猫とマッチョと縁の円

涼木行



 して、歩行祭きたる。








 母親に力づくでベッドから引っ張りだされた宇乃は寝ぼけ眼でふらふらとリビングに入る。中学の体操着に部屋着のカーディガン、おろした髪は寝癖でぼさぼさ、といった格好である。まだ頭は半分寝ているといった具合であり、目を開けるのも苦労しているようだ。そうして椅子に座ろうとしているところでチャイムが鳴った。


「あら、早いわね。宇乃立ってるついでに出て。こっち手離せないから」


「あー……」
 と宇乃は返事になってない声を出し、インターホンに出ると「はい」となんとかはっきりとした声を出す。


 返ってきたのは聞き覚えのあるドスのきいた声だった。


「おう、鵜ノ浦」


 無論、菜更木英士の声。宇乃は反射的に受話器をおろし、玄関に向い寝ぼけ眼で覗き窓からその向こうを見る。そこに映る顔は、やはり菜更木英士その人の強面。ガチャリとドアを開け今一度確認するが、どうしたってそこにいる巨体は菜更木英士以外の何物でもありえなかった。




「……………………………………なんでいんの」


 と宇乃はまだ開き切らない目でねめつけるように来訪者菜更木の顔を見る。菜更木は普段とは違い上下とも学校の体操服姿。そして背中にはバックパックを背負っていた。


「迎えに来たに決まってんだろ。お前それもしかして今起きたとこか?」


「……そのもしかしてだよ」


 宇乃はまだ半分寝ている頭を動かしなんとか返す。


「やっぱか、早めに迎え来といてよかったぜ。まだ間に合うからさっさと準備しろよ」


「……一応聞いとくけど私を歩行祭に参加させるためにわざわざ朝からうち来たの?」


「まあな。お前の母親に頼まれてたしよ。だいたいお前がいねえ歩行祭とか意味ねえしな。準備できるまで待ってっから早くしろよ」


 それを聞き宇乃は肩を落とし大きくため息をつき、


「……わかったから中入って待ってて」


 と全てを諦めた様子で言うのだった。








 数十分後、準備を整えた(というより母親に整えさせられた)宇乃が菜更木の前に姿を現す。足元はおぼつかず、その目は半分も開いていない。


「時間かかりすぎだろおい」


「……眠い。というか動けない」


「ったく、時間結構やばいぞこれ。もう出発していいんだな? 忘れ物ねえよな」


「知らない。荷物はお母さんがやったから」


「何歳児だよお前。まあいざとなったら俺が貸すから大丈夫か。朝飯は?」


「………………」
 返事はなく、かくん、と船を漕ぐ。


「……その様子じゃ食ってねえな。まーそう来ると思って握り飯持ってきたから後で食え」


「……準備良すぎだろ。何時起きだよお前」


「こんくらい当然だっつうの。ほら行くぞ」


「……無理。動けん」


「お前……ったくしゃあねえ。乗れ」
 菜更木はそう言い、背負うべく背中を向け少ししゃがむ。


「……いや、それは、」


「んだよこれも無理かよ。んじゃ抱えっぞ」


「かかえるって、」
 有無を言わさず、菜更木は正面に向き直ると――身体を沈め右肩を鵜ノ浦の腹部に当て、そのまま肩の上に乗せぐっと立ち上がった。いわゆるファイヤーマンズキャリーという形だ。鵜ノ浦の軽い身体はいとも簡単に宙に浮く。




(あ、抱えるってこういう……)


 思ってたのと違う。こう、いわゆるお姫様抱っこ的なのかと……まあこっちのほうが全然いいけど、とろくに動かない頭で思いつつ、菜更木に軽々と運ばれるのであった。


「うっす。おばさんお待たせしました」


「おばさん?」


「いや、すんません店長。お待たせしました」


 と菜更木は顔をひきつらせつつバイクの近くで待っていた宇乃の母に言う。そうしてバイクの後部座席に宇乃の体を座らせた。


「……バイク?」


「おうよ。これなら眠いお前も運べるしな。時間も短縮できるし」


「……いや、」
 と何事か反論しようとした宇乃の頭に母親がヘルメットを被せる。


「ちょ、」


「いいからいいから。これないと警察に捕まるわよ」


 といいつつ、ベルトを宇乃のアゴにかけ固定する母。そうしてる間にもバイクに跨りエンジンをかけ発進の準備をする菜更木。そうして宇乃の母が二人の胴体をロープでぐるぐると巻き固定する。


