猫とマッチョと縁の円

涼木行





 翌日。伊織が下校しようと下駄箱の前に一人いると、丁度菜更木がやってきた。
「あっ」
「おう」
「……帰るの?」
「まあな」
 それを聞き、伊織は少しだけ周囲を確認してから小声で尋ねる。


「今日はうち来るの?」
「おう。その日だから」
「あっそう……じゃ、じゃあどうせだから一緒行く?」
「あ? あー、そうだなどうせ同じだし」
「あ、うん、じゃあ……」
 と伊織が答えたところで、突如、


「エーちゃん!」


 という声が響くと同時に、やたら美人な女子が背後から勢い良く菜更木に飛びついた。


「あ、明日美あすみさん……」


「エーちゃん久しぶりー! 元気してたー? 全然顔見せてくれないから寂しかったよー」


「う、うっす……」


「ていうかエーちゃんなにこれカタっ! 筋肉つけ過ぎだよー。あの柔らかかったエーちゃんはどこに……」


「何年前の話してるんすか……てかとりあえず離してもらえませんかね……」


「何言ってるの久しぶりなのにー。しかしほんと大きくなっちゃったねー。これじゃ高すぎて頭撫でられないよー」


「撫でんでください頼んます……ていうか今日子てめぇ隠れて見てねえでなんとかしろよ」


 と英士は下駄箱の影でニヤつきながら覗き見している姉・菜更木今日子きょうこに言う。


「いやいや、気にしないで続けて」


「続けろじゃねーよ。頼むからなんとかしてくれよ。明日美さんほんと勘弁してください……」


「でもエーちゃんが全然顔見せてくれないからなー。こういう時にしっかりかわいがっとかないと。ていうか髪切って髭も剃ったんだねー。そっちのほうが昔に戻って全然いいよ! あっちもそれはそれで痛々しくてよかったけどねー」


