ぜ、絶対にデレてやるもんか!

ねぼすけ

Lv.2 素直になりたいけれど③

  俺は今、人生最大の岐路に立たされている。眼前には、目を瞑ったまま女の色香を漂わせる玲奈の姿。唇を僅かに突き出して、満更でもなさそうに俺の次の出方を待っている。
  玲奈の艶やかな唇が煩悩を掻き立てる。リップが陽に当てられて煌めき、柔和な唇を今すぐ貪りたい衝動に駆られる。実際、拍動は早鐘を打ち、手汗は尋常じゃない。

「……いぃよ、きて」

  玲奈はとろんとした目つきで、訴えてくる。
  いや、落ち着け。雰囲気に身を乗じて、早まるような真似は断固として止めるべきだ。この状況が夢でないというのなら、考えられる可能性は一つ。これは、ハニートラップだ。

  ここで流れに身を任せてキスをしてしまえば、俺がデレたことになる。それでは生徒会から荷物を引き上げるのは俺の方になってしまう。それはなんとしても避けねばならない。
  そう肝に銘じておくが、しかし本能というものは恐ろしいもので、理性が止めるべきだと訴えていながらも、留まることを知らない。

  玲奈の肩を徐に掴む。

「……ひゃっ」
「ごめん、ちょっと乱暴だったか?」
「うぅん、ちょっとびっくりしただけだから……続けて」

  顔が火照って暑いのか、はたまた含羞に頬を真っ赤に染めているのか。
  玲奈は、汗ばんだ髪をしなを作るように耳元でかきあげる。加えて、俺の知らぬ間にはだけたブラウスの胸元が視界に飛び込んできて、やけに扇情的だった。

  これは、もう覚悟を決めるべきだろうか。生唾を飲み込む。いつまでも躊躇っていては、玲奈に恥をかかせることになるんじゃないだろうか。
  よもや玲奈に限って、俺を異性として意識しているわけではないだろうが、キスなどの少々大人びた行為に興味を抱いても何ら不思議なことはない。

  ただ、手近な男で済ませようとするのは褒められたことではない。しかし、好きな人の唇に触れられる絶好のチャンス。順序は少し違うけれど、こういった形で生まれるカップルだって、それこそごまんと存在するだろう。

  心中で揺らぐ思いを確固たる意志へと変える。唇を重ね合う、ただそれだけのこと。口で言うのは簡単だけれど、キスって一体、どうするんだ? こんなことになるのなら、彼女持ちの友人に興味本位で尋ねておけば良かった。
  過去の自分に臍を噛んだって、自分がヘタレ童貞という事実は揺るがない。ならば、この接吻に全身全霊を捧げるに他ならない。
 
「い、行くぞ……」
「ぃぃから、は……やく」

  意を決して、慎重に玲奈の柔らかそうな唇との距離を詰める。お姫様抱っこの体勢なので、覆いかぶさるようにしてキスをする体勢になるだろう。
  目と鼻の先に玲奈の端麗な顔がある。全身の毛穴という毛穴から汗が噴き出しているのかのような独特な緊張感があった。玲奈の口から絶えず漏れでる吐息が俺のそれとぶつかって、手汗は更に酷くなった。

  あと少し。僅かコンマ一秒で柔和な唇を堪能出来る――――。
 
  そんな獣のような欲望を現出させた己に対する後ろめたさは、眼前の刺激的な情景には打ち勝つことが出来なかった。思考を全て忘却の彼方に追いやって、大人の階段を一つ登っ――

「って、やっぱダメ――――っ!」

  瞬間、俺の唇は頬諸共膝蹴りという打擲を受けた。


  ◆ ◆ ◆


  やっちゃった、ほんとにあたしってバカ。今まで散々けんもほろろな態度をとってきたあたしにだって、非はある。だから、嫌でも気づかせてやろうって魂胆だったのに、最後の最後で怖気づいちゃった。
  結局、あの後も例の如く憎まれ口を叩き合いながら、帰った。畢竟、いつもと変わらない日常に戻ってしまった。ルーチンも幸せの一つの形かもしれない。でも、先の大胆な行動に踏み出せたのは、きっと膠着した今の状況に一縷でも影響を与えようと足掻いた結果だったんだ。

