猫とマッチョと縁の円

涼木行

 




 その時彼は一匹の猫と対峙していた。


 菜更木英士なさらぎえいじ。背の高はこの春高二になるとはいえ184。4月生まれで17歳になったばかり。しかしとうてい17には見えぬなり。髪は何故だかオールバック、顎にははっきりと髭がある。それでいて整ってるけどやたら凄みのある顔つきからはカタギの臭いは感じられず、歳だって十は上にも見える。おまけに服の上からでもわかるほどガタイがよく、筋骨隆々といった具合。それが猫と対峙する男、菜更木英士。


 一方猫は、猫である。とはいえ一般的なごろにゃんと呑気に寝そべり欠伸をしているようなものではなく、野生の本能を総動員して牙をむき出し総毛立ち、虎のような形相で英士を威嚇する。まさに一触即発。竜虎相まみえる、といった具合に二人の(正確には一人と一匹の)間には緊張が走っていた。なにやらゴゴゴゴゴと地鳴りのような音まで聞こえてきそうである。


 先に動いたのは英士だった。すっ、と手を差し伸べてゆっくりと一歩を踏み出す。が、その一歩が着地するやいなや「フシャーッ!」と悲鳴に近い鳴き声を上げて猫は後方へ勢い良く跳び、そのまま一目散、目にも留まらぬ猛スピードでまさしく脱兎のごとくあっという間に遥か彼方に逃げていってしまった。そのあまりにも一瞬の出来事に、英士はしばらくその場に固まり、そうして自嘲気味にふっと小さく笑って上体を起こした。




 今日も、今日も猫に近づくことすらできなかった……




 その目には、かすかに光るものが浮かんでいた。


 菜更木英士。この男、こよなく猫を愛しているが、とうの猫のほうからはハブとマングースよろしく前世からの宿敵といった具合に徹底して避けられ嫌われているのであった。


 何故だ、どうしたら猫と仲良くなれるんだ……と英士がそのでかい図体で肩を落としていると後方から突然、


「凄まじい猫縁ねこえんのなさですね」


 という声がかけられる。英士が驚いて振り向くと、そこには一人の女性がいた。


 歳はおそらく20代。短い黒髪に、左目の下の泣きぼくろが印象的。目はどことなく眠そうで、限りなく無表情に近い。


 奇抜なのはその格好。和服を着ているのは問題ないが、外だというのにその上に半纏を羽織っている。足元は下駄であり、それでいて背中には巨大なバックパック。左手には大きなキャリーケース。極めつけは右手に握られた日本酒の一升瓶。栓はしめられておらず、女性はそれを口元に運ぶとスポーツドリンクでも飲むかのようにグイと一口飲み込んだ。


 ……なんだこいつ。それが英士の第一印象。変な格好だし昼間っから街なかで一升瓶で日本酒ラッパ飲みとかやべーだろこいつ。てか今の思いっきり見られてたのか、などと気恥ずかしさを覚える。


「凄まじいというより絶望的なまでに猫縁絶無ですね。さすがにここまで酷いのは初めて見ましたよ。そのくせあなたの方は猫が大好きっていうんだからとんだお笑い草ですね。同情すら覚えますよ」


 などと女性は一方的に言う。


「……なんなんすかあんた?」


 よく俺が猫好きだって一発で見ぬいたなこいつ、と多少警戒しつつも英士はたずねる。


「ただの通りすがりの縁使いえんつかいです。エンスカイじゃないですよ。っていってわかりますかね?」


「……で、なんか俺に用でもあんすか?」


「そうですね、まああるといえばありますけど……ここで会ったのも何かの縁ですから」


 女はそう言い、キャリーバッグをその場に置くと和服の胸元から五円玉を取り出した。


「一つ取引でもしませんか?」


「……は?」


「いえね、実は私この春からこの街に住むことになったんですけど、借りるはずだったアパートの部屋に色々あって住めなくなりまして、まあ簡単にいえば今晩雨風しのぐ場がないんですよ」


「……ホテルにでも泊まったらいいんじゃないですかね」


「そうできればいいんですけどなにせ女一人の貧乏所帯ですから、見ての通り今ここにあるものが全財産ですからね。そういうわけでできればお金をかけずに屋根の下で一晩を過ごしたいと思ってんるですよ。困ったことに明日から仕事が始まりますから呑気に部屋探しをしている暇もなくて」