「痛々しいってなんすかそれ……」


「なんか背伸びしちゃってるっていうかイキっちゃってる感じ? それもまたゾクゾクしたけどねー」


 何言ってんのこの人、相変わらず怖い……と思いながらも口にはできない菜更木。そこで明日美は状況を口あんぐりと見ている伊織に気づく。


「あー! 桧原さんだよね!?」


「え? あ、はい、まぁ……」


「今日子ー! 桧原さんだよ桧原さん! あの会高二年ツートップの!」


「あ? あーほんとだ」


「やっぱりすごいかわいいねー。でも我々TTペアも負けてないからね! 真の会高ツートップの座は渡さないよ!」


「は、はぁ……えっと、TTペアって、」


「知らないのー!? 我々の知名度もまだまだだね今日子ちゃん……さすが天下の桧原さんに眼中にもなさそうだよ……」


「あっそう。私は別にかまわないけど。だいたいんなの他の連中が勝手に言ってるだけだし」


「きょ、今日子ちゃんまで……一緒にアイドル一番星目指そうね! って約束したのに……」


「してねーから。あー一応説明しとくとさ、こいつが言ってるTTペアってのは一応私ら二人のことで、」


「一応じゃないよ! 今日子と明日美、その名に今日と明日を冠する二人! トゥデイ&トゥモロー! それが私達TTペア!」


 ビシッ、とポーズを決めてそう高らかに宣言する女子・静潟しずかた明日美であった。


「――は、はぁ……」


「まー桧原さんのスリーBだのツートップみたいなもんよ。ていうか桧原さんこいつと知り合い?」


 と今日子は言い、未だ明日美に後ろから首元に抱きつかれて疲弊している英士を親指で指す。


「……一応クラスメイトです」


「そうだったんだ! さっきも言ったけど私三年でエーちゃんの二人目の姉の静潟明日美しずかたあすみね! こっちは羨ましいことにエーちゃんの実の姉である今日子」


「いや、だから二人目の姉ってなんすか」


「何言ってんのほとんど姉みたいなものでしょ!?」


「は、はぁ……」
 と英士は借りてきた猫のように大人しく、タジタジである。そんな様子を伊織は軽蔑しきった冷ややかな目で見るのであった。


「ところでエーちゃんこれから部活だからこのまま連行ね!」


「は? いや部活ってなんすか俺んなの入ってないんすけど」


「いやお前人数確保のため名前だけうちの部活に入ってんだろ。ほぼ来てねーけど去年だってたまに雑用やらせてたじゃん」
 と今日子が答える。


「そう言えばそうだっけか。ただ雑用やらされてるだけだと思ってたわ……」


「まーちと色々話があってさ。年度変わって部活も色々やることあってな。そういうことだからちょっと顔貸せよ」


「いや、俺用事あんだけどよ」


「えー何用事ってー。久しぶりにエーちゃんとお茶できるって思ったのにー!」
 明日美はそう言って英士の首にかけた腕をギュッと強める。


「いや、そうは言ってもですね……」


 と英士は半ば助けを求めるような目でちらっと伊織を見るのであったが、返ってくるのはどこまでも冷ややかな目付きだけであった。


「あーなに? なんか桧原さんと用事あった?」
 と今日子が言う。


「いえ、そんなわけないじゃないですか。私がこんなのと用事なんて。たまたまここで会っただけなんで」


 伊織は今日子に対しニコッと笑ってそう返す。


「お、おい桧原、」
「なに?」
 すがる英士に、再び軽蔑が交じる冷たい視線が返される。


「い、いえ、なんでもないです……」


「そう。じゃあ。では私は失礼しますね」
 と笑顔を作り、今日子と明日美に対し会釈する伊織。


「うん、じゃーねー桧原さん!」


 と呑気にブンブンと手を振る明日美(なお未だに後ろから英士に抱きついたまま)に見送られ、伊織は足早にその場を立ち去っていった。その様子を見ていた今日子は、


「へー」
 とつぶやき、ニヤついた様子で英士を見る。


「んだよその顔」


「別にー? いやー明日美いい仕事したぜ」


「そう? よくわかんないけどいつだっていい仕事するのが私だしね!」


「お前そういうとこあるよなー」


「そういうとこあるんだよねー。じゃあエーちゃん行こっか!」


「……うっす」


 と英士は観念した様子で肯くと、明日美に腕を取られたままどこかへと連れられていくのであった。




                 *




 静潟明日美、高校三年、17歳。英士の姉今日子の親友にして、幼稚園の頃からの幼馴染。家も近所で小さい頃から菜更木家には出入りしており、一人っ子であるがゆえに英士のことを昔から実の弟のように可愛がり溺愛している。それは英士が成長し、高身長の筋肉野郎、おまけにオールバックアゴヒゲ野郎になってからも変わりなく、今でも見かけるやいなや極度のスキンシップと可愛がりをかまそうとしてくるほどであった。


 そんな明日美を英士は心底苦手としている。嫌いではないがとにかく苦手。やめてほしいが強くは言えない。どれだけ言っても一向に通用しない。どこまでも一方通行。話が通じない。英士が「女はわけがわからん。女は苦手だ」と思う最大の原因となった女子である。




 して、されるがままに連行され着いた場所は文化系部室棟の一室。扉の上に付けられた部の名前は「英国文化研究会」。正式には部ではなく同好会の類である。


 英国文化研究会、その名とは裏腹に英国文化の研究などはほとんどせず、いや、していることにはしているのだが研究する文化はただ一点、「アフタヌーンティー」だけであった。


 そう、英国文化研究会とは名ばかりでありその実態は「アフタヌーンティー研究会」。さらに言えばアフタヌーンティーと評してただ菓子食い茶を飲むだけである。


 して、そんな英国文化研究会の部室内。中は狭く、テーブルにパイプ椅子、それにガスコンロやヤカン、ティーポットなどがあるくらい。そのうちの一つに腰を下ろす菜更木はなんとも居心地が悪そうであり、普段の覇気や威圧感は全くない。まさしく借りてきた猫であった。そんな菜更木の前に明日美は、


「はいエーちゃんお茶」
 とにこやかに笑って紅茶の入ったティーカップを差し出すのである。


「すんません、ありがとうございます……」


「気にしないでー私もエーちゃんにお茶だせて嬉しいから」


「そっすか……で、話ってなんだよ今日子」


 英士は笑いを抑えるようにニヤついている今日子に言う。


「あーそうそう。年度変わったじゃん? それでまー三年生も卒業してさ、今この同好会うちら三人しかいないんだよね」


「そうなのか。てか三年とかいたんだな」


「一応ね。もともとあんたを人数合わせ兼雑用で入れるくらいは人少ないとこだけどさ。まーそれがいいんだけどね。ただお茶してるだけとか広くバレたらもっと人来そうだし。とにかくそういうわけなんだけどさ、同好会には最低五人は必要だから人足りないんだわ」


「お、じゃあ潰れんのか?」


「残念。嬉しそうなとこ悪いけど期限までまだあるからね。まー人数合わせには翔子ら入れるつもりだけどさ。あいつも入る言ってるし友達誘って五人は普通にクリアできそうだから」


