銀眼貫餮のソウルベット -Pupa cuius oblitus est mundus-

七色Ayeca。

第46話 荒野に響く独創歌

 月もすっかり地平の彼方へと呑み込まれ、底知れぬ闇が地上を染める中、手に持った松明のか細い明かりを頼りに、一行は北東へと向かっていた。
 六頭のスクートスから編成されたティーチ村の旅団は、先頭からデオ夫妻、次にテララたち、その更に後ろに女、怪我人を乗せ、列の両脇を男手で見張りを利かせた形で縦に並んでいる。デオ団長の計らいで、怪我人が居るからと言って今回は身体の弱い者を囲うように並んでいるが、これは恐らくテララが先のハリスの山で出くわしたと言う悪族を警戒してのことだろう。




「うううーー……。寒いね。ソーマ、平気? 寒くない?」
「サム、イクナイ!」
「お姉ちゃんは? って、もう寝ちゃってるか。もう、おっきな口開けちゃって。ソーマ、お姉ちゃんの掛け布、ちゃんとかけてあげてくれる?」
「ナニ、モナイッ! ナニモ、ナッ! ウンッ!」




 凍期が終わり乾期になるからと言っても、月さえ沈んでしまった夜中は視界だけでなく温もりさえ奪うほどよく冷え込む。時折吹き抜ける風は、薄着では到底耐えられるものでなく、幾つもの掛け布を荷物から引き出してこれに包まり凌ぐしかない。
 と言っても、出発してから休むことなく鞍の上で飽きずに跳ね続けているソーマに至っては、そんな寒さも問題なさそうだ。一人元気に何もないと連呼しっ放しだ。




「テララちゃんも今日は疲れたろうに。もう休んでも良いんだぞ?」




 そんなソーマを横目にテララが寒さに凍えつつ身内に世話を焼いていると、荷物越しで姿は見えないが先頭のスクートスからデオ団長が気さくに声をかけてくれた。




「あっ。いえ! なんだか目が覚めちゃって。私は平気です!」
「そうか、そうか! まあでも、小山でのことがあるから今日は日の出の後もしばらく進むし、適当に休んどくんだぞーー?」




 平常であれば日の出前には旅団を止め、簡易的に宿を設けて日中の猛暑を避けつつ休むのだが、やはりだ。ハリスの山の出来事を懸念し、少しでも距離を稼ぎたいのだろう。
 容易に汲み取れてしまうその意向に、改めて今回の影籠りの緊迫感が込み上げてくる。テララは思わず生唾を呑み込み胸の辺りで小さく拳を握りしめた。




「そう言えば、今回は何処へ向かってるんですか?」
「あーー、そうだなあ。とりあえず、ゲミニーの大岩だな。食糧がもてば、もう少し奥まで行きたいところだ」
「ゲミニーの……。ああ、あの大きな双子岩ですか?」
「おう! そうだ! 村からそれなりに離れてるし。あそこなら、割りと近場に水掘りもできそうな場所があったはずだ。まあ、6日ほどあれば着けるだろうよ!」




 ティーチ村の周辺に点在する影籠りの候補の内、二つの大岩が背中合わせに立ち並んでいるかのような大岩がある。一つの巨岩が天辺から二つに裂けたその大岩の谷間は深く、日がな一日、常に日陰となるため乾期にはちょうどいい影籠り場所だ。




「フ、フタ、ンボ?」
「フフッ。ううん。ふ、た、ご。こーーんなに大っきな岩でね? 谷間に居たらね、ときどき風が吹き抜けて気持ちがいいんだよ?」
「フタゴ! オオ、キイ! オオキイ! ニシシッ!」




 未だピウの上から眺める光景の感動が冷め止まぬソーマは、聴き慣れぬ言葉にも胸の高鳴りが抑えられない様子だ。小山での衝撃的な出会いからは想像できなかったほどに、ごく自然で他愛なく微笑ましい限りである。
 しかしまあ実のところ、そろそろそんな少年を寝かし付けないと少女の気力も費えてしまいそうで、深緑の瞳が弱々しく瞼を被りつつあった。




「ふ、わーー……。んーー、流石に眠たくなってきちゃった……。ねえ? ソーマは……。まだ、元気いっぱい、だよねえ……」




 腹一杯に幸福を詰め込み、村の皆が影籠りの出発の準備をしている最中、一人休んでいたのだからその銀の瞳はまだまだ気力を持て余しているに違いない。これはなかなか手強そうな相手だ。
 どうしたものかな。テララは半分夢路へと浸りぼやけた頭で考えていると、無意識の内に緩んだ口からあの音色が囁かれはじめた。




「Sicut si solus …… flosculus …… virent deserto ……、Si mundus vos …… praeter et …… cinis cineris ……」