「……で、俺にどうしろと」


「取引です。これも何かの縁ですから、今晩あなたの家に泊めていただけませんかね?」


「あー……取引ってことは何か見返りがあるってことっすよね」


「もちろん。あなたのその絶望的なまでに存在しない猫との縁、私が結んであげますよ」


「……つまり?」


「ですから、あなたと猫の縁を結んであげるって言ってるんですよ。縁結びってやつです。さっき私縁使いだって言ったじゃないですか。縁結びとか縁切りとかできるんですよ」


「縁結びって神社とかによくある縁結びの神様的な?」


「そういう的なものです」


「――わかった、他あたってくれ」


「ちょいちょい待ってくださいよ、猫と触れ合いたくないんですか?」


「あいにく俺はそういうオカルトだのスピリチュアルみたいなもんには興味ないんで」


「まーそう言わずに、一度自分の目で確かめてからでも遅くないんじゃないですかね。ものは試しですよ菜更木さん」


 その言葉に、英士は思わず足を止める。


「……初対面っすよね。なんで俺の名前知ってんすか」


「わかりますよそれくらい、縁使いですから。縁なんて目に見えないものを見て司るわけですからね、菜更木英士さん?」


「……別に名前なんて事前にいくらでも調べられるしな」


「そうですね。でもあなたが無類の猫好きだということも調べてわかることですか? それを誰にも知られぬようひた隠しにしてるというのに」


 図星であった。


「それは、さっきの見てたらある程度推理っつうか当てずっぽうで当たることもあるだろ」


「じゃあ趣味が筋トレっていうのは?」


 またも図星である。英士は僅かに戸惑いを覚える。


「――服着てたって筋肉あんのはわかるだろ普通に」


「ではあなたが岩合光昭を敬愛し将来は彼のような猫に愛される動物カメラマンになりたいという密かな夢を持っているということは?」


 それは、ただ一人にだって話したことのない彼の秘密だった。


「もっと畳み掛けることもできますけど。ご家族は、五人ですね。母が栄子さん、姉が今日子さん、歳は一つ上で同じ高校の三年生みたいですね。妹は翔子さんで、一つ年下でこの春から同じ高校の一年生ですか。父親は家にはいないみたいですね。どこか遠くのとこ……外国、戦地ですか。いわゆる戦場カメラマンっていうやつですね。家族に戦場カメラマンがいる人には初めて会ったかもしれません」


 全て、合っていた。


「……てめぇなんのつもりでうちの家族調べまわってんのか知らねえけど警察突き出すぞコラ」


「そうですか、まあ普通そうなりますよね。では論より証拠です」


 女はそう言い、持っていた五円玉を英士に向かってスッと投げた。五円玉は真っ直ぐに英士の胸に向かい――そうしてそのまま「チャリン」という音とともに吸い込まれて消えた。英士は咄嗟に胸元を触るが、五円玉はどこにもない。足元にだって、落ちていない。


「とりあえずのサービスです。これも何かの縁ですから、猫との縁、結んであげますよ」


 女は言い、両手を組んで人差し指を立て印を作り、それを離すと先ほど五円玉が吸い込まれて消えた英士の胸元に何やら指を走らせ文字だか図形のようなものを書く。


「さ、これで終わりです。一時的ですけど、あなたと猫の縁を結びました。少しすれば猫の方から寄ってきますし触るのだっていくらでもできますよ」


「――あのな、そんな変な儀式みたいなので、」


 その時、道の向こうから「ニャー」というかすかな鳴き声が響いてきた。その音に菜更木は思わず振り返る。


 猫が一匹そこにいた。




(なん……だと……?) 




 菜更木は驚愕する。これまで一度だって猫のほうから自分の目の前に現れてくるようなことはなかった。しかし驚愕はなおも続く。その猫が、なんと、自分の方に歩み寄ってきているではないか。これは夢か? そうなのか? 自分から一目散に遠ざかる猫は数いれど、俺の方に向かってくる猫なんてついぞお目にかかったことはない。そもそも俺を前にして、敵意むき出し威嚇などせず、こんな穏やかな猫なんて……


 しかしそれでは終わらない。再び「にゃー」という声とともに一匹、また一匹と猫が姿を現す。それらの猫たちも同様、菜更木に怯えた様子はなく、親しげに近寄ってきて――そして接触。足元に集まり立てたしっぽをすり寄せ、頬ずりする。菜更木はその場にしゃがみ恐る恐る手を差し伸べる。触れる。逃げられない。噛まれない、引っ掻かれない。否、それどころか猫の方からじゃれてくる。


 それまでの菜更木の猫人生は悲惨だった。前述通り猫の方から近づいてくるようなことはなく、むしろ徹底的に避けられ、菜更木の方から近づくとひたすらに牙をむき出され威嚇され、それでも近づけば一目散に逃げられて、万が一触れられるほど接近できたところで伸ばした手・向けられた顔には鋭い爪が刻み込まれる。それが彼の17年の猫人生のほぼ全てと言って過言ではなかった。なによりも悲惨なのが、そこまで徹底して猫に嫌われているというのに彼の方は猫をこよなく愛しているということである。その悲哀。絶対的なすれ違い。神はなんと残酷な運命を彼に与えたのだろうか……


 ともかく、それが彼にとってこれまでの全てであった。


 だというのに、現在。


 菜更木はすぐには目の前で何が起きているのかわからなかった。
 猫が、俺の足元にいる? 俺の足に頬ずりしている?




