境界の教会/キョウカイ×キョウカイ

宇佐見きゅう

意見効果

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 一番目障りなのが消えてくれて助かった。緋冠は祈りの手の裏で嘆息した。


 気品の欠片もない、粗暴な鬼無の言動は、遠目に眺めているだけで緋冠の心を不快にさせた。下賎な者が醜いのは旧約の時代からの摂理だ。
 鬼無らが去ったことで聖堂は本来の静けさを取り戻す。だだっ広い聖堂ホールにたった三人で残された阿誰たちはどうも浮いていた。その齟齬感は、空間を使い余しているアンバランスさによるものであろう。


 三人の間に目配せが交わされ、棚田が緋冠に振り向いた。


「シスター。こちらに来て、もう少しお話を聞かせてくれませんか? そしてできれば、彼が目覚めた際の説得もお願いしたい」


 緋冠は億劫に視線を合わせ、逸らしてから返した。


「……レオ神父が、私の言葉に耳を貸すとは思えません。鷲尾神父も意思疎通に苦労されていました。他人に従おうとしないのです、彼は」
「ほう。誰の言うことなら聞きますか? 神ですか?」
「ええ。唯一神ヤハウェ。それだけが彼を支配しています」
「仲間って言う割には、あんま信頼関係築けてないのねー」


 メイドの一之瀬がデリケートなところを突っついてきた。否定はできないので緋冠は沈黙した。確かに自分はカルヴィニアを怖れているし、距離を置いている。先ほど鬼無が彼に銃口を向けたとき、止めに入ろうという気は一切起きなかった。助け合うという関係ではないのだ。むしろ、眠ったまま死ねる彼が羨ましかった。


 もし、ここで、カルヴィニアの拘束を解いたら……。


 そんな妄想を思い浮かべ、その耽美さにぶるっと背筋を震わせる。緋冠はゆっくりと首を振り、頭にまとわりつく悪夢を振り払おうとする。


「……何が、知りたいのでしょうか。お話できることは全部話しましたが」
「あなたの意見を伺いたい。どうでしょう?」
「私の意見……、ですか」


 緋冠は顔を上げ、微笑みを浮かべようとして失敗する。自分の意見など、そんなのあってないようなものだ。


「そうねえ。今のところ、何を考えているのか読めないのが、棚田さんとタルボットのじいさんの二人。素の怪しさだったら、棚田さん断トツね」


 一之瀬が指差した先、棚田は楽しそうに微笑む。


「おや、嬉しいことを言ってくれますね。タルボット氏も第一容疑者ですか?」
「あの人だけここに来た動機が曖昧だから。ほら、他の人は本人以外の意志が絡んでいるじゃない。アリバイってわけじゃないけど、その観点から言えば、あの人はグレーじゃないかしら?」
「そう、でしょうか」


 不服そうに阿誰が異論を立てた。


「だって、そんなの怪しまれるに決まっているじゃないですか。あのタルボット博士が、わざわざ自分に不利になることを言うとは思えません」
「いや、あたしは今日初めて知ったけどね。あのおじいちゃんのこと」
「僕は以前から知っていましたよ。物理学者でありながら科学を疑い続ける男。その筋では有名な方ですし。なので、まあ、一之瀬さんの反論も頷けます。偶然足を運んだという動機はあまりに迂闊すぎる。当然、そうやって疑いを逸らすのが目的という可能性も、あの方の場合は考えられますが」
「そりゃ、ちょいと深読みのし過ぎじゃない? ってか評価してるわねー」


 一之瀬は苦笑して鬼無たちが出ていった廊下の扉を一瞥する。


「でも、油断ならないのは違いないよね。美玲ちゃん一人で行かせてよかったの?」
「博士も付いてますし、危険なことにはならないと思います」
「……そうかもね」


 一之瀬はうんざりした表情で頬杖を突いた。
 彼女が渋面の下でいくつかの言葉を飲み込んだことは想像に難くない。過信は人の目を曇らせる。過信とは過度な信頼という意味である。そして恐るべきことに、過信する者は他人から指摘されても否定し、致命的に間違えるまで自覚できないのだ。


 己を過信すれば自惚れとなり、他人を過信すれば、それは狂信となる。
 自分を信じて生きている者からすれば、他者を信じる者が愚かに見え、しかしそれは逆からも同じことが言える。こうして不協和が生まれる。
 果たして、一之瀬の中でどんな葛藤と整理が働いたのか、彼女は笑顔になって会話を再開した。生じかけていた変な空気が払拭される。


 真意が読めないのは全員だと緋冠は、三人の様子を見ながら思った。


 彼らは、先ほどのお互いの自己紹介を信じたというのだろうか。いいやまさか。そんな素直な頭脳を持っているのは、せいぜいあの美玲という名の少女くらいで、他の五人はきっと他人の発言を精査しつつ、笑顔で握手を交わし合う策略家どもだ。


 現在彼女らは頭の中で、誰が嘘をついているのか高速で計算しているのだろう。それなのに表面上はにこやかに協力し合う振り。鬼無の苛立ちも少しは共感できる。


 ふと一つの閃きを得て、緋冠は声を掛けた。


「あの、思ったのですが、こういう可能性も考えられないでしょうか。その、ですから、私たち八人以外の人物が、どこかに潜んでいるということは……」
「ええ、充分ありえますねえ。僕たちに見つかったら殺されると怖れて、姿を見せないのは考えられます。この建物って監視カメラとかないんですかね?」


 棚田がきょろきょろとホールの四角を見比べる。


「さあ……。監視装置があるとは聞いたことありません。なにぶん、鷲尾神父も前時代的な人でして、建物自体も古いので……、電子機器の部類はなかったかと」
「そんなものよりも、もっと確実で堅固な警備システムがありますからねえ」


 床に転がっている図体が右腕をピクリと動かした。


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