを言う」


 タルボットは柔和に微笑んだ。とても人を殺めたとは思えない優しい笑みだった。彼は再びナイフを持ち上げる。
 だが、その尖端が向けられたのは自身の喉元だった。


「楽しいひと時だったよ。本当に、人生で最高の時間だった。これで終わりかと思うととても残念だァ……。しかし、終わりがあるからこそすべては美しい。だから私は、世界の終わりを願って、一足先にあの世へ向かうとしよう」
「負け逃げするつもりかい? 人を殺しておいて」一之瀬が語を強める。
「二人には悪いことをしたとは思うが、贖罪するつもりはない。君たちも私が赦せないはずだ。私の死は確定した。自分の死に際くらい、私の好きにさせたまえ」


 タルボットは堂々と言い、刃を頚動脈に当てて、真横に滑らせた。彼の口元が微笑んだ。


「それに、これは勝ち逃げだ」


 血の噴水が上がる。


 天井を仰いでいたタルボットの顔がゆっくりと落ちてきて、上半身ごと横に倒れる。血液の漏出は倒れたあとも継続し、床の絨毯に赤い水溜りを広げさせていく。
 凍えるほどの静寂が、聖堂を支配していた。


 誰も何も言えなかった。言えるはずもない。何を言えばいいのか。


 大声で叫んで、目の前の現実から逃避できたら、どれほど楽だったか。これも誰かの仕掛けた悪戯なのではないかと疑いたかった。しかし死体は雄弁だ。どんな飾り立てた説得の言葉よりも、こちらに圧倒的な現実を教えてくれる。


 撃ち殺された棚田が目の前に転がっている。壁際には首を掻っ切って事切れたタルボットが倒れている。その現実は絶対に変わらない。


 凄惨な自害を目の当たりにした阿誰は卒倒したが、すぐに目を覚まし、再び二人の死体を見つめ、顔を覆った。美玲はそんな彼女を抱き締めながら、自分も悲しもうとしたが、頭の中は真っ白なままで、何の感情も抽出することができなかった。


 一之瀬が、タルボットの死体に近付き、左手が取り落としたナイフを拾って眇め見る。そのナイフを手に、次は告解室の前にいるカルヴィニアのそばに行った。一之瀬が微動だしない神父の肩を押すと、神父は置物のように倒れた。両手両足の自由を封じられた彼の胴体は真っ赤にぐっしょり濡れていた。


「死んでいる……」


 一之瀬は呟き、残った感触を思い出すように指を擦る。


「まだ温かいわ。腹を滅多刺しにされて、ゆっくり衰弱死していったってところか」


 一之瀬は告解室のドアを開ける。個室の奥を見つめ、納得したようにドアを閉め直した。手に持っていたナイフはなかった。


「借りたもんはちゃんと、持ち主に返さないとね」


 カルヴィニアも殺されていたようだが、ショックが積み重なった美玲の心には、今さら響かない事実だ。そうするべきだろう、という風に納得さえ感じていた。同じ死でも、これほど感じ入るものが違うことが不思議だった。
 美玲は、生き残っているもう一人の方に目を向けた。


 涙を浮かべた緋冠は、それぞれの遺体の前に行って両手を組み合わせる。三人の冥福を真摯に祈っている。死んでしまえばすべて平等になると言わんばかりに。
 タルボットのそばで祈りを捧げたあと、緋冠が、ふいに顔を上げて振り向いた。彼女の目線の先は、結界が施された大扉だった。


 ぴったりと閉じていた大扉の片方が、小さく揺れた。扉同士の間に隙間ができ、入り込んできた風に押されたのだ。
 その事実がぼんやりの美玲の脳に染み込んでいく。自分が都合のいい妄想を見ているのではと疑った。だが、ずっと見ていても光景に変化はない。


「……光。眩しいわ」


 阿誰が顔を上げ、取り付かれたように開いた大扉に近づいていく。
 その歩みは今にも転びそうな不安定なもので、美玲は慌てて駆け寄った。
 外に出よう。扉は開いたのだ。


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