「はぁ……」

  一人溜息をついても、打開策を打ち出してくれるような相棒はいない。友達に相談するのも悪くないかもしれないけど、それにはまずこの燻った思いを暴露することから始めなければならない。そう思うと、憂鬱な気持ちに苛まれた。相談なんて絶対無理。

「それにしても、香月もちょっとくらい気づいたらどうなのよ……」

  抱き枕を胸に抱えながら、やるせない思いを一人、想い人に向けて漏らす。少しは気が晴れると思ったけど、全然そんなことなかった。
  寧ろ、恋焦がれる気持ちが膨れ上がっちゃうくらい。あいつのことを考えるだけで胸が高鳴る。でも、それと同時に熱くて苦しい。

  今日だって、溢れる気持ちが抑えられなくて、あんな大胆な行為に走ってしまった節もある。大体、いつものあたしはあんな尻軽みたいなことしないし。これでも、校内では清楚で通ってるんだから。

「おねぇーちゃ~ん? お母さんがお風呂入っちゃって、だって」

  ノックもなしに妹の友《ゆう》が入ってきた。 取り敢えず、抱き枕を胸に睨みつけておく。

「な、何? 何か文句ある?」
「この草食系リア充ぅ。ふーんだ、彼氏いる人はさぞ、お幸せそうでっ」
「えぇ……んな理不尽な」

  友は、さぞ面倒くさそうに顔を顰める。ていうか、多分面倒な姉だと思われてる。

「何を悩んでるのかしんないけど、恋煩いなら風呂でどうぞ」
「な、ななんでそれを! 別に悩んでなんかないし」
「……あのね、おねぇちゃん。私は妹以前に女だよ。それもお姉ちゃんみたいに賞味期限切れかけの放浪女子とは違って、リアル充実してる」
「うぅ、自画自賛……」
「事実だもん」

  確かに恋に関しては妹の方が一枚も二枚も上手。
  まさに、相談相手にはうってつけの存……

「……いた!」
「……ん?」

  思い切って、友に打ち明けてみた。想い人がいること。でも、意地を張っちゃうこと。
  そして、「デレた方が負け」という生徒会復帰をかけた勝負のこと。

  一通り話終えると、友はやけにしかめつらしい顔になって口火を切った。

「それって、チャンスなんじゃないの?」
「え?」
「お互いにデレるようなことって、恋人同士のスキンシップも該当の範疇でしょ? 聞いた限りじゃ、その香月って人もお姉ちゃんのこと嫌いじゃないみたいだし」
「……ほ、ほんとに?」
「わざわざ、嘘つくメリットないでしょ」

  希望の光が……閉ざされつつあった明日への扉が一気に開放された気分だった。そっか、あいつもあたしのこと、嫌いじゃないんだ……。

「か、香月はその……あたしのこと異性として意識したりするのかなぁ?」
「さぁ? 私はその香月って人に会ったことないから分かんないよ。でもまぁ、それはおねぇちゃんが自分で考えることだと思うしね」
「香月……」
「ま、枕に顔埋めて悶えてる暇があったら、そのデレたらなんとやらの勝負で存分に彼を誘惑すればいいんじゃないの?」
  
  気だるげな表情とは裏腹に、友は結構、大胆な助言をしてきた。誘惑……といったら聞こえが悪いけど、まぁそれを類推出来るような行動はとったつもりだった。
  でもでも、じゃあこれからは合法的に恋人みたいな体験が出来るってこと? 香月と放課後、下校したり寄り道したり、学校でこっそり逢引とか。
  人知れず屋上でイチャイチャしたり、デートに出かけたり果てにはき……キスとかも。ぐへへ。

「友、あたし頑張る」
「そ。じゃあ、早く風呂入った入った」

  気だるげな目つきの妹は、後ろ手にドアを閉めて出ていった。

「こうなったら、嫌という程ベタベタイチャイチャして、意識させてやるんだから……っ。覚悟してなさいよね、香月っ」

「学園」の人気作品

コメント

コメントを書く