 微睡まどろみの中紡がれたその音色は、赤子を優しくあやす母親のように疲弊した村人たちを包み込んでゆく。スクートスの歩みに合わせてゆったりとした調子のそれは、身に沁みるほどに実に心地良いものだ。
 自然と皆もそれに耳を傾けている。
 これには流石に興奮に弄ばれている少年も、いつものように直ぐ大人しくなるはずだ。




「ニシシッ! ナニモナ、イッ! ニシッ!? ……テララ?」




 やはり少女の音色は何よりも少年の心を惹きつけるようで、何もない夜の荒野に夢中だったソーマをすぐさま大人しくさせてみせた。
 首甲の鞍から身を乗り出したまま、はたと我に返った表情でテララを見詰めている。




「シーー……。シクーーリ、シ、シ……? シソーーウ……ウウ、イーー……?」




 そのままテララに甘えるようにもたれて寝息を立てるかと思われたのだが、今夜のソーマはどうも普段より琴線が敏感のようだ。驚くことに、テララの口元を食い入るように見詰めながら、とてもぎこちないながらもその歌声を真似しだしたのだ。全く、好奇心というものは恐ろしい。
 音の調子をなぞることなど知らない。そのでたらめで音色とも言えないただの奇声には、心地良いテララの母性に浸っていた村人たちも驚きだ。
 何より一番驚いているのは、微睡まどろんでいたテララだ。眠気など夜の星空の彼方へと吹き飛んでしまったように、見事に目が覚めてしまった。




「……ソッ、ソーマ? 今、もしかして……。歌、歌おうとしてたの……?」
「ウ、タ……? ウタッ! シタッ! ニシッ」
「……そっか。…………フフッ、うん。よしっ! それじゃ一緒に歌っちゃおうか?」
「ウタ! ウタッ! ……シーークーーリ、シ、シ……。グーー……」
「安心して? ちゃんと教えてあげるから。んと、そしたら最初はねーー……」




 まさかと思い半信半疑でその奇声の意図を訊ねてみれば、人懐こく、それでいて今は前歯が抜けて尚愛らしい笑みで応えてくれた。
 これまで何度もソーマと言葉を交わすことはあった。けれど思い返してみると、問いかけてもどこか一方通行で、侘しさを感じることもあった。何らそれでも構わなかった。けど、だからだろうか、他愛なく素朴だが明瞭にソーマと意思を通わせることができたと感じた今、すごく胸が満たされる。


 どこかへ吹き飛んでしまった眠気もしばらく帰ってくる様子はなさそうだ。テララは意気揚々とソーマにお気に入りの思い出を少しずつ教えてやった。




「いい? 分かった? それじゃ、せーーので歌おっか? せーーのっ……!」
「シ、シーールーー、チ、チーーテッ。テッ……、ウッ、ウルーーエーーナッ、ドッ、ドドッ、ドバーー、バッ!」
「あーーんーー。ちょーーっと違うかな? フフッ、えっとそこはね? こう歌うんだよ?」




 正確には八割方、いや九割方歌詞や音程、曲調が正確に抑えられておらず、これはもはやソーマ作詞作曲の別物になってしまっている。
 しかし、その姿勢は熱心そのもので、歌を教えるテララ自身も力が入っている様子だ。村の大事を取っての避難だというのに、実に微笑ましい光景ではある。
 しかしながら、ソーマが編曲したその雄叫び、いや歌は聞いていてお世辞にも心地良いものだとは言えない。けれど、原曲からどれほど間違えていようと、清々しく力強い歌い方に次第に旅団の前後から忍び笑いが沸いてきている。




「何だ何だ? 今度はずいぶん賑やかな感じになったなあ? ガッハッハッハッ! どれ! それなら俺も……」
「ちょっと、あんたは黙って綱握ってなっ! ほんとっ、あんたって気が利かないんだから!」
「いてててっ! おっ、お前。休んでたんじゃねえのかよ? あたたたっ! いっ、いいじゃねえか。ソーマがあんなに元気に歌ってんだ。一緒に俺だって、いって!? 分かったっ!? 分かったから、腹をつねらんでくれっ!?」




 村一番の空気の読めない肉団子男の乱入が未然に防がれた後、ソーマはテララに倣いながら、それはもう夢中で自由に大好きな歌を歌い続けた。少しずつテララのそれを真似られる部分もあったものの、少々濁音と促音が踊り気味で何とも独創的な歌いっぷりではあった。まあしかし、これはこれで何もない夜の荒野には良い余興かもしれない。
 いや、その子守唄を歌う隣で一人いびきをかきながら人知れずうなされている者が居たことを踏まえると、ソーマは歌う場所を選んだ方が良いのかもしれない。

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