消えない思い

樹木緑

第174話 最後のドアを閉める

リョウさんと話をしたあと、
僕は直ぐに両親に相談した。

これまでの橋本さんとのやり取りと、
そのチャンスに預かりたいと言う事、
日本でこれからの人生を送って行きたい事、
先輩に対する葛藤が今でもある事、
先輩の父親に対する不安と、
陽一の安全確保、
自分では一人では戦えないので、
力を貸して欲しいと言う事等を正直に話した。

二人とも、僕の突然の告白に
驚いていたけど、

お父さんは、良く決心してくれた、
僕を誇りに思うと言ってくれた。

お母さんはただ、ただ涙を流して、
僕の決心に同調してくれた。

そして両親は全力で僕と陽一を守ると誓ってくれた。

もし同じような事が起これば、
僕と一緒に戦ってくれると言ってくれた。

それは僕の祖父母も従弟妹達も同じような意見だった。

ポールもリョウさんも、必要であれば、
何時でもフランスから飛んでくると言ってくれた。

目を開けば、僕にはこんなにも見方が居た。

今までは半分意地の様なものが僕の中にはあったけど、
1人では戦えないと言う事を学んだ。

そしてそれを僕自身が認めて受け入れた。

他の人に頼るのは弱いことでは無い事を知った。

僕は僕の思いも、陽一の事も、
最善の構えで守っていこうと決めた。

そう決めたら話は早かった。

僕は直ぐに橋本さんに連絡をし、
オファーを受け入れる旨を伝えた。
なので、わざわざ社長がフランスまで来る必要は無いと伝えた。

橋本さんはとても喜んでくれた。

僕達は直ぐに契約書を交わし、
引っ越しの準備などもあったので、
僕の就業は来年の春からとなった。

一旦契約書を交わしたら、そこからが大変だった。
やることが多すぎて、僕はてんてこ舞いになった。
何処から手を付けていいか少し迷った。

でも、一つ、一つリストアップしていって、
優先順番からかたずけた。

先ずは日本に住むにあったって、
陽一の日本語力は必須だった。

6年もワンオペ育児でフランスに住んでいると、
どうしても陽一のフランス語に接する機会が多くなってしまう。

僕の陽一へのバイリンガル計画は半失敗に終わり、
陽一は片言の日本語しか話すことが出来なくなっていた。

僕は否応なく陽一に日本語の家庭教師を付け、
先ずは残った期間で、日本語の猛特訓を始めた。

幸い家庭教師がとてもいい先生で、
日本語を学ぶ中で、遊びやゲームを取り入れ、
遊び感覚で日本語を教えてくれたので、
陽一は嫌がることも無く、
どんどん日本語を吸収していった。

その次には、日本でも住むところを決めなくてはいけなかったけど、
落ち着くまでは両親の家でお世話になる事にし、
向こうへ行ってからゆっくりと
自分たちにあった場所を探すと言う事でまとまった。

次は陽一の日本での幼稚園探しだった。
一番の心配はやはり陽一の言葉だった。

興奮したり、怒ったり、
落ち込んだりした時は、
やっぱりフランス語が出てしまう。

そうなると、他の子供達にからかわれないかとか、
心配になる。

インターナショナルも考えたけど、
陽一に、日本の幼稚園が良いと言われ、
結局はお母さんの伝手でどうにか
帰国子女の受け入れと経験もある幼稚園に決まった。

そして、フランスに居る間使っていた
家具や電化製品の始末。

僕は陽一を産んだ時に、
沢山ポールに家具をもらっていたので、
欲しいかと尋ねたけど、
新居に引っ越して、
家具も、ベビー用品も
リョウさんと二人で新しいのもを買いそろえたそうだ。

まあ、彼らは女の子を授かったので、
どっちにしろ、陽一の物はあわなかった。

それに電化製品は中古で買ったものの、
まだまだ奇麗なもので、
十分使える年数が残っていた。

だから、ポールの勧めで、
全てホームに寄付することにした。

幸い、向こうからトラックで指定された日に
受け取りに来てくれると言う事だったので
引っ越しの2日前を指定することが出来たので良かった。
それと同時に、不必要な家庭用品や服なども
受け取ってくれると言う事だったので、全て寄付した。