「……え、いや、これ、」


「あんたどうせ寝るんだからこうしないと危ないでしょ? 落ちたりしたらしゃれにならないし」


 いや、そもそもそんな人間をバイクに乗せようとするなよ、などと思うが超低血圧によりつっこみも抵抗もできず、されるがままな宇乃。


「こんなもんね。大丈夫かしら英士君?」


「そっすね。できれば俺の腰に腕回させてそっちの手首も縛っといたほうがいいと思います」


「オッケー。ほら宇乃英士君の腰に腕回して」


「……マジ?」


「マジに決まってるじゃないシートベルトみたいなものよ。なきゃ死ぬの」


 母親はそう言いつつ宇乃の腕を取ると菜更木の腰に回し、前方で組ませロープで縛り固定する。


「……拉致だろこれ」


「似たようなもんだしね。ほら足ここにかけて。気をつけなさいよ。オッケー英士君準備できたわよ」


「了解っす。んじゃ時間やべえから飛ばすぞ。しっかり捕まってろよ」


「いや、飛ばすって、」


 宇乃の抗議は届かず、菜更木はブルンと一度エンジンを噴かせるとすぐさまバイクを発進させた。そうしてすぐにスピードに乗り、朝の街へ向かって走り出す。


(いや、これはちょっと……揺れが丁度いいし、こいつの背中絶妙な柔らかさだしあったかいし、ダメだ、寝る……)


 そうして鵜ノ浦はそのまま菜更木の背に頭をうずめ意識を失うのだった。




                 *




 そのしばらく前。時刻は7時半過ぎ。生徒たちの多くはすでに学校へ集まっていた。校庭に出ているものもいればまだ教室に残り友人らと話しているものも多くいる。なににしても普段の学校とは違う空気が、時間が流れていた。普段ならば制服姿で教室の自分の席に座っていたりするのだが、今は学校指定のジャージ姿で各々が好き勝手にうろついている。授業が始まる前の緊張感のようなものもなく、祭の前の賑わいと静けさが丁度良い具合に混じったなんとも不思議な空気が漂っていた。


 新江木たちは既に校庭に出ていた。校庭に面した体育館の犬走りに腰を下ろし開会式が始まるのを待っているようである。




「えっ、英理それマジ?」
 と弘巳が眉をしかめて尋ねる。


「うん、一応ゴクセンに頼まれてるしねー。だからみんなにも少し手伝って欲しいんだよ。ちょろっと菜更木としゃべったりしてくれるだけでいいしさ。まあ一緒に歩くだけだし。美日光もいるしうちらが適任じゃん。やっぱりイヤ?」


「イヤっていうか……まあ私はやっぱりちょっと怖いしな……たいして話したこともないし。あんたや美日光は余裕だろうけど」


「そっか。伊織、お前は?」と英理が聞く。


「え? 私はまぁ、別に構わないけど……」


「さっすが伊織! そうこなくっちゃ!」


「以外だな。伊織が一番嫌がりそうなんだけど……あの菜更木だぞ?」と弘巳。


「その菜更木と結構仲良かったりすんだぜ伊織は」


「別に仲いいわけじゃないわよ。ただ少し話したことがあるだけで」


「すごいなお前……私は怖くて無理だわ」


「そんな怖がらなくてもいいと思うけどね。そこまで悪いやつじゃなさそうだし」


 伊織は先日の事を思い出していた。男達に絡まれているところを助け颯爽と去っていった菜更木の姿を。


 が、すぐのその翌日美人の三年生(確か姉の親友?)に抱きつかれ、デレデレしていた(少なくとも伊織にはそう見えた)姿も思い出し、「怖いどころかただのエロ猿でしょ」などと思うのだった。が、


「い……伊織ちゃんがデレた!」と美日光が目を見開く。


「はあ? 何よデレたって。弘巳、美日光は何言ってんの?」


「いや……わかるけど知らないほうがいいと思うな……」


 意味ありげに苦笑をこぼして視線をそらす弘巳に、伊織は首を傾げる。


「まあいいや。でも大変ね先生も英理も。クラスに馴染めない不良の相手までしなくちゃいけないなんて」


「まあ先生は大変だろうな、仕事だからプレッシャーもあるだろうし。でもせっかく一年間このクラスでやってくんだからみんな仲いいクラスにしたいじゃん、別に頼まれたとかとか関係なくさ」


「そうそう! 私も一肌脱いでばっちりエーちゃんをクラスの輪の中に引きずり込んじゃうよ!」


「よしきた! さすが美日光さん! よっ、大将!」


「ふふふ、そうおだてなさんな、当たり前のことをしたまでよ……ってことで弘巳ちゃんももちろんやるよね!」


「はいはい、多数派に従いますよ。どっちみち構わなかったし」


「みんなありがとねー。ともかく歩行祭楽しんでいこうぜ!」


 英理は立ち上がると手の甲を上に突き出した。それに美日光がすぐさま飛びつき手を重ねる。伊織と弘巳は「は? 何これ」「ほんとにやんの?」などと呆れた様子でこぼしながらも苦笑し、それぞれ手を重ね円陣をつくる。


