境界の教会/キョウカイ×キョウカイ

宇佐見きゅう

役者は揃った

 第一章  密室 ― Closed Loom ―




 扉の閉まる音を一番近くで聞いたのは、一之瀬いちのせひとみだった。
 金属同士が擦れ合う不快な音が広がり、聖堂ホールにいた全員が扉の方に振り向いた。彼らの視線上にいた一之瀬は、まるで自分が咎められているような気分になり、思わず逃げるように背後を振り返って、皆と同じようにそれを見上げた。

 それは巨大な扉だった。

 精緻な彫刻が成された重厚な二枚扉である。赤茶色の塗装がところどころ剥がれており、基板の黒ずんだオーク材が覗いている。形状は山なりで、こちらの身長の三倍ほどのサイズ。教会建築における標準的なサイズを知らないが、かなり大きな部類に入るのではないだろうか。少なくとも、一之瀬が見てきた中では最大のものだ。
 扉はぴったりと閉じている。一之瀬が閉めたのではない。風で閉まるとも思えないサイズなので、誰かがあちらから閉めたのでなければ閉まらないはずだ。扉の向こうには玄関ホールがあるのだ。しかし、人がいた気配を一之瀬は感じなかった。

 扉と睨めっこしていても仕方がない。一之瀬は聖堂の方に視線を戻した。

 聖インテグラ教会の聖堂は、静謐な空気に満ちていた。
 朱色の絨毯を挟んで、左右対称に並んだ長椅子が二十列ある。座席の一列に十人は座れるとすれば、およそ二百人を収容できることになる。
 天井はアーチ型で、左右の壁の高いところに天窓が並んでいる。だが窓の外は薄暗く、採光としての役割は果たせていなかった。代わりに、天井の一列に吊るされたランプが聖堂内を明るく照らしている。

 右側の壁には宗教画が並べて架けられていた。聖人と竜の戦いを描いた一枚の前に、二人の女が佇んでいる。二人とも若い。一人は髪の短い怜悧な女子で、もう一人は明るい茶髪をふんわりとさせた眼鏡の女子であった。二人は一之瀬の方を見ながら囁き合っていたが、こちらと目が合うと微笑んで会釈してきた。

 右側の壁の奥にあるドアが開いて、白髪の男性が聖堂に入ってきた。どうしてなかなか着流しを着こなしている初老の男性は、二人の若い女に合流した。

 左側の椅子列の中央には、一之瀬をじっと見つめる黒帽子がいた。帽子を深めにかぶり、栗色のよれたスーツを着ている。男女の判別が付きにくいが、いかにも怪しい風貌のそいつは、こちらに値踏みするような視線を送ってくる。

 同じく左側の椅子列の最前席では、修道服を着た女が肩を震わせながら祈っていた。さきほど扉に振り向いたときには、涙を浮かべているのが見えた。

 聖堂ホールの正面前方には十字架と、キリスト復活を描いたステンドグラスが飾られている。その手前に祭壇があり、羽を広げるように燭台が並んでいる。それらのアイテムを一人の中年男性が観察していた。ノーネクタイのジャケットで、紳士然とした雰囲気だったが、一之瀬の初見では、油断のならない人物に感じた。その顔を以前に、どこかで見かけたことのあるような気がしたのだ。


 聖堂を一瞥してから、一之瀬は、自分の姿を確かめる。
 丸いメガネに黒髪の三つ編み。フリルの付いたカチューシャと肩が膨らんだエプロンドレス。くるぶしまで隠したスカートの下は白いタイツとガーターベルト。
 いわゆる、メイド服と呼ばれるコスチュームだ。
 そして大事な鉄板入りパンプスにメリケンサックを仕込んだ長手袋を確かめる。
 自分の万全な戦闘態勢を再確認して、一之瀬は心を落ち着かせる。

 聖堂内には一之瀬を含めて七人の人間がいるようだ。
 教会の規模の割に、訪問者がやけに少ない。宗教観の薄い日本だとこんなものかもしれない。一之瀬も仕事でなければ、こういった宗教施設に訪れることは滅多にない。それは神社や寺院もモスクも例外ではない。彼女は無神論者である。

 祭壇の左横、聖堂を包み込む荘厳な雰囲気に埋もれるように、ひっそりと小さな部屋が佇んでいた。木で造られた電話ボックスみたいなそれは、キリスト教徒が罪を懺悔するための告解室という小部屋だ。
 告解室のドアが開き、中から大柄な金髪の神父が出てきた。これで、八人。
 金髪の神父は、ホールにいる全員を一人ひとり睥睨して、すっと目を細めた。 
 反射的に一之瀬は、静かに太股の投げナイフに手を添えた。
 そのとき右の壁際で、若い女の二人が肩を強張らせたのが見えた。

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