銀眼貫餮のソウルベット -Pupa cuius oblitus est mundus-

七色Ayeca。

第49話 紅緋の悲叫曲

 影籠りに向けた道中は日の出と共に野営の準備をし、わずかな食事を済ませ、日陰で猛暑にうなされながら睡眠を取る。そして夕暮れと共に起床し、その日二度目の食事の後、日の沈んだ夜間、肌に刺さる夜風に凍えながら移動を再開する。
 夜間に移動をするのは、道中水分の補給が期待できない環境で日中の暑さによる余計な脱水を避けるためだ。そのため、必然的に昼夜が逆転した生活を強いられる。
 食事も日に二度摂るといっても、合わせて平常の一食にも満たない。
 そんな過酷な環境下では誰しも次第に疲弊し衰弱し口数も減っていくものだ。


 そのはずなのだが、どういう訳か今回のティーチ村の一行は、その憂鬱さとは無縁のようだ。




「テララちゃん。そう言やあ、今日のチサキミコ様の様子はどうだった? ちったあ、寝癖は良くなったかい? 昨日まで寝たまま足蹴りされたって言ってたけどよ?」
「そうなんですよっ! 団長さんっ! お姉ちゃんの寝相ったら、今日もひどいんですよっ! 教えてもらった通りに試したのに全然良くならなくて……!」
「ぬーー……。だから、蹴って悪かったってばあ。そんなに怖い顔しないでよう……」




 村を発ってから四度目の月が昇った一行の話題と言えば、専らチサキミコ様の寝相の話で持ちきりだった。
 夜風吹き抜ける月夜の中、スクートスに揺らされながら日中の姉の寝相をテララが皆に報告し、気晴らしがてら、それでも一応真面目に改善に向けての話で道中賑わうのが、荒んだ夜道のささやかな楽しみとなっていた。勿論、ソーマに加えピウを交えた合唱付きだ。
 最初は見せ物になった気分で話題のその人は終始顔を赤らめ膨れていたが、今となっては挙げられる提案に駄目出しをしては意見を催促するほどに一番乗り気になっていた。




「ガハハハハッ! こりゃもうしばらく、チサキミコ様の寝癖直すには日がかかりそうですな!」
「こ、こらそこっ! 笑ってないで、そのでかい腹搾って何か良い案の4つや5つ出したらどうなのさっ!」
「5つって、また乱暴な!? うむ、それもそうと腹搾れって初めて言われましたぜ……。俺の腹ってそんなに鬱陶しいですかい? 何だか泣けてくるぜ……」




 またチサキミコ様の団長弄りがはじまったと村の皆が賑わい、一人の大腹男は恨めしそうにその膨らみを撫でている。
 こういうときは決まってムーナの出番だ。真に受けて鞍に沈み込む夫に見兼ね、哀れんで仕方なくその肩を小突いてやる。旅がはじまって以来の見慣れた光景だ。




「こんなに撫で心地は良いのによう……」
「ハハハッ。きっとチサキミコ様は、あんたに頼るのが気恥ずかしいだけなのさ。それくらいで悲しんでないで、気の利いたこと言えるようになんないとね? がんばんなっ! あたいのだ、ん、な、さ、まっ?」
「……お? そう言うもんなのか……?」
「まあ、確かに昔と比べりゃあ、下っ腹辺りが随分だらしなくなっちまったかねえ? けど、あたいはあんたのそのでっかい腹も含めて今も好いてるんだけど、どうしたものかね?」
「お? 本当かっ!? 俺のこと、好いてくれてんのかっ!?」
「だあーーっ! もうっ! こんな狭い所で、んな暑苦しい顔近付けるんじゃないよっ! ちゃんと前見てなっ! ま、えっ!! ……ったく、情けなくて少し慰めてやっただけだよっ! いちいち本気にするんじゃないよっ!」
「ん? もしかして照れて……、あ痛っ!? いたたたたっ!!!? 腹を抓るなって! ったくよう……。 女心ってやつはちっとも分からんなあ……」




 労わってくれたのかと思いきや、これまたきつめに腹を抓られた守部の団長は、きっと外方そっぽを向いて珍しく頬を赤らめた妻の真意に気が付きはしないのだろう。
 背中で吠え立てる村長と妻から受けた一撃に悩める大男は、理不尽に板挟みにされながら手綱を握り直した。素直さというやつは何とも加減の難しいものだ。




「おっと、そろそろ日の出か。くうーーっ! 今晩も大分進めたな。今日はこの辺りにして、皆を休ませないとだな。お前、ちょっと手綱持っててくれるか?」
「あいよ。さっさと行ってきなっ!」
「へいへい……って、尻を引っ叩くなって……。やれやれ……」




 気を取り直して目を向けた進路の少し右手、東の地平の彼方、くすぶりだした少し赤みを帯びた紅緋色の光が夜目に刺さる。
 その晩の疲れを脱ぎ捨てるように、風除けの羽織にうずめた顔を覗かせ大きく伸びをする。そして胸に溜まった冷たい空気を一息に吐き出すと、団長はおもむろに鞍の上に立ち上り積まれた荷物を掻き分けて後方へと向かった。
 そうして積荷の間からその図太い身体を覗かせると、後方に続く村の皆に向けて威勢良く声をかけた。