 伸バシタ手ニジャレツイテイル?




 未だ恐る恐る、今度は猫の首元をなでてみる。猫は不快感など示さず、むしろ気持ちよさそうに「なーご」と鳴く。菜更木はもう片方の手も伸ばす。猫の両脇を抱える。猫は嫌がらない。暴れない。


 生まれて、初めて、猫を抱えた。


 そしてそのまま胸元に抱きかかえる。猫のぬくもりが、服の上からはっきりと感じられた。




 生まれて初めて猫と触れ合い猫を抱き、菜更木は泣いた。その184センチに日々の筋トレで筋骨隆々の図体を誇るオールバックにアゴヒゲ強面の男は、猫に囲まれ猫を胸に抱き、一人歓喜の涙を流していた。


 それを見ていた和服の女、


(すごい絵面というか、普通に気持ち悪いですねこれ……)


 などと思っていたが口に出すような野暮なことはせず、ゴツい男の至福の一時を邪魔せぬようにと静かに見守っているのであった。


 しばらく後、猫たちは各々菜更木のもとを離れ散っていく。時間にしておよそ三分。しかしそれは菜更木にとって、永遠にも近い一瞬であった。


(ありがとうお前ら……俺はこの幸福を一生忘れない……ッ!)


 と去りゆく猫たちを涙混じりの眼差しで見送る菜更木。心の中で別れをすませ、ぐっと涙をふきとる。


「――で、どうですか? 今晩泊めていただけますかね」


「あぁ……いや、今晩だけとはいわねえ、どうかずっとうちにいてくれ! んで俺に今の技を教えてくれ!」


 菜更木は恥も外聞もなくアスファルトの上に土下座して女に乞う。


「泊められるかは親に聞いてみねえとわかんねえけど泊まれるようなんとかするしもしダメでもなんとしても他どっか見つけっから! だから頼む、今のをもっと、もっと今のを俺にくれ!」


「なんかヤク中が売人に懇願してるみたいですね」


「全然ちげえよんなもん! 俺にとっちゃ今のは麻薬なんて足元にも及ばねえ最高のトリップだ! あの幸福、あの快感……」


「完全に危ない人じゃないですか。とにかく今晩泊めていただけるってことでいいんですね?」


「おうよ! 家族は俺がなんとか説得する! だから今のを、てかその猫と縁結びとかそういうのよくわかんねえけど教えてくれ!」


「それはちょっと難しいですね。誰にでもすぐできるってものじゃないんで。私は幼少期から修行をしてましたし才能があったんですぐ習得できましたけど、あなたが今からやるとなると何十年かかることやら」


「何十年でもいい! なんでもする! だから頼む!」


「嫌ですよそんな何十年もあなたの面倒見るなんて。だいたいこれは一族の秘伝の術みたいなものですからそうやすやすと外部の人間に教えるわけにもいきませんし」


「そんな、嘘だろ……」


 その場にがっくりと膝を落とし、顔を両手で覆う菜更木。それを見て(この人ほんと反応おもしろいな)などと内心思って見下す女。


「まあ教えるっていうのは無理ですけど代わりになるようなことなら一応できますが」


「なに?」


 とすぐさま食いつく菜更木。


「例えば時々今みたいに猫と縁結びしてあげたり、そもそも皆無の猫との縁を作り出す方法を教えたり、」


「そんなことまで出来んのか!?」


「そりゃ私は縁使いですからね。縁結びに縁切りに、いわば縁に関するプロフェッショナルですから。私の力は今あなたが体験したとおりです。ですが私もボランティアでやってるわけではありませんから見返りをいただかないことにはお力にはなれないかと」


「……見返りって?」


「それはまあ様々ですけど、あなた猫のためなら何ができますか?」


「……なんでもやってやるよ。猫のためならなんだってしてやるぜ!」


「その言葉が聞きたかった!」


 女はそう言い、何やら英士の反応を見る。が、特に反応がないのを見て少し拍子抜けと言った様子で溜息をつく。


「まあいいでしょう。では立ち話もなんですので、詳しい話はあなたの家でしましょうか」









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