銀眼貫餮のソウルベット -Pupa cuius oblitus est mundus-

七色Ayeca。

第38話 驚天動地の大遭遇

「あっ、ほら、ソーマ! 村が見えてきたよ?」
「ム、ラ、ミタ?」
「うん。もう少しだから、がんばろう!」




 日が大分傾き、薄水色の空に太陽がにじ紅緋べにひの帯を敷く頃、水掘りを終えたテララたちが氷水で一杯の桶を両手で抱え、村の近くまで帰ってきていた。




「ふいーー。やっと村が見えたかあ。これでやっと、お前くらい重いこいつから解放されるってわけか。もう腕が上がらなくて敵わん」




 ここまでの長い道のりの末、思わず気が緩んだのだろう。
 氷袋が山盛りに積まれた一際大きな桶を抱えたデオ団長が、広い額にびっしりと汗をかきながら首や肩を鳴らし、蓄えた疲労感を気兼ねなくらした。




「だあーーれが重たいだって? 失礼なこと言う余裕があんなら、こっちのも持ってもらおうかね?」




 それまで、その屈託のない快活な笑みで一行を気遣い、人知れず負担の大きい荷物を担いでいた巨漢の妻だったが、その無神経な独り言には流石に阿呆らしくなったのだろう。ムーナは悪戯に膨れてみせながら、抱えていた桶をその無礼な旦那の桶に一つ、二つ、三つと重ねてゆく。見る見るうちに愚か者の眼前は桶の山で埋め尽くされ、慌てふためく夫の様を少々愉しんでいるようだ。




「ぬおっ!? ちょっ!! おまえっ、じょうだっ……うおおっ!?」
「持ってくれるなら、素直にそう言えばいいのに。でかい図体に似合わず恥ずかしがり屋だねえ? そら、こっちも頼んだよっ!」
「おおおおっ!? まっ、これ以上持てるわけっ!? ぐぬおおおおっ!!!?」
「フフフッ。もう、また団長さん、一言多いんだからあ」




 その余りにもの重さに、デオ団長もその図太い脚を風になびく細枝のように小刻みに震わせ必死に踏ん張っている。
 そんな夫に止めの水袋を何食わぬ顔で押しつけ、その妻は清々しい笑みで健気な子供らを優しく気遣う。




「テララちゃんは平気かい? 持ってあげようか? 無理しなくていいんだよ?」
「ありがとうございます。でも、ソーマに少し持ってもらってますし、平気ですよ。それに、あと少しですから、がんばります!」
「ヘイ、キ。オモイ。ヘ、イキ!」
「そうかい? 辛かったらいつでも言いなよ? この人がいくらでも持ってくれるからね」
「おおいっ!? 本当に、これ以上はっ……!!」
「あんたは、黙らっしゃいっ!」
「ダマ、ダ。ンマ……、ラッシャイ。ニシシッ!」




 一つの共同作業を終えたことで、出発前と比べソーマも大分警戒心が失せた様子だ。拙いながらも口数も増え、女性陣たちの会話に混ざって、皆にそのぎこちなく無垢な笑みを向けている。
 会話を弾ませる後ろで、荷物の山と一人格闘している村の守部もりべの長の肩身が、逆に狭くなった気もしなくもない。










「……ングッ!? ……クンカッ。クンカッ、クンカッ……」
「ソーマ? 鼻ひくひくさせてどうかしたの?」




 やがて村に居る人影をなんとか視認できるほど近づいたところで、突然ソーマが真剣な面持ちで立ち止まった。それまで、にこやかに話をしていたかと思えば、何やら辺りを忙しなく見渡している。




「……クンカッ、クンカッ…………ゴ、ハンッ!? ゴハンッ! ゴハンッ!!」
「え? ご飯?」
「ソーマは鼻が利くんだろうさ。もう夕方だし、村じゃ夕飯の準備でもしてるんじゃないかね?」
「えっ!? まだあんなに離れてるのに、ソーマには分かるの!? ……うーーん、私には何も……」




 そう言って夕暮れに潜む村の方に眼を凝してみる。明るさが足りず焦点を絞るのに苦労したが、その深緑の瞳にも薄らと人影が辛うじて像を結んだ。




「……あっ! 本当だっ! 焚火をいてるみたい。誰かあそこに居るよ! おーーい!! 聞えるかな? おおーーーーい!!」




 テララは、その人影に届くようにめい一杯の声で呼びかけた。
 その仕草を不思議そうに見詰めた後、ソーマも何やら面白がって真似て叫んで見せる。
 二人の子供らの声が干渉し大きく一つとなって荒野に響き渡ると、その人影も少女たちに気が付いたようだ。薪をべながらこちらに振り向き手を振り返してくれた。
 その風に吹き飛ばされそうなほど貧弱で、ろくに解かれもせず乱れた髪の姿に違和感を覚える。テララは、その違和感がどうも気になり、呼びかけた後もどこかそわついている。