「よしんじゃいくぞ。歩行祭―、ファイ」
『オーッ!』


 四人の黄色い声が、高らかに響く。




                  *




 8時。全校生が校庭に集まりクラスごとに並ぶ中、開会式が始まろうとしていた。一応は委員長である伊織が人数を確認するのだが、まだ二人足りない。


「……先生、まだ菜更木君と鵜ノ浦さんが来てないです」
 と伊織がクラスの引率担当である千石に伝える。


「マジかよ……鵜ノ浦はともかく菜更木は来るっつってたのによお……」


「連絡は来てないんですか?」


「いや、まだないな……まあ一応出発までは時間あるから待つしかねぇか」
 と千石は答え大きなため息をつく。






 その頃菜更木はというと、すっかり爆睡している鵜ノ浦を乗せ走り通し、ようやく学校の駐輪場までたどり着いていた。


「おら鵜ノ浦着いたぞ! こっからは歩きだ!」


 と鵜ノ浦を地面におろして肩を揺さぶる。


「……あ……?」


「あ? じゃねえよ! 学校着いたんだよ! いい加減起きろ!」


「んー……」


 と鵜ノ浦は唸るのだったが、そのままこくんと船を漕ぎ、そのまま動かなくなる。


「……マジかよお前……もういい。運ぶぞ」


「んー……」


 その唸りを肯定の返事と捉え、菜更木は再び鵜ノ浦の体をひょいと担ぐとそのまま小走りに皆が待つ校庭へ駆けていった。








 一方校庭の生徒たち。案内があり、いよいよ開会式が始まると徐々に話し声が減っていき、やがて静寂が広がる。


 と、そこへ、


「あ、あれ菜更木じゃね!?」


 と英理が校庭の向こうから走ってくる影に気づく。他の生徒達も遅れてやってきたその凶悪な有名人の姿に気づき、


「菜更木だ……」
「あいつ歩行祭とか来んのかよ」
「菜更木くんが体操着着てるのすごいシュール……」


 などと収まった静寂は再びざわめきだす。そしてさらに、その菜更木が担ぐもう一人の有名人の姿に、


「え、あれ鵜ノ浦さん!?」
「鵜ノ浦も歩行祭とか来んだ」
「あの鵜ノ浦が遅刻しないなんて」
「なんで菜更木が鵜ノ浦担いでんだよ」
「てかもしかして菜更木と来たのかあれ?」
「つか鵜ノ浦さんに触れるとかマジ羨ましい菜更木もげろ」
 とざわめきは一層強まった。


 そんな生徒たちのざわめきなど当然知る由もない菜更木。やべっ、もう始まってんじゃねえのかこれ? 急がねえと、と一人慌てていた。


「おい鵜ノ浦! なんかあいつら並んでっぞ! てめぇも起きろ!」
 と鵜ノ浦に声をかける。


「……知らん」


「知らんってお前……もういいわ」


 菜更木は完全に諦め、そのまま鵜ノ浦を担ぎ、生徒の集団の後ろにぐるりと回りこむと自分たちのクラスの列を見つけその最後尾についた。


「おーエーちゃんちゃんと来たんだね!」


 と列の一番後ろに陣取っていた美日光が朗らかに迎える。


「おう、当たり前だろ。色々あってちと遅くなっちまったけどよ」


「ギリギリセーフだよ、今から開会式始まるところだから。鵜ノ浦さんもおはよう!」


「……………」


 鵜ノ浦は無言だがかろうじてこくんと頷いて答えると、地べたにへたり込みそのままグラウンドの上に倒れるように寝転がる。


「……無理だからちょっと寝る……」


「お前……せめて下になんか敷いて寝ろよ。今シート出すからよ」


 と菜更木は言うとやたらデカイバックパックの中からブルーシートを取り出した。


「おー、用意いいな菜更木」


 と英理が感心したように言う。


「まあな。歩行祭つったらこういうのも必須だと思ってよ。ほらこの上で寝ろよ」


 菜更木はブルーシートを地面の上に敷いて鵜ノ浦に言う。


「……動けん」


「どんだけだよその低血圧って。ったく、」


 菜更木は悪態をつきつつ、鵜ノ浦の体を抱えブルーシートの上に移動させる。そうして鵜ノ浦は再び完全な眠りの世界に落ちるのであった。


「鵜ノ浦さんほんと朝弱いんだなー。まー来てくれただけで嬉しいけど。そういや菜更木もしかして鵜ノ浦さんと一緒来たの?」
 と英理が尋ねる。


「まーな。こいつ朝よえーから多分行けねえって話だったから迎えによ」


「おーやるなー菜更木。てかお前鵜ノ浦さんとそんな仲良かったんだな」


「あ? ま、まーそりゃ一応去年から同じクラスだからな? ダチみてえなもんだよ。それにほら、こういう行事はクラス全員参加の方がいいだろ?」


「そうそう、折角の行事だしなー。お前が迎え行って連れてきてくれてほんと良かったよ。私も個人的にこれを機会に鵜ノ浦さんと仲良くなりたかったし。鵜ノ浦さんこんだけグロッキーだと無理して来なかった方がいいんじゃないかって気もさすがにするけどさ」


「あー、まあな。俺もここまでひでぇとは思わなかったわ。まあもうちっと寝ればさすがに大丈夫だろ。ダメならまあ良くなるまで俺が運ぶしよ」


「頼りになるねー。まあここまで来て不参加もあれだしね。その辺は鵜ノ浦さん起きてから相談だけど。あーもう開会式始まるから喋るのやめないと」


 と英理は前方の壇上に人が登ってきたのを見て前に向き直った。









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