「皆っ! 今日はよく頑張ってくれたっ! ここまで順調に進めたお陰で、あと3日、いや2日もすれば向こうに着けるだろう。今日はここいらでゆっくり休んでくれっ!」
「ふうーー! 今日もおしまいかあ。今晩も寒かったなあ。早くご飯食べて温まらなくちゃ。2人とも、身体どこも調子悪いとこない? まあ、お姉ちゃんは平気だろうから……」
「えっ!? 何であたしは平気なわけっ? あんたって、意外と根に持つよね……」
「お姉ちゃんほどじゃないと思うよ?」
「へっ!? あ、あたし……? あたし、根に持つ方だっけ……? うそ? あれ? んーー?」






 団長の旅の一旦の終わりを告げる号令をもって、一同口から疲労を吐き出し肩の力を抜く。
 テララも張っていた気を緩め、白い息で凍える手を温めながらソーマと姉の調子を窺う。朝の体調確認だ。これも旅がはじまってからの朝の習慣だ。
 姉の方は、先程まで団長に噛み付いていた様子からするに普段と変わりないとして、次いでソーマの方へふと視線を降ろす。




「ソーマは? 気分とか悪くない? ……ん? ソーマ?」




 つい今し方まで歌っていて疲れでもしたのだろうか。
 目の前の少年は、寝起きのように気の抜けた表情で身動き一つせず姉妹二人の間で大人しく座っている。
 どうと言うことはない。ただそれだけなのだが、呼びかけても見向きもしない様子にわずかながら違和感を覚えた。




「ソーマ、急にどうかしたの? 歌、歌い過ぎて喉痛くしちゃった? ……ねえ? 聞えてる? おーーい?」
「ん? 何? どうかしたの?」
「お姉ちゃん。ソーマがね、ちょっと様子がおかしいの……」
「…………ググ……。ギッ……、ギギギッ……」




 流石に気懸りが過ぎて、テララは少年の肩に触れようと手を伸ばした。
 そのまさにその時だった。
 少年の細く白い手が急に強張り小刻みに震えだしたかと思えば、ソーマは糸切り歯を剥き出しにして、唐突に鞍の上に立ち上がったのだ。




「ちょっ……!? ソーマ、きゅ、急にどうしたの……? そんなに、怖い顔して……。まだ止まりきってないから立ち上がったら危ないよ? ソーマ……?」
「……ギッ、ギギギッ……、グッ……ギギッ……」




 鞍から落ちてはならないと、その袖を引いて座らせようと試みるのだが、だめだ。
 銀の目を剥き出しにし、眉間にしわを寄せ、低く呻り強張るソーマの身体はテララの懸念に反しびくともしない。
 繰り返し呼びかける度に、目の前の少年を否定するほどに、胸の内から陰湿で陰惨な記憶が悪戯に滲みだし、小さなその胸をきつく締め上げてゆく。




「……ソーマ? ねえ? ……ソーマ? ……やだ、……やだ……。やだよ……。ねえ……、ねえっ……! ソーマッ! お願いだから座ってよっ! ……危ないからっ! 落ちちゃうからっ! ソーマッ……! ソーーマッ……!!」
「……ギギッ。……ギギギッ……。……ギッ、……ギッ……!? Ουαααααα!!!?」




 仕舞い込んだ忌むべき記憶に呑まれてなるかと必死にソーマの手を引いた。半ば泣きじゃくるように、その小さな身体にしがみ付くように、テララは何度も呼びかけた。けれど、それはついには届かなかった。
 ソーマは雄叫びと共に天空を仰ぎ、それまで和やかだった場が一変する。




「なっ!? ソーマッ! 一体、どうしたってんだっ? テララちゃんっ? 何かあったのかいっ!?」
「…………わっ、分からないんです……。ソーマが急に、どうして……。お願いっ……! こっちを向いてよっ!!」




 目の前で突然叫び出すソーマの姿に、それなりに場数を踏んだ村の戦士でも一瞬動揺したじろいでしまう。しかし、守部としての勘が瞬時に事態を察知し、未知の異変に身構えさせる。デオ団長は荷物にしがみ付きながら、旅団の周囲を鋭く睨み付けるように見渡しはじめた。




「………………ん? ……あれは、何だ……? あの辺りだけ、やけに土煙が立って……?」




 旅団の少し左後方、進路と反対の南西の地平線。
 風はあるものの砂を巻き上げるほどでもないというのに、その一点だけ何故か土煙が立ち込めている地点が目に留まった。よくよく目を凝らすが距離があるため、なかなかその原因を突き止めることができない。
 だが、焦燥感に駆られ土煙の正体の特定に手間取っていると、身の毛がよだつ奇声をもって、それは自らの正体を知らしめてきた。


 鼓膜をつんざくほど煩わしく、この荒野で忌み嫌われる咆吼。生者の血肉を貪り浴びる宴の序曲。スクートスとは対照的にその性質は兇悪で惨忍。背丈は大人一人ほどの小柄でありながら手懐けることは不可能とされ、出会ってしまえばただ逃れることを強要される狂獣、"ヴァスギス"。
 その猛獣を駆り、文字通り死の暴徒となって荒野のあらゆる営みを強奪してゆく集団がある。
 デオ団長の表情は懐疑的なものから徐々に恐怖と憎悪に染め上げられてゆき、生唾が鈍く音を立ててその喉元をずり落ちてゆく。




「…………黒い、……奴らだっ!? ……ニゲルだっ!!!! ニゲルの連中がこっちに向かって来るぞっ!!!!」

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