消えない思い

樹木緑

第188話 緊張の瞬間

ドアの前に立つ佐々木先輩の姿が目に移り、
僕の緊張は最高潮まで達した。

間違いない。

先輩は僕がここに居る事を確信してここに来ている。

先輩の目は真っすぐと僕を見据えている。

でも何故……?

何の用があって?

個展の広告を見たのだろうか?

確かに僕の名前が出ている。

矢野先輩は色々な企業を通して
大々的に宣伝していた。

でも佐々木先輩は美術には興味はなかった筈……

今更僕に用があるとすると……

頭がグルグルとして、
僕は何をお客様と話したのか全然覚えてない。

震える声を悟られないようにする事で
精一杯だった。

僕は佐々木先輩をチラッと見て軽く一礼すると、
助手の小林さんが彼に話し掛けに行くのを確認した。

僕の鼓動はこれ以上ないくらいドキドキとしている。

先輩に話しかける小林さんが凄く気になる。

先輩が僕の方を見ながら何かコソコソと話している。

“え? 僕の方を見てる?
何話してるの?”

話し終えた小林さんが先輩に会釈して僕の所に戻ってくると、

「赤城さんに個人的な話があるそうです」

と耳打ちした。

僕の鼓動が更に早くなる。
冷や汗まで出てきたように感じる。

緊張で心なしか胃もキリキリとしている。

“個人的な……”

緊張感が高まる。

僕は小林さんに、奥にある応接室で待ってもらうよう指示を与え、
小林さんが佐々木先輩を応接室に案内する姿を横に見ながら、
深呼吸した。

何の話なんだろう?

考えられることは一つだな……
番を解消してほしいと言う事なのかな?

それだったら悲しいな……

でも仕方ないか~
先輩には新しい伴侶が居る……

待って、そもそもあの人はαなのかな?
何処からどう見てもあの人はΩだったよな……

え? それって……

ちょっと思考回路がこんがらがって来た。

でも今はそんなことはどうでも良い。

心配なのは陽一の事だった。
陽一の事が先輩にバレる事が一番怖かった。
大丈夫、陽一の事はバレてないはず。

大丈夫、大丈夫。

僕は何時ものように自分に言い聞かせた。

会場に人が居なくなるまでの短時間が
永遠のように感じた。

個展の間の1週間で作戦を練るって
甘い考えだったかな……

まさか先輩が個展の事を嗅ぎつけて
ここまでやって来るなんて……
それも第一日目に……

そん事、微塵も思いもしなかった。

でも僕がここに帰ってきている事は
この間の駅の出来事で分かっていた筈だ。

それだったら何故、
直ぐに家に尋ねてこなかったんだろう?

それよりも、
先輩に何と言おう?

久しぶり?

元気?

それとも他人行儀でいらっしゃいませ?

グルグルとしているうちに、
最後のお客様が会場を出た。

僕は小林さんに後方付けの指示を与えると、
深呼吸をして応接室へと向かった。

神経は何も感じなくなるくらい緊張している。
胃もキリキリとして緊張で吐き気さえしてくる。

あんなに会いたかったのに、
いざとなるとしり込みをしてしまう。

会いたい……

逃げ出したい……

会いたい……

逃げ出したい……

二つの思いがゴッチャになって、
何とも言えない気分だった。

足取りも軽いのか、
重いのか分からない。

でもやっぱり目的地には着いてしまう。

応接室のドアの前に着くと、
一旦深呼吸しドアをノックした。

中から、先輩のどうぞと言う声がした。

懐かしいあの声……

久しぶりに聞く先輩の声は
一瞬にして僕を高校生の時の自分に引き戻した。

あー、やっぱり先輩が好きだ。
伴侶がいてもその気持ちは変わらない……
僕は先輩を諦めることが出来るのだろうか……?