「完全に私物化って感じだな。つかあいつも来んのかよ……」


 と菜更木は苦虫を噛み潰したような顔をする。翔子とは無論、この春から会高一年生の英士の妹である。


「別に私物化じゃないよ。翔子だって入りたいっつってるから入るだけだしな。まーとにかくそういうことと、あと顧問だな。同好会つっても一応顧問は必要だからさ。去年までの先生はよそ移ったから新しい人に変わったんだよ」


「ちょっと待て。この流れ流石にもうわかったぜ」


「何がだよ」


「さすがにもう先が読めるわ。新しい顧問ってどうせあいつだろ」


 という英士の発言と同時に、扉がガラガラと開く。


「よくわかりましたね。そうです私です」


 と勢い良く姿を表したのは、無論百目木エンその人である。


「やっぱてめーか……お前それ全部狙ってやってんだろ?」


「別に狙ってるわけじゃないですよ。まあ状況が状況でしたし、今日子さんに頼まれましたからね」


「そうかよ、もういいわ……とにかくこいつが新しい顧問だと」


「そういうこと」


「了解。まー俺にはほとんど関係ないけどな」


「それはどうかな」
 と今日子が言う。


「……どういうことだよ。俺なんてほとんど幽霊部員じゃねえか。たまに雑用で駆り出されるにせよほとんど関係ねえだろ」


「そこで今日お前を呼んだ最大の理由だよ」


「……嫌な予感しかしねえぞオイ」


「そうビビんなって。大した話じゃないしさ。まあこれはうちの伝統ってこともあるんだけどさ、今は一応私が部長やってるんだよ。でもうちらことし三年で受験じゃん? どっちも国立目指してるしさ、まー早いうちから受験勉強始めるってわけよ。つーことで部活もあんま関わんないようになるっていうか裏方に回る感じでさ、部長は二年に任せる方針なんだよね」


「はーん。ってちょっと待て、二年って俺しかいねえじゃねえか」


「そういうこと」


「はあ? 俺が部長とかねえだろそりゃ」


「つっても右も左も分からない一年に任せる訳にはいかないしね。あんただって一応は一年在籍してたわけだしさ。まーこっちだって必要最低限のことは教えるし」


「いやいや、そういうことじゃねえだろ」


「そういうことだよ。部長っつったってよその本格的な運動部だのとは違って別にそんなやることないしね。まーあくまで名義上のもんだよ。今までと一緒でさ。部の活動とかのことはほとんど翔子らに任せちゃっていいし」


「ほんとかよ。なんかうさんくせぇな……」


「大丈夫大丈夫。いざって時は私らだってサポートするしさ。多少は内申も良くなるしね。あんたなんてただでさえ評判悪いんだからこういうとこで少しくらいはポイント稼いどかないと」


「こんなもんで稼げるポイントなんてあると思えねえけどな。第一んなのどうでもいいしよ」


「まーとにかく頼むわ。ほら、明日美からも言ってやってよ」


「エーちゃんお願い!」
 明日美はそう言い、英士の腕をガッと掴む。


「んじゃ代わりに俺に抱きついたりするの辞めてくれますかね……」


「それは無理!」


「あ、無理っすかそっすか……」


「うん無理! 代わりにもっとお茶淹れてあげるからさ!」


「いや、それはどうでもいいんすけど……ちなみにこれ断るとどうなんだ?」
 と今日子を見て尋ねる。


「そりゃ毎日明日美がまとわりついてお願いし続けるな」


「まとわりつくぜ!」
 と明日美がビシっと親指を突き立て宣言する。


「やるんでそれだけは勘弁してください」


「よしんじゃ決まりだな。頼んだぜ」
 と今日子はニヤッと笑っていい、書類に英士の名前を書く。


「ありがとねエーちゃん! お礼にお茶もう一杯淹れてあげるね!」


「いや、それはいいんでもう帰らせてくれませんかね」


「まーたまたエーちゃんそんなこと言っちゃってー。久しぶりのエーちゃんとのティータイムなのに帰すわけないでしょ?」


 と明日美はどこまでも笑顔で言うのだった。その笑顔に英士は何やら恐怖の類を感じずにはいられず、


「はい、サーセン……」


 と肯きされるがままになる他ないのであった。そうして英士は明日美にひっつかれながら、腹がたぷんたぷんになるまで紅茶を飲まされるわけであったが、それを見ていたエンは今日子に対して小声で一言。


「これはいいもの見られましたね……」


「でしょ? ほんと笑えますよ。多分あいつの一番の弱みじゃないですかね。先生も最大限利用しちゃってかまわないですよ」


「ええ、ぜひそうさせてもらいます」


 などと会話をするのであったが、とうの英士はそんなことはつゆ知らず。限りなく心を無にし、乾いた笑みを浮かべるだけであった。







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