消えない思い

樹木緑

第131話 卒業

3学期は学校行事もほとんどなく、
佐々木先輩と会えなかった長い日々は
ようやく終わりを迎えた。

先輩たちの入試が終わり、
まだまだ合格発表までは気を抜くことは出来ないけど、
先輩達からの報告によると、
試験は旨くいったらしい。

僕の心は少し軽やかさを増したけど、
明日は卒業式。

泣いても笑っても、待ったをかけても、
待ってはくれない日。
僕がずっと恐れ、目をそらしていたその日。

ついにその日やがってくることになった。

在校生は卒業式の手伝いの一部を残して、
後の生徒はこの日は休校で、
卒業式には3年生しか参加しないけど、
多くの後輩たちは、卒業式が終わるのを
校庭で待っていた。

クラブの先輩達に花束を渡したり、
好きだった先輩への告白や、
写真を一緒に撮ったりするため。

僕も例外では無かった。
体育館で卒業式は行われるけれども、
かなりの生徒たちが体育館周りを囲んでいるので、
容易に近付けない。

校庭や、校舎にも結構生徒は待ち構えているので、
一見すると、普通の学校の日とあまり変わらない。

僕はこの日は僕の隠れ家で先輩を待つ事にした。

僕の隠れ家とは、美術部・部室である。

恐らく今日も、誰も来ないだろう。
僕は良く佐々木先輩と、放課後、美術部・部室で隠れて会った。
殆どの生徒が、部室では活動を行わないため、
部室は殆どもぬけの殻だった。

そんな部室は、夏休みが終わる頃には、
僕にとっての隠れ家と化していた。

一人になりたい時、
考え事をしたい時なんかは、
良くここに顔を出した。

僕は、大きな木に遮られた窓辺が好きだった。
時折入ってくるそよ風と、
緑の葉、風になびくオーガンジー風のカーテンは、
隠れてリラックスをするには、
丁度良い場所となっていた。

そしてそんな僕の隠れ家には、
決まって佐々木先輩が放課後、
人目を避けるように尋ねてきてくれるという感じだった。

時々は矢野先輩も顔を出してくれたけど、
僕達の邪魔をしない様にと、
一足先に部室を後にしたりした。

人は来ないと言っても、
やっぱり校舎内。

見つかっては大変なので、
僕達はカーテンの陰に隠れて良くキスをした。

時に先輩はマイピロウを持ち込んで、
床に並べては本を読みながらゴロゴロとしたり、
昼寝をしたりしていた。

僕の多くの時間は絵画スタンドに立てたキャンバスと向き合って、
スケッチした絵を塗ったりしていたけど、
時にはゴロゴロとする先輩の隣に座り、
絵画本や、美術書、小説を読んだり、
又は宿題をしたりしてまったりと過ごす事も大好きだった。

そんな中、起き掛けに僕の腰に回してくる先輩の腕が好きだった。
その指に僕の指を絡め、キスをするのが好きだった。

甘えた様に僕の膝に顔を埋めた先輩の髪を梳く事が好きだった。
クラブ活動が終わり、少し伸びた先輩の髪は柔らかくて、
運動をしていた時の短く刈った
ツンツン頭からは想像もできなかった。
僕はその髪に、頭に何度もキスをした。

先輩も僕の髪に触るのが好きだった。
良く僕の髪に指を絡めては
そこにキスをしていた。

そして何度も何度も耳元で囁いてくれた言葉。
二人で見つめ合って微笑み合った時間。

僕はそんな美術部・部室が大好きで、
その場所は僕にとっての特別な大切な場所へと変わって行った。

それはきっと、佐々木先輩にとっても
同じことだっただろう。

そして卒業式の日も、
そんな僕達の大切な場所で落ち合う事にした。

卒業式は朝の10時から行われた。

僕は、11時には学校へやって来て、
美術部・部室に足を運んだ。

ドアを開けると、一番に
佐々木先輩を初めて見た窓が目に入り、
フラッシュバックが起こった。

フィルムが回っているかのように、
スローモーションでそのシーンは浮かび上がった。

そこには窓の桟に片足を投げやり腰かけ、
窓枠に寄り掛かって
胸の所で腕を組んで眠っている先輩が居た。

僕はドアの所から一歩も動くことが出来なかった。
また、瞬きをすることも出来ず、そのシーンに釘付けになった。

僕が瞬きもせず先輩を凝視していると、
僕の後ろからフッと一人の少年が僕の横を通り過ぎて、
窓辺に眠っていた佐々木先輩に近ずいた。

その少年が僕の横を通り過ぎた時、
僕は彼が起こす空気の動きさえも感じたような気がした。

僕はその少年を息を殺して見守っていた。

少年は凄くびっくりした様にそこに佇み、
暫く先輩の顔を覗き込んで、

“ん~? これ誰?”

と言う様な身振りをした。

そうしたかと思うと、上をフイと向いて、
周りの空気を嗅いでいるような仕草をした。

数回空気の中の匂いを嗅いだかと思うと、
また先輩の方を見て首を傾げていた。

何をしているのだろうと思ったら、
その後首をキョロキョロとして
先輩の顔を色んな角度から眺めているようだった。

その少年を良く見て見ると、
ほんのりと頬が紅色してるようだった。

あれ? この少年は……
そう思っていると、

今度は少し先輩の顔に近ずき、
先輩の顔の周りをクンクンとしている。

そしてその少年は先輩の顔に向かって自分の指を伸ばした。
先輩の顔に触れるか、触れないかという時、
先輩が何かに気付いた様だった。

その少年はハッとした様に
僕の方を振り返り、
そして一目散に駆け出した。

僕はビクッとして一瞬一歩引き下がった。

その瞬間、少年は風の様に僕の横を駆け抜けて行った。
この時僕は彼が走り抜けた風さえも感じる事がで来た。

僕は硬直したまま目だけを動かし、彼の去った方を追った。

その時先輩が

「う~ん」

と言って起きそうな声を漏らした。

先輩にもう一度目を向けると、
眉間に皺を寄せて、少しずつ目を開いた。

先輩は少しボーっとした後、
ゆっくりとまた目を閉じると、急に上を向いて
その少年が立っていた場所をクンクンし始めた。

そうだ!
あの少年は僕だ!
ここで初めて佐々木先輩を見た僕自身の姿だ!

僕は僕が駆けて行った方をドアから廊下へ顔を出し覗いた。
でももうそこには、僕の姿は無かった。

そんな僕の横を、今度は佐々木先輩が勢いよく飛び出して行った。

『そうか……
先輩、あの後、直ぐに僕を見つけに
飛び出していってくれたんだ。
会わなくて良かった……

そう、あの後僕は……』

僕は、今まで佐々木先輩が座っていた窓の桟を見た。

もうそこに先輩の姿はなかった。

僕は窓に歩みより、窓の桟を指でなぞった。

そして、そこで寝た居たであろう先輩を疑似して、
僕は先輩の唇があったであろう場所に
そっと、静かにゆっくりとキスをした。


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