そう思うと、ドアノブを回す手が震えた。

手がガクガクとして上手くノブに手が掛けられない。

深く深呼吸し、震える手を擦り合わせると、
ゆっくりとノブに手を掛けた。
そしてゆっくりとノブを回しドアを開けた。

ドアを開けると、すぐに佐々木先輩が僕の視界に入った。

先輩……
溢れる気持ちはどうにもならない。

懐かしい……

先輩が好き……

先輩が好き……

泣きたくなるくらいまだ先輩が好き……

先輩は少しはにかんだ様にして僕を見ていた。

駆けて行って抱き着きたい衝動を抑えながら、

どうしよう……
なんと言って挨拶をしよう……

そればかりが頭の中をグルグルとしていた。

でももうここまで来てしまった。
もう考えている余裕も無い。

僕はもう一度深呼吸をして、
当たり障りの無い

「お久しぶりです」

と他人行儀のような挨拶をすると、
深くお辞儀をした。

“本当はそんなことが言いたいんじゃない!”

でもそれが咄嗟に僕ができた精一杯のあいさつだった。

佐々木先輩は僕が深々とお辞儀をするのを見ると、

「久しぶりだな」

と一言言って軽く会釈した。

自分からしてしまった他人行儀なあいさつなのに、
先輩の返す呆気ない返事が悲しかった。

「どうぞお座り下さい」

僕がそう言うと、
先輩がソファーに腰を下ろした。

しばらく沈黙が続いたけど、僕が、

「あの……」

と言った瞬間先輩も同時に、

「これまで……」

と話し出したので、
気まずさを感じるタイミングは
同じなんだなと思いクスっと小さく笑うと、

「お先にどうぞ」

と先輩に先行権を与えた。

先輩は一つ咳ばらいをすると、

「イヤ…… 要は……

あ、すまない、要と呼んでも?」

と遠慮しながらそう尋ねた。

そうか〜
7年も経っちゃうといくら後輩とは言えど、
名前では呼び難いのかな?

学生時代は最初からあんなに馴れ馴れしかったのに、
僕は少し大人になった先輩の緊張がおかしくて、
逆に少し僕の緊張が解けるのを感じた。

「お好きなようにどうぞ」

と返事をすると、又咳払いをした先輩は、

「ずっと絵を続けてたんだな……
偶然に見かけた広告でお前の個展を知って……
パンフレットにはフランスで絵を学んだってあったけど、
じゃあ、あれからずっとフランスに?」

と尋ねた。

“あ、やっぱり広告で見たのか〜
そっか、僕がフランスにいた事、
先輩はまだ知らなかったんだな〜”

「はい、フランスの美術大学へ進んで
水彩画を学びました。
向こうの展示会で今の会社に目をかけて頂き
恵まれてこのように個展も開くことが出来ました」

そう言って僕はニッコリと微笑んだ。

「凄く頑張ったんだな……

あのさ、今、要の居る会社って……
浩二の……」

先輩がそう言いかけて取り止めた。

「えっ?」

僕が聞き返すと、

「あ、イヤ、もう時間過ぎてると思うけど、
絵を見て行っても良いか?
時間は掛けないようにするから……」

と話を逸らした。
でも、先輩に僕の絵を見てもらえる事は
この上無い有難い事だった。

「大丈夫ですよ。
時間は心配しないでください。
先輩に来てもらえただけで光栄ですから」

僕がそう言うと、心なしか先輩はホッとしたような顔をした。

「じゃあ、案内してくれるかな?」

先輩がそう言うと、僕はニコッと微笑んで、

「勿論!」

と元気よく答えた。

先輩もそんな僕を見て少し緊張が解れた様な顔をしていた。

「ではこちらに」

そう言って会場の方へ案内すると、
先輩は一つ一つの絵を丁寧に見ながら回って行った。

「お前の絵を見ると高校生の頃を思い出すな」

先輩のその言葉に、
グッと胸が詰まった。

“先輩、僕の心は全然変わってないんだよ。
僕がどんな風に先輩を愛したか、それも覚えてる?
二人で隠れてキスをした日々を覚えてる?
そして熱く溶け合った沖縄の夏を覚えてる?

僕は全て覚えているよ。
先輩がどんなふうに僕を愛して、
僕に新しい命をくれたのか……”

涙が出そうになるのを堪えて
僕の絵を見る先輩の後について歩いた。

まるで先輩の後姿を目に焼き付けるかのように。

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