境界の教会/キョウカイ×キョウカイ

宇佐見きゅう

博士の発見/そして落胆

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 軽いノックがした。ドアが開き、タルボットが顔を見せる。


「二人とも、ここにいたのか。興味深いものを発見した。聖堂に集まってくれ」
「あ、はい」阿誰が頷いた。


 美玲と阿誰が廊下に出ると、倉庫探索班の棚田と一之瀬も聖堂に向かっているのが見えた。タルボットは分厚い本を携えていた。
 美玲たちは非常口のドアから聖堂ホールに入っていく。


 カルヴィニアの置き場所が告解室のドアの前に移動していた。姿勢の方も誰かに手を貸してもらったのか、打ち上げられたマグロから、ドアに背中を着けて体育座りするスフィンクスに進化している。剣呑な目付きと猿轡は変化なしだ。


 シスターの緋冠が、ピクリとも動かないと思ったら、座った姿勢のままですやすやと寝息を立てていた。か細そうに見えて図太い精神である。しかし、美玲がその肩に手を伸ばすと敏感に目を覚ました。


「あ、おはよう」


 美玲は挨拶したが、シスターはこちらの顔をまじまじと見てから、特に何も言わずに顔を逸らした。
 先に来ているかと思っていたが、聖堂に鬼無が見当たらなかった。


「鬼無さんは?」


 美玲はタルボットに振り向いて尋ねた。


「ああ、彼女にはもう話してある。一人で考えたいからと資料室に残ったよ」


 揃った六人を前にして、タルボットが祭壇の前に立った。


「皆に見せたいものがある。資料室にあった本に気になる記述を見つけた」
「気になる記述ですか? ほう……、あなたがそこまで自信ありげに言うとは」


 棚田がどこか含むように言うが、他意はないのだろう。


「無論だ。私はこれが突破口になると信じている」


 そう強く言って、タルボットは脇に抱えていた図鑑のようものを掲げた。
 赤紫色の表紙に捩れた文字が記されている。古い書物だ。


「『アーラメッヤ・シッジール』。ペルシャの文献で、日本語訳されていないものだが、仮に和訳するなら『万能の書』と言ったところか。この中に、貧しい旅人がイエリコという町に行き、窓のない家屋で魔の物と問いかけを交わしたという逸話がある」


 胸に手を当て、タルボットは演技的に朗々と語りだす。


「『這い入るときは変哲のない民家に見え、その家の家族たちは温かい山羊乳の粥とその年のぶどう酒を振る舞ってくれた。夜になると家の者たちは消え、代わりに禍々しい黒き獣が旅人のそばに現れ、彼を試した』とある。……どうだろう? 私たちのこの状況と似通っていないだろうか?」
「はあ、まあ……」


 メイドの一之瀬がぎこちなく首を傾げた。


「ええと、それで続きはどうなっているの。そこで終わりじゃないよね?」
「無論だ。続きはこうなっている。『旅人は魔の物を引っくり返し、奥底に溜まっていた悪しきものを清浄した。やがてすべての悪しきものが切り替わったとき、建物の壁の向こうから赤子の泣き声が聞こえてきた。荒れ果てた石壁と思っていたものは窓となり、朝の日差しを一杯に取り込んだ』。これで終わりだ。旅人は建物の外に脱出している。ここにヒントがあるのかもしれない」


 タルボットは興奮気味に話した。
 皆の反応はまちまちだった。深く考え込む者もいるが、軽んじる者もいる。面白いと美玲は思ったが、それは昔話としてはである。ところどころ今の状況と一致しているが、曖昧な言い方をする物語なら、そういうことがあっても不思議ではない。タルボットが深読みして強引にこじつけているようにも感じられる。


「っで、だから何だって言うのさ」


 とうとう一之瀬が苛立たしげに言った。


「それで何が分かったっていうの? 具体的に。悪魔を倒しゃあいいことは端から分かってるじゃん。知りたいのは他の脱出方法があるのか、悪魔が誰かってこと。そうでしょ? 違う? 昔話みたいなもん引っ張ってこられても困るわけよ」
「そうかね? 鬼無君は興味あり気にしていたのだが」


 タルボットも一歩も引かずに一之瀬を見つめ返す。石像のように冷静な態度がかえって彼の苛立ちを表していた。


「その御伽噺が手掛かりになってるって根拠は? 名札でも付いてた?」
「私の直感だ。無論、私の中では理論が構築されているが、それを君たちが納得し得るかたちに言語化することは難しい」
「あははっ、よりもよって直感と来たよ。学者様の言うことは高尚だねえ」


 一之瀬はストレスフルに喝破し、一転やる気をなくした。


「……面白いものを発見したっつーから何かと思ったけど、期待して損したわ」
「あの、いえ、一致性は高いですし、前後の文献を探れば、もっとこちらの状況にも活用できるような情報が見つかるのでは……」


 阿誰が擁護しようとするも、それに賛同する者は出てこなかった。


「あるの? 他の情報」一応、美玲は訊ねた。
「いや、残念だが、イエリコの町の話はこれ以上のことは書かれていない。前後の内容はまた別の関係ない話になっている」
「手がかりは掴めないまま、ということですか」


 棚田が残念そうに呟いた。
 期待が膨らんでいた分、失望の落差は大きい。場の空気は完璧に険悪なものに切り変わっていた。誰が悪いというものではないことは美玲にも分かるが、無為に期待させたタルボットへ八つ当たりしたい気持ちも共感できた。


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