「……ん? あれって、もしかして……。おっ!! お姉ちゃん……っ!!!?」
「ゴハンッ! ゴ、ハンッ! ゴハンッ!」
「あっ! ソーマ、ちょっと待って!!」




 遠方の村で手を振り返す人影が、脳裏である人物の面影と重なり、更に疑問が深まる。
 と同時に、鼻先をくすぐる誘惑に耐えかねたソーマが腕に抱えたくわや木槌を踊らせながら、一目散に夕飯目がけて駆けて行った。




「いいよ。テララちゃんも行っといで。荷物はあとはあたしが運ぶから。ほれ」
「あ、ありがとうございます。ソーマッ! ねえ、待ってーー!! そんなに走ったら危ないよーー! ねーーってばーーーー!!」




 何もない荒れ果てた地を、ソーマの後を追って気懸り一つなくただ走る。その危なっかしい足取りを追う内に、テララの顔に不思議と笑みが溢れた。










 先を行くソーマに釣られて思いの外長い距離を休まず駆けたものだから、村に着いた早々謎の人物を確かめるよりも、テララには肩で大きく息をするのが先決だった。
 そこへ、聞き馴れた声が普段の気だるげな調子を全く感じさせない、むしろ、心なしか気力さえ感じる朗らかな声色で水掘りから帰った二人を出迎えた。




「おーーっ! やっと帰ってきたね。2人ともお帰りーー! たくさん水掘れた?」




 息切れ切れに視線を上げると、そこにはたすき掛けをして袖をくり、匙を握り締めて何処か誇らしげな姉の姿が飛び込んできた。
 全くもって信じられない。これは何かの間違いで、きっとお姉ちゃんの気まぐれな冗談だろう。それか疲れ過ぎて幻でも見ているのだろう。きっとそうだ。団長さんが戻ったら、一度水で顔を洗おう。そうすれば覚めるに違いない。うん、そうしよう。
 あまりにも信じられない光景に、必死で納得のいく言い訳を探す。けれど、いくら考えを巡らせ目を擦っても、その人はその格好のまま、寝ぼけていても見間違えたりしない良く見知った顔でそこに立っていた。
 その身なりは夕食の支度をする女房の姿そのものなのだが、今回ばかりは深緑の瞳にはそうは映らなかった。
 まるでこの世の物ではない夢か幻か、はたまた珍奇ちんきの獣を目の当りにしているかのような、すんなりとは到底受け止められない光景だった。
 普段、だらしない姉の面倒を看ているテララだからこそ、流石にこれには息を吸うことすら忘れ、開いた口が塞がらない。




「……たっ、ただいま。……あ、うん。ソーマがね、えっと。手伝ってくれて、それで、びっくりするくらいたくさん掘れたんだけど……」
「へーー! ソーマが!? やるじゃないか! 偉いねーー、ソーマッ! ご褒美に、これ食べさせてあげようかあ?」
「……ウグッ。ギニニ……」
「うまくできてるから食べてみって? フフッ。あーー、もう。逃げちゃだめだぞーー。ほれほれーー!」




 現状を認められず未だ立ち尽くす妹に構わず、いつものように過度で煩わしい愛情を一方的にソーマに向け、歪な握り飯を片手にれ付こうとする姉と思わしき人。
 いや、間違いなくその人はテララの姉で、ソーマが未だ慣れずテララの影に隠れ本能的に避けたがる天敵あねのはずなのだ。
 その眼に映る他愛ない光景は、拒みようのないほどに単純で明快に現実であると定言している。
 けれど、姉妹二人一つ屋根の下で過ごしてきたこれまでの長い間、腹を出して寝てばかりで自分のことさえろくにせず、おまけに自ら誰かを手伝う素振りなど、今まで一度も、微塵も、これっぽっちも、気まぐれな冗談でさえも決してなかった。
 それがテララの知る唯一の姉の姿だった。だからこそ、テララにとって今眼前で握り飯を手にソーマを追い回す炊事姿の姉との遭遇は、大岩で脳天をたれるより、稲妻に身体を貫かれるより、とてつもなく衝撃的な出来事なのだ。それは正しく天変地異に等しく、それはもうこの世の終わりと言わんほどにだ。

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