帰国するときは、
荷物をスーツケース数個のみにしたかったので、
凄く助かった。

そして迎えた僕の卒業式。
式と言っても、季節外れなので、
大々的にやるような卒業式では無い。

卒業する生徒も少数だ。
あれだけいた新入生も、
卒業するころには
半分以下まで減っていた。

卒業式も数人のグループが集まって、卒業証書をもらい、
労いの言葉を掛けてもらう、こじんまりとしたものだった。

でも僕にはそれで十分。

沢山の人に支えられながら、
右も左も言葉も文化も分からないフランスで、
ここまでやりとおしたと言う事実が僕には誇らしかった。

6年前を思い返してみると、
全てが大変な事だけだったわけじゃ無い。

あの時は、僕は自分の事しか見えていなかった。

気付けば、
お父さんも、お母さんもいつでもそこに居た。
青木君や奥野さんだってきっと僕の見方をしてくれた。

矢野先輩はいなかったけど、
きっといつかはあの場所へ戻ってきてくれた。
そして戻ってくれば、
必ず一緒に戦ってくれたはずだ。

佐々木先輩だって、
何度も、何度も僕にバカな行動は起こすな、
今は耐えろ、と伝えてくれた。

自分の選択は正しかったと思うか?
と聞かれると、答えは分からない。

今、佐々木先輩に会いたいか?
と聞かれると、
勿論会いたいと答える。

出来る事ならやり直したいか?
と聞かれると即答で是と答える。

僕の心は揺ぎ無く、
今でも先輩に向かっている。

この6年間、先輩への思いは消えることは無かった。

愛してる。
今でも先輩を愛している。

こんなにも愛せる人に巡り合えて、
僕は凄く幸せだと思う。

日本へ帰るとどうなるかは分からない。
日本へ帰る選択が正しいかもわからない。

でも、その分らない中、
僕はフランスへ来て、
陽一を産んで、
ここまで育てて、
6年間やり遂げることが出来た。

だから答えが分からなくても、
きっと日本でもやり遂げることが出来るはず。

僕は言葉も文化も違う、見知らぬ所に行くわけではない。

元々居た場所に戻るだけだ。

そしてそんな日本には佐々木先輩が居る。

かといって、完全にすべての事を受け入れられたわけではない。
未だに不明確な事は沢山ある。

佐々木先輩の事にしろそうだ。

先輩に会いたい気持ちは変わらない。
やり直したい気持ちも変わらない。

でも、先輩の方がどうなっているのか分からない。

帰ったからと言って、彼の胸に飛び込めるわけではない。

6年の空白は長い。

日本を去った時の様に、その場の感情だけで
全てを決めてしまう事だけは避けなければいけない。

僕は綺麗に肩付けられ空室になった部屋を見回した。

ここには沢山の思い出がある。

戸惑いながらの育児。
言葉が少し遅くて癇癪を起こしていた陽一。
床に転がっては叫んで泣きまくってた。

僕もポールもどうしていいかわからず
立ち尽くしていた日々。

イヤイヤ期が始まって
何に対してもイヤイヤで
一体何がしたいのか困り果てた日も幾度とあった。

陽一が初めて病気をした日は
一睡も眠れなかった。

それでもいい子でスクスクと育ってくれた。

陽一が夜寝た後は、
ポールと沢山話して、バカやって、
僕を嫌と言うほど甘やかしてくれた。

そしてその後は先輩を思い出して
ひっそりと1人で泣く夜も沢山あった。

振り返ると、あっという間だったけど、
本当にたくさんの思い出に
目頭が熱くなった。

そうしてもう一度部屋を見渡した後深呼吸すると、
僕は半分不安と、半分期待の気持ちが交差する中、
フランスでの最後のドアを閉めた。


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